微妙な検閲と微妙な排除
先日、グーグルからこのブログに忠告が届いた。なんか違反しているというのだが、何のことかわからないので対応に困惑しているうちに、忘れた。ら、また同じ忠告が届いた。調べてみると、アドセンスに違反した猥褻コンテンツがあるらしい。何のこっちゃと思って、それからあるわけないでしょ勘違いでしょと困惑しているうちに、また忘れた。ら、また忠告が来た。さすがに調べてみると、昔書いた記事で、こんなの猥褻っていうのかよみたいな批評的記事が該当しているらしい。こりゃ勘違いだな。ちゃんとブログ記事読んで審査してくださいよというリクエストを出してみた。メカニカルなミスでしょと思った。ら、また忠告。なんかめんどくさくなってきた。アドセンスを外せばこんな忠告は来ない。なので、検閲とか、言論の自由への弾圧というものでもないが、CMSでアドセンスしているので、外すのがめんどくさい。まあ、猥褻っぽいユーチューブの貼り込みを削って再審査してもらったら、今度はOKらしい。それにしても、ユーチューブもグーグルの広告ついているじゃんとも疑問に思った。
このブログはココログの有料版を使っているので、その支出分くらいアドセンスで解消できればいいけどなというくらいで始めたアドセンスだが、検閲というものでもないけど、広告的なものをつけていると、そういう制約はあるもんだなあと思った。
ココログ自体から、ブログへのクレームを受けたことはない。JASRACからもない。まあ、なんかあったら対応します。
というあたりで、最近、ツイッターで騒がしいアカウントが消えるというか、消される事例を見かけるようになったことを思い出す。ツイッター運営側で検討して、このアカウントの暴言を放置していてはダメでしょということである。が、運営側の検討とはいえ、きっかけは報告なので、こいつひでーこと言っているとか運営側に報告されると、消えやすいのかもしれない。
ということについては2つ思った。1つは自分がアンチさんから報告されてアカウントが消えることがあるだろうか、ということ。そうなったら、よほどへんてこな報告ではなく、ツイッター運営がそう判断したなら、僕はツイッターから消えようと思う。ツイッターというのも悪弊に近いこともあるし。
もう1つは、そういうふうにアカウントが消されても、しぶとく別アカウントや、「運営スタッフ」的なアカウントで復活する人たちがいることだ。自分が悪くないのにアカウント消すとは許せないということかもしれない。
そしてそうして別アカウントで復活すると、もとアカウントのフォロワーさんがそちらのアカウントをフォロワーするようになることが多いが、そのあたりはなんだか無法地帯のようにも感じられる。
ネットでの言論のプラットフォームにはいろいろある。ツイッターがダメでも似たようなSNSはあるだろう。ブログでもそうだが、特に無料ブログの場合、広告で無料化しているような場合、その広告主から嫌悪されたら、そこでブログをつけるのは難しくなる。
それでもまだまだネットの言論は自由だと思うし、私としてはというか、古いタイプのブロガーとしては、そういう自由の証であり続けたいものだなとは思う。
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