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2017.06.06

[書評] 聖なる道を歩く 黙想と祈りのラビリンス・ウォーク(ローレン・アートレス)

 先日チャペルの前を通りがかると何か案内の人がいてイベントをしているらしく、聞いてみると「ラビリンス」だという。簡単な説明も受けるがなんのことかわからない。おそらく上座部仏教的な歩く瞑想、あるいは歩く祈りのようなもののキリスト教バージョンではないかと思い、時間もあったのでとにかく体験してみることにした。
 チャペルに入る。薄暗く、見渡すと私以外の人はいない。いくつかキャンドルがともりコプト教を連想させる音楽が流れ、いかにも神秘的な演出となっている。椅子は後方に片付けられ、床に大きな布が敷いてあり、そこに円周を基本にした迷路のような柄が描かれている。つまり、それがラビリンスなのだろう。靴を脱いでお歩きください、とのこと。やはり歩く瞑想であったかなと思う。

via Wikipedia

 ラビリンスの入り口はわかるが出口はない。中央に花の形のスペースがあり、そこが中央で、たぶん、そこに入ったら来た道を引き返せということだろう。
 上座部の歩く瞑想はやったことがあるので、その感覚で歩き始める。特に祈りもしない。一人静かに足長に合わせて歩く。こうした経験をしていると、人によっては神秘的な啓示を受けることもあるのだろうが、私はもうそういうのは嫌だなあとは思っている。あと、音楽はできればヒルデガルドがいいなと思っている。

 大きな布とは言ったものの、円の直径は12メートルくらいだろうか。周も12くらいに見える(11であった)。ゆっくり歩いても数分もすれば中央に辿り着くと思いきや、そうもいかない。意外にこれは遠いものだなあという感覚と、中央に近づいたと思いきや外周側に移るようでもあり、奇妙な感じにとらわれる。
 そうこうしているうちに、学生が8人ほどチャペルに入ってきて順に歩き始める。彼らはラビリンスの経験者なのか私のように初体験者なのかわからない。すたすたと歩く人もいる。私は小さくパニックする。中央に辿り着き、祈ることもないがチャペル内部の空間を見上げる。そのあとの帰路、この全員とすれ違うのかと少し怯えている。そしてその時は来る。相手との適度の間合いに心臓が高鳴り、私のほうから少し脇に反れる。と、相手も自然に反対に反れ、特に問題もなくすれ違う。ほっとして見渡すと、10人ほどの歩みの運動が、迷路的であるせいかランダムにも見えると同時に、これは惑星の暗示でもあるのだろう;かなり古代のデザインなのだろうと思う。
 私は彼らより早く始めたのですれ違いをすべて終えると帰路はまた一人である。そしてこれは、いずれ人生の時間というものの暗示であることは避けがたい。今年60歳になる私は、死という出口に向かう帰路にある。死を当然思う。が、ラビリンスを終えてみて、さしたる感慨もない。神秘的な体験などなにもなくてよかったと思う。
 翌朝のことだった。夢は覚えていないのだが、私はあのラビリンスの中にいるのだという奇妙な感覚があるこに気がついた。言葉では表現しづらい奇妙な感覚である。祈りでも敬虔さというのでもない。呪いといった悪しきものでもない。とにかく不思議な感覚があり、それはそれからもう1週間以上たつのにずっと残っている。
 あれはなんなのだろう。そうした思いからラビリンスについて扱った『聖なる道を歩く 黙想と祈りのラビリンス・ウォーク(ローレン・アートレス)』を読んだ。この本は第2版の翻訳で第1版は1995年。内容は学術的でないがそれなりに興味深い記述も多い(特に13芒星)。基本は著者のアートレスがラビリンスというものを知り、それに向き合い、自身で布ラビリンスを作り、また自身の教会にラビリンスを作る;そしてそのことで多くの人がラビリンスを体験する、というラビリンスの内的なかつ霊的な考察が中心となっている。
 ざっと読んだとき、少し物足りない本だなと思った。主観的すぎるのではないかとも思った。が、自分のあの感覚から再読してみると、なるほど、ああした感覚がこの本の核にあるのだということがわかる。その意味でこの本は、おそらくラビリンスというものの体験後でないと、わかりづらいかもしれないという印象ももった。もっとも、それは個人的な印象に過ぎないかもしれないが。
 またそうして読み込んでみると、ラビリンスというもののと、私も歩み、アートレスも主要に勧めるシャトル大聖堂の11周ラビリンス意匠の特殊性が内的によく記述されていることに驚く。別の言い方をすれば、そこは上座部の歩く瞑想とは異なる面でもある。もっとも彼女もこの本で述べているように、ラビリンスに正しい歩き方はないということは、前提として、ある。(ただ、エニアグラムにも似て古代に失われた秘儀もあったようには思えるが。)

via Wikipedia

 この本に当初、どちらかというと否定的な印象をもったのは、ユング的な記述が目立つこともあった。以前にこのブログにも書いたが、私は中学生の頃からユング心理学に傾倒し、そのため、30代にはもううんざりしていた経緯がある。オカルト的な嗜好も嫌いではないが、嫌悪もある。といったねじくれた心情を私は持っている。
 ラビリンスとは何かという視点からはずれ、霊性の体験記として本書を読むなら、著者のアートレスという女性にも当然ながら関心が向く。以前このブログでも数回書いたが、シンシア・ブジョー(Cynthia Bougeault)とよく似た印象を持った。彼女のほうは女性司祭で、アートレスは参事という違いはあるが、いずれも現在の聖公会がこうした霊的な女性の活躍によって新しい次元に向けて霊性を推進されているようすが感じ取れる。そこは、おそらく、旧教や新教にはない点かもしれない。
 日本では霊性は奇妙な文脈に置かれがちだし、ゆえにあまり語りづらい領域になっている。だが、人の霊性の希求というのはむしろできるだけ適切にその対象を見つけたほうがよいのではないか。そしてそのことに、女性の霊性というのが大きく関わるようにも思える。
 ただ、繰り返すが、こうしたことが語りづらい時代ではある。それでもあえていうなら、このブログのこの記事を見て、ラビリンスを知ってそれが心に(霊の感覚に)少しでも残るなら、体験し、本書を読まれるとよいだろうと思う。
 それはそれとして、ヒルデガルドの音楽なども、もし知らないなら、そうした霊的な感覚に近いのでお勧めしたい。

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