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2016.12.06

[書評] 神の息に吹かれる羽根(シークリット・ヌーネス)

 以前のブログの世界だと年末になれば、今年読んだ本のベストランキングといった趣向の記事をよく見かけたものだった。いや、今でもあるのかもしれない。だが、自分の見える範囲では見かけなくなった。それはそれとして、私についてはどうか。そういうリストを作る気力はない。そういうリストに有りがちな今年出版された書籍を想起するのというのも、気後れのような感じが伴う。
 そうしたなかでも、今年読んで一番心に残る一冊は、はっきりしている。シークリット ヌーネス『神の息に吹かれる羽根』である。2008年に翻訳書が出版された。大手出版社なら今頃、文庫本になっていても不思議でもないようだが、見かけない。現在では翻訳書は中古書でしか見つからないだろうか。でも、もし文学というものに一片の関心もあるなら、お読みなさいと言いたい。これが文学だから。

 書名からは当然、神秘家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンを想起するだろうが、それは収録されている短編の、効果的だがごく僅かな比喩である。そう、本書は短編集である。ジャンルとしては純文学と言っていい。その他のジャンルが思いつかない。作者シークリット・ヌーネスの著作は本書の他、本書と同じ訳者による邦訳書が一冊あるが、他は見当たらない。

 シークリット・ヌーネスは1951年、ニューヨーク生まれ。貧困層とは言えないまでも比較的貧しい家に育つ。バーナード・カレッジでBA、コロンビア大学でMFAを取得した後、「ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス」の副編集長となる。いわば文学の裏方にありながら、この本をきっかけに静かにオモテに出て来たようにも見えるが、本書を読むと、それも彼女の人生の必然だったと理解できる。

 本書が出版されたのは彼女が44歳のときだが、本書に描かれている、おそらく30代から人生の、ひとつの決算のようになっている。フィクションではあるが、おそらく限りなく私小説に近いだろう。
 彼女の父親はパナマ系中国人、そして母親はドイツ人だった。米国に移民した。それだけで、どちらかという奇妙な民族背景を持っているように察せられる。短編集の初めの一作「チャン」は父親の追想の物語である。だが、父親像は明確には描かれてはいない。彼女は父をよく知らない。「父がわたしたちに異邦人に見えたように、わたしたちも父の目には異邦人に映っていたにちがいない」そう彼女は記す。
 二作目「クリスタ」は母の物語である。母については、思い出がよく語られている。その分、記述も長い。アメリカで暮らしながらついにアメリカに馴染めもせずそして、ドイツに戻ることもできなかった女性である。アメリカの敵国の異邦人として過ごした。
 三作目「神の息に吹かれる羽根」は著者の少女時代のバレエの思い出が描かれると同時に、人間の存在の、微妙な神聖な何かが描かれる。それゆえにこそ、彼女は芸術や美からも異邦人となっていく。
 四作目は「移民の恋」は、著者と思われる英語教師の主人公が、妻子持ちのロシア人不法移民の愛人として過ごす物語である。素直に1つのラブストーリーとして読んでもよいし、なぜ主人公がロシア人移民と関係しているのかは多少なりとも文学的な感性がある人なら理解できるだろう。
 だが、この短編集の四作目として読むとその重みが変わる。彼女は、異邦人である父や母を生きようとしている。祖国というものを持ちえない人間だけが、ある意味で本当のニューヨーカーなのだろう、というような奇妙思いにもとらわれる。
 対して読者である私たちの大半は、ヌーネスのような複雑な民族的な背景もなくこの世界に到来し、暮らし、恋をし、そして老いて死んでいく。だが、そうしたありきたりの人間でも、ありきたりな世界、あるいは理想的な世界であっても、どこかでいつも本当の自分というもののへの違和感と、自身の異邦人感を持ち続けるものだ。それを理解しようとすることは、自分がなぜこのような人生を歩んだのかという問いであり、また父母という歴史的な存在への問いになる。
 おそらくヌーネスはロシア人との不倫のなかで自分の存在を静かに父母から問い返したのだろう。そのような問いの原点は文学というものが生まれる自然で必然的な場となる。その意味で、この小説はきわめて文学だといえるし、文学というものの裸形を静かに、しかし、ひりひりとする痛みとともに描いている。


 死んで初めて赦される過ちがある。
「どうして自分を傷つけたかったの?」わたしを入院させた医師が尋ねた。
「なぜ、この男と一緒に行ったの。何が欲しかったの?」わたしと向かい合って座っている医師は、今度は女性だ。がっしりした、スタイルの悪い、いかにも主婦というタイプの女性だ。話し方は素朴で顔はもっと素朴だ。わたしはその顔を見て、考える。この人にどうしてわかるだろう? この人は、誰かに心を奪われたことがないのだもの。

 

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