歴史が忘れていくもの
昨日、朝の時間帯ということもあって天気予報と時計の代わりに流しているNHKで、オウム真理教の教祖・麻原彰晃(本名松本智津夫、63)の死刑執行の速報を知った。「ああ、やっちまったな」なと思った。ああ、やっちまった。
意外感は、まったくなかったわけではなかったが、なるようになったなという思いが勝った。以前、オウム事件の死刑囚の執行は、天皇家の行事で忌まれるから延期されるだろうと書いたものの、どちらかといえば願望だった。日本が死刑廃止の国になってほしいという願望だった。この事件を凶悪な国民の敵による事件であるとするより、その凶悪さと悲惨を運命の果実として分かち合う経験の内側にとどめるべく死刑廃止に結びつけられたらと。死刑の最終的な決断は法相に委ねられるのだから、ここでかつての法相がリラクタントであったように少しうそぶいてでも、改元や五輪の熱気に覆って隠してもよかっただろうと。そうはいかなかった。そういかないだろうという予感もあった。数日前天皇が体調を崩されたことだった。ここで突然の崩御になるとか、昭和帝のようなコーマに陥ったとかしたら、この事件を平成後まで持ち越すことになりかねないと、そう法相が思うこともあるだろう。
なぜ昨日だったのか。なぜ麻原死刑囚が筆頭だったのか。朝のこの奇妙な内的な喧騒はその後3人の処刑報道、さらに3人の処刑報道と続いた。その名前はよく知っている。井上嘉浩(48)、早川紀代秀(68)、中川智正(55)、遠藤誠一(58)、土谷正実(53)、新実智光(54)。そっといく人かには思いを告げている自分がいた。井上にはきちんと出家させたかった。早川はこれを寿命と思っていいだろう。中川には『ラモント』のような死刑囚としあえて活かし、獄内の研究者であってほしかった。
その後、喧騒感の増すNHKを消音し、同日の執行はもうなさそうな空気のなかで雨交じる風の音を聴きながら、「ああ、終わった」と感じた。
終わりのある小さな安堵感に弱いしびれのように襲われている自分がいた。脳内思考小人が二歳児のようにまだあと泣きじゃくるが、私は地下鉄の車両のどこか離れたところそれを見ていたように感じた。
歴史の中に私が置かれた。それはこうしたある奇妙な生の感覚である。私は日本人が昭和16年12月8日に何を思ったのか気になって気まぐれにだが調べたことがある。残された文書からは、鬱屈を晴らす開放感と特段に戦争でもない日常感がない混ざっていた。そしてその2つは太宰治の小説『十二月八日』にアイロニカルに表現されていた。昨日の朝感じていたのはその小説の感覚とは似ていない。小説はむしろ歴史に置かれた普通の生活者の違和感として表現されている。が、それを書く太宰には、ある歴史のなかに置かれるという奇妙の生の感覚があったことがわかる。それは小説に表現されることで、あるいはまた多数の些細な証言記録のなかで、ある残滓となる。それが本当の歴史の触感なのだとでもいうように。
いずれこのこともブログに書いておこうとそのとき思ったが、なぜこの7人かということと、なぜこの日なのかということを、法相の言葉で聞いてからにしようと思い直した。が、待ったかいあって法相の言葉は空しいものだった。その空しさを待っていたのだ。そして、どうせだからこの思いが一晩明けたらどうなるのだろうかと待った。明けた。最初のやっちまった感は薄れていた。終わった感は、もう少しバツ悪く収まった。
それはなんだろうか。子供がするような小さな罪が大人になってもうばれることもなく生きていけるんだといった感覚に近いだろうか。オウム事件が残した国民としての歴史の奇妙な感覚を、生活の場ではもう誰に告げなくてもいいんだという居心地の悪い安心感になった。
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