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2018.02.18

「お前は安全圏から発言するな」について

 賛否が分かれる社会問題に言及すると、その言及の賛否のスペクトラムに対応して反論が生じるのはしかたないし、それが現在の、表面的に匿名のネット利用者の世界だと、言論の責任が曖昧な罵詈雑言的な状態になるのもしかたないとは思う。となると、何を言ってもこうした問題は敵対関係に置かれるので、そこまでしてブログなんていうものをする意味があるのかということにもなる。これは昨年の休止期間にも考えた。「ないんじゃね」とかなり思っていた。今はどうかというと、よくわからない。でも、僕はブログを書き続けようかとは思いなおしつつある。と、前置きはしたものの。
 こういう状況で、ある、ひとつの典型的な揶揄がある。「お前は安全圏から発言するな」というものだ。まあ、これは共感しないではない。私は1994年から8年ほど沖縄県民であの、少女レイプ事件からの激動の時代を過ごしたが、沖縄県民となってみて、しかもそれなりに沖縄の地域社会の、それなりに深いレベルで生きてみて(シーミーに参加するくらいには)、ああ、本土の住民は沖縄問題がわかっていないな、と感じたことはある。それは、多少ではあるが、「お前は安全圏から発言するな」という感情に近いだろう。それと、自著にも書いたが、私は難病に罹患しているので、そういう経験のない人には、たまに、やはり似たような感情を持つことがある。
 ただ、そういう感情が起きるとき、いやなんか違うなとも思う。例を通していうと、というか、この例が一番、考え続けてきたことだが、日本は原爆の唯一の被害国として発言権がある、というようなことだ。「ような」としたのはいくつかバリエーションがあるという含みだ。「発言権」というのは実際の権利ではなく、比喩という意味でもある。この前提だが、自分なりに考えたのは、そうした「発言権」に近いものは、日本にはないだろうと思うようになった。原爆の問題は人類共通の問題なのだから誰が考えてもいいし、誰の考えにも耳を傾けるべきだと思う。では、実際の被爆者の意見はというと、そこは、より傾聴すべきだとは思う。そうした位置・経験でなければ感受しえないものがあるからだろう。例と比喩から離れていえば、ある問題について安全圏にない人の声はより傾聴しなければならないと思う。
 そんなことを思ったのは、昨日の女性専用車両の問題で、この問題はつまるところ満員電車の問題だから、満員電車を解決すればいいのだ、お前ように満員電車の苦しさをしらない人が安全圏からごたごた言うな、というような揶揄を目にしたことだ。まあ、これはテンプレの誤解なのだけど、少し考えた。
 個別的な問題でいえば、原理的に、痴漢という側面での女性専用車両の意義の問題と満員電車の問題は分離できると思う。というか、分離しなければ、痴漢という側面での女性専用車両の意義は思考できないと私は思う(満員電車がなくても日本の痴漢犯罪の質は変わらないだろう)、が、まあ、そもそもこの時点で通じない人はいる。いわく、実際、満員電車が解消されれば、痴漢は解消されますよ、ということだ。
 実は、そのロジックでいうなら、昨日のブログで私が、自身が「無関心だった」として書いたのは、この問題は自分の範囲で言うなら、自分は満員電車には耐えることにしているし(余談だが、近未来、満員電車の問題は実質解決するだろう)、痴漢として誤解されたら対処する覚悟はある(逃げない)という原則のようなものを盾にしていたからで、そう考えてしまえば、無関心でいられた、という意味で、安全圏から安閑と考えたということでもなかった。似たような盾でいうなら、よく日本政府の言論規制が厳しくブログはやってられないという人がいるが、もしそうなら、政府とぶつかればいいと思う。私は言論で逮捕されるなら、それもしかたないという覚悟で書いている。徴兵が実施されるなら良心的兵役拒否を主張するし、年齢的に兵役ではないなら、私の声の届く範囲で、良心的兵役拒否を説く。そうした意味での水準でいうなら、満員電車が問題だというのを盾とすれば、この問題自体に無関心でいられる、ということと同じである。というか、そういう本質から逸れた無関心さを自分を含めて批判してみたかったのだが、おそらくこれも通じにくいところだろう。
 類似の関連で思ったのは、先日、カトリーヌ・ドヌーヴら百人の女性が署名した声明について、同じように、「お前は安全圏から発言するな」という批判を見かけたことだ。あの声明を自分なりに訳しながら、これは多数の女性の討論の結果、複数の声としてできているという感覚があった。その複数の多様性のなかで、声明として可能なかぎりまとまる部分を無骨ではあるがまとめたという印象があった。別の言葉でいえば、100人のうち何人かは、安全圏にいるわけでもないだろうなと印象があった。そういう人たちの、複数の声と無骨ではあるがまとめられた言葉の、差異を感受していたかった。
 さてと、くだくだ書いたので、わかりやすくまとめておこう。

 ① 「お前は安全圏から発言するな」という批判はやめたほうがいい
 ② 安全圏でない位置にいる本人の声は傾聴しよう

ということかなと思う。

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