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2017.05.03

『オペラ座の怪人』ミュージカルと映画

 劇団四季の『オペラ座の怪人』の元になっている、アンドリュー・ロイド・ウェバー版の、ロンドンでの25周年記念公演を、メディアでだが、見たいものだと思ったまま日を過ごしていたので、この機会に見た。すでに各方面から絶賛されているが、なるほど、驚くほどよかった。いやあ、こんなすごいミュージカルって見たことないなというくらい、すごいものだった。どうすごいかというと、まあとにかくすごかったよ。

 『オペラ座の怪人』については、アンドリュー・ロイド・ウェバー版をベースにした映画版のほうを先に見ていて、実はあまりピンと来ていなかった。今思うと『ラ・ラ・ランド』(これも先日見ました)のような映画のミュージカルという先入観から見ていたせいか、どうも歌と物語シーンのバランスが悪く、歌も映像も美しいわりに主題のわからない映画だなと思っていた。
 が、ようするに、映画のほうは、すでにミュージカルを見た人のお楽しみという趣向と考えてよさそうだ。自分も、先の25周年記念公演のミュージカルを見てから、再度映画を見たら、なるほどリアル映像っぽくするとこうなるのか、という面白さがあった。以前見たときの映画とは別の映画のようにも感じられた。映画の雪のシーンなどもよかった。そこではミュージカルと異なり、ラウルと怪人の決闘もあったが、演出の差とも言える範囲ではあるだろう。
 映画のほうではあまり気にならなかったが、舞台芸術としてみると、ミュージカルではあるがオペラに近いオペレッタの趣向があり、その意味では現代的なオペラとも考えられる。そしてその時点で、はっと気がつくのが、オペラの中に3つほどオペラがパスティーシュとして組み入れられていることや、またプッチーニ的な旋律や『メリー・ウィドウ』的な20世紀初頭のウィーン的な様相のパスティーシュも感じられることだ。こうした内的に屈折するメタフィクションは、世界とメタ世界の転倒性の関係を表す。その構造的な仕掛けがこの作品にあることの一端は後で触れる。
 さらに歌詞も聞き込んでいると、ミュージカルの流れのなかで、関連して異化的に思われる部分があるのに気がつく。特に、オペラ内オペラの『ドンファンの勝利』の『The Point Of No Return』が興味深い。クリスティーヌがピアンギだと思い込んだ怪人に歌い上げる。

When will the blood begin to race
The sleeping bud bursts into bloom?
When will the flames at last consume us?

いつ、血が流れ込み、
眠っていた蕾が花開くの?
いつ、炎がついには私たちを焼き尽くすの?

Past the point of no return, the final threshold
The bridge is crossed, so stand and watch it burn
We've passed the point of no return

引き返さない地点、最後の一線は過ぎた。
橋を渡り、それが燃え落ちるのを見ている。
もう引き返せない地点を過ぎた。


 解釈は難しいが、オペラ中のオペラとしてメタ的に、怪人とクリスティーヌの性交渉が暗喩されていると見ていいだろう。そしてその性交のスクリプトは怪人によるフィクションとして、そのフィクションの転倒性として、怪人の性欲の情熱がクリスティーヌに転写されている。
 この歌の後、クリスティーヌはそれがピアンギではなく怪人であることをオペラ内オペラから抜け出て知るが、それはだまされというより、劇的な情熱の転倒性の自覚として、自身の性欲望の所在を知るかたちで怪人という他者に向き合う形になる(実は墓に向かうシーンも同時に彼女の性欲であっただろう)。ここはこの作品のずばぬけて美しいところだ。彼女の性欲がたしかに怪人に向かっていたことの自覚である。
 このシーンに続いて、ややマヌケな印象でラウルが登場する。構図的にはラウルは白馬の騎士であり、クリスティーヌと怪人の近親相姦を破る愛の正義として現れるが、物語の暗喩は、そうした肯定的なラウルをも、やはり転倒させる。ラウルの愛の正義を保証するのはただオペラという枠組みでしかない。世界のお決まりということである。そこにはキリスト教的な意味での「肉」の欲情を超えるほどの愛はない。
 そもそもなぜ怪人はクリスティーヌを愛せないのか? 擬似的な父母の近親相姦性と醜さのふたつが重なるが、この醜さは、怪人が生まれついたものであり、それがこの世のお決まりと他者の関係で「肉」の欲情を阻む。かつゆえに、至上の音楽性で愛が彼の中に仮構される。
 これは相当にやっかいな、実存的な問題を持っている。私たちの大半は、こうした怪人を内的に潜めながら生きているからである。

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