« [書評] PSYCHO-PASS GENESIS 1〜4(吉上亮) | トップページ | [書評] コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生 (岡本和明・辻堂真理) »

2017.12.11

はしだのりひこさんの死に

 先日、といっていつだったか調べてみると、12月2日のことだったが、フォーク歌手のはしだのりひこさんが亡くなった。私は彼の熱烈なファンということでもないせいか、痛切な思いというほどのものは心に去来しなかったが、こうは思った。「ああ、あのぼっちゃんぼっちゃんした、はしだのりひこさんも亡くなったか、歳は72歳かあ、まあ、人が死ぬ年齢でもあるな、加藤和彦さんが亡くなったのは、2009年、62歳だったから、それよりは長生きしたが、北山修さんはもっと長生きされるだろうな……」。そして何か心に小さく暗く重く沈むものがあった。
 人は生年の順に死ぬというものでもないが、概ね、年を取るとぽつぽつと死んでいく。かく言う自分も、45歳で始めたこのブログを今60歳で書いている。わかってはいたし、幸福な60歳の誕生日ではあったが、その前後に無意識には、なんというか静かに潮が満ちてくるように恐怖のようなものはあった。今も続いている。死と老いへの恐怖には違いないが、単純に感情を惹起するものでもなく、その緩やかにたゆたうような何かに浸り、まるでタイムカプセルに閉じ込められたような情感がある。そのなにかに閉じ込められて今年の後半はブログも書けずに日々を過ごした。(が、それを突然にかち割るような強烈な生の情熱もあったりはしたが。)
 心が引きこもるをの多少なりとも妨げたのは、ネットではあっただろう。私は恥ずかしいことによくツイッターをしている。ツイ廃(ツイッター廃人)と言っていい。悪癖のようにも思うが、おかげでブログが死に絶えそうなかでもネットにつながっていられた。これもある種の老いと死への形かもしれないと苦笑するが、数少ない世界とのつながりではある。いろいろなことをツイッターを通して知る。あとは率直に言って子どもたちの交流から知る。書籍なども読むが、そのつながりにはあまり生の彩りは少ない。
 そうしたツイッターで、はしだのりひこさんの情報が流れなかったわけでもないが、あまり見かけなかった。そこに奇妙な痛みの感覚があった。ツイッター的な話題ではないのだなというのはわかる。当然、関心の幅も世代で決まるということでもあるだろう。はしださんのフォークルを知る世代は、老いた。その実時代との関係でいうなら、フォークルの解散は事実上、1968年なので、私も10歳というところだ。小学三年生だったか、ゲルマニウムラジオが完成して最初に受信したのが「帰って来たヨッパライ」だったのが強烈な思い出として残っている。つまり、少なくとも60歳以上ということになる。余談だが、先日ジョニー・アリディが74歳で亡くなったが、同年代のフランス人には大きなニュースだったようだ。
 と、ここで調べなおして記憶違いを知る。あの早回しの元声ははしだが印象的だったように思っていたのだが、この時期のこの曲にはしだは入っていなかった。後のコンサートなどでははしだをよく見かけたのでそう思い込んでいたのだろう。
 フォークルの曲を自分でも歌うようになったのは、ギターを持つようになった中学生になってからで、思い返すとはしだ作曲『何のために』もよく歌った。「何のために何を求めて傷つきつかれ年老いて死ぬのか」 というフレーズは中学生の心には響いたものの、その意味合いは今思うとまるでわかっていなかった。自分より一巡上の世代であるフォークルですら、若い心情としてしか歌ってはいなかっただろう。
 こうして記憶をたぐりながら、実際の年号との照合をしていくと、他にも錯誤というほどではないが、記憶時間とのずれのようなものは感じる。フォークル後の「はしだのりひことシューベルツ」の時代は随分長いようにも感じられたが、1968年から1970年と短く、自分の中学生時代とは重ならない。よく歌った『風』もその後のはしだの持ち歌としての記憶だったのだろう。「人は誰も人生につまずいて、人は誰も夢やぶれ振り返る」と口ずさんでみる。今でも歌えるものだなあ。そうえいば、『カラオケJOYSOUND for Nintendo Switch』も入れたので、歌ってみるかな。たぶん、曲リストにははいっているだろう。そして、今でも普通に歌えるだろう。
 同じ錯誤の部類だが、『花嫁』が出たのは、随分後のこと、私が高校生くらいのことかと思っていたが、調べてみると、1971年でまさに自分の中学生時代に重なる。思い返すとすでに『ガット』や『ヤングセンス』とかに譜が載っていた。私はこの歌が嫌いだった。この歌が嫌いで、はしだのりひこを避けるようにもなった。もちろん、その割にこの歌も全部歌える。愛唱した記憶はないが、自分が30代のころシュールな短編小説を書いていたが、この曲を使ったことがある。夜汽車に載っていく奇怪な花嫁の物語である。自分で書いておきながら、どういうストリーだったか覚えていない。
 吉田拓郎の『結婚しようよ』も嫌いだった。1972年、これはきちんと覚えている。もう吉田拓郎なんか絶対に歌うかよと当時中学生だった自分は思った。以前このブログにも書いたが『「いちご白書」をもう一度』の情感のように、結婚や就職などで社会に統合されいく青年というものが吐き気がするほど嫌いだった。その甘ったるい情感も嫌だった。もちろん、とか言う割に、カーペンターズだのオリビア・ニュートン・ジョンなどを聞いていたので、ようするに洋楽に趣味が移りだした時代でもあった。ただフォークギターを抱えていた中学生時代も、PPMのような洋物も好きではあった。そして高校生以降はユーミンのファンになっていた。
 その後のはしだのりひこには関心がなくなった。吉田拓郎もそうだ。もうしわけないが、泉谷しげるとか『春夏秋冬』以外関心ない。岡林信彦は遠くなった。中学生時代の思い出である。どうでもいい連想だが小鹿みきさんはどうされているのだろう。
 はしだのりひこさんの死因については、現代で72歳で死ぬとなると病気であろうなあとなんとなく思っていたが、今頃ニュースにあたってみると、十年前からのパーキンソン病であったとのこと。そして、今年には急性骨髄性白血病を併発したらしい。62歳からのつらい闘病だったかというのは胸に迫る。このところ寛解していい気になっているが自分も難病を抱えているし、なんとなくその手の病気を併発して死ぬような気がしている。と、いうのもネガティブなファンタジーに近いものではあるが。
 ところでこのブログ記事だが、当初、『コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生』の書評の枕話のつもりだったのだが、奇妙に思い出に囚われてしまった。しかし、こうしてアイロニカルではあるが、何か書いてみると、はしだのりひこさんは好きだったことに気がつく。哀悼の思いが書けてよかった。『花嫁』は依然歌う気もしないが、『何のために生まれて』と『風』は私のカラオケレパートリーに刻んでおこう。さようなら、はしださん。


|

« [書評] PSYCHO-PASS GENESIS 1〜4(吉上亮) | トップページ | [書評] コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生 (岡本和明・辻堂真理) »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: はしだのりひこさんの死に:

« [書評] PSYCHO-PASS GENESIS 1〜4(吉上亮) | トップページ | [書評] コックリさんの父 中岡俊哉のオカルト人生 (岡本和明・辻堂真理) »