« 2016年2月7日 - 2016年2月13日 | トップページ | 2016年2月21日 - 2016年2月27日 »

2016.02.19

自民党・丸山和也参議院議員の「失言」は英語でどう報道されたか?

自民党・丸山和也参議院議員の「失言」が話題になっている。この件についてはあまり関心を持っていなかったが、いろいろと話題になっているふうでもあるので、少しあとから追ってみた。まず、なにが「失言」で、なにが問題なのか。

対比用に国内報道としての朝日新聞報道の確認

問題として「角度を付けて」報道した朝日新聞「自民、止まらぬ失言・不祥事 谷垣氏「すぐペケが付く」(参照)を見てみよう。

 安倍内閣の閣僚や自民党議員の不祥事や失言が止まらない。丸山和也参院議員が参院憲法審査会で「米大統領は黒人。奴隷ですよ」などと発言。野党3党は18日、丸山氏の議員辞職勧告決議案を参院に提出した。甘利明前経済再生相の辞任や宮崎謙介前衆院議員の辞職ショックが冷めやらぬ中、政権は火消しに追われている。

 「いかようにも抗弁できない。外交関係にも影響しかねない」。18日の衆院予算委員会で、民主党の神山洋介氏は丸山氏の発言を厳しく批判した。菅義偉官房長官は「政治家は常に自らの発言に責任を持って、国民の信頼を得られるよう説明を果たしていく責任がある」と防戦に追われた。

 丸山氏は17日の参院憲法審査会で「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」などと発言した。安倍政権がもっとも重視する同盟国・米国の指導者に対する人種差別にあたる恐れがあり、政権幹部は「どう考えても正当化できない。陳謝、陳謝、陳謝だ」と沈静化に動いた。

 民主や社民、生活の野党3党は、丸山氏の議員辞職勧告決議案で「看過できない」と指摘。自民側は、丸山氏を参院憲法審査会の委員から外し、18日夕の幹事懇で、丸山氏の17日の発言を大幅に議事録から削除することを提案。同氏は「人種差別の意図はない」と謝罪した。幹事会後、野党の批判について「正直言って、あきれている。人種差別を乗り越えてきた米国は素晴らしいと言うことが批判されるのは不条理」と語り、議員辞職を否定した。

朝日新聞報道による曖昧性

朝日新聞によると問題は、「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」などと発言し、米国の指導者に対する人種差別にあたる恐れがあり、ということだ。つまり、米国の大統領を「これ」呼ばわりして、「奴隷」としたので人種差別になる……かもしれないというのが朝日新聞としての失言問題のようだ。

「かもしれない」としたのはのは、朝日新聞報道にある「などと」と「恐れ」という部分を汲んだもので、そこの報道意図がよくわからないせいである。

「恐れ」とした朝日新聞としては、もしかすると、これは人種差別ではないかもしれないという含みを持たせているのだが、それはなぜだろうか?

「黒人は現在でも奴隷である」というなら人種差別以前にただの馬鹿発言だし、「大統領は奴隷だ」というなら侮辱発言としてもいいだろう。「人種差別」という焦点はわかりにくい。「黒人には大統領になる能力はない」というなら、これは単純に人種差別発言である。丸山議員はそう述べたのだろうか?

丸山議員のオリジナル発言の確認

「などと」という朝日新聞の表現も気になるところで、含みは、実際の発言にはさらに追加があったと理解してよい。つまり、文脈から朝日新聞が「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」だけ焦点化して取り出したということだ。では、オリジナルの文脈と全文を検討してみる必要がある。

該当部分を書き起こしてみた。
 


馬鹿みたいたいな話だと思われるかもしれない。かもしれませんがですがね、例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。で、リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権もない。何もない。マーティン・ルーサー・キングが出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。でもですね、まさか、アメリカの建国、当初の時代に、黒人奴隷がアメリカの大統領になるとは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックの変革をしていく国なんです。

 朝日新聞の報道とくらべてみる。

  • 朝日新聞報道 「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」
  • オリジナル発言 「アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。」

朝日新聞の報道では、オバマ大統領を「これ」呼ばわりしてしているふうに受け止めやすいが、オリジナルでは、「これ」が示すのは、文脈上直接は「黒人の血を引く」ことになっている。好意的に解釈すれば、「アメリカはかつて奴隷であった黒人が大統領になりうる」というふうにも読める。

朝日新聞の論点背景

丸山議員発言を「アメリカはかつて奴隷であった黒人が大統領になりうる」と好意的に読むなら、今回も朝日新聞としては「角度を付けた」報道にはならなかっただろう。というのは、朝日新聞は、2009年「「イエス、ウィー・キャン」オバマ氏が勝利宣言」(参照)でこう報道していた。

 奴隷制度という過去を持ち、人種問題を抱える米国が、奴隷の子孫ではないものの、アフリカ系(黒人)の大統領を選んだ歴史的な選挙となった。

つまり、朝日新聞としては、奴隷の子孫が大統領になるという言及では問題でない。すると、オバマ大統領を奴隷の子孫と間違えたという点で丸山議員発言を「失言」とし、問題視したことになるだろう。繰り返すが奴隷の子孫が大統領になることには朝日新聞としては問題ないわけである。

これは人種差別の失言というより、丸山議員の無知ということのようには思われる。なお、やや文脈は異なるが、オバマ大統領が奴隷の子孫であることはDNA研究から示唆されている。2012年の朝日新聞「オバマ大統領の祖先「米国最初の奴隷」 家系図調査」(参照)より。

オバマ米大統領は、実は米国で最初の奴隷の血をひいていた――。DNA分析や古文書の調査によって判明したと米家系図調査会社が発表した。白人の母の12世代前の祖先が、米史上最初に終身奴隷となったアフリカ系男性だという。

 家系図調査会社のアンセストリー・ドットコムによると、カンザス州生まれのオバマ氏の白人の母親から12代さかのぼると、ジョン・パンチ氏というアフリカ系男性にいき当たる。米独立前のバージニアで年季契約召使の身分から逃亡しようとして失敗、罰として1640年に終身奴隷とされた男性で、記録に残る最古の例という。パンチ氏は白人女性との間に子がおり、その子孫が「白人地主」として成功した。

 2008年の大統領選では、オバマ氏が「奴隷の子孫ではない」ことで、アフリカ系有権者の間には一時、支持をためらう声も出ていたとされる。

丸山議員の文脈とは異なるが、DNA分析を含めたという意味で、科学的には、オバマ大統領は奴隷の子孫と言ってもよさそうだ。また、オバマ大統領の選挙戦ではむしろ、「奴隷の子孫ではない」ことがマイナスの要因であったことも朝日新聞は伝えていた。

CNN報道の例

前段が多くなってしまったが、今回の「失言」が欧米圏ではどのように報道されただろうか? 

まず読みやすい事例としてCNNの日本語報道があった。「丸山和也議員、オバマ大統領についての「黒人奴隷」発言を謝罪」(参照)

(CNN) 自民党の丸山和也参院議員は、オバマ大統領を奴隷の子孫だとした発言に関して、誤解を招くものだったとして謝罪した。
丸山議員は17日の参院憲法審査会で、「いまアメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」と発言した。
この発言は日本の憲法改正を巡る論議の中で飛び出した。丸山議員は米国の「ダイナミックな変革」を引き合いに出し、「アメリカの建国、あるいは当初の時代に、黒人、奴隷がアメリカの大統領になるなんてことは考えもしない」と力説していた。
オバマ氏は初のアフリカ系米国人の大統領だが、奴隷の子孫ではない。父はケニア人、母はカンザス州出身の白人だ。
丸山議員の発言は人種差別的と見なされ、審査会後の記者会見で同議員は「誤解を与えるようなところがあった」として謝罪した。
丸山議員は19日、CNNの電話取材に応じ、自らの発言によってオバマ大統領と米国国民に不快な思いをさせたことを申し訳なく思うと述べた。その上で、発言に人種差別的な意図はなく、人種差別を乗り越えた米国の偉大さに言及しようとするものだったと説明した。

CNNは朝日新聞報道に似て、「丸山議員の発言は人種差別的と見なされ」たとして判断を避けている。

CNNのオリジナル報道はわからなかったが、英語でどのように理解されているかという点では、CNN「Japanese lawmaker apologizes for Obama 'black slave' remark」(参照)が表題からでもわかりやすい。つまり、日本の議員が「オバマを黒人奴隷」としたということである。丸山議員の発言は英語で表現されている。

"In America, a black man became president. I mean, he's in a bloodline of black people who were slaves," Kazuya Maruyama, a lawmaker from the Liberal Democratic Party (LDP), said Wednesday, during a meeting of the Upper House constitutional panel.

該当部分を訳すと「アメリカでは、ある黒人が大統領になった。私が言いたいことは、彼は、奴隷であった黒人の血筋にある」ということになる。

こう英文で表現されると、朝日新聞報道のような曖昧さはなく、つまり、オバマ大統領を黒人の血筋とした、という発言になる。また、「Obama, the first African American U.S. president, is not a descendant of slaves. He's the son of black father from Kenya and white mother from Kansas.」とも述べ、事実の誤認を確認している。

しかし先に引いた2009年の朝日新聞報道にもあったように、オバマ大統領が選挙戦の際は、そうした血統がないことはデメリットともされていた。

CNN報道の「角度の付け方」

では、CNNはどのようにこれに「角度を付けて」報道したかというと、原文では丸山議員の発言についてCNNとしての考察はなく、テンプル大学のカイル・クレイブランド(Kyle Cleveland)教授による日本の保守派論に移っている。つまり、行間を読むの類である。

"This isn't just one particularly racially outrageous thing that he said about Obama, but it represents a certain kind of nationalism that this generation of politician holds," Cleveland said.

つまり、これは単にオバマ大統領について語られた、とりわけ人種差別の怒りを招く一発言ではなく、この世代の政治家が有しているナショナリズムの一種を示している、とクレイブランド教授はいうのである。

ごくあっさり言えば、クレイブランド教授も丸山議員の発言それ自体は人種差別発言としてはことさらに問題視していない。

BBC報道の例

BBCは日本語サイトを持っているがここでは該当記事は見当たらなかった。

英文のBBCの報道では、CNNとも似て、日本で話題になって以降の安倍首相の対応に焦点を当ていて、失言問題そのものへの言及はあまりない。とはいえ「Japan's Shinzo Abe rebukes MPs after Obama 'slave' remark」(参照)より、該当部分の英文を見てみよう。

"Now in the United States, a black man serves as president. With the blood of black people. This means slaves, to be clear."

いわく、「いまや合衆国では、黒人が大統領として職務にあたっている。黒人の血を持ちながらである。このことの意味は、端的に言えば、奴隷ということだ」。

CNNの英訳では、奴隷であったことは過去として”who were slaves”としているが、BBCの英文では、現在なお奴隷だという響きを持っている。実際、丸山議員のオリジナル発言では「アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。」となっているので、現在への言及でもよいようだが、「血を引く」という表現には子孫の意味合いがあるのに対して、”With the blood of black people”は現在の人種状況を指しているように受け取れる。これだと黒人の血に焦点を当てたかたちで人種差別になる。BBCとしては、人種差別の話題としての「角度を付けて」報道したのかもしれない。

時事の英文報道の例

CNNやBBCは日本について直接報道することがあるが、時事や共同を介することが多い。共同はAPと同じことが多い。

時事で該当部分を見てみよう。「Japanese lawmaker calls Obama descendant of black slaves」(参照)より。


“In the United States, a black man has become its president. I mean, he is in a bloodline of black people, who were slaves,” Kazuya Maruyama said during a session of Upper House Commission on the Constitution.

CNNと同じ表現がある。おそらく、CNNは時事を引用したのだろう。

共同の英文報道の例

共同で該当部分を見てみよう。DP Diet member apologizes over remarks about U.S. President Obama」(参照)より。

TOKYO (Kyodo) -- A Diet member belonging to Prime Minister Shinzo Abe's Liberal Democratic Party apologized Wednesday over remarks he made about U.S. President Barack Obama, calling him black and adding that blacks are descendants of slaves.

"Now the United States has a black president. (He) is of black origin. That means slaves," Kazuya Maruyama, the head of the LDP's judicial affairs division, said during a session of the House of Councillors commission on the Constitution.

共同の英文で丸山議員の発言とされているのは、「今や合衆国では黒人が大統領になっている。彼は黒人の起源である。これは奴隷だという意味だ」となる。つまり、共同が世界に報じた内容は、黒人ならすべて奴隷であり、こうした奴隷が今や合衆国の大統領だということで、わかりやすく黒人差別という「角度をつけて」報道している。

APの英文報道の例

APで該当部分を見てみよう。「Lawmaker Maruyama criticized for linking Obama to slaves」(参照)より。

"Today, America has a black person as president. A person who inherits black people's blood. Frankly speaking, they were slaves," he said Wednesday, then went on to explain how civil rights improved in the United States. "Back at the beginning of U.S. history, it would have been unthinkable that a black person, a slave, would become president. That's how dynamic a transformation this country makes."

APの共同の英文で丸山議員の発言とされているのは、「今日、アメリカは黒人を大統領に持っている。黒人の血を継いだ者である。率直に言えば、彼らは奴隷だった」ということで、奴隷を過去として、その血統を継いだという点も明確にしている。加えて、その次の文で市民権に言及している。

AP記事だが別サイト(参照)で見ると、山口真理記者の記事である。

AFPの英文報道の例

AFP報道の全体を見渡したわけではないが、訳出の一つの典型例として、「Japan ruling party on defensive over Obama "slave" comment」(参照)が興味深いものだった。

"Now in the United States, a black man serves as president," Maruyama told lawmakers on Wednesday, adding that Obama "carries the blood of black people.

"This means slaves, to put it bluntly."

He then described as "unthinkable" at the time of the founding of the United States more than two centuries ago the idea that a black man could become president.

英文の表現を見れば明白なように、これは実質BBC報道を焼き直している。

ロイターの英文報道の例

ロイターも署名記事を出していた。「JAPANESE PRIME MINISTER SHINZO ABE CRITICIZES MP’S OBAMA ‘SLAVE’ COMMENT」(参照)より該当部分を見てみよう。

“Now in the United States, a black man serves as president. With the blood of black people. This means slaves, to be clear,” he said, according to the BBC. Maruyama then added: “It was unthinkable at the founding of the country that a black man, a slave could become president. That's how dynamically America has evolved.”

明確にBBC記事の孫引きだということがわかるように良心的に書かれている。率直に言って、この件ではそれ以上の考察は必要ないだろう。

英文報道の精度

ざっとした印象では、APの英文報道がもっとも精度が高いようには思われた。日本語にも精通したスタッフを有しているメリットが現れた形になっている。

CNN報道はおそらく時事からの孫引き報道で、記者は日本語の能力はそれほど高くはないように思われる。時事に関連していうと、日本の英文紙として参照されやすいジャパンタイムズだが、この報道については時事を採用していた。時事の報道に不正確さがあれば日本についての話題は、ジャパンタイムズから伝搬する経路がある。

BBCの報道は共同や時事と独立していたが、意外にも、精度の高いものではなかった。扱いも、内閣問題となってからの二次的影響の視点に立っていた。

今回のBBC報道の不正確さが、ロイターやAFPにも伝染している様子が見られる。この点は、海外報道の伝搬についての従来の傾向からすると、やや意外に思われた。というのは、ロイターやAFPは独自の報道機関の矜持を持っているからである。日本に対する国際世界の関心の薄れの反映かもしれない。そもそも、日本語に精通した記者を十分に日本に配備していないのだろう。

BBC報道は従来の他分野で見ると日本についての報道精度は高かった。そうした報道の精度が維持ができるかは今後も注意が必要になる。

フランスに拠点を持つAFPは英語圏とは異なった独自の報道網を持っているし、日本においても優れたスタッフを擁しているので、BBCに影響された今回の報道は少し残念に思われた。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.02.16

荒地派と三島由紀夫

戦後詩を形成した荒地派の生年をスペクトラムとして見ると、おおよそではあるが、大正8年の黒田三郎から大正13年の吉本隆明くらいの、5年くらいの幅がある。彼らが戦後を迎え、「荒地」を形成するころの20代以降では、彼らのなかではそれほど大きな年齢差としては意識されなかったのではないか。が、実際のところ、そのスペクトラムに出征の有無がある。

今、たまたまではあるが、世界大百科事典を覗いたら、「荒地」について「鮎川、加島祥造、北村太郎、木原孝一、黒田三郎、田村隆一、中桐雅夫、三好豊一郎ら戦争体験を経たモダニズムの詩人たちがこの雑誌に結集し」とあり、そこでは「戦争体験」として一括されていた。間違いだとは言えないし、そこで出征経験の有無が差異として強く問われたこともなかっただろう。またおそらく、彼らの多くが戦後、海外文学の翻訳者として関わっているように、西洋的なモダニズムの基礎があり、それにがドメスティックな戦争観からは少し距離を置かせたかもしれない。

それでも出征の有無や戦地体験は、戦争の意味や感触に微妙な差異としてあっただろうと、彼らを見ていて私などには感じられる。特に吉本隆明に顕著だが、彼には、戦争は当時の少年期の課題として意識され、現実の軍という集団の生活経験は不在である。戦争についても理念的な構成的な理解になる。そしてそこには、これも微妙にではあるが、その経験のなさということの負い目のようなものが感じられる。例えば、吉本隆明については、山本七平との対談などでの、ある種のこわばりが感じられた。山本側からすると、吉本についてはあまり関心がないようでもあったが、それも戦争実体験を基盤とする共感のなさに思えた。

こうした、わずかとも言える大正後期の生年のスペクトラム、あるいはその最後に大正14年生まれの三島由紀夫がいる。彼も改めて見直してみると、西洋的なモダニズムの詩の少年期を過ごしている。学習院の初等科から詩をその学内誌に発表し、高校生時代には熱心に詩を創作している。なにより30歳ころに書かれた自伝的作品『詩を書く少年』が示すように、自身でも詩を書く少年として理解していた。その意味で、少しの差異で三島由紀夫も戦前のモダニズムの気風にあった荒地派をなぞっている。もちろん、三島由紀夫はこの作品が示唆するように詩人にはならなかったし、そこには戦争の影響が直接問われているわけではない。

それでも荒地派のスペクトラムのなかに参照として三島由紀夫を置いてみると、その構図からは吉本隆明に近い。両者は、実際のところ戦争に遅れたモダニズム詩の少年として、戦後は詩の言葉の空転からイデオロギーとしての社会認識に転換していった。黒田三郎や北村太郎とは逆の方向であり、たまたまなのか、性と他者の対峙のあり方も理念的・美的にずれていく。

現在cakes向けに書いている隆慶一郎論も大正12年生まれで、アルチュール・ランボーなどフランス象徴詩に傾倒した少年期を送っていた。彼の場合は、直接小林秀雄の影響もあった。小林秀雄は明治35年生まれ。「荒地」の元になったエリオットの詩も荒地派には、明治27年生まれの西脇順三郎を経由している。そのあたりの生年に、「詩と詩論」がある。

cakesに黒田三郎論を書いたおり、黒田が詩壇に躍り出て村野四郎との関係に悩む風景を見たが、黒田などからすれば、「詩と詩論」のモダニズムと自分たちの差異は大きく感じられたのだろう。逆に、「詩と詩論」のモダニズムから太平洋戦争がどう見えたかというのも、改めて気になる。

というのも、最近思うのだが、現在、老人とされている世代がせいぜいのところ昭和8年世代くらいであり、むしろ、明治時代からのモダニズムから一端途切れ、戦後文化として形成された潮流にある。そこではあたかも、「戦争」の意味合いが、近代文学的な系譜とは別系譜的に創作され、そしてさらにその創作のうえに現在の「戦争」観が乗っかっているように思えてならない。あるいあ、そうした中では、荒地派の出征のスペクトラムはちょうどその微妙なつなぎの意味を持っているように思える。

 
 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2016.02.15

荒地派のスペクトラム

「荒地の恋」に何気なくという感じで北村の話相手として加島祥造が出てくる。原作でもドラマでも。それは荒地派詩人であることと彼の妻だった最所フミを介して、鮎川信夫との物語にも接続するのだが、こうした荒地派詩人としての詩人たちの時代は、もう終わってしまい、あまり顧みられないように感じられる。そういう時代になったのだなと思う。

まったく顧みられないわけでもない。むしろ北村太郎や黒田三郎は、その詩のある普遍性から現代において小さくリバイバルしているようでもある。かく言う私もcakesに黒田三郎について書いた(参照)。黒田三郎を古典として再考したいという思いには、微妙に戦争と戦後というものの感触に関わる部分がある。

こういうとやや勇み足な言い方にはなるが、戦後という知的空間の一部を占めていた「現代詩」が現在どうなっているのか私はもうほとんど知らないのだが、概ね終わったのではないか。

そうしてみると、「荒地の恋」のモデルを懐かしく思い出しながら、荒地派=戦後詩、というより、戦前のモダニズムと戦時の体験をどことなく感じた。黒田三郎も戦前には日本の代表的なシュールレアリスム作品を書いていた。

物語にも北村太郎が通信隊であった逸話はあった。戦地経験はないものの、大正11年生まれの彼には海軍に所属した経験はある。大正12年生まれの田村隆一はというと北村太郎とほぼ同年でありながら軍隊経験はないようだ。(追記:学徒動員で出征し海軍航空隊に配属)北村らより年長で大正8年生まれの黒田三郎はインドネシアで招集されたが彼とても戦地経験というのでもなさそうだ。黒田より一つ下大正9年生まれの鮎川信夫は出征しスマトラに送られたが傷病兵となり、終戦を迎える。さらにその一つ下大正8年生まれの中桐雅夫は兵役逃れで日大に入っている。

こうした並びで見ると、吉本隆明はさらに若く、軍の経験はまったくない。とはいっても彼が大正13年生まれである。冒頭の加島祥造だが、吉本隆明より一つ上、大正12年生まれで、田村隆一と同様、軍経験はない。現在cakes向けに執筆中の隆慶一郎は大正12年生まれだが入隊して中国に送られた。詩人ではないが私が傾倒した山本七平は大正10年の生まれで、かなり過酷な戦地経験を持った。漫画家・水木しげるは大正11年生まれだが出征し、ラバウルで左腕を失った。

荒地派の詩人の世代に戦前のモダニズムと軍経験と戦後世代がある。山本七平や水木しげると対比すると、戦地での強い経験はない。こうしてスペクトラムで見ると、田村隆一はまさに戦後の文化人の第一世代だったと言っていいだろ。そのあと、いわゆる昭和8年組的な一つの世代の山があり、このあたりが現在80歳で、かろうじてネットなどで可視になる「老人」であろう。しいて言えば、戦後第二世代ともいうべき世代が現在日本で到達できる限界かもしれない。

戦争体験を忘れてはならないと戦後言われ続けてはきたが、戦地体験に裏付けられた感覚としてはもう生活の延長からは消えてきている。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2016.02.14

[書評] 「荒地の恋」(ねじめ正一)

いつからか文学賞というものには関心を失った。新しい作家のメディア的な登場やベテラン作家の新作などにも概ね関心なくした。ねじめ正一の作品はどうか。詩については彼が各種文学賞を取る以前の作品から知っていた。吉本隆明の講演集などをよく出していた弓立社『脳膜メンマ』も当時に読んだ。『高円寺純情商店街』のような小説を書くことも知っていた。村上春樹と同年代なので、つまり彼らが三十代前半だったころから知っていた。概ね私より10歳年上の世代である。それでもねじめさんの作品にはそれほど関心もなく、彼の書いた『荒地の恋』も知らなかった。そうした間抜けな状態で、5回ものにドラマ化されたものをぼんやり見始めた。落とし穴に落ちたように引きずり込まれた。

見始めは、田村隆一と北村太郎の痴話話というのも面白いかもしれないというくらいの思いだった。冒頭、朝日新聞勤め北村と鮎川信夫が、鮎川の外車に乗っている光景は、あの時代の記憶のある自分には懐かしい。反面、作り物のような映像には奇妙な滑稽さも感じた。その滑稽さの地続きで鮎川を田口トモロヲが演じているのだなと気になった。北村太郎を豊川悦司(トヨエツ)が演じる違和感よりも強かった。

田村隆一は「孤独のグルメ」の松重豊が演じていた。そのせいか、ずれたような滑稽さを覚え少し苦笑したものの、松重の口調は、私が知っている生前の田村隆一そっくりだった。松重は田村のはまり役に思え、ぐっとドラマに捕らわれた。全体を見終えてからも、松重の田村は印象深く残った。そのあと原作も読んだが、田村隆一を描くという点では原作よりも良かった。

背景を知らない人のためもあってか番組の紹介には、若作りを際立たせた鈴木京香の肩をトヨエツが抱くポスターふうの写真がドラマの表紙のように使われていた。原作の文庫のカバーもそれになっていた。なんじゃこれはと思ったが、そういう趣向、不倫恋愛ものというのだろうか、その興味で見ても良い映像には仕上がっていた。トヨエツと鈴木京香のカラミはなかなか綺麗に仕上がっていた。

北村太郎をトヨエツが演じるのかあという違和感は、田口トモロヲの鮎川よりも長く続いた。それでも北村については原作とモデルの年齢差の違和感は微妙にない。トヨエツも50代を迎えるからだろう。物語の始めの北村の年齢とほとんど同じである。そして、トヨエツは、男というものがわかる女ならこれはかなりぐりぐりと来るほどの色気があるだろう。羨ましくも思う。他方、鈴木京香の色気は、好きな人もいるだろうが、さほどでもない。が、高田博厚のお嬢さんらしい奇矯さはよく演じられていた。次第にこれもはまり役だったと納得する。余談だが、高田博厚の没年が気になったので調べたら昭和62年で、物語にちらほらと言及される理由に納得した。

鮎川のシーンに、いかにもインテリ風の老女が登場するが、微妙に役者に見覚えがあり、気になったて調べると、りりぃであった。恥ずかしながら、十代の私はりりぃのファンでもある。その感慨もあったが、つまりこれは、最所フミなのか。これもなかなかのはまり役だった。ドラマの後半では、鮎川と最所の関係は上手に描かれていた。そしてよく見ると、加島祥造も上手に登場していた。

その当たり、原作はどうなのだろうと確かめるように読んだが、最所については北村との関わりのなかできちんと描かれてはいたが、原作では「荒地の恋」という表題ではあるものの、荒地派群像の恋という広義の含みは弱かった。この点も脚本のほうがよく練られていた。余談だが、原作を買ってから、たまたまアマゾンの読者評を見たら猫猫先生が毎度のユーモラスな酷評を付けていて、いわく、ねじめ正一は会話が下手だとある。まあ、猫猫先生に異論を述べる蛮勇は私にはないが、原作の会話の大半は脚本に取られていて不自然感はなかった。

ドラマの評のような話になってきたが、北村の妻役の富田靖子も好演だった。映像では赤い靴下を強調しているので原作に対応があるかと気になったが、そうでもない。他にも、ドラマは映像配色は光景の切り取り方が美しかった。なかでも後半、老いていく北村が見る墓地の光景も美しい。きれいな映画を見た感も残った。

物語は後半、北村の若い恋人に焦点を当てていく。この老人と若い女性・阿子の性の関わりはとても面白い。作者ねじめさんの性を見つめる視線と言葉の運びに独自のエロスが感じられる。ドラマもここは上手に映像的に描いていた。村川梨衣という女優については何も知らなかったが、演技もうまくエロスの見せ方もよかった。田村の若い愛人役の前田亜季との演出の対比もよかった。

阿子という女性が実在したのだろうかというのは、原作を読む強い動機になった。自分の趣味からいえば、荒地派詩人の群像の恋愛劇への興味もあるが、小説としてみれば、老いた詩人と若い女性の性の関係を前面に描く作品のほうが興味がある。そうした思いのせいか、阿子の描き方には、原作もドラマもやや微妙なものが残った。モデル小説としての限界かもしれない。原作では阿子に北村の最初の妻の重なりを心象として描いていたが、ドラマでは出会いがしらの手へのくちづけという動作に変えた。この出会いのときにすでに阿子は既婚であったのだろうか。

原作では後半、田村の存在は背景に消えていき、北村の老いの内面に焦点を当てていく。上手に描いてはいるが、本当に老いた詩人の内面まで肉薄しているか、もう一つもどかしさも感じた。北村太郎という詩人の悪魔性のようなものにまではまだ十分に近づいていないようにも思える。この作品を書いたころのねじめ正一さんの年齢はだいたい今の私くらいなので、なんというのか、ようやく男の性の老いのとば口に立っているという限界のようなものがあったのではないか。


| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年2月7日 - 2016年2月13日 | トップページ | 2016年2月21日 - 2016年2月27日 »