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2018.01.25

失敗している「ナッジ」がなぜそのまま放置されているのか?

 「ナッジ」についてはあとで触れるけど、冒頭はまず簡単な話から。
 電車に乗っていると、妊婦に席を譲りましょう的な絵を見かける。対象は妊婦ばかりではないけど、ここではその妊婦を表したシンボル絵について思うのだけど、こうした図画はたいてい、お腹がぽってとしている状態を表している。つまり、妊婦=お腹が張った人、という認識によっている。ところが、席を譲ってほしい妊婦というのは、必ずしもお腹がぽってっとした妊婦ばかりではない。『嫁はフランス人 2』(参照)で著者の西さんのパートナーであるプペさんが言っていたが、お腹が目立たない時期のほうが立っていてつらいということがある。
 話を簡単にすると、妊婦に席を譲らせるということを市民に促したいなら、この図は、間違っているとまではいわないけど、失敗している。
 ちなみに、こうした、社会的に好ましい行為を強いるのではなくそれとなく促すことを「ナッジ」という、と仮にここで理解しておいてほしい。
 つまり、電車内で妊婦に席を譲るということをナッジするには、あの、お腹が張った図は失敗していると言っていい。
 ではなんで、失敗したナッジが放置されているのだろうか? これにどう対応したらよいのだろうか。
 一つには、あれは失敗していない、という意見もあるかもしれないけど、まあ間違いでしょう。普通に考えると、ナッジの効果より交通機関として配慮したような口実ができちゃうメリットがあるからではないかな。「免罪符」みたいな(歴史的な免罪符の意味ではないけど)。
 ちなみに、あのナッジが失敗していることの代替案として、Lineで伝えるという仕組みも考案されているけど、そこまでLineは公共インフラとは言い難い。また、マタニティー・マークも考案されているけど、どうやら実態はとんでもない状態になっていそうだ。マタニティー・マークというナッジも失敗していると見てよさそう。
 さて、こうした問題、どうナッジしたらよいのだろうか。
 「私は妊婦なので座りたいです」と、先の書籍にあったプペさんのように明言するとよいとはいえそうだけど、そのハードルを低くしかも円滑にするためのナッジなので、やはりナッジをどうするかという問題は残る。
 この問題は、僕には未解決。
 もう一つ、このナッジは失敗しているなあというのではないけど、いったいこのナッジはなんの意味があるんだろうかと、そもそもナッジなのか、困惑したのが、先日、政府が中長期的な指針として打ち出した『高齢社会対策大綱』見直し案で、公的年金の受給開始時期を70歳を超える選択肢も可能とする方針についての報道だ。
 NHKの報道では、70歳を超えて貰うとこれだけ貰う金額が増えますよと、他の選択と比較して図で示していたが、はて、これだけど、市民は何をどうしたらいいの? もちろん、それは各人が決めなさいということで、NHKはその決断のためにわかりやすい説明を提供しています、ということなんだろうけど、まあ、無理だよね
 こういうのこそナッジが必要になるはずなんだけど、この件についてのナッジは見かけなかった。
 自分も60歳になって年金どうするのという時期になったからよくわかるんだけど、僕なんかも一応申請すれば、この年齢で公的年金(まあ、笑うというくらいの額なんで深刻な問題でもないけど)貰おうとすれば貰える。で、もちろん、早くから貰うと、例えば80歳まで生きたとき、トータルで貰う額は少なくなるらしい。そうした図みたいのも解説資料として送付されていた。
 で、じゃあ、僕はどうしたらいいの?
 ここでもそんなの自分で決めろよといことだろうけど、これ、おそらく各種の条件下を整理すると、有利なパターンが存在するはずで、それにそったナッジが設計できるはずだと思う。
 たとえば、一つすぐに思うのは、80歳まで生きると総額が増えるとはいえ、健康寿命を終えて貰えるお金にどれだけの意味があるのかというと、たぶん、少ない。そう考えると、今のうちに楽しく散歩して一杯のコーヒーが飲めるお金を補助してもらったほうがましとかになりかねない。そのほうがよいかも。あるいは、早期に年金を支給して後期高齢者になったら年金ではない補助に切り替えられるようにするとか。
 他方、某氏のように公的年金なんて要らねえ、という人は年金を実質キャンセルするようにして、その分、「あんたは偉い」って褒めてあげる制度を作って、そこにナッジするとよいはず。
 はて、とまあ、こんなことを考えて思ったのだけど。
 これ、つまり、「あなたが選びなさい」ってやると、「うーん、私は80歳まで生きたいからその願いを込めて、支給を遅らせてもいいや、貰う分も全体で増えるし」というのを結果的にナッジしていることになっているのではないか?
 つまり、ナッジとして考えると、各種の解説報道は、結果的にだけど、政府を助けて、国民を困らせる、マイナスのナッジ、ナッジの逆になってんじゃないの?
 そして加えると、「自分たちで考えなさい」ってやると、ろくでもない人たちが、「よっしゃ、わいが考えて愚民に正解を与えてやる」とか「安倍政権の言ってることは全部嘘だ、年金制度なんかそもそも信じてはいけない」とかで、さらに、ロクでもないナッジが巷にあふれることになる、というか、すでにそんなのばっかだよな。まあ、例をあげるとぶっそうなんで控えるけど。
 こういう阿呆で間違ったナッジを抑制するためにも、妥当なナッジを政策として打ち出したほうがいい。
 もちろん、そのなかには「あなたのうちこれこれの何人は70歳まで生きられる確率は少ないです」というのを、上手にナッジ的に理解させる必要があるだろう。
 難しいか。
 そのあたりに、ナッジの限界というのがあるのだろうか。
 困ったねえ。
 さて、このナッジだが、昨年のノーベル経済学賞(銀行賞)を授与されたリチャード・セイラーが考案したもので、賞の理由としては、従来の経済学の基底にある合理人ではない想定から行動経済学を築いたということなんだが、これ、そういう学問的な文脈がニュースで話題になったけど、いちおうノーベル賞っていうのは、人類に役立つという含みがあるんで、そういう点で強調すれば行動経済学というより、不合理な人間が阿呆で社会的な損をしないようにかつ、その人の自由を侵すことないようにナッジするにはどうしたらいいかという問題提起が重要だった。すごく簡単にいうと、ノーベル賞の意味は、為政者や官僚はまともなナッジを市民に与えろ、ということだ。
 というわけで、リチャード・セイラー(共著)の『実践 行動経済学 --- 健康、富、幸福への聡明な選択』(参照)を2009年にも紹介したけど(参照)、10年くらい経った今でもあいかわらず重要な書籍なんで、こうした失敗したナッジが溢れてきた現在、できるだけ多くの人が再読するとよいと思う。少なくとも、よいナッジを政策に含める異議はよく理解できるようになる。

 

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