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2017.12.13

[書評] 職業としての地下アイドル(姫乃たま)

 『職業としての地下アイドル』(参照)という書名がマックス・ウェーバーの主著のもじりであることはさておき、「地下アイドル」とは何か、という関心が、それを知らない人にとってこの書名でまず関心をひくところだろう。「そんなことも知らないの?」という人でなければ、「地下出版」「地下教会」というように「当局から弾圧される文化活動としてのアイドル」を連想するかもしれない。が、そうではない。

 本書冒頭に定義は書かれているが、いわゆるメディアに出てくる芸能人アイドルが仮想の対比としての「地上アイドル」であり、そうしたメディア的な世界から離れ、小規模のライブ活動をしているのが「地下アイドル」である。メジャー・デビューを夢見ているアイドル活動と言ってもいいかもしれないし、実際本書を読むとそういう過程として「地下アイドル」が位置づけられ意識されている事例も多いこともわかる。
 他方、「地下アイドル」について知っているという人でも、それ自体の関心より社会的関心として、通称「小金井ストーカー殺人未遂事件」をまず連想する人もいるだろう。2016年5月、小金井市で「芸能活動」をしていた当時20歳の女性大学生がライブで刺殺されかける事件があった。私も本書を読む前にこの事件を連想し、その背景にある社会現象に本書は答えるものになっているだろうかという期待を持った。その期待に、本書は答えている。まず、その視点から本書が読まれてもよいだろと思えるほどである。
 あの事件と「地下アイドル」はどのような関連にあったか。当時すでに文筆活動もしている著者姫乃にマスメディアからコメントが求められた。そこで姫乃は、①小金井事件の女性は「地下アイドル」ではないこと(女優活動などもしていた)、②アイドルのファンはけして危険ではないこと、を熱心に答えた。マスメディアとしては、アイドルのファンが潜在的に危険だというストーリーを求めていたことが逆にそこからわかる。
 ではあらためて、「地下アイドル」とは何か。そこをある種、現代という社会の視点から明らかにしようとしたのが本書である。著者は十分に社会学的とは言えないまでも、自分の周りにいる実際の地下アイドルとそのファン、それぞれ100名ほどのアンケート調査を実施して実態に迫ろうとしている。このアンケートの枠組みからわかるように、地下アイドルとそのアイドル・ファンは一つの社会現象として見ることができる。
 肝心のそこをどう読み取るか。著者姫乃の基調は、地下アイドルはいわゆるアイドルよりも普通の女の子(一般の若者)であるとしている点だ。その意味でアンケートから浮かび上がる地下アイドルのプロファイルは普通の女の子とあまり差はなく、むしろ芸能アイドルとの差のほうが強いかもしれない。「地下アイドル」とは何かという問いかけがそれ自体の特性として規定されないということは興味深い。
 そこで、少し私の勇み足の読みになるが、普通の女の子と地下アイドルの差は、そのアイドル・ファンによるものだ(操作概念)としていいだろう。あえて言うなら、アイドル・ファンの心情やニーズが普通の女の子を地下アイドルとして現象させている。
 地下アイドルのファンとはどのようなものだろうか。通常のアイドルと違うのだろうか。その差については私は読み取れないが、本書で描かれる地下アイドルのファンは興味深い。
 現実の地下アイドル・ファンにしてみれば自明のことだろうが、地上への志向を持つ地下アイドルが、実際に地上に出る際には、ファンであることを卒業してしまうらしい。ある意味、マイナーな状態で地下アイドルを支えているのが、彼らの行動の動機であり喜びだと言っていいだろう。年齢層は30代半ばが多いようだ(ファン活動は意外に費用がかかるせいもある)。そして、彼らはアイドルと自身の小さな世界での承認関係それ自体を当然求めるとして、さらにファン同士のホモソーシャルな関係にも充足を得ている。しいてそこだけ強調するなら、地下アイドルは、ホモソーシャルな親密性の道具である。漱石の「こころ」でいうなら、「先生」とKは「お嬢さんという地下アイドル」のファンだった。
 愚劣な比喩のようだが、「こころ」がホモソーシャルの潜在的な臨界を明らかにしたように、おそらく「地下アイドル」とそのファンの間にも潜在的な臨界点は秘められているだろう。しかしそれは通常想定されるような恋愛による破綻でもストカー的な心理でもなく、まさにホモソーシャルという幻想性の了解破綻だろう。「こころ」の比喩で言うなら、何も語らない「お嬢さん」が仮にであれ自身の性幻想を明らかにするときだろう。比喩から戻るなら、地下アイドルは自身の恋愛心理(そして性幻想も)を語ることが禁止されている。
 著者姫乃はその破綻のポイントを悲劇ではなく「卒業」として明るく捉えている。おそらくアイドル・ファンもその虚構の世界の「卒業」を了解しているだろうし、私の推測でいうなら、30代男性はすでに20代にあるリアルな恋愛幻想を「卒業」していただろう。アイドルのファンは未熟なのではなく、性幻想の一つの成熟した形なのだろう。
 「地下アイドル」の年齢は現状、20代前半程度。そのファンの年齢は30代。それがそのままあと10年間、平穏に「卒業」をそのシステムに組み込んでいけるのだろうか。そうであってほしいようにも思う。
 さて、私は姫乃とは違ったルートで地下アイドルに近い一群の人々を知っている。正確にいえば、地下アイドル予備軍とでもいう人々である。あまり書きたいとは思わない。また、その実態に社会的な問題があるというわけではないし、概ね本書の姫乃の視点と重なってはいる。ただし、微妙に違う点も感じている。姫乃のいう「一般の人」は自然に現在の教育システムから安定的に排除されているように思えることだ。

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