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2018.03.30

脆い東京

 先日、飯田橋のあたりを歩いていて、海抜4mという標識を見かけた。このあたりでも、4mほどかあと思った。神楽坂のほうに歩いていくと坂になっているし、アンスティチュ・フランセも坂にあるので、あの一帯が低地というほどでもないし、そもそも4mもあれば浸水っていうことはないかとも思った。そして、昨日、神田川沿いに歩いて桜を見ていたのだが、改めて神田川が流れるのを見ると、けっこう深い。4mどころじゃないなあ。あれが川の水位だとすると、このあたりの海抜もけっこう低そうだと思った。で、それから何を思ったかというと、東京はけっこう洪水に弱そうだなということだった。
 そして7時のニュースを見たら、東京都が洪水についての情報を出したことを知った。いわゆる「スーパー台風」による高潮があると、これが川をさかのぼり、東京23区のうち17の区で浸水させるという。つられて元の情報をあたってみると、飯田橋の駅あたりは浸水そうだった。神田川は早稲田あたりは大丈夫そうだった。それでも、地図を見るとけっこう浸水するのがわかる。墨田区、江東区、江戸川区あたりは全域沈むなあ。大災害の可能性は高い。が、逆にいうと、東京全域が沈むわけでもないので、特定地域の非難を確立しておけばいいのだろう。
 そういえば、これも先日、広尾から新宿に向かうおり、バスに乗った。新宿の街並みには慣れているので、降りる場所もわかるのだが、バス停名としては「新宿追分」というのだなとあたらめて知った。降りて、紀伊国屋書店のビルを見る。このビルは私の青春がつまっているようなものだなと思う。古い。という印象でいたら、このビル、震度6で倒壊の恐れがあるらしい。
 これもまた東京都の情報。平成25年施行の改正耐震改修促進法を基準に、都内のビルなど852棟を再調査した。震度6強以上で倒壊・崩壊の危険性が高い建物が156棟。紀伊国屋ビルディングもこれに入る。危険性がある建物だと251棟。数だけ見ると、すごいなと思うが、区内にはビルが多いので、そのくらいかなとも思える。
 とま、簡単にいうと、洪水で隅田川以東は沈む。震度6で昭和の建物の多くは倒壊する。けっこうな災害だなと思う。
 が、再考してみると、東京が全滅するというほどでもないだろう。
 他に想定される災害はなにかな。富士山の噴火も想定されるが、東京の壊滅というほどではないだろう。
 なんか重要な災害想定を忘れているような気がするがなんだろ? 


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2018.03.29

[書評] フランス人 この奇妙な人たち(ポリー・プラット)

 フランス語を学ぶということは、日本語ネイティブの私とっては、外国語を学ぶということ、多種外国語があるなかの一つを学ぶということで、特殊なことではない。言語と文化、その言語を使う人たちの民族的な要素なども、その言語とは分離して考えられるはずのものだ。が、実際にはそうもいかない。むしろ、フランス語を学ぶということは、フランス文化やその歴史、さらには民族性を学ぶということにつながる。この点、英語だと、英語を使う人は多様なので(米国人内ですら多様)、もう少しゆるく考えられる。というか、フランス語を学んでみたら、こうした付随的に見える要素がけっこう多く感じられて驚いた。つまり、フランス人って、どうしてああなの? ああ、という部分は、日本人からすると、とても興味深いのである(たぶん、逆もまた真なりだろうけど)。

 フランス語を学びながら、折に触れてフランス文化やその歴史を学ぶ。フランス語を学ぶうえでのインセンティブにもなるが、フランス語を学ぶことでこうした文化や歴史の理解も深まって楽しい。関連する各種の本を読んでいるが、基本、軽いエッセイのようなものがよい。本書『フランス人 この奇妙な人たち』(参照)もそうした一貫として気軽に読んでいたのが、これ、最初の2つパートは、笑いながら、そして、米国人である著者からすると、フランス人はこう感じられるのだろうなという面白さもあって読めるのだけど、パート3はかなり、がしっとした内容になっている。なにより、フランス史のお勉強である。フランスを理解するには、フランス史が欠かせないということが、よくわかる。しかも、これがけっこう深い。なかでも、アラベールとエレオノール・ダキテーヌに焦点が当てられている。まあ、そうなんだろうな。とくに、エレオノールについてはアンジュー帝国成立にも関わる。余談だけど、出口治明さんの世界史の本にはアンジューが出てくるけど、現在の世界史の教科書とかでもたしか出てこない。
 このあたりの説明読んでいるとがちで世界史のお勉強なんだが、なるほど、こういう知識がないとフランスというのはわからないものなのだと、しみじみ思う。この部分だけの本書を読む価値がある。
 その他、フランスの官僚主義や技術至上主義などもよく描かれていて、いわゆるフランスについて書かれたものに比べるとかなり深く掘り下げている。
 ただし、である。情報が古い。キンドルで読んでいたので、書誌がわからないのだけど、内容がけっこう古い。当初の翻訳ににあたって、訳者の配慮だと思うけど、日本人の視点が追加されたようだ。その日付の情報もない。新装版なのだから、少し注を増やしてもよいようには思えた。
 それでも著者紹介を見ると、2008年に死去とあるので、それ以前の本であることはわかる。また彼女のフランス体験は、1967年に始まるあたりも、けっこう以前からフランスを観察していることがわかる。
 原書は英書なのでそっちの情報をあたってみると、原書の出版年は1994年のようだ。四半世紀は前になる。英語圏では、フランスを知るバイブル本というくらいに評価もされていたようだ。
 というわけで、本書に描かれているフランスはひと時代前のフランスということになる。が、歴史は変わらないし、読めばわかるけど、現代でもフランス人ってこういう人たちだよなという気質の面ではあまり変わっていないように思う。
 読み終えていろいろ思うが、日本人も、けっこう奇妙な人たちであるよなと思う。それと、フランスという国やフランス人の生き方から学ぶものも、たくさんあるように思えた。


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2018.03.28

[書評] ポリアモリー 複数の愛を生きる(深海菊絵)

 性的マイノリティについては、自分なりに関心を寄せてきたが(なぜか自分でもよくわからないが)、「ポリアモリー」にはあまり関心なかった。というか、バートランド・ラッセルや南博とか思い出すが、20世紀初頭からある「オープンマリッジ」と同じじゃね、とか、普通の都市フランス人の生き方じゃね、くらいに考えていた。ちょっと違うかなと思いついたのは、どうも、これ米国発の運動で、日本でもそうした経路で話題になってたんじゃないの、というのが気になったせいだ。手始めに、ありがちな新書でも読むかということで、『ポリアモリー 複数の愛を生きる』(参照)を読んでみた。ネットのコラム記事のように軽くて、私には二人の恋人がいますぅ、みたいなノリかと思ったら、違った。難しくはないが、かなりきっちり書かれている。永田夏来さんみたいに学者さん?とか思ってその時点で著者紹介を見ると、本書執筆時に博士課程にいた人であった。社会人類学が専門ということで、なるほどねと思った。学問的なフレームワークで、しかもアカデミック・トレーニングを受けた人の本というのは、ある意味読みやすい。

 なにより、「ポリアモリー」が、繰り返すが、きちんと描かれていることに感銘した。著者自身、この考えが世間で誤解される前に手を打ちたい思いがあったらしいが、成功している。また、ポリアモリー的な状況で現実で悩んでいる人へも、かなり思いが通じたのではないだろうか。
 読みやすいが、わかりやすくはない。わかりにくく書かれているのではなく、そもそも対象がわかりにくいせいだろう。ごく簡単に言えば、というかそういうふうに言うと間違うのだが、「公認された不倫」のように理解されがちだ。まったくの間違いとも断定はできないだろうが、新しい契約的な倫理の問題であり、恋愛の質の問題であり、そして、性的なマイノリティーの問題でもある。
 倫理の側面は、表面的にはわかりやすい。複数の恋人がいるなら、そのことを各恋人に理解してもらうことだ。ちょっと露骨にいえば、複数の性関係を了解するということでもある。ただ、ここも「性関係」がキーになるとも限らない。
 恋愛の質についても難しい。著者自身、ポリアモリーの実践者なので、その内的な了解はあるにせよ、正直に「コンヴァージョン」を感覚した体験はないとしている(本書執筆時)。この概念は説明はできるがその意味充足の背景にある恋愛の質の了解は難しい。別の言い方をすれば、多様なポリアモリー論と、本質的なポリアモリー論との分水嶺かもしれない。ただ、本質であるのが正しいということではまったくない。
 性的なマイノリティーの側面は、本書は社会学的に言及していてわかりやすいのだが、関連してBDSMについて触れているところはかなり興味深い。この側面がポリアモリストにとって少ない比率ではないことは、性的マイノリティーの感覚ともどこか通底している。
 本書のそうした、かっちりとした枠組みのなかで、違和感でもないが、奇妙に関心を引くのは、SF愛好の部分である。SFというと、当然、サイエンティフィックなロマンではあるのだが、むしろ、現在世界を超える人間の想像力のロマンと見てよく、その拡張性にポリアモリーの恋愛の質が関連しているのは確かだろう。
 こういうとなんだが、本書がきちんと書かれていることで、社会的に「ポリアモリー」の始末のつけ方のようなものもうまくいくように思えるし、ポリアモリー的な性向の人にとってもある救済的な意味は持つだろうが、恋愛や愛の本質、人間の性的な情念という、いわば本質論として見ていくと、「ポリアモリー」はけっこう難問を多く抱えているように思う。1つ補助線を引けば、宗教的な愛はポリアモリーの恋愛の質に接近しているだろう。本書の記述で言えば、著者はタントラにも関心を寄せているが、この問題も掘り下げると難しい。そもそも知性の歓喜というのは、ポリアモリー的なものなのではないか。
 ぐだぐだ書いたが、ポリアモリーが内包する問題は、LGBTのような性的なマイノリティーのレパートリーでは収まらないだろう。

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2018.03.27

[書評] 回避性愛着障害(岡田尊司)

 自分、60歳にもなって人生擦り切れてきているわけで、おかげで将来の夢も不安もない。人生悩んでいても、そもそも生きられる時間がたいしてないうえに、老化は急に止まらない状態なんで、心の悩みとかあったとしても、そもそも意味がない、はずなのだが、ある。この歳こいて、けっこう日々内面が苦しい。成人した子供もいるというのに、自分の内面に子供期の母子関係の失敗が今も心に影響しているという実感がある。つらい。笑えるほどつらい。

 なんだろうか。難病は抱えているとはいえ、肢体に問題ないのだが(腰や足が痛いとか別として)、なんだか気が付いたら左足がないといったふうな身体欠損のように、心のある大切な部分がごっそりないぞ、俺は、という感じがしばしばする。
 こうしたものに向き合っても、なんもないというのが我が人生の結論でもあるのだが、それでも最近、「愛着障害」というのが気になって、本書『回避性愛着障害』(参照)を読んでみた。
 まあ、それだ。本書副題にあるように「絆が希薄な人たち」に自分は入る。リアルな人間の関係から回避して生きているのが俺だ。まさに、回避性愛着障害である。どうでもいいが、「かいひせい」って入力すると「会費制」が出てくるのはいいな。
 で、ま、こういうと失笑を買うのはわかっているが、我ながらSNSが好きではない。しかたなくフェースブックにも登録したが、使ってない。のわりに、ツイッター廃人でもあるが、これも本書に指摘のあるとおり。《リアルの関係と、ネットワークの関係は、一見、同じように見えても、そこには決定的な違いがある。》 そりゃな。

 そのために、まずやるべきことは、パソコンやケータイの画面との接触時間を短くすることである。一日一時間くらいに抑え、メールのチェックも一日一~二回時間を決め、そのときだけ返事を書くようにする。メル友には、その旨を通知しておけばいい。メールの奴隷のような生活を脱しよう。

 どうでもいいけど、この本、いつの本? 2013年。すでにラインとかツイッターとかあったんじゃないかというか、まだそこまでSNS病が蔓延している時代でもなかったか、5年前。
 いずれにせよ、ネットを介した人間関係というのは、人間関係の偽物のようなものだろうし、まさに、リアルからの回避行動でツイッターとかしているのだろう。と、ふと思い出したが、昨年の今頃、ツイッター数か月止めてたし、ブログも半年くらいお休みだったか。まあ、どうでもいいけど。
 問題は愛着障害だ。どうしたらいいんだよ。基本は二つだろうか。一つは、シェルターというか「安全地帯」になるような人間関係を構築しなおすこと。自分についていえば、けっこうあるにはあるか。ただ、それを広げていくというのはできそうにはないな。二つ目は、コミットメント。人生から逃げないと決意する、面倒なことから避けない、というのだ。それもある程度はしているか。

 本当に必要なことは、不安や恐れから逃げることではなく、それに敢えて自らをさらし、それに立ち向かっていくことではないか。不安や恐れを抱えて生きるということが、生きるということだとしたら、不安や恐れから逃れようとしたとき、人は自分の人生からも逃げてしまうことになってしまう。

 そうかもしれないけど、それもまた、なんというか、空回りで満身創痍になってしまうものだしなあ。
 本書は、そういうふうに斜に構えて読むと、お説教本のようにもなってしまうが、こてこてと書かれている文章はカウンセリングでも受けているような気分になるし、なにより、こりゃ自分は愛着障害なんだからなあというのは自覚が進む。また、回避性愛着障害をもってたような文学者や著名人などのエピソードも面白い。著者の学生時代のフランス語授業の話も面白い。そこだけ小説であっても、読みたいぞ。
 さーて、どうしたものかなあ。


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2018.03.26

[書評] ストーリー式記憶法(山口真由)

 記憶術や記憶法の関連書籍を探しているときにたまたま、『誰でもできるストーリー式記憶法』(参照)という本を見つけて関心をもった。記憶術には物語法というのはあるが、本来関連の薄いアイテムをこじつけて物語にするという手法で、物語記憶自体を記憶法として正面から扱った本というのを知らなかったからだ。基本的に、記憶術や記憶法の書籍は、図式的に理解するか、あるいは視覚的に情報を圧縮するか、無理やり物語を作るか、あるいは語呂合わせや歌詞にする、というのが多い。

 表紙には若い女性の写真があり、その人が著者なのだろうと紹介文を見ると、一時期ネットでも話題になっていた人だった。名前と顔と著作が私には結びついていなかった。著名人らしい。たまたまこの本を読んでいるとき、のぞき込んだ人が、その人知ってるよ、勉強法ついての本読んだことがある、と言っていた。
 内容。ハウツー本としてよく編集されているが、基本、時系列に物語を深く理解して覚えるということに終始している。秘訣がないわけではないのだが、ようするに物語をよく理解するというのが基本。これに加えて、音読もよい、繰り返すとよい、対象を好きになるとよい、というコツがある。
 読んでいて、なんというのだろうか、「ああ、人類の神話の記憶ってこうやって伝承されてきたんだろうな」という、すごく原始的な人間頭脳の使い方を再考することになった。いや、それってほんと大切なんじゃないかというのがよくわかった。
 あれだ。ロシア人の女性に、二時間映画の内容を聞くと、こまかに二時間きっちり話をしてくれるというやつだ。ドストエフスキーもアンナ・スニートキナの口述筆記がなかったら、年取ってあんな饒舌な小説は書けなかったのではないか的な何かだ。
 本書は多分に著者の自伝的な要素がある。そもそもこの記憶法は彼女の体験から生まれたものだからだ。その話はとても興味深いのだが、これって、ようするに著者がすっごい生まれつき地頭がいいというだけのことじゃね、という疑問がわいてきた。ので、先ほどの「知ってる」といった人にそのあたり聞いてみた。つまり、著者の勉強法は役立ったかだろうか。
 ある程度は役立った、と言っていた。7回読む勉強法というのもやったという。が、4回で挫折したらしい。なるほど。まあ、普通そうだろう。本書の記憶法も役には立つだろうけど、「誰でもできる」ということは、多分ないだろう。
 皮肉な言い方に結果的になってしまうかもしれないが、生まれつき地頭のいい子供っていうのの、内面はどうなっているのだろう、ということを知る手記として、とても面白いのである。本書にはいろいろそうしたツボがある。なかでも、「人に教えてもらわない」「人に教えない」というのは、なるほどねと思った。自分の理解のスキームが強固なら、そこに他者の思考のスキームを混ぜないほうがよいだろうな。
 こうした、地頭ばつぐんの子供の調査としていうのを学問的にやった研究ってないのだろうか。天才の研究というのはあるが、普通に頭がいいという子供たちの特性とか。
 そういえば、さっきのロシア人女性の物語記憶力の話だが、日本人女性にもそういう人いる。というか、若いころちょっと付き合った女の子にそういう子がいた。どうでもいい。
 ほかにもいろいろ思ったことがある。
 そうだよねと膝を打った(昭和表現)のが、本の厚みで覚えるという話。著者は六法全書を厚みで覚えるというのだが、これは僕も経験ある。本を読んでいると、厚みでどのあたりにどんな内容があったか覚えているのだ。ページの段落の全体の形も記憶に残っている。そういえば、本にしおりを挟む代わりにページの数を覚えておくというのもある。いずれ、紙の本でないとできないし、そういう点で、紙の本もいいなと改めて思う。
 7回読書法とも関係するが、読んだ回数の記録を本に書き込んでおくというのもいい。
 ラインマーカーとか使わず、覚えたいところを書き出すというのもいいだろう。本を読むとき、メモ用紙とか挟んでおくかな。
 記憶のバグの話もためになった。最近、ぼけっと、人と民放クイズ番組を見る機会があるのだが、我ながらなんでこんなこと記憶しているんだという、記憶がひょいひょいと出てくる。わお、俺スゲーと言いたいところだが、けっこう記憶にバグもあるのに気が付いた。そういうもんだろう。
 本書ではOutlookの活用法の話もある。なんだか盛りだくさんな本だなと思うが、そういえば、自分も最近、似たようなことをしている。テキスト化できずに覚えておきたいことがあったら、写真にとってKeepに入れておく。ほかにも、暗記する例文の本のページとか写真で入れといて、電車とかでちょこっと見て覚えたりする。
 ってな感じで、この本を読んでいると、対比的に、自分はこうだなという、脳みその使い方に気が付く。という点でも、本書はとても啓発的だった。著者の他の本も読んでみよう。


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2018.03.25

桜いろいろ

 数年前ごろから、あちこち桜の巨木が枯れ始めた。ソメイヨシノ(染井吉野)である。よく樹齢60年と言われるが、さもありなという感じがしていた。詳しくは、そういう寿命はないらしい。それでも、経験的にそういう印象が濃くなる事例は多い。
 自分の大学にも見事な巨木の桜並木がある。40年も前になるが、初めて見たときには、あまりの見事さに現実感がなかった。その後、沖縄転居や育児なので、久しく見ることがなかったが、一昨年見に行き、今年も見に行った。今なお見事ではあるが、巨木の多くは朽ちたのだろう、なくなり、新しいソメイヨシノが植樹されていた。それでいいと思う。そういえば、バス停には見事な山桜が一本あったが、あれは朽ちたのではなく、整備で切られたのかもしれないなとも思った。
 懐かしい場所の桜がどんどんと朽ちていく。これらはみな戦後直後に植樹されたものだろうし、よくもまあ、これだけ植樹したものだとも思う。それが朽ちていく様子は、戦後日本というものが朽ちていくことの比喩にも思える。
 だが、今年はそうでもなかった。意図的に、各所桜を見に回ってみると、ソメイヨシノ以外の桜がいろいろあることに気がつく。オオヤマザクラというのも美しかった。

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 楊貴妃という桜も意識して見たのは初めてではなかったか。

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 陽光というのも初めて見た。沖縄ではカンヒザクラ(寒緋桜)をよく見たものだが、陽光はその掛け合わせであるらしい。ついでにその新桜誕生の物語で『陽光桜』という映画があるのも知った。まだ見てはいない。

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 カンヒザクラも東京で見かけた。東京で咲くものなのかと不思議に思えた。陽光以外にも、この掛け合わせは増えているらしい。
 カワヅザクラは人工的な交配ではないようだが、カンヒザクラの自然交雑種らしい。うくつしかった。

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 いろいろな桜があるものだと思う。一時期よりはソメイヨシノも美しいものだと思うようにはなったが、それでも、戦後のある種、呪いのようなものも感じする。多様な桜で彩られていく日本の春の風景のほうが、私は好きだな。

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