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2018.07.02

たぶんそれはこういうことでテロだった

 ブログを書かないでいることにあまり違和感もなく過ごしていて、まあ、自分にとってそういう時代になったのかなとも思う。そうした感慨はさておき、それでも心のどかで自分はただのブロガーであるべきだ、つまり、たかがブロガーであるべきだという奇妙な使命感のようなものがあり、それは、市民として複数の声が社会に必要なときには、声をあげようということだった。さて、その時だっただろうか、と思い悩んだのは、インターネットセキュリティー関連会社「スプラウト」の社員、岡本顕一郎さん(41)の殺害事件を知った時だった。
 彼はネットの世界ではHagexさんとして知られていたらしい。実は僕は彼のことを知らなかった。名前は聞いたことがあるし、話題の炎上案件とかでブログを読んだこともあるが、そのHagexさんという名前での認識はほとんどなかった。たぶん、彼もまた、「finalventさん」は知らなかっただろう。まったく関心がすれ違うことがなかったのだろう。
 そういう対象について自分がどう接してよいかはわからない。事後、岡本さんの知己からの追悼がネットに多く出回り、リアルに交友関係の広い人であったのだなとわかるものの、その事自体が自分との関係の薄さを意味している。まして、Hagexさんとしての活動は私の関心外であった。が、今回の事件のネット面である「はてな」の世界は、自分のブロガーとしての活動の根でもあり、ある意味よく知ってはいた。とても雑駁に言えば、ああ、はてならしい事件だなとは思ったのだった。
 このはてならしさという側面については、それほどメディアでは取り上げられなかった。が、それなりに幾人かのブロガーというか論者によってその後ぽつぽつと取り上げられており、真相とまで言えるかどうかわからないが、かなりあのはてなという世界の様相をうまくえぐりだしていた。ということは、僕がその面でなんか書く必要もないだろうということでもあった。
 まあ、だから、そこはかなり端折って書いてみる。
 岡本さんを殺害したのは、松本英光容疑者(42)である。現在となってはかなり確実にはてなで「低能先生」と呼ばれていたブロガーである。ブロガーといっても、匿名ブログに書いていただけだが、その最後の犯行声明もかなり確実に彼のものだと言える。
 僕は、まずそれを読んでみた。三島由紀夫の激を読むように、どのように非常識に見える声明でも余談なく読んでみたのである。


おいネット弁慶卒業してきたぞ
改めて言おう
これが、どれだけ叩かれてもネットリンチをやめることがなく、俺と議論しておのれらの正当性を示すこともなく(まあネットリンチの正当化なんて無理だけどな)
俺を「低能先生です」の一言でゲラゲラ笑いながら通報&封殺してきたお前らへの返答だ
「予想通りの展開だ」そう言うのが、俺を知る全ネットユーザーの責任だからな?
「こんなことになるとは思わなかった」なんてほざくなよ?
ただほぼ引きこもりの42歳はここで体力が尽きてしもうた
事前の予定では東京までいってはてな本社にこんにちはするつもりだったが、もう無理
足つってるし
なんだかんだ言ってはてなというか増田が俺をネット弁慶のままで食い止めていた面もあるしなあ
逆に言うと散々ガス抜きさせてもらった恩がある
はてブと通報厨には恩など欠片もないが
てことでこれから近所の交番に自首して俺自身の責任をとってくるわ
足つってるから着くまで30分くらいかかるかも

 自分のなりに理解したことを書いてみよう。
 低能先生(悪意をこめてはてな利用者がつけたあだ名である。簡単に言えば、それ自体がいじめであろう)は、著名ブロガーであるはあちゅうさんを罵倒するはてなブロガーたち(複数)の活動が彼にはネットリンチに思えた。そういうネットリンチに対して、彼なりの正義感を持って、「戦って」いた。そしてその「戦い」に彼らも「通報&封殺」で応戦してきた。低能先生はこれに負けるわけにはいけないと、ある種の正義感から使命感を持ったのだろう。が、当然、その戦いも実際は、他のネットリンチと同質ものでもあった。この同質性がこの事件の重要性だと僕は思う。
 Hagexさんは、そうした低能先生の活動を批判し、はてなのサービスにそうした彼の活動を禁じるように示唆した。「通報&封殺」の旗をお気軽にではあっただろうが双頭鷲旗のように高く掲げたことだろう。Hagexさんと低能先生との繋がりは、どうやらそれだけである。犯行後声明を見ても、Hagexさん個人への怨恨はなかった。
 ではなぜ、Hagexさんが選ばれたのか?
 ネットでは怨恨感のないことから、一種の通り魔的殺人事件であり、防ぎようもないものだし、はてなにも落ち度なく、しいていえば運が悪かったというような意見もいくつか見た。
 僕は違うと思う。なので、このエントリーを書くのだ。
 これは、まっとうにテロであったと思う。
 低能先生は自身の正義思想に歯向かってくるものと戦うために、その優位(ネット弁慶ではない)を実証するために、象徴的な殺人を要したのである。つまり、思想のためにのみ(怨恨もなく)殺害者を選ぶというのは、911でもそうだし、オウム事件でもそうだし、三井物産爆破事件でも同じである。これこそがテロというものである。
 そして、これが本当にテロなのだということを、僕の目からすれば、社会は理解していない。どうしたものかなあ、まあ、ブロガーとして、複数の声となるべく小さな声を挙げておくかというのが、この記事の趣旨である。
 なので、この記事の主眼は以上で終わり。
 あとは、余談である。事件後、声明を読んでずっと考えていたことがある。そしてそのことに触れたメディアも僕の見た範囲でもブログにもなかったので、触れておきたい。
 低能先生の最初の行動プランにあるはてな訪問についてである。彼ははてなで何がしたかったのだろうか?ということだ。
 はてなでテロを行う可能性があっただろうか。
 たぶん、ない。
 それどころか、何がしたかったかは、きちんと声明に書いてある。「はてな本社にこんにちはするつもりだった」と。
 なぜ、はてなに、こんにちはしたかったのだろうか? その理由もきちんと書いてある。「なんだかんだ言ってはてなというか増田が俺をネット弁慶のままで食い止めていた面もあるしなあ 逆に言うと散々ガス抜きさせてもらった恩がある」と。
 僕はそれから低能先生がはてなを訪問する様子をなんどか想像してみた。ドラマのように。それは意外とほのぼのとした情景でもあった。
 今回の事件で、どうやったらこの手の犯罪を防げるのか、という課題を立てて議論したブログもあったが、概ね、解答はなさそうだった。が、低能先生自身が、その解答の一つを述べていることに言及しているのは見かけなかった。
 彼は内面にテロのような強度な正義の情熱を抱えて、それにアンビバレントな意識と理性ももっていた。そのアンビバレンツをその状態で支えていたのが、はてなだった。
 では、はてなのそうしたサービスはすばらしいのか。今後も続けるべきなのか。おもてからは見えないところで、十年近くも試験運用として放置されているかに見える匿名ブログのサービスや、はてな利用者同士で簡易に罵倒が交換できるIDコールや、ネットいじめにしか見えない、はてなブックマークの一覧ページとか、それを放置しておくべきなのか。
 僕なりに考えてみたが、そこはわからない。
 カナダでインセルと呼ばれる、結婚できない男のテロ事件があった。話を端折るがインセルは低能先生に近い面があるだろう。そして、はてなの華々しいダークサイドはこの年代に支えられてもいるように見える。
 彼らの上げる声もまたこの社会のなかの複数の声であるには違いない。そしてその声を聞き届けるはてなの奇妙なサービスはそれなりの社会的な機能を持っていた。
 そこには、なにかしら未来への鍵があるのだろうと思う。どれほど、僕がはてなというサービスにうんざりしていても。

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