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2018.01.15

[書評] 米中もし戦わば(ピーター・ナヴァロ)

 ブログに物騒な国際情勢について書かなくなって久しい。いろいろ思うことはあるが、ためらってしまうことも多い。一つ例を上げると、暴動にも見える年明けのイラン大規模デモがある。イランで反政府的な機運が醸成されていることは識者の共通認識だが(後述のユーラシア・グループのレポートでも同じ)、関連の国際情報を当たってみると、この時期にこのような形で勃発するということは、意外にも識者にも想定外であったと言ってよさそうだ。もちろん、起きてしまってから、あるいは収まってしまったかに見える状態ではいろいろな説明が可能だが、この予測不能という状態の本質とそれ自体の重要性がよくわからない。この部分に補助線を引くと、多数の死者を出した先日のナイジェリア、ベヌエの衝突が今後何を引き起こすかもよくわからない。
 こうした基本的なところで不明瞭な事態と、一見説明可能かに見える世界構図と、逆に事後であればいろいろ付く説明との乖離に、ある一定の構造のようなものが感じられる。そうした例で顕著なのは、1月11日の中国海軍の威嚇である。
 同日午前、中国海軍の潜没潜水艦と同海軍フリゲート艦が尖閣諸島周辺の日本の接続水域に入り、同日午後に離れた。同種の出来事は過去もあるが、今回は中国国旗が明瞭に示され、また中国からもこの海域が中国領域であるというアナウンスが出された。すでに日本政府が中国政府に厳重に抗議したように、偶発的な事件を引き起こしかねない挑発行動である。日中平和友好条約締結40周年という節目でもあるのに関わらず、なぜ中国はこのような非平和的な行為をエスカレートさせるのか?
 実は、この疑問の構造自体がすでに問題なのである。批判の意図はないが、つい生じるこうした問いに「答えよう」とする動向が生まれる。もちろん、それ自体は間違いではない。今回の例では、まずこれが中国中央政府の意思であるか、その統制を離れた行為だったかが、一見問題になる。そして前者であれば、その意図を解読しなければならなくなるし、後者であることがわかれば、別の次元でも危機対応が必要になる。
 しかし、すでにこうした二分自体には議論の決着手法が存在していない。特に、前者のメッセージ性についてはつねに曖昧な状態に置かれる。ある意味、識者の無能を明らかにする状況であり、逆に識者は対応的な説明に追われる。
 こうした構造とは別の枠組みはないだろうか。つまり、中国の好戦的に見える行動は単にスケジュールをこなしているだけなのではないかということだ。
 実際のところ、個別の事件としての性質やメッセージ性がわからないとしても、大局的な中国の軍事動向は明確に存在し、着実に進行している。最近の出版物では、『米中戦争前夜――新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』(参照)があるが、「トゥキディデスの罠」(新興国と覇権国の競争がもたらす構造的ストレス下では双方が強く意図せずとも破滅的な戦争が起こりうること)など、特に「第2部 歴史の教訓」で顕著だが、本書は応用歴史学的ではあるが、それゆえにやや抽象的な議論になっている。

 同種の枠組みではあるが、この手の具体的な動向を手っ取り早く理解したいなら、一年ほど前になるが、2016年11月に日本で出版された『米中もし戦わば(ピーター・ナヴァロ)』(参照)が役に立つのではないか。内容は邦題が示すように、米中線のシナリオとそれに向けての状況整理である。本書は、あたかもクイズ番組のように各章冒頭にクイズが示されているので、そのクイズを考えることで理解が進む点、とても読みやすい。
 ちなみにそう古い本でもないので、この機会に読み返してみた。すでに韓国の朴政権が崩壊した点では、その政権の潜在的な危険性の議論は終えているが、逆に現在の文政権の問題が重要になる。が、当然その言及はない。反面、北朝鮮の状況については未だに本書の線のまま重要である。
 読み返しながら、昨年とみに北朝鮮の核とミサイルの脅威が増大していることを踏まえてみると、北朝鮮の究極的な対応は短期の圧倒的な空爆しかなさそうだなと思えてくるのが、自分でも気落ちした。つまるところ、地上戦はできないということでもあるだろう。物騒な話題ではあるが。
 話を中国の海洋侵出に戻すと、本書が明瞭に示しているように、今回の日本への威嚇に見える海洋侵出も、単に、予定された海洋軍事侵攻を推し進めているだけという可能性がわかる。あえていうと、今回の尖閣諸島での中国の挑発行為には時事的メッセージはなく、単にスケジュールをこなしているという面もあるだろう。
 ということは、本書で示されるシナリオが今後も展開していくというだけのことも意味する。本書を読まれると、そのことにゾッとするような含みがあるのがわかるが、目をそらすわけにもいかない。
 具体的な点でいうなら、本書巻末の短い寄稿であるが、飯田将史・防衛省防衛研究所主任研究官による「日本の安全をどう守るのか」が、現在では、よりいっそう重要になってきている。簡素に書かれているが、含意を読むには、本書の理解が前提になるだろう。具体的に言えば、今回の事態とも関連するのは、「オフショア・コントロール」だろう。
 また日本のいわゆるリベラルが主張しそうな関連議論としては、本書で言及されている「大取引」がある。「大取引」は大国に同士のさしでの大胆な取り決めである。本書では、「台湾を中国に譲る代わりに、米国のアジアでのプレザンスを認める」というものだ。その他の大取引もありうるだろう。こうした議論パターンとして本書で整理しておいてもよいだろう。
 もう一点本書に関連して加えると、中国のソフト戦略のもつ威力についての言及は重要だ。昨年夏に日本でも話題になったが、英国ケンブリッジ大学の出版局に対する中国の影響がある。こうした影響はかなり広範囲に自由主義国家に浸透してきている。さらに踏み込むと、こうした影響は「大取引」に向かうように仕向けられているだろう。芸能人の不用意に見せかけた発言や、公平を装った国語辞典とかにも、構図からすると浸透が伺われるように思える事例が増えた。
 ここで話題の階層が前後するようだが、定評あるユーラシア・グループが掲げた今年のリスク(参照)の筆頭は、「中国は力の空白を好む」である。単純にいえば、軍事的な対抗力が消えた地域に、中国は自動的に入り込む。尖閣諸島についても、それが力の空白地帯であると中国に認識されれば、中国は自動的に入り込むだろう。
 大局的に見れば、北朝鮮危機は、米中戦の暗喩という意味合いも持つだろうし、端的に言えば、危険な時間伸ばしでもあるだろう。



 

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