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2018.02.21

[書評] 零落(浅野いにお)

 『零落』(参照)というコミック作品についてどう切り出していいか戸惑う。文学なら「私小説」にでも分類されそうではある。落ちていく自意識と創作への執念とある聖なるものへのこだわりは、太宰治『人間失格』に似ていないでもない。だが、それと細部は異なるし、その細部から描き出される新しい全体像も異なる。その差異は、他者というものの感覚かもしれない。「私小説」が私を通して他者を見る(神のように審判する)の対して、基本的に視覚芸術の作品の利点を使っていることもあり、『零落』はそう見せておきながらも、逆に他者から自分を捉えようとしている。

 その、複数の他者の延長の、ある絶対的な他者というものの象徴は、猫顔の女性であり、それがこの作品の実生活ではちふゆになる。作品が表面的に暗澹とした雰囲気に覆われ、作者と作品の乖離のなかの苦悩を描きながらも、独自の、奇妙な明るさをもっているのが、ちふゆの快活さとそこに到達できない他者というものの感触の、ある健全さだろう。別の言い方をすれば、猫顔の女性の呪いに集結しているかにも見える作品だが、私小説な実体験のコアの部分で、他者というものへの欲望を明るく描き出している。
 少し勇み足すぎたかもしれない。
 この作品、『零落』は、編集サイドの思いが代表しているように、『ソラニン』から12年という、創作者・浅野いにおへの関心で誘惑している。だが作品は、「私小説」にありがちな、作者の、ここでは浅野の実生活を描き出したとはいえないだろう。離婚に至る夫婦のすれ違いや、風俗、作家の苦悩というものも、ある虚構のなかで構成されたものであるし、それらに実経験の核があるというより、そうしたディーテールのリアリティで表現される何かを欲してこのような素材が集められ、「私小説」のように組み立てられていると理解したほうがよさそうだ。
 なぜなのか。一つには、ここで触れている12年の重み、つまり、男が37歳など、40代を迎えようとしているときの、ある重く、つらい感触である。他者としての女との関係の再統合とも言ってもいいかもしれない。
 これは、奇妙なことにと言うべきか、ある程度、意図的に、『ソラニン』に結びついている。『零落』は、新版の『ソラニン』と同時発売という以上に、増補によって脱・構築された『ソラニン』と組み合わさる、ある感覚を表している。新しく登場したソラニンの芽衣子も同等の年齢で描かれているのもそのためだろう。そして、この連関は、種田成男の死が、かぎりなく自殺に近いことへの脱・構築的な再統合でもある。比喩的な言い方をすれば、音楽で世界を変えようとしていた種田成男は、創作を神聖視していた深澤薫と重なる。深沢の零落は、種田の死の緩慢な表現でもあるだろう。そして、その「死」を弔っているのが、40歳を前にした芽衣子である。そうした、ある優しい視点は、『零落』の町田のぞみの哀しみにも仮託されている。
 中年の、零落した男には、ある優しさが宿る、と思う。その優しさがもういちどエロスに回帰してくるとき、たぶん、もう一つの物語は始まるだろう。

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