[書評] 母性のディストピア (宇野常寛)
大著にも見える宇野常寛『母性のディストピア』(参照)の基本テーマは、意外に非常に単純なものだと理解する。表題が示す「母性のディストピア」をどのように克服するか?ということだ。
とうの「母性のディストピア」とは何か? 著者の文脈をシンプルに追うなら、こうなる。
世界と個人、公と私、政治と文学を結ぶもの。いや、近代日本という未完のプロジェクトにおいては常に結ばれたふりをすることでしかなかったのだが、このいびつな演技のために彼らが必要としたものは「母」的な存在だったのだ。
妻を「母」と錯誤するこの母子相関的想像力は、配偶者という社会的な契約を、母子関係という非社会的(家族的)に閉じた関係性と同致することで成り立っている。
本書では、この母子相関的な構造を「母性のディストピア」と表現したい。
(pp32-33)
簡素に表現されているが、これだけは文脈上はわかりにくいかもしれない。近代日本人は、「父」になろうとしていながら父権を権力への忌避で否定し、永遠に少年でありつづけるためにその少年の自我を受容する肥大化した「母」を求める、と理解してもいいかもしれない。
こうも本書は敷衍している。
江藤淳から村上春樹まで、この国の戦後を生きた男たちは「母」の胎内に閉じこもったまま、「父」になる夢を見続けることになる。そして、何もなし得ないまま、死んでいく。この肥大化した母性と矮小な父性の結託こそが戦後日本を呪縛した「母性のディストピア」だ。
(p374)
もう少し私なりのパラフレーズを延長すると、この状態が現実を虚構化することで現実が不毛化していく。結果、移民は排除され、日本は国際世界から没落し、政治は茶番になっていく…。これが「ディストピア」の意味だろう。本書では言及がないが、こうした肥大化した母とその残虐性が完成したイメージは『PSYCHO-PASS』できれいに描かれている。犯罪はなく、法はなく、病気があり、治癒不可能は処分される。
現実が虚構化することで、むしろ逆説的に語りえるものは、虚構でしかなく、その虚構の高い純度のアニメしか議論に値しないとして、本書はアニメ論になっていく。著者も意識しているが、吉本隆明が1980年代に展開したマスイメージ論やハイイメージ論の延長でもあり、当時のニューアカ的な問題フレームワーク、および江藤淳の戦後批判や加藤典洋の『敗戦後論』なども巧みに組み入れられている。また扱われているアニメは、定評のあるセットであるため、大著のわりに既視感があり、全体トーンのなかで流れるように進められている。著者の問題意識のブレはなく、書くことで異化されるためらいの思索はほとんど感じられない。
というあたりで、僭越だが、著者と私の考えを対比させるなら、同じ作品を扱うときの批評構造がわかりやすい。なかでも『この世界の片隅に』のとらえ方の差を見ればわかるだろう。私はすでに、「母性のディストピア」的な問題視点をとらない。むしろ徹底的に個人のエロスの開花の可能性において、作品をエロスに読み替えてしまえばよいと思想的に考えている。
本書はいかに、「母性のディストピア」を克服するかということを共同生の次元で問い、それを家族幻想(対幻想)で対置しようとした吉本隆明をも批判しているが、思想の戦略はまったく逆であればよい。人がエロスの自覚に忠実であることで個を確立し、共同生や家族幻想を一時的(テンポラル)なものにしていけばよい。
個人はエロスに忠実でありながら、共同生と向き合う時があり、家族性と向き合う時がある、というだけだ。より強い言い方をすれば、晩婚化として結婚や家族を国家の枠組みで問うことをやめたらよい。晩婚化が中年以降の成人の家族性を逆に強めてしまうなら、不倫のような関係が共同生のなかでなめらかに溶け合うように、義を求めがちな共同生での他者のエロス語りに無関心であればよい。もっと言えば、個人はエロスの本質から原則的に社会的に悪な存在として自覚し、社会的な正義や優しさといった価値を二義的な一時的な演技に変えていけばよい。
ただ、おそらくそれはできない、というか、そもそも共同生の議論にはならない。今求められるとすれば、思想家や芸術家が、むしろ共同生の義をいかにエロスで堕落させるか、セダクション(Seduction)に価値を置くかということだ。
もう一度本書を振り返ってみて思うのは、この議論の枠組みは強力すぎることだ。ゆえに、そのなかに多数のアニメを散りばめたくなるある種自己撞着的な罠がある。また、にもかかわらず、「問題」は曖昧に自明化されている。が、しいて現代日本の問題を見るなら、具体的な、例えば、オウム真理教事件の総括や東北震災の総括など、個別的な思索が重要だろう。それをアニメの水準で問うなら、もしかすると、『輪るピングドラム』一作の評論で足りるかもしれない。
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