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2016.11.18

[ドラマ] ザ・ニック(The Knick)

 HBO・Cinemaxドラマ「ザ・ニック(The Knick)」は、20世紀が始まったばかりのニューヨーク、ハーレムのニッカーボッカー病院(The Knickerbocker Hospital)を舞台としている。題名の「ザ・ニック」は実在した同病院の通称である。
 第1シーズンは10エピソードで、物語は1900年から始まる。歴史ドラマとも言えるし、医療ドラマとも言える。まず驚かされるのは、その時代状況のあまりにリアルな再現性と、そして冒頭から始まる衝撃的な外科手術、そして、2000年代の東欧的なエレクトリック・ビートの音楽である。タイムマシンで見たような世界なのに、そこには極めて現代的というか未来的な映像と物語が展開される。デストピアSFの感触に近い。会話は当時を思わせる古風な響きと現代語的なアイロニカルで軽快な言い回しが微妙に重なる。
 この時代からすでにハーレムは移民や黒人など貧困層が増大し、それに従い、住民の状況的にはすべてが、病院の必死の努力もむなしく、じわじわと絶望につながっていく。それが病院をも地獄に巻き込んでいく。
 こういうとヒューマンなドラマのようだが、どこにも単純なヒューマニズムはない。そのあたりも極めて現代的な作品である。監督のスティーヴン・ソダーバーグはこういう作品を作りたかったのだろうというのがよく伝わってくる。
 主人公は、ジョン・サッカリー医師。実在の人物ではない。役者はオスカー賞にノミネートされた俳優クライブ・オーウェンだが、どことなく役所広司のような印象がある。演技はもちろん抜群にうまい。天才的な医師だが、コカイン中毒になって、じわじわと人間として崩壊していく。もう1人の主人公が欧州で研鑽した黒人医師であるアルジャーノン・エドワーズ医師だが、上司となるサッカリーから差別を受ける。一話目はこの2人の対決から人種を越えていく感動的な物語かなとテレビドラマの枠内で想定したが、とてもそこには収まらない展開となる。なんというのだろうか。肉々としたルネサンス絵画をダークにしたような物語が映像として展開される。グロ映像にしだいに麻痺してくる。
 主要登場人物は物語の展開に従って微妙に焦点が当てられていく。全体物語は、第一話に見られる一話完結性はなく、いろろ多重的に展開されていく。このあたりのドラマ手法も非常に面白く、ところどころ、中間的・解説的な説明もなく、びっくり箱を当てたような小さな帰結が現れる。
 若干ネタバレになるが、看護師のルーシー・エルキンズを演じるイヴ・ヒューソンの演技がとてもよい。当初、若くて演技力のない大根役者かなと思ったが逆で、あえてこういう演出をこなしているのだろう。U2のヴォーカル・ボノの次女である。
 ドラマ作品としてはエミー賞などを受賞していることからもわかるように、すでにかなり定評がある。が、それにしても、ある程度安心してこうした長い尺の作品が作れるというのが、独立系のメディアの良さだろうなとしみじみ思う。映画の時代が終わったとは言わないが、新しいドラマと映画の棲み分けは始まっている。
 HBOの放映権はHuluが独占的に購入している。メディア戦略としても正しいだろうし、Netflixのオリジナル・コンテンツ路線などにも近い。いずれも旧来の視聴率にとらわれない独自コンテンツを上手に保持することが今後メディア戦略でいっそう重要になっていくだろう。
 ただ率直に言って、日本のHuluは日テレに買われたこともあり、表向きがべたな日本向けコンテンツ押しになっていて、なかなかに扱いにくい。当然、吹き替えなども日本のHuluは行わない。
 まあ、「ザ・ニック」について言えばは、手術シーンがグロいので通常のテレビ展開もできないし、吹き替えに見合うコストも回収しづらいだろうから、こうして日本で見られるだけ御の字の部類かもしれない。


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2016.11.16

[コミック] orange (高野苺)

 ドラマとメディアの関係が現在どうなっているのか、ということが、昨年あたりから妙に気になりだし、そうした視点からもとても面白かったのが、「orange」だった。原作はコミックで、当初「別冊マーガレット」2012年4月号から12月号まで連載され休載。「月刊アクション」で再開し2014年2月号から2015年10月号に不定期連載された。
 映画は2015年12月公開。『のだめカンタービレ』のように、原作の最終を追いかけるように映画が公開された。その後、この夏アニメとして、1クールのアニメ版が出来た。
 原作はそれ自体面白い。作者、高野苺の絵も、少女漫画にありがちな作風と見る人もいるが、私などには独自のアート性が感じられて美しい。この点は、アニメにもよく生かされていた。
 物語は、ある意味、単純というか、一見、誰もが思いつきそうな話である。
 長野県松本市の女子高校2年生の高宮菜穂こと「なお」は、2年生になった始業式の日、どこからともなく、10年後26歳になっている未来自分から手紙を受け取る。そこには、高校2年生の時代に起きる悲劇への後悔が綴られ、その悲劇を回避してほしいというメッセージが書かれている。
 悲劇というのは、その日東京から転校してくる成瀬翔こと「かける」の自殺である。物語は翔の自殺を防ぐために、彼女の友だちである村坂あずさ、茅野貴子、須和弘人(すわ)、萩田朔が関わっていく。悲劇は避けられるのか。
 一見すると、よくあるタイムパラドックス物で、そうした点からも読まれるのはしかたない。だが、その視点からは残念ながら欠点しか浮かび上がらない。しいてその点での解決は「パラレルワールド」ということになる。だが重要なのは、誰もが26歳には必ず抱くだろう青春の後悔であり、生きられなかった人生というの意味である。
 以下、ネタバレを含む。
 この物語で、生きられなかった人生は、表面的には、成瀬翔の自殺の有無に分かれるように見える。だが、作品の本質として分かれているのは、後悔の果てに須和弘人の妻となり子どもを産んだ高宮菜穂か、あるいはそうではないかもしれない高宮菜穂か、である。菜穂は成瀬翔と結婚するかもしれない。
 そこは、原作者の意図として継続作の『orange -未来-』で気になる。個人的には、菜穂は須和と結婚するだろうと思う。
 この物語で、人生の分岐での選択をしているのは、実は菜穂でも翔でもない。須和である。物語の隠された主人公は須和であり、物語のクライマックスは翔の自殺にあるのではなく、須和が未来の自分から受け取る妻と子どもの写真を眺めるシーンである。ここをコミックではさらっと描いていたが、アニメではカットを増やして重視していた。脚本家のすぐれた洞察力を感じた。
 ひどい言い方に聞こえるかもしれないが、これは、近代日本文学の宿痾ともいえるホモソーシャルの心性である。夏目漱石の『こころ』、高橋留美子の『めぞん一刻』、これらは、みな、男が女を性的に交換しあうことで同性の絆を深めていく。
 ただ、この作品もまたそうしたホモソーシャルな作品のいちヴァリエーションなのかというのが、作品後深く心に残る問題だった。
 須和としては、菜穂を愛するがゆえに自分の身を引いたという『紅の豚』的なダンディズムもあるが、そこにはさらにもう一段、無意識にひっかかるものがある。そのひっかかりは、菜穂が産む子どもが「翔」であることだろう。菜穂は「翔」の母になることで、過去の翔を生かす使命を受け取っている。
 奇妙な読解になるし、私の読解はまさに奇妙なものでしかないだろうが、メインの物語して描かれている高校生のドラマは、パラレルワールドというより、ただの無だろう。菜穂が「翔」を産んだことの意味が、パラレルワールド的に表現された幻影だろう。蛇足だが、コミックの5巻の裏表紙のカバーの下の絵が切ない。
 私たちの多くは、よほど鈍感か、あるいは文学的な感性のない人でなければ、青春とは深い悔恨であり、それによって刻み込まれた個性によってその後の人生を生きてゆくものである。若い日の悔恨に解消などはないが、なお生きるのであれば、そこから生きる課題を受け取るしかない。
 映画とアニメの話に移る。
 悪い映画ではなかったと思う。原作との改変は尺の都合でしかたがない面はあるだろう。むしろ私にとって残念だったのは、撮影の時間が限定されているせいか、松本という街の四季の美しさがごまかされてしまっていたことだった。この作品を映画化するなら、彼らをもっと松本の四季の風景のなかに融け込ませるべきだっただろう。
 アニメのほうは、自分のツボすぎてこれはまいったなあと思ったのは、菜穂の声の花澤香菜だった。声質の役作りは、映画の土屋太鳳の影響もあるようには思えたが……。
 アニメの作り込みはすばらしいものだった。1クールなので、映画の2倍の尺が取れることもあるだろう。それでも最終回前の回の仕掛けは見事だった。
 このあたり、他の作品にも言えることだが、映画というメディアがどうしても尺の限定を強く受けすぎている。

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2016.11.14

[ドラマ] マーチェラ(Marcella)

 変なテイストの作品だった。それだけでなんとも独自の中毒性のある作品だった。
 Netflixオリジナル・コンテンツなんで、当面、そこでしか見れられない。こういうのは今後もネトフリで囲っていくものだろうか。そこも気になった。
 邦題は『女刑事マーチェラ』として、主人公がまさに女性の刑事であることを示している。つまり刑事物語であり、予告や冒頭のシーンからもわかるようにサスペンス・ドラマでもある。そこまでは、では、マーチェラとはどういう刑事なのかという点に当然関心が向く。なぜ「マーチェラ」かという暗喩も多少気になる。英語圏なら「マーセラ」だろうし、ドラマのなかでも他者からは「マーセラ」と初対面では呼ばれやすい。
 こうしたドラマは基本、捜査手法や刑事のキャラクターに依存する。米国作品だと『アンフォゲッタブル』のような異能刑事物語だったりする。こちらは女刑事キャリー・ウェルズで、ポピー・モンゴメリーのキャラクターはよく生かされているし、ニューヨークという街もよく描かれている。街はこうしたドラマにおけるある決定的な要素だ。
 マーチェラはどうか。異能のようなものはあるかというと、少なくともキャリーのような異能はない。ガンファイトは出て来ない。街はロンドンだが、なんというのか、私などが思い描く風景的なロンドンというより、地上と上空の視線が絡み合うアングルの映像が多い。地上は先進国にありがちな矛盾した光景で、それは微妙に東京に似ている。上空からは開発の情景が強調されている。作り変えられていくロンドンということだ。まさにそのことが物語の中核にも関わっていく。
 物語としては、連続殺人事件物(シリアル・キラー物)であり、それに間違いもないのだが、微妙にずれている。シリアル・キラーの心性とマーチェラの心性は奇妙に融合していく。その融合の微妙な頂点に恐怖と空白が生じる。そこが作品も中心性であることは明らかだ。
 刑事でもあるがマーチェラは、刑事であることにまつわる悲劇を負っているが、どちらかというと表面的には2人の子どもを持つ40代の普通の主婦であり、その普通の人間が狂気に崩壊する様子とシリアル・キラーの物語は並行する。そして頂点となる空白の空間のなかで善悪の倫理は消える。『デアデヴィル』のような、何が善で何が悪かという葛藤や矛盾、融合、鏡像ではない。そのせいか結果としてマーチェラの心性はある一線をぼんやりと越えていく。そのことが、マーチェラ自身と彼女を取り巻く、性の欲動とも共鳴するあたりは、恐怖とは異なっていながら、エロティックでぞくぞくとするものがある。
 サスペンス・ドラマにありがちともいえるが、作品はかなり映像にもたれかかっている。これが小説化できるのかよくわからない。推理小説的には、映像に拠ったサブストーリーがいわゆる「燻製ニシンの虚偽」ということになるが、『ボディ・オブ・プルーフ 死体の証言』のような単純なものではない。そららは最終的には狂気のなかにきれいに統合されることになる。
 気になって作者を調べてみると、スウェーデンの作家ハンス・ローセンフェルトだった。なるほど北欧的な暗い感じはそうした感性からだろうかと関連情報を見ていくと、『THE BRIDGE』の脚本家でもあった。メキシコ国境?と思ったが、どうやら米国リメークの前作品があるようだ。
 シーズン1は8話と短い。シーズン2も企画されているらしい。シーズン1で残された問題を引き継ぐのか、別の物語になるのかはわからない。

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2016.11.11

この間気になっていた5つの議会のこと

 政治の話題はどうしても政局的になりがちだが、この間、5つの議会のことが気になっていた。本来なら一つ一つブログの記事にすべきだったが、機会も逸しつつあり、メモ書き的程度になるがまとめておきたい。

ワロン地域議会
 ベルギーの南半分で、主にフランス語圏のワロン地域議会が10月14日、欧州連合(EU)とカナダの包括的経済貿易協定(CETA)締結に反対した。ワロン地域の思惑としては、カナダの酪農製品が脅威だった。これ、なんというのか、SF的だが民進党が近畿地方分権地域議会をもっていてTPPに反対したといったようなものだった。
 これがベルギーとEUの仕組みによって、傍から見ると奇妙な連鎖を起こした。ベルギーでは連邦政府が対外協定を承認するには、7つの地域議会の協調が必要になる。ここが転けたのでベルギー連邦政府はEUに対して、CETAは無理ぃ、という報告をした。すると、CETA調印にはEU加盟28か国すべての承認を得る必要があるため、CETA自体がEU全体を巻き込んで頓挫した。5年にわたる協議が吹っ飛んだ。約350万人の地域の議会の意思が7億人に影響をもたらすことになった。
 なんとも現代世界を象徴する事態だなあ、どうにかならないのか、これ、と傍観していたが、10月27日、ベルギー連邦政府がワロン地域議会を説得した。というか、ワロン地域議会が自身の決定の影響にビビった感はあった。
 地方分権と国家間の協定がどうあるべきなのか、実に考えこまされる事例だった。

英国EU離脱には議会承認が必要
 英国高等法院は、11月3日、英国欧州連合(EU)離脱について、離脱手続きを開始するためには議会承認が必要だと判断した。え? なんだそれ?
 これは訴状を受けたもので、首席裁判官トマス卿によると「欧州連合離脱を通告するための、国王大権(閣僚が代行する権限)にもとづく権限は、政府にはない」らしい(BBC報道)。審理した判事3人は、EU関連法に関する国王大権行使の憲法上の前例がないとした。この問題だが、近く最高裁判決が出るらしい。仮に議会承認が必要となると、何が起こるのだろう? よくわからない。
 この議論で興味深かったのは、議会のあり方が再び問われるということと、「憲法上の」という意味合いが難しいことだった。日本の場合は、日本国憲法が、だーんと、「これが憲法だぁ」と現れるが、英国の場合、憲法は成文法ではなく、報道を見ても、constitutionというより、constitutionalで議論していて、「憲法だぁ」というより、「英国とはこのような国家である」という法的な了解となっていることだった。
 ちょっと思ったのだが、日本の場合も、現行憲法は「1946年憲法」として残し、成文法自体を廃棄しても特段に問題はないのかもしれない。というか、実質そうなっているよなあ。

香港議会の騒動
 香港では9月の議会選挙で独立派・本土派の梁頌恒と游蕙禎が当選し、10月12日に議員就任宣誓式が行われた、この際、両人とも"Hongkong is not China"という横断幕を持ち込んで眼前に広げ、さらにChinaをChee-Naと発音して、中国政府の逆鱗に触れた。2人は全人代常務委員会によって失職となった。ひどいものだと思えるが、もともと中国政府を怒らせるパフォーマンスだったので成功だった。今後だが、裁判に持ち込まれる。司法が問われることになる。
 これで一連の騒ぎが終わるかと思っていたら、10日、さらに8人の議員資格を審査に及ぶことになった。彼らも失職させられれば、70議席中10議席空席、20議席が中国批判勢力となる。
 もうほとんど民主主義的な議会ではなくなる。
 香港世論としては、ただ、今回の事態について、微妙な感じでいるようだ。

米国議会
 大統領選挙に関心が向くのは自然だが、米国では議会選挙もあった。上院は民主党47・共和党52・待ち4、下院は民主党193・共和党238・待ち1、ということで両院とも共和党となった。
 今回の大統領選挙でトランプ候補が勝つと見たメディアはなかったが、下院の共和党勝利は予測されていた。この点からすると、仮にクリントンが勝っても米国の行政は行き詰まることが予想され、上院の状況にかかっていたが、こちらも共和党ということで、あとは、トランプ大統領と議会が協調すれば、米国政は無駄なく進む。
 また12州で州知事改選があり、現状、民主党15、共和党33。
 クリントンかトランプかという点に目が向きやすかったが、重要点は共和党の行政・議会の優位にあった。

日本の議会
 日本の議会について、TPPからみで少し書こうと思ったのだが、気力がなくなってきた。ので簡単に。
 本来の論点は、輸入米に関連した国内の米価格の実態にあり、米の卸業者が調整金をもらって国内に安価に流通させている実態があれば、TPP試算にも影響するかということで、総量としては少ないので、どうでもいいかという問題でもある。
 それが、なんかよくわからない失言問題とか、トランプ次期米国大統領はTPP反対だから急がなくていいとかいう議論とかになって、もうなにがなんだか。とかいうと、それが大問題だとかいう議論になるのだろう。

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2016.11.10

トランプ候補はなぜ大統領選に勝ったのか

 トランプ候補はなぜ大統領選に勝ったのか。後から理由を考えるというのもむなしいともいえるし、そもそも予想が外れた反省というものはそういうものだともいえる。いずれにせよ、自分なりに気になることをこの機に書いておきたい。たぶん、この基調傾向は日本にも影響してくる。すでに先日の都知事選挙でもその影響があったようにも思える。
 まず、メディアに左右されず米国社会を素直に見ていたらトランプ勝利がわかったはずという意見が当然のごとく出る。だが、これは単純に誤りだろう。特定の個人が生活空間から知りうることは限定されているし、米国の場合、州や階層でかなり分断されているので、どこに自分が置かれているかしかわからないものだ。
 次に前提なのだが、メディアからは今回の米国大統領選挙の本当の動向はわからなかった。メディアの予測は恥ずかしいほどに外れた。むしろそのことがここでのテーマであって、トランプ大統領がどうということは少し脇に置いておきたい。
 3つ確実にいえることがある。
 一点目は繰り返しなるが、メディアの予想は大きく外した。なぜメディアは外したのだろうか。その点が2つにわかれる。まず、従来の選挙予測が有効ではなくなったこと、もう1つはメディアにバイアスがあったことだ。
 従来の選挙予測が有効ではなかったは、統計学的に見れば母集団が従来手法で拾えなくなったことだ。従来は個人の政治的な意思表明と行動はある程度単純な結合だったが、今回の大統領選挙ではいわゆる「隠れトランプ派」が多かった。表向きはポリティカル・コレクトネスを装いながら、きれい事しか言わない人が多くなった。口頭的な調査では、投票行為につながる意図は拾えなかった。逆に、そこを上手に拾う手法をトランプ陣営は持っていたはずだ。
 メディアのバイアスは、メディア自身がポリティカル・コレクトネスに酔っていた面もある。こうあるべきだ、当然こうだ、といった枠組みで見ることで、実態が把握できなかった。しかし、メディアのバイアスでもっとも大きかったのは、資金と組織だろう。資金と組織が大きく整っているほうが勝つ、あるいは、メディアはそうした組織とインタフェースがうまくいく。
 このことは、二点目にもつながる。クリントン陣営とトランプ陣営では、選挙資金に二倍以上の差が開いていた。クリントン陣営はクリントン財団を中核に、選挙の資金が流れ込む入念な仕組みを作り上げていたが、実際にはそこが強みではなく、今回は弱みになっていた。資金援助者はオバマ時代に築かれたイスタブリッシュメントであり、その意向にクリントン陣営は配慮しなければならない。金が絡む主張はあいまいとなり、言い方は悪いが直接金に関係しない話題が前に出てくる。
 このクリントン陣営の構造的な問題は、民主党内で早々にサンダース現象として現れていたが、十分に解消できず、むしろ、イスタブリッシュメント攻撃としてのサンダース現象はトランプ現象に吸収されてしまった。
 三点目は、接近州での選挙戦が、結果から見ると非常に巧妙だった。米国ドラマ『スキャンダル』ではないが、選挙参謀のフィクサーがこの面では決め手になる。では誰がトランプ陣営のフィクサーだったのかあたらめて調べ直したら、ジェイソン・ミラーだった。彼は共和党候補だったテッド・クルーズの元選対で、つまり、極右のテッド・クルーズの元選対の職がなくなったのを、トランプが拾った形になっていた。推測でしかないが、ミラーには右派の票の広がりがどのように地域・階層分布しているかを、クリントン陣営よりはるかに理解していたのだろう。
 この「理解」というのは、SNSとTV広告のバランスでもある。もともとトランプはTVでの知名度が高いし、今回は各種炎上演出をして広告効果を狙っていたので、クリントン陣営ほどのメディア出費は不要だった。その分、SNSなどデジタル・メディアに当てることができた。そもそもメディアの使い分けが上手だった(参照)。
 驚くのだが10月19日の時点で、トランプ陣営は広告費全1億2900万ドルのうちネットに当てたのは5700万ドル、対してクリントン陣営は1000万ドルほどだった。つまり、実質トランプ陣営は6倍のSNS支援を行い、これによって、クリントン陣営の支援組織力に対抗していたと見ることができる。そして10月に入るとトランプ陣営は残り資金の70%を接戦州のTV広告に投入した。この額だけ見れば、クリントン陣営に並んだ。
 金の使い方が投資のビジネスマンらしく上手だなと思うが、それも結果論であり、どのようにSNSとTVに資金投入を分けるかという技法はまだ判然としない。先の『スキャンダル』を鵜呑みするわけではないが、接戦州内のかなり細かい分析はされているだろう。
 全体として、選挙におけるTVの時代は終わり今後はSNSの時代だ、とまではいえない。上手な組み合わせが必要だとはいえるだが、どこが「上手」の要点かはわからない。
 ただ、こうした選挙運動全体が、どのようなメディアを使うのであれ、実際に投入されたメディアの跡を見なおすと、それらは政策や主義の情報やコミュニケーションではなく、感情をトリガーする操作が決め手になっていたとはいえる。

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2016.11.09

[書評] トランプ (ワシントン・ポスト取材班、マイケル・クラニッシュ、その他)

 興味深く、ある書籍を読んだ後、そのことをこのブログに書くことを、なんとなくではあるがためらう機会が増えてきてしまったようにも思う。そうだなあ。特に理由はない。そうした一冊として、ワシントン・ポスト取材班とマイケル・クラニッシュ、その他による『トランプ』(参照)がある。10月10日に出版されすぐに読み、読後、奇妙な感慨があった。ドナルド・トランプという人をこうして、自伝以外からきちんとジャーナリズムを通して眺めて見ると、なかなかに味わいの深い奇妙な人物である。本書はその陰影をまずこう述べている。

 ドナルド・トランプは称賛であれ批判であれ、注目されるのは良いことだと考えている。自分のイメージがそのままブランド・イメージになるため、自分そのものがブランドイメージだという信念で生きていきた。私たちは、トランプも他の人同様、噂やブランド通りではないという考えの下で取材にあたった。そしてその通りだったと確信した。次期大統領になるかもしれないトランプは、口にする単純明快な言葉より、はるかに複雑な男だった。

 この時点で、ドナルド・トランプは「次期大統領になるかもしれない」人物ではあるにせよ、本当に米国大統領になると予想した人は、おそらくその支持者以外はいなかっただろう。なぜならその予想の理路というものが存在しないからだ。いや、そうでもない。ブラック・スワンのように見える出来事でも振り返ってみれば、そこに必然のような理路が見えてくる。本書もそうした理路から読み直せる。
 そしてこの必然ということは、この人物が世界で最大の権力を持つ人間になったということだ。その意味は、米国の深い影響下にある私たち日本人にとっても、彼をこれから深く理解しなければならないということであり、その理解とは、彼が「口にする単純明快な言葉より、はるかに複雑な男だった」という事実に向き合うことである。
 単純に言えば、本書は、日本人の必読書になったのである。今日、この日から。
 本書は、客観的な取材に基づくドナルド・トランプの評伝と言える。私のように1980年代から彼のことをメディアを通して知っていた人にしてみれば、さまざまにメディアを通して語られたネタ話の裏側が手に取るようで面白い。彼が日本の銀行との関連があったことの、いわば秘史に近い話も頷ける。有名な「お前は首だ」という決めセリフの割に、彼は自分の従業員を首にしたがらない性格だというのも面白い。
 いろいろな逸話もきれいにまとまっている。たとえば、トランプはビル・クリントンの後釜狙いで民主党と協調し、その頃はヒラリー・クリントンとも、懇意とは言えないまでも、支援金を仲立ちに親しい間柄だったことなど。
 だが評伝として見れば、彼という人格がどのように形成されてきたのかという核の部分が微妙に見えてこないもどかしさがある。そしてそのことに対する奇妙な執着が取材班と著者のマイケルに基調音のように意識されている。それが本書にある種文学的な陰影を与えている。例えば、トランプという人物の表面的な人生には母というものがなぜか不在である。そしてそれに関連するのか、美女との結婚を繰り返し、性的に優越であることを見せかけている。だが、その背後にもビジネスの思惑がある。
 そうして見るなら、彼はただ抑えることができない乾きのように生涯をビジネスに投入している人物である。仕事中毒である。読後、そのことが心に残る。もしかすると、これこそが「資本主義の精神」といったものではないかとも思える。
 他方ビジネスマンであると同時に彼はショーマンというのか、トーク芸人でもある。先日、ダナ・カーヴィのトークを見てそのなかのトランプの物まねもが面白かったが、そこにもしトランプ自身がいたら、カーヴィに劣らぬ面白さを展開しただろう。カーヴィはオバマ大統領もおちょくれる芸人ではあるが、基本は知性に依存している分だけに弱い。トランプはそこを見事に吹っ切っている強さがある。そう、トランプは、知性というものの弱さをよく知っている人間である。今回の大統領選でも、隠れトランプ派の息づかいを彼はきちんと知っていた。
 彼の根底にあるものは何だろうか? 本書から見えるのは、なんのイデオロギーもない人である。ただ注目を浴びたい人にも見える。だが、微妙に米国への素朴な愛国心も浮かび上がってくる。リンカーンのような大統領を素朴に尊敬し、彼なりに現在の米国は間違っていると思ってもいる。「アメリカを再び偉大な国にする」という彼の商標もショーマンのビジネス向けである。
 その他のことして本書読後、今回の選挙戦を通じてメラニア夫人に関心を持つようになった。彼女は、旧ユーゴスラビアの、平凡なコンクリート集合団地で育った。まさに社会主義そのものの鬱屈した子ども時代を過ごした。そこを出ることができたのはファッション・モデルとしての道が偶然開けたからだった。モデル業をしていたニューヨークでも質素に暮らし貯金をしていたという。トランプと結婚して子どもができてようやく米国市民権を得た。そうした背景から当然、英語も得意とは言えない。反面、母語のスロベニア語の他、セルビア語が話せる。モデル業の関連で、フランス語、ドイツ語も話せるらしい。モデル時代の社交経験も加え、実は彼女は、ファースト・レディとしてとても有能な人かもしれない。
 トランプ大統領はどのような米国大統領になるだろうか。たぶん、全世界の人々をがっかりさせるようになるだろうと思うが、そういう私は今日の日の彼を予想できなかった。
 マイク・ペンス副大統領候補の選択も予想外だった。彼はいわゆる正当派の共和党的な人物であり、こうした人をきちんと選び出したのは、本書によれば彼が信頼できる家族だったらしい。彼が大統領となっても信頼できる有能な側近がいたら、損得をビジネス的に見るとしても、それなりに国家運営ができるかもしれない。
 それでも、トランプ大統領という存在は私には気が重い。彼が直前にテレビに出したプロパガンダは多くの憎しみに満ちている。そこには民主党の大統領候補であったサンダースの呪いのようなものさえ感じられる。憎しみから生まれるものは、ろくなものがない。

 そしてこの映像メッセージは、率直に言えば、危険な陰謀論だと私は思う。

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