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2017.12.28

[書評] 背教者ユリアヌス(辻邦生)

 いつからか、書店の店先に文庫本が目立つようになった。大規模書店でもなければ、ふらっと書店に立ち寄る人が買う本は、雑誌か、自己啓発本、ネタ話の本、あるいは文庫本ということになってしまったようだ。なかでも文庫本は多い。
 そういえば、最近文庫本になった『人間アレルギー』(参照)には私が書いた紹介文が巻末についているはず。たまたま通りすがった書店だが店先の文庫本のなかにあるだろうかと、探していると、辻邦生の『背教者ユリアヌス』の文庫本が見つかった。おや珍しい。

 これ、長く絶版だったように思うので、復刻的な再版かなと手に取ると、随分と装丁が新しく、しかも(一)とある。うーむ。これ、文庫だと上中下の三分冊だったはずだが、と手に取ると、改版だった。一巻目の巻末には加賀乙彦の解説のほかに、当時の辻の関連エッセーが載っている。なにか懐かしくて、しばし文庫本を繰ってみた。どうやら改版は四巻本で、一巻目がちょうど出たばかり。二巻目は来年1月の中旬以降のようだ。
 辻邦生の『背教者ユリアヌス』(参照)は好きな小説だ。ユリアヌス自身が好きだというのもある。ユリアヌスの評価は、現代ではギボンの影響もあって好意的なものが多い。残された文献から見ても実に魅力的な若者である。哲学徒でもあり、武人でもあり、若さがまぶしい。塩野七生も当初は彼に屈曲した思いを持っていたようだが、しだいに魅惑に屈したかのようだった。
 もっとも辻のこの作品はあくまで歴史小説として書かれているので、史実を踏まえた点は多いものの、ユリアヌスの実像に迫るというものでもない。それでも、特に情景描写は古代を彷彿させる美しさがある。登場人物はまるで映画の俳優を見ているようなリアルな感じもある。
 小説として一番私の心に残ったのは、ユリアヌスに寄せる皇后エウセビアの恋情である。年下のユリアヌスにここまで狂おしく愛せるのか。そのねちねちとした文章がたまらない。中年女性のエロスの本質というのはこういうものではないか。源氏物語の六条御息所も連想させる(モチーフとしてあったかもしれない)。
 大島渚の60年代映画のような恋情ものにもこの濃さはあったように思う。とはいえ、これって現代からすると昭和時代の演歌みたいにも思えるし、そこが好き嫌いの分かれるところかもしれない。この小説が好きな人でも、エウセビアの恋情に違和感を持つ人は多いようだが。
 もっとも、現代風なエロのシーンはまるっきり出てこない。エロが薄くてつまらないなともいえるが、そこじらしの感じも悪くない。史実として見れば、エウセビアとユリアヌスの恋愛関係はないとするのが多いだろうが、そうでもないんじゃないかと思わせるくらいに辻の想像力は強い。
 他の女も美しい。ディアにはファンも多いだろ。どこかしら、彼女の造形には昭和の実在の女性がいそうな感じもする。ヘレナもきちんとした相貌がある。
 とはいえ、いじわるな評価をすれば、大衆小説であり、ハーレクインみたいなものだとも言えないこともない。それでも日本語としての文体は美しく、物語は飽きあせない。
 ファンタジー小説好きなんだよねという若い人は、予断なく、読んでみるといいと思う。いろいろローマ史にまつわること宗教に関係することなどは、あとから関心を持つことでいい。ロマンに沈没する体験ができるという点だけでもこの小説を読むのをお勧めしたい。


巻末にファイナルヴェントの解説があります。

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