[書評] 漫画 君たちはどう生きるか(吉野源三郎・著、羽賀翔一・漫画)
漫画版を読んでみた。あの原作を現代でもウケるように上手に漫画化するものだなあと感心した。同時に、読みやすくよく練られた漫画ではあるが、たとえば『ヒストリエ』で「天下の大将軍」といったギャグを諧謔に含めるような、漫画特有の自己相対化の精神は見られない。そうした点で漫画の精神としてずいぶんと痩せた作品だなとも思った。
なぜ今売れているのかということでは、一つには、次期ジブリ作品との連想と、私より上の世代、団塊世代のノスタルジーはあるだろう。後者については、NHKでも取り上げられていた。
原作の内容については、現在の時点で批判しても意味はないようには思えた。すでによく知られているように岩波文庫版では、それ自体が歴史的な価値を持つ丸山眞男の解説があり、そこできちんと「生産関係」の説明から同書が資本論の入門書になっていることが示されている。丸山はそこに評価のポイントを置いているが、ようするに入門書というのが、倫理的な情念と学習的な関係に結びついたとき、それは必然的に啓蒙書となり、それがさらに漫画ともなれば一種の洗脳のための冊子になっていくのは避けがたい。「絶対に逃げずに、みんなで戦う…。約束だ…!!」というわけである。反戦の文脈が自明のときは反戦だが、その情念は逆にもぶれるものだ。
これもよく知られているように時代的な意味はあった。出版されたのは盧溝橋事件の起きた1937年。すでに30年には治安維持法で小林多喜二が逮捕、翌年、原作著者の吉野源三郎も逮捕。小林は33年に獄死、翌年は日本共産党創始の一人野呂榮太郎が獄死。35年は天皇機関説事件と、時代が「ファシズム」に寄せられ思想が弾圧されるなかで、原作は、簡単にいえば、児童書の形式を借りて「資本論入門書」として出版されたものだった。
吉野源三郎について、戦後、日本に主権のない時代、1946年、岩波書店から雑誌『世界』が創刊がされ、その初代編集長となった。そこを起点に、1950年には「平和問題談話会」を立ち上げ、51年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約では、中ソを含めた全面講和論で対峙した。単独講和後、日本が独立した後は1959年には「安保批判の会」を立ち上げ、60年安保闘争では反安保の姿勢を貫いた。現在に至る、親ソのリベラル派の源流の一つである。
こうした歴史も、現在では、学問的な意味はあるが、もはや政治的な意味は薄いだろう。であれば、本書を含めて対抗したはずの勢力ももはや意味はないようにも思えるが、この漫画を読みながら思ったのは、そうした左翼リベラルの源流という懐古趣味よりも、また、ナポレオン評価のような微笑ましい旧時代的説明よりも(とはいえ民法についての指摘は重要)、今なお、なんらかの倫理的な真摯さを訴えようとする、奇妙な感じだった。それは漫画であることでむしろ強調され、「資本論入門」はさらに隠れた。
その呪縛的とも言えそうな倫理性は表紙のコペル君の眼差しが象徴しているだろう。それはあたかも漱石の『こころ』のKの相貌だと言ってもいい。コペル君は、『恋は雨上がりのように』のアキラを思いつつ、オナニーするような余裕はなさそうなのだ。真摯さと正義が微妙に共同体に結びつき、Kのような死の影を帯びていく。
コペル君が「雨粒くらいに人が小さく見えるね…」として、その矮小さを自分に重なるなら、それが大きな流れを形成するときに、「人間の進歩と結びつかない英雄的精神も空しいが、英雄的な気魄を欠いた善良さも、同じように空しいことが多い」と考えることより、その空しさを自由の空間として、小ささを愚行権の行使の根拠としてもいいはずだ。
「君たちはどう生きるか」と問われるなら、できるかぎり、他人のことなど気にしないで自分勝手に、自分の快楽を主に生きていけばいい。それだけではないのか。迷惑はかけるだろうし、文句も言われるだろう。愚行権は行使の限界がある。そうして社会にぶつかって、普通に社会と対立して個を貫いていけばいい。それだけでいい、と思う……というような、私のような考えは、本書がベストセラーになる世の中とは調和できないだろう。
そうした時代で、「君たちはどう生きるか」と更に問われるなら、原作の暗い時代から戦後の親ソ時代知識人時代まで生きた永井荷風のような人のほうが新しい「反戦」のモデルになるのではないか。
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