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2018.03.10

公売の「特殊性」についてのメモ

 森友学園に関連する話題が再燃している。
 現在の話題の起点は、朝日新聞報道によるものだ。同紙によれば、すでに国会に提出された、森友学園との国有地取引に関する財務省の決裁文書は書き換えられたもの(当時の決裁文書ではない)とする疑いがある、とのことだ。
 朝日新聞は、当の、書き換え前とされる文書を公開していてないので、真偽については他報道機関はもとより、一般人も知るよしもない。
 朝日新聞の報道を信じるなら、書き換え前の文書には「本件の特殊性に鑑み」とか「特例処理について本省承認決裁完了」という記載がある、とのことだ。
 朝日新聞の報道が正しいとすれば二点問題になるだろう。①国会提出文書は正しいものではない(文書の扱いに不正があった)、②なぜこの部分が削除されたのか(やましい理由があるのだろう)、である。
 特に二点目の削除は「特殊性」「特殊」という文言に関わっているため、その「特殊」とは何か、という疑問も話題になっている。
 野党は、財務省が同学園に便宜供与を図ったことを書き換え文書で隠そうとしたのではないか、と疑念を持ち、政府を追及している。
 これに対して、一例ではあるが、日本維新の党・足立康史参議院議員はブログで《契約書にあった「本件の特殊性に鑑み」等の表現が問題になっていますが、「スーパー・スペシャル」契約なんですから「特殊」に決まっています。》として、「特殊」を「スーパー・スペシャル」と言い換えている。
 私はこうした問題に疎いし、この問題については特段に疑問はなかったのだが、この「特殊性」については、一点思うことがあり、ブログメモを残しておきたい。
 まず、決裁文書の背景だが、2016年6月、近畿財務局による国土交通省大阪航空局への通知で、大阪府豊中市の国有地を鑑定評価額からごみ撤去費約8億円を減額し1億3400万円で売却する、としたものだ。8億円減額の理由が「特殊性」である。売買契約は、学校法人や社会福祉法人などが公益目的で購入を希望する際に取られる「公共随意契約」であり、価格は国有地の公売は透明性確保のため原則公表となるが、この事例では公益を重視してか非公開となった。
 今回の事例は、通常の公売とは異なるが、基本は公売の枠組みで行われたものではないかと私は思う。そうであれば、これは「公売財産評価事務提要」に準じることになるのだろうと思った。そこで同提要を見ると、「特殊性」については、実質、定義が存在している(参照)。

第2章 公売財産の評価

第4節 見積価額の決定

1 見積価額の決定時期
見積価額の決定は、原則として、公売の実施決議(換価事務提要29参照)前に行うものとする。ただし、価格変動の特に激しい財産である場合、鑑定人による鑑定評価書が未受領の場合等やむを得ない事情がある場合は、公売の実施決議後にその決定を行っても差し支えない。

2 公売の特殊性による減価
(1) 公売特殊性減価の必要性

公売には、通常の売買と異なることによる特有の不利な要因として、次に掲げるような特殊性があることから、見積価額の決定に当たっては、基準価額のおおむね30%程度の範囲内で的確かつ確実に減価を行う(徴基通第98条関係3(2)参照)。

イ 公売財産は、滞納処分のために強制的に売却されるため、いわば因縁付財産であり、買受希望者にとって心理的な抵抗感があること。
ロ 公売財産の買受人は、税務署長に対して瑕疵担保責任(民法第570条)を追及することができないこと。
ハ 原則として買受け後の解約、返品、取替えをすることができず、また、その財産の品質、機能等について買受け後の保証がないこと。
二 税務署長は公売した不動産について引渡義務を負わないこと。
ホ 公売手続に違法があった場合は一方的に売却決定が取り消されること。
へ 公売の日時及び場所等の条件が一方的に決定されること。
ト 所有者の協力が得にくいことなどにより、公売財産に関する情報が限定されていること。
チ 公売の開始から買受代金の納付に至るまでの買受手続が通常の売買に比べて煩雑であり、また、買受代金は、その全額を短期間に納付する必要があること。

(2) 公売特殊性減価適用上の留意事項

公売財産の見積価額は、基準価額から、上記の公売の特殊性を的確に減価して決定するが、公売財産の種類、数量、性状等は財産によって異なるものであるから、公売特殊性減価は、過去に実施した公売事例等を参考として、具体的事情に適合した妥当な範囲で減価することに留意する。

(3) 一括換価する場合の留意事項

一括換価する場合において、全ての財産を一体とした基準価額と各財産に対応する基準価額を求めたとき(本章第3節1(2)参照)は、各財産に対応する基準価額から公売の特殊性を減価して各財産の見積価額を求めた上で、その見積価額を合計することにより、全ての財産を一体とした見積価額を決定するものとする。

 つまり、「公売特殊性減価」は、差し押さえ財産を公売する際、最低落札価格設定が通常評価額より低くても違法性はないという理由である。
 森友学園の事例では、この「特殊性」とする理由は、ゴミが埋められているなど「いわば因縁付財産であり、買受希望者にとって心理的な抵抗感」があり、またそのため、売却後に瑕疵担保責任が問われないように、「公売財産の買受人は、税務署長に対して瑕疵担保責任(民法第570条)を追及することができない」とするためのものではないだろうか。
 私もこうした分野に詳しいわけではないので、簡単にまとめておく。

 ① 「特殊性」はこうした契約の用語だろう
 ② 「特殊」の内容は、瑕疵担保責任を問えない代わりに相分減額することだろう

ということではないか。
 この問題は、すでに政局問題となっているため、もう一点、強調したいことがある。

 ③ このブログ記事は安倍政権を擁護したいがためものではない

 佐川国税庁長官の辞任に至る経緯では、財務省を監督する安倍政権に不十分な点はあるだろうと思う。


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2018.03.09

[書評] 歴史をつくった洋菓子たち (長尾健二)

 昨年のクリスマスの前だが、フランス語の授業の合間の雑談で、フランスだとクリスマス・ケーキより年明けのガレット・デ・ロワが話題になるとして、授業でもその話題で盛り上がっていた。フランス人のこのお菓子への思い入れが強く感じられた。1月6日公現祭に食べるものだが、現代ではそれほど宗教的な思いれというより、新年の年中行事的なものようだ。日本でも、年中行事で食べるお菓子というのがある。個人的には、年明けには、花びら餅を食べることにしている。

 まあ、どの文化でもそうゆうものだよねと思っていた。沖縄で暮らしていたころは、旧暦の1月8日には「ムーチー」を食べた。アニスにも似た香りのサンニンの葉で包んだ餅である。「ムーチー」は内地の言葉で「餅」だから、ようするに餅でしょと、沖縄の老人に聞くと、ムーチーは餅ではない(あらん)という答えが返ってきた。よくわからないが、別のものとして認識されている。
 本書『歴史をつくった洋菓子たち』(参照)を手にしたのもそういう思いがあったからだが、読んでみると、お菓子の逸話ではあるのだが、意外にというのもなんだが、とても面白い。この手の話題をネットで調べると、何が出典がわからないような話があちこちにコピペされているだけなのだけど、本書は、できるだけ洋書(主にフランス語の)から引かれた話を基にしている。
 第一章の「文化としての洋菓子の歴史」から面白い。基本的に現代に続く洋菓子は、西洋ではキリスト教起源をもったものが多いのだが(例としてブランマンジェがまず挙げられているが)、そもそもこうしたレシピは、キリスト教の断食期間(四旬節)に関連したらしい。断食といっても、まったく食べないのではなく、基本肉を避ける。そのためのレシピがいろいろ考案された。謝肉祭なんかもこれである。そういえば、ビンケンのヒルデガルドについての本にもそうしたレシピがあったし、そもそもロシア料理などもそうしたレシピがいっぱいある。
 当然、ガレット・デ・ロワもあるが、項目としては「ガトー・デ・ロワ」になる。フェーブといって、いわば当たりの小人形の話は当然ある、というか、これでフランス人は盛り上がる。本書で扱うのは、フランス菓子が多いが、ドイツ菓子やアメリカ菓子もある。それらの文化差なども考察されている。取り上げられているお菓子の数はそれほどは多くはない。カヌレとかは載ってない。
 それでも読んでいると、ああ、そのお菓子、食べたいなと思う。これ書いている現在でいうなら、クレープ・シュゼットが食べたい。
 幸いにして、挿絵はあるものの、写真は少ない。しかもあっても白黒写真だけ。カラー写真で絵本のようにできた書籍だったら、相当に危険な本になっていただろう。


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2018.03.08

プルーム・テックを吸ってみた その7 プチ復活編

 vapeに移行してプルーム・テックはもう吸わなくなったかというと、微妙にそうでもない。むしろ、vapeへの嗜好が薄味になり、そして、複雑な味がいいという感じになり、vapeで単純なフレーバーを吸わなくなったことの反動で、プルーム・テックの、ある意味、単純な味をいいかもしれないと思うようになった。実際のところは、プルーム・テックの味はそれほど単純でもないけど。
 きっかけは、メンソールである。vapeでもそうだけど、微妙にメンソール感があると吸いやすい。この微妙にというところがめんどくさい。と同時に、それなりにシンプルなメンソールもいい。じゃあ、普通にプルーム・テックのメンソールは、と思い出し、こいつはまだ吸ってなかったことを思い出した。吸ってみた。悪くない。実際のところ単純な味ではないのだけど、矛盾するようだけど、シンプルなメンソールになっている。いいんじゃないのこれ、と思い直した。
 火をつけるタイプのタバコを吸いたいとは思わないが、昔少し吸っていたころ、かなり軽いメンソールタバコも悪くないとは思った。バージニア・スリムとか嫌いではなかった。EVEというタバコのメンソールは好きだったように思う。EVEはパッケージがきれいでそれもよかった。今調べてみると、日本での販売はなく、また外国でもあのデザインは変わっているようだ。プルーム・テックのメンソールはあんな感じに近いかなと思った。
 思い出したが、この手のメンソールを吸っていたころ、知人に、それオカマのタバコだけど、きみ、おかまだったっけ、とか言われたことがある。いやヘテロなんだけど。バイでもないけど、とか思って奇妙だったが、どうも自分にはそういうところがある。趣味が微妙にゲイっぽい。という連想で思い出したが、この手のメンソールを吸ったあと、アレをするのもよくあることらしいと知った。昔、クリントンのスター報告を読んでいて、アレ、だ、と思った。アレ、についてはなんとなく自粛するが、現在だと、フリスクだろうなと思って、フリスクとアレで検索したらビンゴでした。人間ってそんなものですよね。僕自身はやってないけど、まだ。
 なんの話でしたっけ。
 プルーム・テックだ。というわけで、プルーム・テックもいいんじゃないのという感じに戻ってきた。が、ニコチンってどうなんだろう。また、プルーム・テックも、個人によって違うが、キック感というかいがらっぽい感じのもあるし、そのあたりもどうだろう。基本的にニコチンが欲しいということはないし、たぶん、ニコチンの依存性はないと思う。
 なんだろか、ニコチン。話が逸れていくが、タバコって別にニコチンは要らないと思う。そしてタールはかなり減らせる。じゃあ、害ないんじゃないというと、いろいろ研究が進んでいるが、vapeにも害はありそうだ。勧められるものでもない。ただ、それをいうと、普通の食事でも気にするとめんどくさい食品もある。ひじきの砒素、マグロ刺身の水銀、納豆のイソフラボン、ほうじ茶のアクリルアミド、葉野菜の硝酸塩、発酵食品の雑菌などなど。そして、他方に、カフェインのないコーヒー、アルコールのない酒、そして、ニコチンのないタバコ。
 まあ、どうという結論もないけど、時代は変わって、人間の悪癖も変わるのだろう。


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2018.03.07

微妙な検閲と微妙な排除

 先日、グーグルからこのブログに忠告が届いた。なんか違反しているというのだが、何のことかわからないので対応に困惑しているうちに、忘れた。ら、また同じ忠告が届いた。調べてみると、アドセンスに違反した猥褻コンテンツがあるらしい。何のこっちゃと思って、それからあるわけないでしょ勘違いでしょと困惑しているうちに、また忘れた。ら、また忠告が来た。さすがに調べてみると、昔書いた記事で、こんなの猥褻っていうのかよみたいな批評的記事が該当しているらしい。こりゃ勘違いだな。ちゃんとブログ記事読んで審査してくださいよというリクエストを出してみた。メカニカルなミスでしょと思った。ら、また忠告。なんかめんどくさくなってきた。アドセンスを外せばこんな忠告は来ない。なので、検閲とか、言論の自由への弾圧というものでもないが、CMSでアドセンスしているので、外すのがめんどくさい。まあ、猥褻っぽいユーチューブの貼り込みを削って再審査してもらったら、今度はOKらしい。それにしても、ユーチューブもグーグルの広告ついているじゃんとも疑問に思った。
 このブログはココログの有料版を使っているので、その支出分くらいアドセンスで解消できればいいけどなというくらいで始めたアドセンスだが、検閲というものでもないけど、広告的なものをつけていると、そういう制約はあるもんだなあと思った。
 ココログ自体から、ブログへのクレームを受けたことはない。JASRACからもない。まあ、なんかあったら対応します。
 というあたりで、最近、ツイッターで騒がしいアカウントが消えるというか、消される事例を見かけるようになったことを思い出す。ツイッター運営側で検討して、このアカウントの暴言を放置していてはダメでしょということである。が、運営側の検討とはいえ、きっかけは報告なので、こいつひでーこと言っているとか運営側に報告されると、消えやすいのかもしれない。
 ということについては2つ思った。1つは自分がアンチさんから報告されてアカウントが消えることがあるだろうか、ということ。そうなったら、よほどへんてこな報告ではなく、ツイッター運営がそう判断したなら、僕はツイッターから消えようと思う。ツイッターというのも悪弊に近いこともあるし。
 もう1つは、そういうふうにアカウントが消されても、しぶとく別アカウントや、「運営スタッフ」的なアカウントで復活する人たちがいることだ。自分が悪くないのにアカウント消すとは許せないということかもしれない。
 そしてそうして別アカウントで復活すると、もとアカウントのフォロワーさんがそちらのアカウントをフォロワーするようになることが多いが、そのあたりはなんだか無法地帯のようにも感じられる。
 ネットでの言論のプラットフォームにはいろいろある。ツイッターがダメでも似たようなSNSはあるだろう。ブログでもそうだが、特に無料ブログの場合、広告で無料化しているような場合、その広告主から嫌悪されたら、そこでブログをつけるのは難しくなる。
 それでもまだまだネットの言論は自由だと思うし、私としてはというか、古いタイプのブロガーとしては、そういう自由の証であり続けたいものだなとは思う。

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2018.03.06

梅を見に百草園に行ってみた

 そうだな、梅を見に行こうかなと思った。梅を見るのがそれほど好きというものでもないし、私も年を取ったのだけどこれは年寄り趣味というほどでもないつもり。それに梅の花を見るだけなら、けっこう東京各所にあったり、少し郊外に行けば梅の畑みたいなのもあり、そこは満開。逆にいうと、梅畑みたいじゃないほうがいい。それに梅というのは、花や香り以外に枝ぶりを見るものだし、と思い巡らしていて、そうだ、百草園に行こうと思った。随分昔に行ったことがあるように思うのだけど、しかと記憶にない。ついでに近くの高幡不動にも行こうかと思ったが、結局、そこは行かず。
 百草園は梅の名所である。だから梅を見に行くという単純な話でもある。いろいろな梅もあって楽しい。場所は、東京の郊外、多摩地域にある。新宿からは京王線。京王八王子線の急行に乗って聖蹟桜ヶ丘駅で各駅停車に乗り換え一駅で、百草園駅に付く。すごくべたな駅名だから、駅から降りたらすぐ百草園だと思うと、いやいや、けっこう坂道を15分くらい登る。どこからとなく梅が香る。途中、「あと少し」とかいう表示があって、そこからがきつい。歩行に障害がある人だと、自動車とかでないと無理かな。
 入場料は300円(子供100円)。園内は、新宿御苑とかに比べると小さい。そして全体が山なので園内も坂が多い。美しい庭園かというと、美観にもよるだろうけど、最近流行りの外国人旅行者にも人気スポットとはいかない。梅も、そんなにあるかなあという印象。ついて人をを見渡すと、子供連れ、老夫婦とかが目につく。
 園内に入ると蝋梅が美しく、香りがいい。これ見るだけでも来たかいがあったな感。ミツマタやマンサクも美しい。この季節だけだろうか、梅の盆栽も展示されていて、これがなかなかにいい。他、園内には梅は当然多く、梅の香りが、やりすぎなくらいする。ただ、梅50種500本とも言われているほどの印象はない。

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 ところで百草園については、梅と言えば、百草園だろうくらいは東京人として知っていても、その由来とかはあまり関心なかったのだが、あらためて関心を持つと、いろいろ感慨深い。
 百草園の由来がややこしい。江戸時代中期の享保年間に、小田原藩主大久保加賀守忠増の側室である寿昌院殿慈覚元長尼が、徳川家康の嫡男信康追悼のためにすでに戦火で失われていた松連寺を再興したことが百草園の由来らしいが、そのときに百草園という名前はない。この再興によって江戸時代の名所にはなった。というあたりで、なぜ江戸の名所?という疑問も湧く。江戸名所図会を見るに、「茂草 松連寺」とあるので、百草園の「百草」は、江戸時代には「茂草」だったのだろう。

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 疑問なのは、松連寺を再興というのだから、それ以前に松連寺があったはずだが、これがよくわからない。わかるのは、『吾妻鏡』にも記載されている、平安時代から鎌倉時代にかけてこの地にあったらしい大寺院・真慈悲寺である。真慈悲寺が廃寺となり、寿昌院の松連寺となったのか、それ以前に松連寺があったか、よくわからない。真慈悲寺については、比較的近年になって考古学調査でわかってきた面が大きいようだ。
 百草園のある日野の歴史としてみると、日野市の解説にあるように、「平安時代後期、京から来た日奉宗頼が日野に土着して、西党と呼ばれる武士集団の祖となり」「西党日奉一族は多摩川沿いに展開」ということなのだろう。近所の高幡不動との関係はというと、「鎌倉時代後半から戦国期にかけては、高幡高麗氏の一族が高幡不動周辺を始めとする浅川流域を支配」とあるので、西党日奉の後に高麗氏ということのようだ。私は、高麗氏が古代からあったかなと、逆に思っていたので、へええと思う。
 さて、江戸時代にはすでにこの地は名所なのだが、これが廃仏毀釈で廃寺になる。徹底的い壊したのだろうが、そのあたりの情報はあまりなさそう。余談になるが、明治時代の廃仏毀釈運動はまさに革命とも言えるくらい日本をめちゃくちゃにしたと思うが、それほど学校の歴史などでは重視されていない印象がある。また、廃仏毀釈が注視されても、その背景エートスについての研究もまだ十分ではないのかもしれないとも思う。この話はいずれということにしたいが、百草園がむしろ廃仏毀釈の遺物というのは今回感慨深かった。
 現在の百草園だが、廃仏毀釈で壊滅した松連寺を現在の百草園として整備したのは、生糸貿易商の青木角蔵。彼は幕末横浜でイタリア人から生糸貿易を学び一財を成し、その財の一部をここに投じ、「百草園」として開放し、文人などを寄せ集めた。多磨霊園に眠る。
 百草園の戦後だが、戦前にすでに荒廃していたらしく、私が生まれた昭和32年に京王電鉄が買い取り整備し、現在に至るということで、今は京王電鉄の所有らしい。
 坂が多いのが難儀だが、のんびりとした地域なんでまたこの近辺を散歩してみたい。

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2018.03.05

小さな水筒が思いがけず、便利

 もう冬も終わって春になる季節だけど、まだ寒さは残る。この冬から春の季節、小さな水筒を買った。僕の世代の感覚だと、水筒というより、魔法瓶に近い。筒型の保温ポットだけど、そのままコップのようにして飲めるあれだ。マグボトルともいうらしい。このタイプの水筒は以前からも持っているのだけど、今回のは少し違った。その少しの違いで思ったこと、というのがこの記事の話。まあ、アフィリエイトの商品説明記事といえばそうなのだけど、特定のこの製品なくてはダメという話でもない。
 まず以前から持っているのは、480mlや360mlのもの。500ml近いのはまさに水筒という感じがする。このサイズになると、持ち運びの便宜に紐とかも装着できる。用途は、水分を補給しづらい場所にお気入りの液体を持ち運ぶというものだ。水筒だものね。そして保熱性がよいので数時間後まで温かいお茶が飲めたり、夏場は冷たい飲み物が飲めたりする。あと、自販機やコンビニで500mlのペットボトル飲料を買う分の節約というのもある。
 これが350mlくらいになると、自販機で買う缶入り清涼飲料水くらい。ちょっと喉が渇いたときのための水分。用途としては水筒というより、缶入り飲料の代わりだったり、デスクでコーヒーとか紅茶飲むときにマグカップ代わりに使うというものだ。そうやって使っている人も多いと思う。
 この2種類で水分補給という用途は足りるし、使い分ければこれで十分じゃないかと思っていたのだが、この冬、200mlの保温水筒を買った。当然、小さい。普通のガラスコップ一杯分、あるいはマグカップの八分目くらい。一回飲んだら終わりというくらい。そんな水筒になんの意味がある? そのあたりは購入前に少し悩んだ。しかし買った。
 買った理由は、実はひどく単純で、セブンイレブンのコーヒーをコンビニの外で飲みたいからだ。ブラックコーヒーで飲む。この用途だと、セブンイレブンのカウンターでレギュラー(小さい方)の紙コップを受け取り、これにコーヒーマシンでコーヒーを淹れ、そのあとすぐこの小マグボトルに移し替える。サイズはぴったり。キャップを締める。
 手順は以上なのだけど、使ってみて思うのは、この先のもう1ステップ。このマグボトルをコートやジャケットのポケットに入れる。あるいは、バックパックかカバンに入れる。ここでこのボトルの威力がわかる。ポケットに入るということだ。小さいし、軽い。邪魔にならない。200mlと350mlではぜんぜん違う。
 つまり、こうなる。セブンイレブンに寄る。暖かいブラックコーヒーを小ボトルに入れてポケットに入れる。そして、電車とかバスとか待っているときなど(人が混んでいないとき)、あるいはちょっとした休憩所(本屋さんとかお店じゃなくて)ポケットから出して、温かいコーヒーを飲む。それだけなのだが、寒いとき、これがほんとおいしい。そのままいっぱい飲んだら終わりのときもあるし、半分飲むときもある。
 これどのくらいの時間保温するのか試してたら、4時間は大丈夫だった。というわけで、早朝、駅前のセブンイレブンでコーヒーを入れ、出先の道で少し飲むとかもする。量が少ないのですぐ飲み終わる。で、また近所のセブンイレブンで次のコーヒーを入れることもある。
 マグボトルのサイズが小さいので片手で缶コーヒーを飲むような手軽さ。軽く握ることもできる。当然、手に掴んでそのままコップにもなる。
 ということで気がついたのだが、これ、別に持ち運びしなくて、普通にデスクでコーヒー飲むときもこれでいいんじゃないの? そのとおりだった。やってみてわかったのだけど(いや想像可能なことではあったが)、キャップを開いたままでも保熱性がいい。紅茶とか、好きなカップで飲みたいというのには向かないけど、とりあえず、暖かいコーヒーが飲めるならいいというときは、このマグボトルをそのままコップに使える。冷たい飲み物を入れても、結露もないので、コースターも要らない。これ、そのままコップでいいんじゃないの。
 使ってみて気がついた欠点。サイズが小さいのは最初からそういうことなので欠点ではない。欠点は、臭いがキャップのパッキングに残ることだ。これは他のこの手の水筒でも同じだけど、小さいのでも残る。頻繁に洗えばいいようだけど、洗っても少し残る臭いは気になる。このため、コーヒーを入れた後、洗ってから紅茶を入れるというのでも、無理。というか、そもそも紅茶は無理みたいだ。フレーバリーティならまだなんとか。
 というわけで、実際のところ、ブラックコーヒー専用になってしまっている。ブラックコーヒーが好きなのでこれでいいといえばそう。

 


 

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2018.03.04

[アニメ] B: The beginning

 『B: The beginning』を見えた。面白かったか面白くなかったかでいうと、面白かった。ほとんどイッキ見というか、ニッキ見ではあるが、ノンストップで見たくなるくらいの迫力はあった。と、微妙にネガティブな感じがもにょるのは、この作品、キース・風間・フリックが主人公の哲学・心理劇と、エレン・イェーガーが主人公の、ちがーう、黒羽が主人公の伝奇物語を 分離することもできただろうなと思ったからだ。というか、前者を洗練させた形にしてもよかったし、後者を練り込んでもよかったように思うが、そうはなっていない。かといって、水と油というほど分離もしてないので、なんだろう、物語全体がフリップフロップの巨大なニシンの燻製感があって、そこがなんとも。
 てな感じでいうと、主題がボケているかというと、ボケてもいない。2つの部分は最終でうまく統合もしている。これもしかして駄作か、というサスペンスもこの作品のハラハラのうちで、みごとにやられた感はある。いや、正直なところ、このエンディングのまとめかたはよかったと思う。エピローグもまああんな感じか。
 作品としていろいろ連想するものがないわけでもないが(『東京喰種』とか)、なんだろ、と自分の無意識を探っていると、これ、手塚治虫作品のテーストじゃね感がある。どこが?と言われると、当然もにょるんだけど、全体として手塚世界だなあ感は残る。伝奇の作り方は、平成仮面ライダー感はある。
 アニメとしてキャラの作り込みでいうと、『PSYCHO-PASS』の常守朱くらい濃い感じもあってよかったのではないかとは思うが、『PSYCHO-PASS』も他の登場人物は既視感ある。美術面でもきっちり作っていたのだけど、もう少しアートがあってよかったような気がする。アニメを模倣したアニメという印象もあったので。
 Netflixオリジナルという観点から見ると、まあ、いいクオリティなんじゃないの、というか、デビルマンは途中でドロップしたし、アニメじゃないけどデスノートの米国版で笑ったのと違って、こういう線はありなんだろう。いや、実際驚いたのだけど、自分が見終えたあと、ツイッターで調べてみたら、やっほー、日本語だけじゃない、英語、フランス語、ドイツ語、スペイン語、アラブ語、など、各国語でみんな、感想つぶやいているのな。どれも好評だった。映画とかだと世界中の人が見ていろいろ感想を言うのはあるけど、このアニメでリアルに同時間感覚で世界中につぶやけるというのは、広域バルスっぽい。
 マーティ・フリードマンの主題歌『The Perfect World』はよかった。出だしが昔のキング・クリムゾンのテーストもあって。というか、個人的には、キング・クリムゾンの狂気みたいのがだだだだと出てきてほしいかもだけど、現代だし、それだとださくてやってらねいにはなるかも。ほか、音楽的にもかなり楽しめた。
 ま、なんだろ。日本アニメなんだけど、そのまま日本アニメのクオリティは超えていると思う。こうして日本アニメはNetflix的にグローバルに統合されちゃうのかというと、それも微妙に違うんだろうなと思う。

 

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