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2017.12.29

[書評] 光明皇后(瀧浪貞子)

 本書『光明皇后(瀧浪貞子)』(参照)というシンプルな表題を見てまず思ったことがある。大げさな言い方になる、という自覚はあるという前提であえて言うのだが、日本史の最大の謎は、光明皇后であると私は考えている。もちろん、「聖徳太子」にも謎は多いし、桓武天皇にも平清盛にも謎はある。他にもいろいろ挙げればきりがない。なのになぜ光明皇后なのかというと、おそらく彼女こそが実質的な天皇家の創作者だろうと思うからだ。

 なぜか。その関連から補足したい。まず、「日本史」と「天皇」という概念は日本書紀によっているというのが基本。この書紀のモチーフは、「持統天皇が正統である」というイデオロギーである。そもそも「持統」というのが「統を持す」ということである。
 いきなり穿った見方になるが、そうしたイデオロギーが必要になるのは、実態は逆であるか、疑問が強かったからだろう。つまり、「持統天皇は正統ではない」という命題が当時あったからだろう。
 そこで、正統とは何かということが問われる。だが、大日本史的な日本史の枠組みから十分に自由になっていない、近代日本の史学からは、この問い自体が見えてこない。戦前は、津田左右吉を例にしてもわかるが実質隠蔽すらされていた。では、この文脈でなにが正統なのかというと、「壬申の乱」つまり国家内乱に勝利したということである。予断なく書紀を読めば、書紀がまさに壬申内乱の正統のための史書であることは自明だろう。ここで少し先走ると、このことは聖武天皇のオブセッションに関連している。
 ややこしい問題はあるにはある。日本の王朝が実質できたのは、おそらく近江朝からで、このときにそのエポックとして国号が制定されたに違いない。この点はだいたい諸学者の暗黙の合意はあるが、史実的な裏付けができない。ここからまた穿った言い方になるが、この王家の実質的な始祖である天智天皇は、ゆえに天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)である。ならばここから王家が始まるとしてよいはずだが、これを天智天皇の息子ではなく兄弟とされる天武天皇が壬申内乱で実質簒奪した。この簒奪者が新しい始祖であり、正統なのだということが繰り返すが、書紀のモチーフである。ここで彼は、始祖を象徴する「武」を、おそらく天皇家の、おそらく氏名であるアマ(天)を冠して「天武」とされたのだろう(諡号)。これは同様に、聖武(その前が文武)と桓武が相反しつつ主張していくことになる。余談だが、聖武は諡号でもない。
 とまあ、前置き話に、なんとも勝手なとんでも古代史を開陳していると見るむきあろうが、書紀のモチーフが持統の正統の主張であるということは前提にしても不自然ではないだろう。
 さて、このイデオロギーの史書である書紀がいつできたか。これは、あきらかに持統天皇の後代になる。もちろん、その前資料は持統天皇以前にはあっただろうが、問題は、くどくど述べてきた書紀のモチーフとの関連である。
 この書紀成立時代を天皇の代から見た時代でいうなら、彼女の孫(天武の孫である)の文武天皇ではあるが、短期に失敗していると見てよく。この混乱は続日本記にも反映している。そして、文武天皇の不安定性から、この間の時代の連続する女帝は、女性であるというより、正統の権利の留保期間の意味合いが強くなる。そしてそのターゲットはようやく聖武天皇に結ぶ。つまり、書紀のイデオロギーの完結が聖武天皇である。
 ここですでに奇っ怪なのは、聖武は、文武の息子として天武・持統の正統でもあるが、同時に、皇統ではない藤原不比等の娘・宮子の息子でもある。また、文武の位置は元来、草壁皇子が継ぐものであり、そこにも、本書に出て来る「黒作懸佩刀」が象徴的だが不比等が大きく関係していた。簡単にいうと、この正統の正体は、不比等が実質の藤原氏の始祖となり、この藤原氏が実質的な皇統を支配することだ。これが聖武時代に実現するかに見える。
 だが、聖武天皇という実質、藤原血統天皇の最大の危機がこの時代に2つ訪れる。1つは、「長屋親王」という聖武の正統を脅かす存在で、しかもその考古学資料としての親王号は、天皇位の継続を意味していた。話をはしょるが、書紀というイデオロギーの完結が聖武天皇であることは、長屋親王を抹殺する必然を持っていた。
 第2の危機は、藤原血統天皇を実質制御する藤原氏の権力主体である藤原兄弟が、疫病で死に絶えることである。しかもこの危機は、おそらく当時の人々には、長屋親王虐殺の呪いと見られていた、としてよさそうだということだ(ここは曖昧に聞こえるだろうが)。この危機への対応が、大仏建立と仏教による支配と見てよいだろう。
 この2つの危機の只中にいて、すべての対応を采配できたのは不比等の娘である光明皇后しかいない。聖武天皇はすでに実質精神的な危機状態であった。
 あと、危機ではないが、これらの危機の背景に聖武天皇の母・宮子の謎が大きく横たわっている。
 さて、と。
 だいぶ身勝手な個人的な史観をずらずら述べてきたわけだが、こうした点から、光明皇后がどのように、藤原血統天皇に関連し、その構造ゆえに長屋親王排除に加担し、そしてその呪いの結果とみなせるような藤原兄弟の死滅にどう向き合ってきたか。そこが私は知りたい。
 率直に言って、まあ、無理だろう。現状の日本史学では、「長屋親王」称号自体をなぜか同時代資料でありがら軽視し、また藤原四兄弟の死滅をただの偶然とだけに片付けるので、おそらく本書も日本史学のお作法でそれに則っているだろうと、予想はしていた。
 で、予想どおりだった。率直に言うと、「ああ、またこれかあ」といった代物にまず思えた。30年前の『光明皇后(林 陸朗)』(参照)とあまり変わらない基調だなあ、と。
 それでも読み進めながら、近現代人として書紀を扱うなら、こういうものになるしかないだろうという奇妙な納得感があった。自分でも、この納得感は意外だった。
 考えてみれば、私の、この分野への珍妙な歴史観は、中学生・高校生のときに愛読した一連の梅原猛の著作からの影響が大きい。それから、吉野裕子や小林惠子などからも影響を受けた。反省するに若気のいたりと言ってもいい。もう若気の至りから卒業してもいいころだ。
 その反省モードで本書を読むなら、バランス良くこの時代と、光明皇后を丹念に描いている。つまり、関連する史学のまとめとして見るなら、良書であると言っていいだろう。
 読後、そう思える自分はなにか夢から覚めたような奇妙な感じもした。


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