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2016.04.09

英文和訳という英語勉強法

先日、といっても一か月以上前になるが、「どうやって英語勉強したらいいか?」と聞かれて、「基本的な文法を理解して、語彙もある程度あるなら、英文和訳をするといいよ」という話をした。聞いたほうは、うへぇという顔をしていた。示し合わせたようにそのころツイッターで同種の話題が流れてきて、そこでは、英語力を高めるなら英語を和訳して考えるのではなく、英文は英文のまま理解することだ、という意見があった。違うと私は思った。

もちろん、いろんな議論があっていい。ただ、英文和訳というのは、いい英語の勉強法だと思う。なぜかというと、英文をどう理解しているかを文法に沿ってフィードバックできるからである。

これ、どうも、このこと自体理解されないみたいなので別の面から補足すると、英文を英文として理解するというのは、それはそれでもいいのだけど、その英文の理解が正しいことをどう了解するか。つまり、間違った理解をしていたら、それが間違いであったことをどのようにフィードバックするか、が重要なのである。

学習というのの大半のプロセスは、

   学ぶ⇛確認する⇛間違いを見つける⇛間違いをフィードバックする⇛学ぶ

というふうに成り立っている。

英文を英文で理解するというとき、問題はその理解の正否をどうフィードバックさせるかという点にある。普通これは、別途パラフレーズしたチェック用の短文英文でテストする。「以下の文章で本文と合わないのはどれか?」みたいな設問になる。これは入試や資格試験ではいいけど、学習プロセスにあるときにはあまり役に立たない。

英文和訳だと、わかっていないと訳せないし、わかったつもりでも答えと突き合わせばどこが間違いかわかる。つまり、英文和訳というのは、自主学習のフィードバックにとても向いている。

以上の説明からもわかるように、英文の他に正しく和訳された解答が必要になる。さらに言えば、その学習者に見合った難易度の英文であり、かつ、学習時間に適した教材がよく、英文そのものが興味深いほうがよい。いわゆる英語教育の「ため」の学習教材というのは、学習の第一原理である動機に結びつかない。そもそも内容のつまんない英文など読む気力が失せる。

というわけで、なんかそれっぽい教材はないかと立川に出来たジュンク堂で探してみた。いや、あきれるほど英語教材がある。戸惑ったのだが、そうしてみると、なんというのか、適切な英文和訳教材というのは私の見る限りなかった。学参も見たがあまり適していない。

時事英語とかはどうかと思ったが、いまいち。そういうなかで、妥協ではあるが、『海外メディアから読み解く世界情勢 (日英対訳) 』というのを二冊買った。もう一冊は冒頭、勉強法を問う人にあげるため。

内容はこんな感じ。

海外ではトップニュースでありながら、日本国内ではあまり大きく報じられなかった時事問題の数々!

今の世界情勢を把握するためにもしっかりと理解しておきたい時事問題を、海外メディアはどのように報道したのか?本書ではその内容を日英対訳で詳細に解説。最近の時事英語で必須のキーワードもしっかり学べます。英語だけではなく、海外情勢の読み解き方も、山久瀬洋二がお教えします。

第1章 中東問題
第2章 テロ問題、そして諜報活動
第3章 アメリカ外交と世界
第4章 アメリカの社会とビジネス
第5章 世界からみた戦後処理、歴史認識
第6章 アジアの課題
第7章 ヨーロッパとEU
第8章 世界一般
第9章 世界の目でみた日本

内容(「BOOK」データベースより)
海外ではトップニュースだったのに、日本では大きく報じられなかった時事問題の数々―「知らなければ、海外でバカにされてしまう世界の動き」を異文化コミュニケーションの泰斗、山久瀬洋二が精選・解説!

そう言われると、著者の山久瀬洋二さんが英文を書いたように思われるが、ざっと書店で読んでみた感じだと、国際政治などを学ぶ米国の院生が書いたような英文だった。なんというか、文章を書き慣れていない英語ネイティブが使いそうな英文らしい印象だし、なにより、ダングリングというか、英語ネイティブが多用するぶら下がり構文が多く、英語の勉強に向いている。例えば、300文字で一文みたいな文章がある。訳しにくいので、かえって和訳の勉強になる。

で、この作業、英文和訳の学習だが、一か月ほどして終えた。

終わってみた実感で言うと、この英文はどうも日本文から翻訳されものではなさそう。では英文が先にあって和文があるかというと、微妙に意訳や、奇妙なのだが誤訳もあったので謎。

いったい、どういうプロセスで同書の英文と和文ができたのか謎だが、推測するに、これは、米国の院生の授業レポートなのではないだろうか。想像したのは、講師が受講者に新聞記事の切り抜きを渡し、これについて次回発表レポートを書いてこい、といったものである。この手の授業は私も大学や大学院で受けたことある。

世界情勢や国際関係論として同書の価値はあるかというと、語彙やこの手の議論に使われる構文は確実に学べる。議論の仕方もそう悪くない。具体的な内容となると、院生レベルというか、それほど学問的でもない。オチがすべて日本が海外から学べるもの、ということになっているので、そのあたりで視点が縮小してしまってもいる。経済論は単純に外していると言ってよさそうだ。それでも話題は多岐にわたっているし、背景の歴史的な補足や国際常識の解説もあってよい。全体としては良書と言えると思う。

なぜ私が英文和訳の勉強なんかしたのか。「英文和訳するといいよ」と言うなら、「おまえ、やれよ」と言われても当然だからというのがある。

それと私としては、英文和訳の勉強もだが、この歳になっても、受験勉強みたいにきちんとタスク化した勉強ができるか、自分を試してみたかった。この勉強法は私が受験時代にやったものでもあった。結論から言うと、できた。

もう一点、受験勉強のように手書きでやってみたかった。鉛筆ではなく、やわらかな太いシャープペンを使ったが、手を使って文字を書くのを継続的にやってみたかった。結果から言うと、今回は英語の勉強というより、手書きの感覚を思い出すいい練習になった。意外と漢字が書けなくなっていたし。

さて、やりかただ、ちょっとしたコツがある。参考までに。

まず、専用の罫線ノートを買う。百均のでいい。リングノートが私の好み。大きさはかばんに合わせて。つまり、喫茶店とかでもできるように。ついで百均なら紙を軽く合わせるクリップを買っておく。

鉛筆はけずるのが面倒なのでシャープペンがいいだろう。使い慣れたので構わない。私はくずし字が書きやすいように太い芯で柔らかいのにした。消しゴムは不要。

書籍はバラす。だいたい二課題分くらい、数ページを切り出す。これをノートにクリップで留めておく。これだと、ノートだけ持っていたらどこでも勉強できる。

訳文は罫線に一行おきに書いていく。一行開けるのは、訳していて、前後を入れ替えたり、補足を加えたり、間違ったとこに印を付けたり、できるようにするためだ。

訳し方だが、できるだけ、英文の流れ通りに訳す。同時通訳のようにするといい(これのコツも別途ある)。すると、日本語にうまく合わないところがでてくるので、その部分は鉛筆線で囲んで、矢印で挿入先を示す。もちろん、日本語らしい日本語で書けなたらそれはそれでいい。

思い出せない漢字は、カタカナで書いて、下線にする。例えば、「斡旋」みたいのが書けなければ「アッセン」とする。気になったらあとで漢字を調べておく。

この例だと、一日、20分くらい。一ヶ月半。最近の国際常識の基本もわかる。

まあ、そんなところ。

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2016.04.08

昭和の保育

先日、「現代は少子化なので幼稚園も経営努力として保育にも関心を持っていることがある」という話を書いたところ、「なに言ってんのこの爺、昭和の話してんじゃないよ」みたいなコメントを頂いた。なるほど徳仁親王と同世代の私も爺という時代にはなったが、「それってどこが昭和なんだろうか」とも思った。昭和の保育っていうのは……とちょっと思って、そうだなあ、昭和の保育の話を書いてもいいなと思った。昭和という時代の保育がどうだったか、教えられないのかもしれないが、知らない人も増えてきたので、奇妙な誤解も生まれているかもしれない。

昭和の保育というが、昭和は大雑把に二つの時代に分けられると思う。あるいは、三つだろうか。戦前、戦後、もはや戦後ではない時代。昭和の戦争はメディアで映像的にもよく取り上げられるが、意外と戦争自体の時代は短い。日中「15年」戦争もあり、それも戦争期ではあるが、当時の世界情勢を見て特段に戦時下として特化しているかは疑問もあるし、庶民生活から見れば、概ね戦前に区分されるのではないか。

それでも昭和期を戦前戦後として分けたとき、戦前の保育を特徴つけていたのは何だったか?

というところで、赤とんぼの歌を思い出した。

夕焼小焼の赤とんぼ
負われて見たのはいつの日か

山の畑の桑の実を
小籠に摘んだは幻か

十五で姐やは嫁に行き
お里の便りも絶えはてた

夕焼小焼の赤とんぼ
とまっているよ竿の先

三木露風・作詞、山田耕筰・作曲。初出は、詩が大正10年だがメロディは昭和2年。概ね昭和が始まる時代に作られ、戦後1955年にはすでに郷愁として普及した。そういう意味でも、描かれているのは昭和前期的な風景である。

さて、この詩の意味はなんだろう? 当たり前のようでいて意外と難しいかもしれない。

それを考える上で着眼点になるのは「負われて見た」である。誰が誰を背負ったのか? なお、言うまでもないけど、「追われて」ではない。

戦後にこの歌が歌われるようになってからは、挿絵的に母親が描かれることもある。若い母親が子どもを背負っているという光景である。

で、この二番「小籠に摘んだ」は誰だろうか。なんとなく、歌の主人公である隠された「私」であるようにも思えるが、それが「幻か」というのは他者として遠隔された意識とも読める。

三番になって唐突に「姐や」が出現する、というように読むとすれば、一番と二番が分離する。

確定的には言えないものの、一番で背負ったのも、二番で桑の実を積むのも子の遊びであることから、姉との思い出であろう。余談だが、桑の実はマルベリーである。養蚕で植えられていた。

「私」は、姉におぶわれて赤とんぼを見た、その姉と物心つく頃、桑の実を詰んだ。なぜか。それが保育だからである。

昭和前期まで、育児は少女がシャドーワークとして多く担っていた。当時は少子化ではなく兄弟姉妹がいることが多く、そのなかの少女は保育を担当していた。私の母なども長子の子を背負う役だった。信州方言の「ねえやん」であった。なお、この他には、現在の中国のように祖父母など老人に預けるということも多く、漱石の『坊っちゃん』などがその例である。

家が富裕である場合、事実上奴隷である保育用の少女がその労働にあたっていた。守り子である。むしろ彼女らが「姐や」でもあった。

日本民衆史や女性史の必読文献ともなった『芸者』の著者増田小夜その一人で、回想録である同書は、「ものごころついたとき、私は長野県の塩尻に近い郷原という田舎の、地主の家で子守をしていました」と始まる。こういう描写もある。

寒いのは夜ばかりではありません。子守をしているときは、背中は温かくても足は凍りつくほど冷たいのです。私は、冬どんなに寒くても足袋をはかせてもらえなかったので、片方の足の足の股のところへ、もう一方の足をくっつける、これを繰り返していつも片足で立っていました。それで、仇名は「鶴」といいます。

守り子の労働はきつく、その文化の中で生まれたのが、守子唄である。「竹田の子守唄」としても知られる守子唄からはそうした隷属的な未成年労働の状況が読み取れる。

守りも嫌がる 盆から先にゃ
雪もちらつくし 子も泣くし

盆が来たとて なにうれしかろ
帷子はなし 帯はなし

この子よう泣く 守りをばいじる
守りも一日 やせるやら

早よも行きたや この在所越えて
むこうに見えるは 親のうち

保育の隷属労働から逃れて、少女は親元に帰りたいというのだが、実際この人身売買をしているのはその親である。赤とんぼの姉が嫁に行くもの、大半は「口減らし」であるが、事実上の人身売買に近い。

他にも日本の「子守唄」とされているものの大半は、守子唄である。守り子にとっては背中で泣き騒ぐ領主らの子どもは忌まわしい存在でしかなく、守子唄には、赤ん坊への愛情よりも憎悪が歌われることが多い。

つまり、こうした守子唄が常識である時代背景に「赤とんぼ」の歌をおけば、この歌も守子唄の関連であることが理解されやすいだろう。

昭和前期の保育は、守り子の労働が大きな比重を持っていた。大家族で兄弟が多く、また事実上の人身売買が横行していた。

戦後、そして高度成長期になって、大都市が地方の労働者を吸い込み、核家族なるのに並行して、政府も先手を打って少子化を事実上推進(参照)した。

かくして「ママ」が昭和後期に出現した。赤ちゃんの保育するママの登場である。この象徴が美智子妃であり、その子、徳仁親王こと「ナルちゃん」である。皇后に付く前の美智子皇太子妃は、保育を自らがママとして行い、それが叶わない場合、世話係に保育指針の育児メモを示していた。これが「ナルちゃん憲法」である。冒頭にも述べたが、親王は私より一学年下なので、だいたい同じ世代に属する。

この時代から、保育するママ、という存在が定着し、昭和38年(1963年)の歌謡曲「こんにちは赤ちゃん」が以降、日本の愛唱歌となった。余談だが、作詞者が永六輔であることもあり、当初父の心情だったものが、歌手梓みちよに合わせて「私がママよ」となったらしい。昭和41年には、この文脈で『スポック博士の育児書』が出てベストセラーとなった。

まとめると、昭和の時代の保育の特徴は、前期は「守り子」であり、後期は「こんにちは赤ちゃん、私がママよ」という「ママ」であった。「保育ママ」が「ママ」呼称を引きずっているのもそのせいだろう。

すでに触れたが、日本の少子化はこうした「こんにちは赤ちゃん、私がママよ」という世界と並行して進んでおり、むしろ、お母さんが保育するということが少子化政策と事実上、一体化していた。


追記

「赤とんぼ」の「姐や」は子守奉公だというのがわからないのか、このバカといった、ググレカス的なシンプルなコメントをいくつかいただいたが、私としては、子守唄から増田小夜『芸者』の文脈で捉えている文脈は読み取られていないのだろうとは思った。

私の考えでは、「赤とんぼ」について、二点あり、一つは、基本的に守子唄の背景があり、そこに守り子として、姉と子守奉公の全体をシャドーワークとして捉えたいことがあった。

なお、語義的には「ねえや」の方言である「ねえやん」は私のルーツである信州方言では大家族内の姉など年上の女性を包括している。甲州方言にもあり、沖縄の「ねえねえ」にもそうした含みがある。

もう一点は本文に書こうか迷って書かなかったのは、「赤とんぼ」の三番「お里の便りも絶えはてた」の情感の読み取りがある。この点、子守奉公人単一の解釈であれば、奉公人を偲ぶという意味だけに吸着される。

しかし、ここで問われている昭和の情感は婚期娘の「口減らし」だと私はその背景の感覚を持った。「口減らし」は、口に入れる食費を大家族の家計から減らすことの表現で、奉公や嫁入りがある。その意味で子守奉公人も口減らしではある。が、子守奉公を使う富裕家の情感より、農村の少女一般が嫁入で「口減らし」される悲劇は当時広く知られていた。嫁の形をとっても、実際は他家への奴隷的な状況に置かれる悲劇である。その悲劇的な状況はしばしば世代代わりした実家には伝えれず、「お里の便りも絶えはてた」ということになる。

解釈上は、子守奉公人がある家に隷属的に嫁させられるという読みもなりたつ。が、口減らし嫁への悲劇的な情感が極まるのは実家からそのように引き裂かれる娘なので、「姉」の読みは残るだろうと私は考えて、ググレカス的な解釈表現は避けた。

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2016.04.07

フランスの保育ママ「ヌヌ−」

西村・プペ・カリン『フランス人ママ記者、東京で子育てする』で、日仏での、妊娠から育児についての比較考察がり、それはとても面白かった。なかでも、フランスの保育ママ「ヌヌ−」については、いわゆる調査研究書とは異なる、日本にも詳しいいちフランス人女性の視点から描かれていてとても示唆深くもあった。

パリにあふれるヌヌ−事情
 バカンスでフランスに帰り、パリの街角を歩いていると、わたしは東京では絶対に見ない光景にいつも驚かされる。
 あきらかに50歳を超えた女性が、髪の色や肌の色がバラバラの3人の子供を連れている。こういう場面を目にするのは嬉しい。なぜなら、すぐさまこの女性はこの子どもの母親ではなく、ヌヌ−だとわかるからだ。
 ヌヌ−(アシスタント・マテルネル)とは、他人の子どもの面倒をみてくれる女性で、フランスでは当たり前の存在なのだ。

 東京同様、パリでも保育所問題は深刻だ。
 しかし、多くの若いフラン人ママたちは、経済的、職業上の理由から、産休後に仕事や教育をあきらめてしまうつもりなど、まるでない。そして、その解決策がヌヌ−なのだ。ヌヌ−たちは単に頼れる存在であるだけでない。子どもを集団的なシステムで預かってもらうより、1人につき子ども3人まで面倒を見ることが可能だ。個別対応を好む母親たちにとっては、このうえない選択肢だ。

該当ページにはじゃんぽ〜西さんが描いたヌヌ−のイラストが付せられているが、彼女は黒人で白人の子どもベビーカーに載せている。

ヌヌ−については、フランスの生活文化に馴染んでいる人にとってはよく知られた存在だが、それが普通のフランス人女性にどのように受け止められているかという例では、このカリンさんの説明が参考になる。

同書籍では続けて、ヌヌ−たち自身が発している広告と、特定条件のヌヌ−を求める親の要望が掲載されている。こういうとあまりいい比喩ではないが、日本のヤフオク的な気軽さで双方のニーズがまとめられている。

日本に反照していうと、ヌヌ−という保育ママの情報は、口コミに頼ることなく、公開的な情報として誰もがアクセスできる。もっともそれで最適なヌヌ−が選び出せるわけでもなく、困難は別の形で存在はする。

いずれにせよ、ヌヌ−の情報がフランスで広まっているその背景には、十分な数のヌヌ−の存在と、その資格制度がある。

ヌヌ−の資格について、同書で興味深かったのは、資格があることや、非公認のヌヌ−も多いことは私も知っていたが、その資格については、EU全域で通用するということだった。おそらく、実績あるヌヌ−はEU内では自由に保育を職業として選択できるのだろう。これを延長して考えれば、日本も国際化として移民労働者を入れる際には、こうしたヌヌ−の共通資格も議論されるようになるだろう。

関連したこうした記述が同書にある。

(前略)外国人のヌヌ−は、良い保育者であることが多い。その点については、こんな証言もある。

「若い外国人女性は、フランスで働くチャンスだと考えているから、優秀であるという印象を受ける。彼女たちは、通常、与えられた仕事に対して、勤勉だし、辛抱強い。わたしは近所の子ども(就学児童)の世話をしていたメキシコ人女性を仕事前の9時から11時まで雇ったけれど、彼女は稀に見る優秀な人材だ。子どもが好きで、わたしの子どもたち(3歳と14ヵ月)と、とてもよく一緒に遊んでくれるし、子どもたちも彼女が大好き。アイロンかけや片付けなどの家事もとても上手。唯一の問題は言葉の壁。彼女はとてもシャイで、わたしとフランス語であまり会話しようとしないから、わたしがスペイン語でなんとかしゃべっているわ!」

 フランスでは、ヌヌ−という職業自体は新しいものではない。もう何十年も前から存在する。でも、女性が社会で活躍するにつれ、その重要性はさらに増してきている。それは日本よりずっと高い。今や女性が育児のためにキャリアを完全に中断するなんていうことは、ほぼないに等しい。もちろん、1年間育児休暇はとるけれど、いいポストについて出世する可能性が高かったり、経済的に働く必要があったりする女性たちは、より早く仕事に復帰する傾向にある。

こうした背景には、主に女性といえるが、出産・育児を経験しても継続して労働を継続することが当然の権利として認められているという前提があり、その上で社会の制度が設計されているということがある。

さて、このフランスのヌヌーだが、日本でいえば「保育ママ」に相当するので、日本社会もその方向に進むのか。この議論は難しい。というか、いろいろと厄介な問題を孕んでいる。

こうした経緯は、日本国政府の対応のなかでも伺える。日本でも内閣府で、現在容易に取得できる範囲では、平成16年度から「少子化社会対策白書」が公開されているので、これを経時的に追っていくとわかることだが、平成17年度には、このフランスのヌヌ−である「アシスタント・マテルネル」についての参考・参照的な言及があるものの、平成18年度には短くなり、以降はあたかもその言及は避けるかのような印象を与えるほどに途絶えている。

もう10年も前の状況だが白書を省みてみよう。

(フランスの保育サービス)

 フランスでもフルタイムで働く女性が多く、こうした人々のニーズにこたえるために保育サービスが提供、利用されている。まず、Crecheと呼ばれる保育所(3歳未満が対象、施設型、親管理型、家庭型等がある)があり、約18.2万人が入所している。3歳未満の人口(約227万人)に対する割合は8.0%にとどまっており(2002年、EU統計局資料による)、この保育所によるサービス提供体制は十分ではないといえる。この他に、一時託児所(Les Halte-Garderie)や2歳から入所できる保育学校(Ecole maternelle)がある。
 その一方で、フランスでは在宅での保育サービスが発達している。その代表が、認定保育ママ(Assistantes maternelle)である。これは、在宅での保育サービスを提供する者のうち、一定の要件を備えた者を登録する制度で、県政府への登録者数は34.2万人、このうち就業している者は25.8万人である(2001年、EU統計局資料による)。この認定保育ママが現在の保育需要の約7割を担っているとされている。認定保育ママは、その利用者が雇用し、賃金や社会保険料を負担する。この費用については、「乳幼児迎入れ手当」から、6歳未満の子どもの保育費用(認定保育ママの雇用の賃金の一部と社会保険の使用者負担等)が補助されている。また、後述のように税制を通じた支援も行われている。このように、スウェーデンと異なり、フランスでは家庭的な保育サービスが中心となっている。
第1‐4‐14

10年前の資料だが、カリンさんの本などを読むと、現状でも大筋での変化はなく、つまり、フランスでも保育園は不足しているし、社会がヌヌ−に依存している状況は大きな変化がない。ただし、変化はおそらく別に生じつつあるが、これは別次元で難しい問題がある。

平成17年時点に政府内でも検討されていたヌヌ−だが、これを外国人的な文脈からとりあえず分離して、日本の「保育ママ」の制度の拡大施策として見たらどうだろうか。

これも意外に難しい。基本的には、保育ママの資格制度と補助制度を充実させればよいと言えるし、その推進力は、保育ママの賃金を市場に任せるのでなければ、地上自治体の補助金ということになる。実際にはその方向で進んでいるし、高齢者介護も同様の路線にある(というか、こちらはさらに学校制度にまで及んでいて思いがけない副作用があるようにも思えるが)。

こう言う問いを出すだけで、禁忌の空気を感じないでもないが、これを仮にではあるが市場的な社会サービスとして見ると、保育ママ(ヌヌ−)と保育園は、市場を奪い合う形になり、さらに少子化なので、市場それ自体のニーズは弱い。すると、この線では、保育ママの制度と助成が、保育園制度及び保育士の制度が助成という点で向き合うことになる。

保育園と保育ママ(ヌヌ−)を対立の構図で捉える必要はまったくがないが、そうは言っても、いわゆる「待機児童ゼロ」に関連して、この構図とその前提がうっすらとかいま見えるように思えることがある。

一例だが、ぐぐったところ「はれぽれ」というサイトにこうした記事があった。「待機児童ゼロとうたう横浜市、「保留」の扱いとは?」(参照)。

育休延長や求職しながら入所待ちは「待機」ではない!?

さて、安形係長の言う「国の指針」とは、2003(平成15)年8月に厚生労働省雇用均等・児童家庭局長が出した「児童福祉法に基づく市町村保育計画等について」という通知を指す。

これは「待機児童」の定義を一新したもので、横浜市の解釈によると、以下の条件に当てはまる子どもは、「待機児童」としてカウントされないことになるのだ。
  
(1)横浜保育室、川崎認定保育園、預かり保育幼稚園等の利用者
(2)育児休業中の家庭の児童
(3)第一希望のみの申込の方
(4)園や自宅の近くに利用可能で空きがある保育施設があると判断できるにも関わらず利用を希望しない方
(5)主に自宅において求職活動をしている方
(6)区役所職員が電話や手紙などで複数回所在を確認した結果、連絡がつかなかった方

・・・ん?

別施設に子どもを預けて働きながら認可園の空きを待つケース(1)や、保育所が決定するまで育休延長制度を利用し、職場復帰日を明確にしないまま入所申請を出すケース(2)、保育所の空きを待ちながらインターネットなどで求職するケース(5)は身近にもよく聞くが、すべて「待機児童」から除外される。

また、認可保育所の入所待ちをしていても、近所の保育ママ(家庭的保育事業)などに空きがあれば「待機児童」とはみなされない(4)ことになる。

保育ママ(ヌヌ−)を待機児童にカウントするかどうかがここでは議論され、認可保育所の入所が焦点化されている。別の焦点化をするなら、保育ママ(ヌヌ−)は、認可保育所までの暫定措置であるという前提があるように読める。

こうした問題にどう対処したらよいのか?

実は、この横浜市の対応自体が、一つの対処事例として出てきたもので、それをどのように参考事例とするかは、他の地方自治体ごとに任されているので、単純な答えは出ないし、そもそも横浜市の事例がその問題の難しさを暗示している。

関連してということだが、先日、NHK「ママたちが非常事態?」という番組で、日本のベビーシッター利用のグラフが出てきた。

ここで言うフランスの「ベビーシッター」にヌヌ−がどのように含まれているのか、あるいは別扱いとされているのかはわからない。別扱いのようには思える。が、いずれにせよ、日本での比率は例外的に低い。

このことは、日本では自分の子どもを他の市民に預けるのを好まないという文化的な傾向でもあるかのようにも見える。ただ、それが日本の文化的な傾向なのか、戦後の家族形態が変化したのと同様の変化の影響なのかは、社会学的に研究してみないとなんとも言えないだろう。

つまり、新しい日本社会のありかたとして、日本人が日本社会に調和したヌヌ−の制度構築ということもありうるだろうし、現行の「保育ママ」はその潮流にあるのかもしれない。

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2016.04.06

[書評] 「フランス人ママ記者、東京で子育てする」西村・ペプ・カリン著

現代日本の育児事情にはさまざまな側面がある。地域や所得、教育による違いも大きい。全体像を知ることは難しいし、それには統計的な調査も必要になる。というのは確かなところだが、それはさておき、日本人男性と結婚したフランス人女性が日本で出産して子育てをするという、ちょっと珍しい事例の物語を読むと、むしろその特異な事例によって現代日本の育児事情というものの本質がくっきり見えてくる。フランス人から日本の育児を見ると、その異なる視点から、日本人としては「ああ、育児というものは、こういうものなんだなあ」というのがはっきりわかる。そして、ちょっとびっくりする。つまり、この本はとても面白い。これから結婚や出産を考える日本の若い世代の人は、一読しておくと良いと思う。

話は帯にあるように、「日本人マンガ家と結婚したフランス人ママ記者による日仏子育て比較エッセイ」である。夫は、この本の表紙や挿絵を描いているじゃんぽ~る西さん。この人のマンガはいくつか読んだけど面白い。そして、そのマンガから伝わってくる人柄の良さというか、男性としての素敵な感じも伝わってくる。イクメンという言葉はそこだけ抜き出して強調したようで私は好きではないが、彼が自然にイクメンを実行している姿は微笑ましい。

奥さんのカリンさんはAFP通信の記者。パリ第8大学卒業でテレビ局のエンジニア的な立場から記者になっていった人。二人の馴れ初め話も本書にある。初産は彼女が40歳か少し過ぎたころ。日本で言う高齢出産だった。夫のじゃんぽ~る西さんは彼女より少し年下だろうか。それでも30歳半ば過ぎて結婚するとも思ってなかったらしいし、ましてフランス人女性と結婚は自分でも驚いたらしい。この話は彼のマンガにもある。

その意味で、本書は、いわゆる高齢出産の物語としても読めるし、日本社会で出産、ということに際して、なにからなにまで異文化として触れた体験記である。日本人が当たり前に思っていることも、フランス人の感覚からは奇妙にも思えるものだ、ということだが、考えてみるとカリンさんの感じ方のほうが、なるほどなあ、納得するなあ、と私などには思える。意外と現在の日本人の感覚もフランス人に近くなっているかもしれない。読後少なからぬ読者もそう感じるだろう。

本書には興味深い話題が多い。読後、私の心に大きく残ったのは三点。無痛分娩、羊水検査、それとヌヌ−と呼ばれるフランスの「保育ママ」の話題だった。

こうした話題はすでに知識としては知ってはいたが、カリンさんの言葉を通して知るというのはまた違うものだった。率直に言って、こうしたものがなぜ日本にないのだろうか、あってよいののではないかとも思えるようになった。こうした対応こそ、国のレベルで対応可能である。が、同時に、私などもこれでもべた日本人なんで、これらを排除する日本社会の空気というのがわからないでもない。

保育園の話題も多い。意外にも思えたのだが、保育といった面では、なにからなにまでフランスが最先端社会かというと、どうもそうでもなさそうだ。フランスでも保育園は不足しているようだし、日本でも話題になったベビーカー問題もある。他方、日本社会の保育事情にもフランス人から見て良い面があるという指摘も興味深い。余談だが、先日立川ららぽーとに行ったのだが、乳児へのいろいろな配慮があって驚いたりもした。海外から見てもああいう商業施設は珍しいのではないか。

それでも総じて見れば、フランスの出産・育児の制度は日本より格段に優れているし、本書からその優れた点が学べる。併せて書かれているカリンさんからの、子供を持つことへの励ましの言葉も力強いし、感動させられる。

快く笑える逸話も多い。個人的には「システムD」の話には爆笑した。Dは、”débrouille”の頭文字である。この言葉、私が英語からフランス語を学んだピンズラー教材でも、英語にはない言葉として強調されていた。日本語ならありそうだなと思うけど、ちょっと思いつかない。「なんとかしましょう」という感じだろうか。「どさくさ」「その場しのぎ」という感じもありそうだ。つまり、「システムD」というのは、正しい対応法がないとき、なんとか急場を凌ぐことである。

育児というのはけっこうシステムDで成り立っているのだよねと、4人子供を育てた私も思うのである。

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2016.04.05

実際、保育園に落ちたらどうするか?

実際、保育園に落ちたらどうするか? この話題の経験談的な側面は当初自著に含める項目のつもりだったが書籍全体のバランスを考えて落とした経緯がある。他にも家事分担のコツのような話題も考えていたが落とした。また何か機会があれば書籍として書きたいものだと思いつつ、ブログに書くような話題でもない。そうこうしているうちに時は過ぎてしまった。が、よい機会でもあるので、現時点で少し整理してというか、思い起こしつつ書いてみたい。あまり正確ではないかもしれないし、なんの役にも立たないかもしれないが。

保育園落ちて「日本死ね」という気持ちになるのはわかるという人は多いだろうし、それはその文脈の議論があるだろう。ただ、他方、現実的に保育園に落ちた子供をどう対応するかという現実的な問いは依然残る。

今回、そうした現実対応の話題が出てくるのか、とざっと見ていたが、見ていた範囲では見かけなかったように思う。いくつかざっと検索してみたが、あまり現実的な示唆もないように思えた。どこかにあるのかもしれないが。それはそれとして、自分の思うところを書いておこう。

まず、この話題は、正直に言うと、しづらい、というのがある。対応策があまり市民社会の観点から見て正しいとは思えないのだ。結局のところ、制度が不備であることの応急対応なのでしかたないとも言えるのだが、正当ではないという疑念は去らない。

もう一つ話しづらいのは、その後の私自身が子供たちの成長に合わせる形で生きてきて、保育という時期の問題に特化して深く関わってきたわけでもないことがある。まあ、現実的にできなかった面もある。他方、受験のことなどは理解できたが。

さて、私のように、子供が保育園に入れなかった、というとき、どこから対処したらよいのだろうか? 

すでに書いたように、地域に「ヘルプ(助けてほしい)」という声を出すことが原点だろう。ただ、この時点で、それは公的制度が機能していないということと同義でもある。

あなたが具体的に保育園に落ちた子供を持つ新しい親だとしよう。原点は「助けてほしい」であるのは確かだが、その前にできたらしたほうがいいことがある。

想像して欲しいのだが、そうした保育の厳しい状況、つまりあなたが住んでいる地域におけるそうした保育の問題は、今回のあなたが特例ではないはずだ、ということだ。

すでに数年、あるいは十数年スパンでこの問題がその地域に堆積しているという状況を認識するとよいと思う。

この意味は、政治的な改善のための認識に直接つなげるのではなく、この問題を体験した地域の人々がどうやってこの問題を具体的にくぐり抜けてきたかという事例をできるだけ知り、そのなかで自分にあった解決策はないか参考にすることである。

「保育園に子供が落ちて困っているから助けてほしい」ということと併せて、地域保育の現状認識を並行して始めるとよいだろう。こういうとなんだが、妊娠時期から想定しておいたほうがよい。

言いづらいのだが、このようにして、保育について自分を助けてくれる情報を探るということは、あまりたやすくない。情報が公開されてないことではなく、そもそも公的な制度ではないため、こういうとよくないのだが、知った人が得するというような、本質的な不平等が潜んでいるためだ。そして、これもあまり良いことではないが、この不平等は現実には、費用にだいたい比例している。そしてお金が絡むと制度の不備と善意は不平等を広げてしまうものだ。(実際現下の問題で重要なのはこの部分、つまり高額な保育の市場にあるかもしれない。ただ、昨今の話題はその動向を踏まえて、現状規制された保育士の労賃に焦点化されているのでこの文脈に浮かび上がりにくい。)

さて、助けてほしいと声を上げる先の、地域コミュニティとは何か。それがどこにあるのか?

地域で育児経験のある家庭が第一なのだが、もう一つ比較的公開的なのが、幼稚園である。幼稚園の現状は地域によって異なっているので一般論はできないが、ざっと見たところ少子化もあって市場原理的に幼児の獲得に経営努力をしているところが多い。このため、幼稚園に入る前の子供も潜在的な顧客として対応の情報を持っていることがある。さらにそれ以前に、幼稚園が「認定こども園」や期日を限定した預かり保育のような事業を展開していることがある。直接幼稚園に対して、「子供が大きくなったら入れたい幼稚園を探しているのです」みたいに話を切り出してもよいかもしれない。

さて、レベルアップ。認可保育施設などが利用できないレベル。となると、認可外保育施設や「保育ママ」といった施設を使うことになる。私もそうなった。

私の場合、篤志に助けられた。子離れもして老夫婦二人で一軒家に暮らしていた、保育士資格のある婦人が、人に頼まれて地域の子供を預かるうち、子供が集まり、また支援できる母さんなどがグループとなった。一軒家も保育用に改造までして対応していた。それはもう後光が出るくらいの善意の集まりで、それを知ったときは、救われたと思えたくらいだった。いまでもありがとうございますと思う。

こうした支援グループを地域に広げていけばいいかのようだが、すぐに察せられることだし、先ほどからの奥歯に物が挟まるような言い方になるのだが、こうした支援グループは制度の尻拭いをしているだけで、市民社会の問題解決にはならない。

そのことは支援グループ内でも理解されていて、地域コミュニティから地方自治体に働きかける活動にもつながっていた。

理想的にはこうした草の根の運動を地方自治体につなげていく政治活動にすればよいのだが、現実的にはそこで、既存の政治活動団体との接面が生じてくる。それが潜在的にはらむ問題を起こさないような政治的なバランスも問われる。それなりに気を使うことになる。

私の知るこの事例だが、そうこうして数年。いろいろな経緯があって、その保育グループは解消された。中心を担っていた婦人がもうかなりのお年になったことが大きな要因だった。少子化でいちだんと子供が減ったということもあった。広域化して対応が難しくなったり、他の施設の充実もあった。

こうした地域コミュニティの善意による保育の解決は結局のところ、善意であればあるほど、結果的に制度不備の尻拭いになり、本質的な市民社会としての、保育の活動にならない。

「保育園落ちたのは私だ」として国会前でデモするのもよいのだが、比較すれば継続的に地方自治体に働きかけるほうが重要になるのはその理由からだ。

そして、残念ながらというか、保育はビジネスでもあるのでその利害調停のような作業も必要になる。コンビニや歯医者のように市場原理だけに任せるわけにもいかない。大きなマンションが地域に建つと予想されるだけで変わる。本当に市民生活に必要な地域政治の調停をどう行うのかというのは、保育でも難しい。

まとめると、保育園に落ちたら、地域の実情を探り、その過程で各方面に助けを求める声をあげよう。そのなかで保育を助け合う仲間ができたら、そこを足場に地域行政に改善を求めよう、ということ、ではないだろうか。

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2016.04.04

脱文脈化ということ

昨日、一昨日と、書いてみました的な話題だったが、はてなのinumashさんが二つともう読んでくださって(ありがとう!)、昨日のには、こうしたコメントをされていた。まあ、こう。

inumash こうやってごく基本的な経緯すら把握していないくせになんぞ深刻ぶった顔で的外れな分析ばかりしてるから、「ブログを10年以上も続けてきた」にもかかわらず貴方の声に動かされる人間が出てこなかったんでしょうね。

愉快だった。読み違えしているかなと思えるのは一点、「深刻ぶった」というくらいで、どうも「バブー」のベタは受けなかったようだ。つまり、他の指摘は当たっていると思った。二つある。

一つは「こうやってごく基本的な経緯すら把握していないくせに」である。まあ、それでいいと思う。他のはてなーず(「女子ーず」みたいだな)のコメントに、「私はシャルリだ」の背景もわからんのか爺、みたいのもあった。

どう理解されているかの弁解でもないが、私は、この話題を「脱文脈化」したいのである。

ネットスラングというか、社会で市民の情念を煽るような「死ね」的表現が出てきて燃える。でも実はその情念が話題の核に思えたので、それを脱文脈化できなものだろうかと思ったのである。考えるというか。自分なりのデリダ的な実践でもあるが、そう言うとまた違うだろうけど。

脱文脈化というのは、人々がある方向性の受容している前提となる文脈を入れ替えることである。そうしたとき、命題はどのような意味を持つだろうか。

今回の事例で、脱文脈化を考えたのは、脱文脈化という「ため」の目的ではない。気づかれた人がいるか種明かしみたいな話をするのも野暮だが、「日本死ね」と言いうる主体の解体、「保育園落ちたのは私だ」という言いうる主体の解体、をすべきだろうとこの件について私は思った。

「日本死ね」というように「死ね」という言葉よくありませんね(by 67歳の主婦)という話ではなく、「日本死ね」と言いうる主体を形成している特権性のなかに、ナショナリズムを見てそのナショナリズムと主体の関係を問い直したかった。そして市民社会を構築する「言葉」の道具性を考え直したかった。ネットスラングが国会を通して「脱文脈化」される傾向を再脱文脈化で脱文脈化してみたかったとも言えるか。

「保育園落ちたのは私だ」というのを、まず子供を持っている母という主体から解体したかった。そしてその「私だ」という特権性の呪縛が外されたとき、具体的な市民に具体的に問われた問題にはどのような解法があるのか問い直したかった。

そしてこの二例でいうなら、そこで発言主体の権利であるかのように見える権利性を支える正義を、市民原理から批判できなものだろうかと思った。

なぜ、そんなことが求められるのか。私の意図は単純である。市民と原理性と市民の具体性において、マスメディアを介して怒りの情感を醸成するものに危惧を抱くからだ。

一種の被害者正義に憑依する主体は、市民社会の言論の一種の自浄性として解体される傾向もあるべきだろう。

だから、inumashさんが「「ブログを10年以上も続けてきた」にもかかわらず貴方の声に動かされる人間が出てこなかったんでしょうね」というのは、まさにそうあるべきなのだと肯定的に思う。

ブログの書き手の多くは、「貴方の声に動かされる人間」を求めている。それが正義であったり、アフィリエイトであったり。名声であることであったり。そして、それに大半は失敗してブログから立ち去る。あるいは、それに成功して「動かされた人々」を生み出していく。

私は、そうではないのだ。私はただ一人の市民として、アーレントが民主社会に求めたように社会のなかにできるだけ異なる声を上げること、そして異なる声を届けようとすること、それが市民ができることであれば、それでいいのである。私でなくてもいい。「貴方の声に動かされる人間」のようなゾンビに問いかけること。ブロガーというのはそういうものだと考えるし、それって本当なのかということは、誰もが自分なりに10年くらい実践してみるといいのではないかということだった。最後に毒杯を仰ぎたくはないけれど。

Think different !


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2016.04.03

「保育園落ちたの私だ」ということはどういう意味だろうか

ツイッターで「保育園落ちたの私だ」というタグを見たとき、その後ろに「ばぶー」とかつくのかと思った。そうではなかった。「私の子供を保育園に預けることができなかった」という意味だと理解したのは、しばらくしてからだった。それから、ゼロ歳児を保育園に預けるのは大変だろうなと思った。なぜ、そう思ったかについては後に回したい。

この話題でそうこうしているうちに、「保育園落ちたの私だ」という国会前デモがあることを知り、少し奇妙な違和感を覚えた。これも後で触れると思う。ただ、当然、反感とかではない。市民がどのような示威活動をするのも自由であるからだ。

それから、その文脈の報道に接して「女性」という言葉がよく現れることにまた少し奇妙な違和感を覚えた。これもまた後で。その前に、そうした文脈の一つを上げておくと、たとえば表題に「母親ら」とある次のような記事である。毎日新聞「母親ら、改善求め厚労相に署名提出」(参照)。

 保育園に入れなかった母親らが9日、国会内で塩崎恭久厚生労働相に保育園の整備加速や保育士の処遇改善などを求める2万7682人分の署名を手渡した。「保育園落ちた日本死ね!!!」と題したブログをきっかけにネット上の署名サイトで集まったもので、午前中の衆院厚生労働委員会で民主党の山尾志桜里議員が塩崎氏に署名を直接受け取るように求め、実現した。

いくつかのもわんとした違和感が何なのか、いくつか補助線のようなものはすぐに自分の内面で察することはできたが、今ひとつもどかしい感じ続き、そのもどかしさの由来自体もある違和感を形成していた。自分には何も言えることはないだろうという思いの中でのことだった。

が、ある明瞭な直感を得たのは、毎日新聞に掲載された香山リカさんの「香山リカのココロの万華鏡 「保育園落ちたの私だ」 /東京」(参照)を読んだことがきっかけだった。

興味深いのは、この訴えに参加しているのは、実際に子どもの入園を断られた経験を持つ母親ばかりではないことだ。保育園に入れた人、それどころか子どもを持たない人や未婚の男性までが、「保育園落ちたの私だ」というキャッチフレーズとともに意見を述べている。これは社会全体の問題だ、という意識のもと、立場の違いに関係なく、誰もが「これは私のこと」として発言している。


しかし、この保育園の問題などを見ると、直接の当事者ではなくても「これは私のこと」として発言する人が確実に増えつつあることがわかる。今後、この流れが広がっていくのだろうか。うつ病ではない人が「うつ病なのは私だ」として心の病への差別に抗議し、大学時代の奨学金の返済で苦しんでいる若者の問題を「奨学金を返せないのは私だ」と高齢者が訴える。こうして誰もが「人ごとではない、私のことだ」と問題をとらえ、声を上げていけるようになるのは、とてもすてきなことだ、と私は思っている。

 私にも実は子どもがいない。でも、ここで大きな声で言わせてもらおう。「保育園落ちたの私だ」

ここで香山リカさんはとても重要な指摘をしていると私は思った。そしてそれが非常にクリアな正論であることで、先のもわもわとした違和感の大半は整理されてきた。

それは、「保育園落ちたの私だ」という言明の主体には、女性であることも、また香山リカさんのように子供がない人も、また運良く保育園に預けることができた人も含め、そうした人々に限定されないことだ。「保育園落ちたの私だ」という言明は発言者の特権性のない市民としての課題であるということだ。つまり、「私だ」という「私」の特定性は、原理的に一般的な市民に還元できる。ここでは前提として「誰が」は問われない。

逆に言えば、「保育園落ちたの私だ」というのは、市民の原理性においては、「誰が?」と問われることではない。女性のという文脈さえも解体される。

他の側面はどうか。この話題の意味を「難しい」と私が了解したのは、私の経験的な了解だった。自著では明らかにしたが私には子供が四人いる。四人も子育てすれば、「保育園落ちたの私だ」という問題に触れずにはいられなかった。しかし、そうした私が「保育園落ちたの私だ」という問題の中では、困難経験を基礎としてたある種の特権的に「私」を語ることはできない。

違和感の曖昧な沈殿先のほうはしかし、香山リカさんの指摘によるものではなく、矛盾するようだが、自分の実体験の掘り起こしからだった。こうした問題に直面したとき、私はどうしたか。「保育園落ちた日本死ね」というふうに、「日本」という課題と保育園の課題にある「私」を結びつけなかった。それがプライベートの問題領域だったからかというと、そうでもなかった。それは一義に、地域コミュニティの問題であり、次に地方行政の問題に思えていた。

もちろん、保育について地域コミュニティの問題や地方行政の問題の上位に国の問題があることは理解できる。しかし私にはそこに直結することはできなかった。なぜそうだったのか。とその視点から思い起こすと、まず、現実の保育の問題から国を批判することでは眼前の解決に至らず、まず解決自体が必要とされると思っていたことがある。次に、こうした保育に関する国の制度が充実しているとして想定されがちなフランスの保育の内情についてある程度知識があり、その国家レベルの困難さを参照しても、日本の国政で短期に解決できるようには思えなかったことがある。

では、どうすればいいのか?

同じ文脈を繰り返すと、私の場合には渦中ではその問いの答えはなかった。そのなかで、時は過ぎていき、子供を育てた。そのことの体験的な意味合いの一部は読者が限定される自著のほうに書いた。

しかしそれでいいのかと市民のレベルで問いを新たにするなら、それでいいわけはない。そして、その問いが再び、香山リカさんが指摘されたように市民の文脈で考えるなら、加えて現実に短期間にある具体的な対応が求められるなら、まず地域コミュニティに直面するし、その次に地方行政の問題として浮かび上がるだろう。そこでは国家との対応で匿名的である市民が具体的な市民となる。今回の話題の元になった匿名者もその具体的なありかたとしての解決はその次元に向かっているのだろうと思うし、その次元で発せられる別の言葉がとりあえずであれ短期的な解決を志向するだろう。

そこでは、私たち市民はどのように育児で地域コミュニティと関わっているのか、地方行政と関わっているのかが問われることでもある(場合によっては保育の行政が充実した地域に転居することもあるだろう。基本的に自由主義国では市民は税制では厳しいところからは移転しがちになる。奇妙な逆説だが、非自由主義国である中国などでも同様の傾向は見られる)。その先に、国政の制度設計や現状の見直しが政党の持つ政策の次元では並行して進められるべきだろう。

それでも現実的にもっと具体的に対応できないのか?

具体的であることは、具体的な個々の市民が育児で地域コミュニティと関わっているのかという文脈にあるだろう。そこには具体性だけがあるとも言える。例えば、3ヶ月の赤ちゃんを2時間預かって扱える能力が、災害時の市民の行動のように、市民の基本的な行動となるように支援する学習が推進されてもよいのではないだろうか。

もちろん、それは地域コミュニティや地方行政の文脈であって、国家によって社会から保護された市民としては、そうした支援活動から自由であってもよいだろうし、にも関わらずそれが市民の課題だと主張してもよいには違いない。国会前の女性団体のデモであってもよいだろう。保育の支援は国家がするべきで個々の市民の課題ではないという主張であっても正当ではある。

ただ、国家に迂回した解決は具体的な市民の短期的な問題解消の充足とは離れてしまう。このことがより切迫して問われるのは病児預かり(病児保育)のほうだろうと思う。この側面での国の対応だが、国はようやくこの4月から対応が始まった、とはいえ、財源は企業が負担する「事業主拠出金」の新年度からの引き上げによる約27億円なので、焼け石に水の状況にある。現状では、市区町村が民間の小児科や保育所に委託して併設されることが多いが、容体の急変にも備える諸制度には人命が直接関わる点で国の関与がより強く求められるだろう。

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