電子レンジでお茶とか
ティーバッグの紅茶というのは飲まなかったのだが、最近はそれでもいいやと思うようになった。それなりによいクオリティのティーバッグもあるし(分包だと劣化しないし)、それほどよくなくても、どうせティーバッグだからまあいいや、みたいな感じである。そうしてティーバッグになじんでいるうちに、最近のティーバッグがホチキス針止めされいていないことに気がつく。全部が全部というわけでもないけど。
ティーバッグから、小さいにしても金具がなくなったということは、エコを配慮してのことなんだろうなと思っていた。たぶん、そうだろう。そして、そのうちふと、金具がないのは、電子レンジ対応でもあるんじゃないかと思った。こういうときは、ググってみる。すると、ある。あるもんだな。
私も一杯お茶を飲むとき、お湯をそのまま電子レンジで沸かすことがある。ケトルとか使わないわけである。1分20秒もすれば、お茶用の湯ができる。それにティーバッグを入れるということはしていた。これ、最初からティーバッグを入れててもいいのか、とやってみると、さして問題ない。ティーバッグを待つ時間もなくて便利ですらある。
こんなんでいいんだろうか?
いけないという理由は特になさそうだ。紅茶を入れるゴールデン・ルールに合致してとかあるにせよ、しょせんティーバッグである。
案外、コーヒーも電子レンジでできるんじゃないか。インスタント・コーヒーじゃなくて、普通に豆をひいたのでどうだろうか。これはまだやっていない。ちょっとどうやるのかイメージわからない。
それにしても、どうして電子レンジで紅茶をいれようなんて考えたんだろうか。ってか、私も考えたわけだけど。
実はいろんなものが、定められた手順でやらなくてもできるものじゃないか。として、他になにがあるかと考えてみて、すぐに思いつくことはないが、それでも思いついたのは、おしめである。が、おしめは使い捨てがすでに標準といっていいだろう。介護用のおしめもそうなっている。最近ではこれをそのまま家庭でも簡易に廃棄できるようにする国の規格化も進んでいるらしい。
そういえば、文章の音声入力もある。この技術だいぶ向上してかなり実用レベルになっている。ブログとかも音声入力している人もいる。私も試したことがある、それほど難しくもない。ただ、自分の場合、喋るよりキーボードのほうが早いのでそれほどは使わない。
技術が生活の様式を変えていく。基本は、手抜き、ということだろうけど、手順やプロセスを重視しなくてもよいという傾向は増えていくだろう。
考えてみると、音楽を聴きながら通勤通学というのも、ウォークマンによる革命だった。あのころの変化は只中にいたので覚えている。世界が映画のように思えた。今では普通のあたりまえの行動である。
ただ、そうなると、逆に、手順やプロセスそのものが楽しみ、あるいはそれが価値というのもあるのだろう。というところで、愛やセックスなんかもその部類だろうかと思い、いやそうでもないかといろいろ思い巡らした。
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