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2017.06.13

[書評] すごい進化 「一見すると不合理」の謎を解く(鈴木紀之)

 「すごい進化」(参照)というように口語で書名を表現されると、何かとてつもない進化を遂げた生物の事例を扱う書籍のように思える。が、本書の内容は副題にある「『一見すると不合理』の謎を解く」に近い。ダーウィニズムの自然淘汰の考えからすると、「一見すると不合理」な進化を遂げた生物についてどのような説明を与えることができるか、ということを扱っている。

 そして結論から言えば、「謎を解く」には至っていない。1つの解法視点の提起ではあるが、むしろそこが本書の面白さである。
 問題の基本的な枠組みは、自然淘汰の原理をどのように扱うかである。

 現在進化生物学者の中で自然淘汰の原理を完全に否定している人はまずいません。しかし、進化を自然淘汰でどこまで説明できるか、すなわち「進化はすごい」とどれだけ信じているかという点については、研究者の間でさえ驚くほどの違いがあります。「進化はそれほどすごくない」というスタンスでは、さまざまな制約によって進化が妨げられたり、全くの偶然によって有利ではない形質が広まったり維持されたりすることを重視します。

 繰り返すことになるが、まず前提として、「自然淘汰の原理を完全に否定している人はいない」ということがある。しかし、実際の生物を研究してみると、「自然淘汰の原理」、特にその最適化アプローチという視点からは説明できない、あるいは説明しにくい不合理な事例が多々あり、通常はこれを、自然淘汰への制約や偶然と見るということになりがちである。あるいは、進化論は、通例は次のように理解してもよい。

(前略)「生物進化では自然淘汰が何ら役割を果たしていない」という主張も、「自然淘汰は進化における唯一の原動力である」という主張も明らかに間違っています。進化生物学者のアプローチはこのふたつの極論の間に位置していて、自然淘汰によってほとんどの形質の変化について説明できる、すなわち制約をほとんど無視できるとする適応主義に近いのか、それとも進化における自然淘汰の貢献をもっと小さく見積もっているか、というグラデーションを描いています。

 本書が興味深い点は、このグラデーションにありながら、できるだけ新しい説明の試みとして、進化の、一見不合理に見える事例を、自然淘汰への制約や偶然として見るのではなく、それ自体が自然淘汰の原理なのではないか、むしろ不合理に見える事象のほうが、自然淘汰の原理の結果なのではないのか、という視点を設定していることだ。別の言い方としては、制約として見られてきた不合理が制約ではなかったという検討でもある。その意味では、本書について、環境による制約から生じた不合理な事象を複数均衡のように見るのは誤読であろう。
 またいち一般読者とは、著者が扱ってきた研究の事例がこの点においてかなり詳細に掘り進められていて、その点で、進化生物学者とはどのように生物を考えるのか、ということを示す書籍にもなっていることも面白い。
 こうした説明から、では、不合理を抱えた適合である「すごい進化」とは何か、と言うとき、著者は、「実はいやいや進化してきた」と表現している。ちょっとした修辞のようにも思えるが、この視点は、ダーウィンを悩ませた孔雀の羽についてのアモツ・ザハヴィの「ハンディキャップ理論」とも通底していく。特に異性へのアプローチに無駄が生じるのはまさにその無駄に意味があるとするのである。たしかに人間も含めて生物は「いやいや」見栄を張ってきたようにも思えてくる。
 本書はこうして最終前の第四部で、性進化の問題に入り、有名な「赤の女王仮説」が課題になっていく。その前に、なぜ性が存在するかについてまず遺伝的多様性が言及される。

 遺伝子のシャッフルによる遺伝的な質の向上は、有性生殖の進化を説明する理由として一般には広く知られていますし、直観的にも理解しやすい考え方です。私も高校時代、遺伝的な多様性にもとづいた解説を授業で教わった記憶があります。しかし、この仮説だけでは有性生殖の維持を十分に説明できないことは、進化生物学者の間でよく認識されていることです。(後略)

 かくしてウィリアム・ハミルトンの考えを元にリー・ヴァン・ヴェーレンの「赤の女王仮説」が示される。これについては、ウィキペディアなどにも説明があるだろうからここでは言及しないが、本書を読んで知的な興奮を覚えたのは、実はこの仮説は定説的ではあっても、決定的ではないという点だった。学ぶことは楽しいものだ。私なども、へえそうなのかと感心した。

(前略)現在では、赤の女王のメカニズムだけでは有性生殖の普遍性を説明しきれないというのが大方の進化生物学者の共通認識になっていると思われます。

 ではどうなのか。なぜ性は存在するのか? 進化論の現在はこう語られている。

(前略)というわけで、進化生物学と真剣に向き合っている研究者の前に、いまだ有性生殖の維持は未解決の謎として君臨していたのです。

 本書はそこで終わらず、にもかかわらず、本書らしい説明を与えようとする。簡単に言えば、オスがひとたび生じてしまったらそれにロックインされてしまい、仕方なく維持されている、というものだ。いち読者として当然ながら、ではなぜオスが発生したのかという議論がなければ、それにはあまり説得力は感じられない。それは同語反復にしか感じられない。
 第四部ではこれに続いて擬態について言及し、終章で「収斂進化」について言及する。いくつか関連の事例が挙げられ、また収斂進化についても「普遍性は分かっていません」としているが、率直に言えば、この問題にあえて向き合っていないように感じられた。
 この分野に関心を持ち続けてきたいち読者としての突飛な思いつきではあるが、サイモン・コンウェイ=モリスの「進化の運命-孤独な宇宙の必然としての人間」(参照)などを読むと、自然淘汰の不合理性と収斂進化には恐らくなんらかの関わりがあるように感じられる。
 いずれにしても、この分野での久しぶりの面白い読書だった。本書の注も充実しているので、この分野に進もうとしている初学者の入門にもなるだろうと期待した。

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コメント

最後の段落ですがオスを性染色体ヘテロ個体として考えるのであれば、そういう観点からの論議も有りですが、昆虫などではメスでへテロの種は多数あるので、そういう種ではオスの単為生殖系からメスが生まれたという事になるわけですが、そういうことはあり得ないわけです。
生物研究を行っている感覚からは、進化は合理では無く合目的で進むので、合理的で無いのは当然、ゲノムは後からいろいろなコードが継ぎ足された究極的なスパゲッティコードとして捉えるのが正しいのかなと。

投稿: gasto | 2017.06.15 18:20

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