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2017.12.27

[書評] 背教者の肖像(添谷育志)

 副題「ローマ皇帝にローマ皇帝ユリアヌスをめぐる言説の探求」とあり、ユリアヌスが好きな私は、即座にこの本『背教者の肖像(添谷育志)』(参照)にはどんな話があるだろうか、自分の知らなかった逸話や視点が得られるだろうか、と期待していたのだが、読んでみると、見事に、痛快に、爽快に、裏切られた。この本の面白さをなんと言っていいのだろうか。

 なんの予断もなく読み始めると、冒頭、「本書は辻邦夫の小説『背教者ユリアヌス』において描かれたローマ皇帝フラウィウス・クラウディウス・ユリアヌス(Flavius Claudius Julianus、在位三六一年一一月三日‐三六三年六月二六日)の言行をめぐる言説(テキスト)が、時代の変化にともないどのように変貌してきたのかを探求するものである」とある。わかる? 
 まずわかるのは、ユリアヌスを扱うわけではない(なんと残念)。辻邦夫の該当小説を扱うわけでも評論するわけでもない(え?)。ようするにその小説についての言及の変遷史を扱うということだが、実際のところ、辻に代表される近現代知識人がどのようにユリアヌスを受け止めてきたかという話になる。特に西洋近代における「背教者」という魅惑像の変容史から日本のその対応が扱われる。
 本書はつまり、近現代のユリアヌス像から近現代を見直す作業だという理解でもよいだろう。とはいえ、具体的に面白いのはその微に入り細を穿つ部分である。読みながら、なんで自分はこんな本読んでいるだろうという奇妙な愉悦感である。私が好きなカザンザキスも出てくる。こんな知的領域、普通の現代の知識人を魅了するだろうか。
 第一章を読み終えて次章に入るとき、なにか奇妙な断絶感と継続感があり、そこで「あれ、これ論集じゃないの」という疑問が浮かんだ。この時点で「あとがき」を読むと、そうだった。一章は既発表でそれに書き下ろしを続けたものだった。
 その二章で、私の愛読書でもある折口信夫『死者の書』が出てきた。なぜ曲りなりともユリアヌスの書籍でこれが出てくるのか。いちおう理屈はある。キーワードは「メレシコースキー」である(これに丸山眞男の「亜インテリ階級」が重なる)。それと、ざっくり言えば、背教者から異教者、そして折口の奇妙な神道観という、近現代というものに微妙に対立・魅了された領域がそこにある。個人的に面白かったのだが、著者には折口のこの小説は当初は馴染めないものだったらしいことだ。私は30代に同人誌に折口信夫『死者の書』論を書いたことがあるが、とても馴染み深い人だった。歳を取り、さらに自分が折口に似ている部分も知る。
 奇妙な本だとも思えるが、論旨が明瞭ではないわけでもない。何を言いたいのかわからないわけでもない。関心領域は私のツボだと言ってもいい。それでも、なんとも船酔いするような読書体験があり、どうやら、この読書体験自体が本書の意図なのだろうというように、しだいに了解してくる。
 その読書体験の誘導とでもいうか、そこでの命題は、ローティ(Richard Rorty)が提示する「リベラル・アイロニスト」という「生き方」である。社会価値性においてリベラルであり、本質的な懐疑主義者であるアイロニストは、「ポスト真実」の現代にどのように生きたらよいのか。それが問われる。
 ああ、それ、まさに、私です、とここで思う。
 著者は、そこでリベラル・アイロニストに3つの生き方の選択肢を見せる。①公共的レトリックから身を引き『哲学者の慰め』のように書くこと、②ユートピアニズムを掲げて、「思想的テロリスト」たちに戦いを挑むこと。
 よくわかる。このブログはその2つの選択肢でぶれ続けてきた。けっこう満身創痍になった。そして、そこはすでに隘路だというのも、長いブログ休止の思いでもあった。
 著者は3つめの選択肢を示す。③「私的な哲学者」になること。
 どういうことか。著者はローティを引きながら、文芸批評を挙げる。もちろん、それはいわゆる文芸批評であってもいい。本書は触れていないが、小林秀雄的な「様々な意匠」であってもいい。いや、小林のそれは逆である。あれは隠された求心性であった。では著者の言う、文芸批評の核心はなにか。読書である。「書物文化はリベラル・アイロニストにとって最後の砦なのだ」と著者は言う。あとがきにはアイロニストにあるまじき心情がこぼれる。

 それにもかかわらず本書出版を思い立った理由は、「おわりに」で書いたような現代日本社会のあり方、とりわけ紙ベースの「書物」の行く末にたいするわたしなりの憂慮である。  (中略) 本書にメッセージがあるとすれば、消滅しつつある「書物文化への賛辞」である。

 著者は1947年生まれ。私より10歳年上で団塊世代。彼は今年70歳になったのだろう。団塊世代が「大量自然死」すれば書籍文化は衰えると見ているようだ。確かに、そうには違いない。
 それでもまあ、とりあえず10歳若いリベラル・アイロニストがここにいる。こんなブログを思い出す人だって、少しはいると思っている。同士はいるよ。

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