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2018.04.02

[書評] ポリアモリー 恋愛革命(デボラ・アナポール)

 ポリアモリーについての、いわばマニュアル本らしい書籍として、訳書であるがデボラ・アナポール著『ポリアモリー 恋愛革命』(参照)を読んでみた。原著は1992年のようなので、四半世紀以上前の本になる。

 読みやすく、しかし違和感ありまくりの本だった。率直なところ、ポリアモリーについて関心をもって最初にこの本を読まなくてよかったとすら思えた。が、たぶん、この違和感を、自分にとってはある種、反省的に受け止めなおすことが重要なのかもしれない。まず、想起されるのは、ポリアモリーは性的なマイノリティーともいえるので、それに対して、自分が抑圧的なマジョリティーの側の反射的な心理を表現しているのかもしれないことだ。そこは注意したいとは思う。
 そのうえで、ごく基本的な違和感の印象に触れてみたい。まず、同書が自己啓発書として書かれていることだ。ちょっと驚いたのだが、ウェイン・ダイアーの言葉も引かれている。ウェインは、私がいくつか著作を読んだ範囲ではポリアモリストではなく、一般的なスピリチュアル系の愛の宣教師的な位置にいる。なので、こうした引用あるいはインスピレーションであっても、誤解または誤読かとも思える。余談だが、深海菊絵の新書で引かれているジャン=リュック・ナンシーの言葉もオリジナルの文脈からそれているようにも思えたことを、思い出した。
 だが、改めて誤解または誤読と言えるのかと再考すると、そうでもないのかもしれない。デボラについては、おそらく、人間の愛というのは、本来的にポリアモリーであるべきだし、進化的にそうなっていくものだという、ある信念も感じられる(一夫一婦制はなくなると考えているようでもある)。でれば、公平でオープンな愛の形をすべてポリアモリーの文脈においても問題はないともいえるのだろう。そこもまた、私には違和感のあるところではある。
 本書は、潜在的なポリアモリストを鼓舞したいという意図があるからなのだろうが、ポリアモリーを強く肯定的に捉えているために、カミングアウトをむしろ積極的に奨励している。しかし、私のような読者からすれば、そううまくはいかないように思う。もちろん、そのこと(カミングアウトにともなう問題)も配慮もなされてはいるのだが、その配慮の解決点は、明るくすっきりしたポリアモリーの形のようなものが想定されている。私のような人間は、ポジティブ・シンキングでもそうだが、こうした明るさそのものがうまく受け止められない。
 実践的な書籍という点では、ポリアモリストの嫉妬の問題について紙面を多く割いている。興味深くまた有益ではあるが、これも克服可能なものだという予定調和的な視点でまとめられている。たぶんではあるが、うまくいかないポリアモリーの愛には執着しないほうがいいということでもあるのだろう。
 本書は総じて、ある種、宗教教義なり宗教書のような印象も与える。とはいえ、こういう本が、マイノリティのグループには必要なものなのだろうとも理解するので、そうした違和感からの批判はできない。
 視点を変えるなら、ある種のスピリチュアル運動での自己実現というものを考えていくと、人生におけるさまざまな愛の経験は自分の霊性の深化かつ学びの機会としてとらえられるので、それぞれの学びの段階が終われば、次の愛の形に移るべきものだ、ともいえるだろうし、それが結果的にポリアモリーなのだともいえるのかもしれない。
 それにしても、違和感は残る。具体的なケースで考えるなら、あなたが好きだと思う人が、「あなたを愛しています、ポリアモリストとして」と答えられたとき、どう受け止めるだろうか。そこで関係が成立するのは自分もポリアモリストだという場合だけだろうか。本書の考えにそうなら、ポリアモリーを受け入れられない人のとの愛の関係はそもそも難しいともいえるし、そのような愛を強いるべきではないともなるだろう。ある種のSM関係(それも愛の関係ではある)などもそういうふうに成り立ってるので、ポリアモリーも同じようなものではあるだろう。
 以上、結果として本書を否定的に述べてしまったが、性的マイノリティとしての潜在的にポリアモリストである人にとっては、マニュアル的な価値があるだろうと理解はできる。ポリアモリストの人生に起きる、いろいろな悩みを解決してくれるだろうという点でも本書は良書である。一般的な読者にとっては、1つの性的マイノリティの主張としてよくまとまっているとも読めるだろう。
 余談に類することだろうが、同訳書はすでに絶版で中古本にプレミア価格が付いているので注意されたい。それと、デボラは2015年に64歳で亡くなっているが、ネットでざっと見た印象では死もまた歓喜であると述べて安らかに死んだらしく、詳しくはわからないので言及すべきではないかもしれないが、病気というより意図的なタントラであったかもしれないとは思った。


 

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2018.04.01

予定された新元号が急遽変更

 新元号はすでに3つの候補が決められ厳重に管理されているはずだったが、その候補が一部に漏れ、国民の目の届かないところで、小さな騒ぎを起こしている。
 元号は、昭和54年に成立した元号法にもとづき制定される。昭和から平成での制定手順では、政府が厳密な秘密体制の下、複数の漢文学専門家に候補となる案を依頼しておき、天皇崩御の時点で有識者会議を開き、この3候補から選んだ。候補の案が極秘となっていたのは、天皇崩御を想定するような行為は好ましくないという世論を避けるためであった。しかし今回の改元では改元の時期も明確にされている。はばかることなく、すでに3案も決められ、政府が厳重に保管している。その候補の一点が漏れた。
 漏洩の背景には学者世界ならではの嫉妬がありそうだ。漢文学の泰斗として自負している私立大学名誉教授が識者の人選に漏れたことに恨みを持ち、その人脈を駆使して識者に選ばれた人から口頭で聞き出したらしい。
 事態はすでに政府の知るところなり、漏洩した案はすでに却下する方針が決まっている。それで問題は解決したかのようだが、より深刻な問題が露呈することになった。それは漏洩した新元号案にある。「康元」であった。
 案を聞いて脊髄反射的に失笑した人も多いだろう。まさか、そんなはずはないと思うのが当然である。なぜなら、この元号はすでに使われているからだ。鎌倉時代中期、持明院統の祖となる後深草生天皇の時代、1256年10月5日から1257年3月14日に使われているからだ。元号にだぶりはありえない。なのに、なぜこの奇妙な候補が残されていたのか。
 二点理由があらしい。まず、既出の「康元」というは1年も使われていないので、無教養な国民の大半は知らないだろうし、知っている人たちは脊髄反射的に、「識者ってこんなことも知らないの、バカ?」というふうにネットで炎上させるだろう。かくして、いえば炎上商法のように国民に新元号になじんでもらうことができる。大手広告会社に支払う宣伝費用が節約できる。特に節約は好ましいと考えられていたようだ。噂によれば、炎上を活用するという話に麻生財務大臣もいいねとつぶやいたらしい。
 もう一点目の理由は、以前の「康元」は「こうげん」と読ませていたが、今回は、「こうがん」と読ませるので、別の名前だというのである。キラキラネームが当たり前となった日本の現在、名前の漢字は制定者の気分次第でどう読んだってフリーダムというという開放的な雰囲気を皇室から国民に伝えたいという背景がある。「徳仁」は「とくじん」でもよい。
 実は「康元(こうがん)」説にはもう一点密かにつぶやかれていることがある。「こうがん」と聞いたとき、大半の日本人は何を思い浮かべるか? 「こうがん」と聞いて「厚顔無恥」「紅顔の美少年」といった言葉を想起できる昭和の人間はすでに少ないか、すでにボケている。そこはやはり「睾丸」である。日本人の睾丸は小さいと世界に言われるまえに、どでかく睾丸!と元号で示すというのは、出生率を高めたい新時代の日本にとって好ましい。
 こうした次第で、新元号「康元(こうがん)」は、面白い案もあっていいだろうということで候補に残っていた可能性がある。
 しかしもし、この元号が採用されたなら、初年はどうなっただろうか。康元元年となるのだろうか。それとも康元々年だろうか。


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