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2018.01.01

[書評] 人を伸ばす力(エドワード・L・デシ、リチャード・フラスト)

 明けましておめでとう。そう言ってみて、少し奇妙な感じがする。新年を迎えることに、何か喜ばしいこと、しかもその喜びを共同体に分かち合う(partager:パルタジェ)意味がどこにあるのだろうか。疑念がある。どこにもないんじゃないか。あるいはどこかにあるのだろうか。
 あるとすればそれは書籍との出会いにも似ているだろう。誰もが賞賛するような優れた本などというものはないと言いつつ、古典のように本来は誰が読んでも価値があるとされるような本も他方存在する。そこで古典にそのような、ある普遍的な価値があるなら、誰もがそれを読むべきだと言えそうにも思える。そうでもない。そう言ってしまえば、冒頭のような少し奇妙な感じが伴う。
 私は何を言おうとしているのか。書籍の価値は、それを読んだ人が、密かにある種の確信をもってパルタジェするときに、その行為を含めた過程に生まれるものではないだろうか。古典とはそうしたパルタジェの一つの歴史としての指標であるのかもしれない。
 そうした意味で、古典と呼ばれているわけではないが、私がとても優れた本だと思える、特別な書籍に触れたい。でもそれは誰にとっても価値のある書籍ではないだろうし、むしろ凡庸に思える書籍かもしれない。ただ、私にはとても重要な書籍である。そのことを分かち合えたらと、こんな日、何かの初まりを象徴する日なら、願いたい。

 『人を伸ばす力』(参照)がその一冊である。表題を見ると拍子抜けするだろうし、装丁も地味そのものである。そして読み始めても、こうした表題の書籍にありがちな、ツカミがない。これはつまらない本ではないか。専門書とまでは言えないまでも心理学の一分野の本ではないかと思える。オリジナルの表題のほうがもう少しわかりやすいだろうか。"Why We Do What We do"「なぜ私たちは私たちがすることをするのか?」謎のような表題である。意味合いとしては、「私たち自身が何かをするのはなぜなのか」だろう。副題には"Understanding Self-Motivation"「自身の動機づけを理解すること」とある。訳書の副題は「内発と自律のすすめ」とある。表題が訴えていることは、何かを行動するときのモチベーションを外から得るのではなく、自分自身で生み出す、ということだ。「内発」にはその含みがあり、そして、その結果が「自律」であり、内発行為の結果に責務を持つ生き方を論じている。少し勇み足な言い方になるが、それが教育の本質であるということでもある。
 多くの自己啓発書は、動機、モチベーションのコツを語る。本書は、そのまったくといっていいほどの逆で、動機・モチベーションは人の内面から生まれるものではくては意味がないというのだ。もっと言えば、自分らしく生きるなら、モチベーションのコツを解く自己啓発書をすべて放り出す必要がある。実際この本はおだやかに淡々と叙述されているようで、驚くほど大胆な主張をしている。アメとムチの人の制御を否定しているし、スキナー流の行動分析についても根底から否定している。報酬が与えられると人は内発を失うという単純なことが書かれているだけだが、それに納得できる人は少ない。本書は、そうした現代風の常識の催眠を解く効果があると言っていいかもしれない。さらに、本書は、外的なあらゆるモチベーションを否定する。
 ある意味とても単純なことだ。

 私は内的動機づけの経験それ自体に価値があると信じている。バラの香りをかぐこと、ジグソーパズルに熱中すること、日差しが雲にきらめくのをしみじみ眺めること、ワクワクしながら山頂にたどり着くこと、これらの体験を正当化するために何かを生み出す必要はない。そのような経験のない人生は人生ではないとさえ言えるかもしれない。

 本書は心理学の、なかでも学習についての書籍なのだが、試験を賞罰のように使うことを否定している。いかに学習を進めるかということと、学習者を評価し統制することは根本的に違う。「人にもっと何かをさせようとしてほめていないだろうか。他者を巧妙に統制しようとはしていないだろうか。」こうした根本的な疑問を本書は喚起する。
 凡庸なお説教のようにも思える本書を丹念に読んでいくと、いろいろと発見がある。おそらく本書は一読して終わる本ではない。そうした私の発見の一つは、自我関与と承認である。
 自我関与(Ego involvement)は、「自分に価値があると感じられるかどうかが、特定の結果に依存しているプロセスのことを指す。」 そして「自我関与は、他者から随伴的に評価されるときに発達するもので、それは価値や規範の取り入れ密接な関係にある」具体的には、「自我関与をしていると、自分が他者にどう見られているかが焦点になる。」これは、現代の承認の問題と重なるだろう。
 自我関与の原点は、自己の感覚の希薄さによるものだ。自分の感覚を自分のものとして受け取ることができない。それは自分の感覚だけがもたらす経験を生きていないからだ。本書は、「自分に失敗してもいいよと言いきかせなさい(Allow yourself to fail )」という言葉を引いている。
 本書の口調ではないが、極論すれば人はわがままに生きていい。そのわがままがもたらす必然的な結果(特に社会的な結果)に責務を持てばいい。私はもう少し言いたい。根拠がないと思えるルールはその結果に責任を持つなら破ってもかまわない。
 本書は内的な恐怖を受け入れる必要も述べている。自己破壊的な行動をやめるには、自分に能力がないこと、愛する人から捨てられること、死ぬべき運命であること、「それが何であれ、不健康な行動の源泉となっている感情を経験する覚悟ができなければならない」としている。こう言ってもいい。泣いてもいいし、怖がってもいい。その嫌な感情の経験を避けようだけはしてはいけない。
 本書にはさらに決定的な言葉がある。

 生きていることのほんとうの意味は、単に幸福を感じることではなく、さまざまな人間の感情を経験することである。

 The true meaning of being alive is not just to feel happy, but to experience the full range of human emotions.

 そして、「幸福感の追求が他の感情経験を妨げるとき、望ましくない結果が起きる可能性がある」。
 本書は、こうした人生の根源的な問題に気づいていない状態では、つまらない一冊でしかないだろう。しかし、この本は穏やかにみえて、深い内容を秘めているし、おそらくそのことに気がつくとき、自分の人生というものの感覚体験の確実さを志向するようになるだろう。
 あと、本書を読みながら、よくわからないなと思える部分があれば、英語の原書にあたったほうがいい場合もある。本書が気に入ったら、ペーパバックスも手元に置いておくいいだろう。気取りのないきれいな英文で書かれている。


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