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2018.07.10

旧大口病院事件の印象あるいはダリー殺人事件の可能性

 その事件の名前はまだジャーナリズム的にも定まっていないように見える。NHKでは、点滴異物混入事件としてる。フジでは大口病院連続不審死事件としている。時事では大口病院連続中毒死として事件という言葉を避けている印象がある。民放番組では点滴殺人事件としているものもあった。
 社会が当初この事件として知ったのは、2016年9月、横浜市神奈川区の大口病院(現・横浜はじめ病院)で同室入院中の男性患者2名が相次いで中毒死したことだ。殺人が疑われた。そして殺人を実行できる可能性として内部の人間が疑われたが物証もなく、2年近い日が過ぎようとした矢先、この7日、不祥事で知られる神奈川県警が当時病院で勤務していた看護師・久保木愛弓(あゆみ)容疑者(31)を逮捕した。物証がないことから慎重な操作を進め、任意同行から自白を引き出したようだったが、9日のニュースでは、彼女の看護服のポケット内側から、被害者を中毒死させた消毒液に含まれる界面活性剤と同じ成分が検出されたらしい。物証とまで言えるものかはわからない。
 現状では、冤罪の可能性もあり、容疑者が殺人を行ったと決めつける報道の暴走も懸念される。松本サリン事件でジャーナリズムが犯した罪と同じようなものになりかねない。当然、こうした状況でブログで何か書くとしても、その暴走の手助けにしかならないだろう。しかし、しばらくすれば自分でも忘れるだろうが現時点で少し気になることがある。まあ、忘れてもいいのことなのかもしれないが。
 この事件は、2014年の川崎老人ホーム連続殺人事件に似た印象を与える。この事件は当初川崎市の有料老人ホーム「Sアミーユ川崎幸町」で入居者3人が転落死したことだ。神奈川県警らしい印象の初動捜査では変死として処理された。だが、さすがに神奈川県警も殺人事件の可能性を疑い、逮捕にこぎつけた。殺害者は3人である。これに対して、今回の事件は、推測としては、もし同容疑者の殺人事件であるとしても、何人殺害されたかもわからない。二桁に及ぶ可能性もあり、そこがこの事件に恐ろしい印象を与えている。
 久保木容疑者は現状、殺人をしたと話をしている。犯行の動機について現状報道されているのは、「終末期医療の職場にストレスを感じていた」ということと「夜勤中に患者が亡くなると遺族に説明しなければならないのが嫌で、自分の担当時間になる前に殺害しようと思った」ということだ。
 世間の空気としては、それが犯行の動機なのか、平然と連続殺人ができるのはサイコパスなのではないかといった話題から、社会問題としての終末期医療の職場が語られたりもしている。つまり、世間は、物語を欲している。
 私がここで少し気になったことは、この世間のリアクションにも関係している。もちろん、私もそうした世間の一部である自覚はある。違和感は2つある。1つは、犯行の動機はそれだけではないのかということ。もう1つは、彼女が殺人をしたとしてサイコパスでもなんでもない普通の人だったのではないかということだ。別の言い方で2つをまとめると、世間の空気がなんとなく欲しているドラマの展開のような物語はなんにもないのではないか。
 もしそうだとすると、「サイコパスでもなく仕事だりーから人殺しましたあ」ということになる。そのほうが違和感ありまくりだろうというツッコミが聞こえそうだ。が、仮にそうだとすると、むしろその意味はなんだろうか。
 この違和感の根は、「そんな簡単な理由で人殺す」という点だろ。ありえないだろ、というものだろう。でもありえたら、どうなんだろか。「挽肉手でこねるんすか、ハンバーグ作りたくないっすよ」と似たようなものだったら。対人関係が関連しているから、「仕事だから電話取れっていっても知らない人と話したくなーい」に近いかもしれない。
 これが異常でないなら、レイシアが私は道具ですから的な感じとは違うものの、終末医療の患者は人間じゃないですから的な状況があって、そこに人が置かれると普通の人でもそうなっちゃうということかもしれない。とはいえ、これを直接終末期医療の現状の問題に連結して物語を紡ぐというのは別のことだろう。
 むしろ、このねじれたような違和感、少なくとも、私の心のなかでこの違和感が告げているのは、「オマエモナー」である。「お前は殺人はしないかもしれないけど、無関心を盾にある人をもう人間とも見てないだろ」という心の中のかわいい悪魔のつぶやきである。
 他人事から、「人の死に無関心だけどそういうのがばれると気まずいから殺人は許せないし、災害被害者の死は悼むふりしないといけないだろうなあ」に移行し、そのあたりの偽善のバランスと殺人がほいほいっとできそうでもない厚遇にあることが、私と久保木容疑者との僅かな差異だろうか。久保木容疑者は案外普通の人で、その普通さのそれほど遠くないところに自分がいるんじゃないだろうか。
 それはネットにあふれる「死ねばいいのに」や「日本死ね」の日本というタームの後ろに人という言葉がかろうじて回避されている、ある種の殺意に近い正義で覆っている心情とは異なったものではないかなとも思う。


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