« 2016年9月11日 - 2016年9月17日 | トップページ | 2016年9月25日 - 2016年10月1日 »

2016.09.19

[書評] 最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常(二宮敦人)

 中三女子がサブカル風でカラフルなペーパーバックスの本を夢中になって読んでいるので、何?、ときいたら、本の背を見せてくれた。『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常 二宮敦人』(参照)とある。
 東京藝大の学生のルポルタージュ。そのテーマだけで面白いのだろうなと推測できる。ふと『もやしもん』も連想する。ヤボを承知の上で、「面白い?」ときいてみると、「面白い」と答えてくれたのだが、すでに読書に夢中でさらに話をしてくるふうはない。読後にまたきいてみるかと思ったが、数時間後には読み終えていた。「読む?」と私は聞かれる番である。「読むよ」と受け取る。
 読んだ。面白いを通り越して、若い人には劇薬的な本だった。自分が中学生のころにこれを読んでいたらやばいことになっていた、かもしれない。この本に描かれる東京藝大生の純粋でフリーダムな生き方に、確実に魅了されていただろう。
 若いってこういうことができる時代だよなと思う。が、実際には池田理代子『47歳の音大生日記』(参照)のように年配者もいないわけではない。それでも総じて東京藝大生は、普通の社会から見たら副題にあるように「天才たちのカオスな日常」と言えるだろう。
 この本が書かれた理由は読み出すとすぐにわかる。著者・二宮敦人の妻が現役の東京藝大生だからである。話は冒頭、ふたりの生活の奇妙な挿話から始まり、東京藝大生ってなんだろうという疑問から、各分野の東京藝大生へのインタビューを元に彼らの姿が描かれる。
 東京藝大生は、もとから芸術の天才肌の学生ばかりということもあって、その考え方や生き方は面白い。だが読み進めて、私なりにしみじみ思ったのだが、東京藝大生は自分から遠い芸術専攻の若者だ、というより、自分というものに純粋な生き方をしていたらそこに辿り着くしかなかった人たちだろうという印象を持った。
 例えば、著者の妻は家族旅行でフランスのルーブル美術館に行ったおり、ニケ象をただ5時間も見ていたという。そういう人の心の核のようなものに、人はどれだけ忠実でいられるだろうか。
 本書は3章以降、各分野の学生とのインタビューを通したルポルタージュになるが、そのなかでヴァイオリニストの女性は、中学生のときいじめに会い、死の間際まで追い詰められたとき、ヴァイオリンの響きだけで生きのびることができたと話す。ヴァイオリニストの多くがヴァイオリンを弾くために肉体が変化していくという話題もある。彼らにはヴァイオリンが生きるための器官でもあるのだろう。
 面白いと感じられるこうした、東京藝大生の生き方・考え方という前景から少し離れてこの本を見直すと、東京藝大という大学のあり方、ひいては日本と芸術というあり方が大きな絵柄となって現れる。
 東京藝大は、美大と音大の二面を持つがそのどちらにも日本の伝統を抱えていて、若い日本人がそこに自然に魅了されている。日本の文化そのものが伝承されてかつ今も生きている様子が、まさに生き生きと見て取れる。
 個人的に少し意外に思えたのは油絵専攻だった。油絵というのは日本の伝統としては明治以降になる。いわば西洋近代が日本近代に接ぎ木されたような芸術分野であり、クラッシック音楽と同様にハイソサエティの添え物のように存在していた。新しい表現もあるがそれでもすでに行き詰まった芸術分野のように思えていた。そういう認識でよいのか間違っているのかわからないが、東京藝大の油絵専攻は2年生までは油絵にとらわれずなんでもアリらしい。いちど何でもアリというのを体験することが現代油絵でもあるのだろう。
 ここで私は個人的な事を思い出す。子供ころ谷本重義さんに絵や工芸を習っていたのだった。アトリエを覗いたとき、ボロック風の試作品を見たことがある。そういえば……と、自分の人生に少しばかりでも関わった芸術家さんたちのこともこの本を読みながらいろいろ思い出しもした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2016年9月11日 - 2016年9月17日 | トップページ | 2016年9月25日 - 2016年10月1日 »