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2016.09.26

[書評] ピンクとグレー(加藤シゲアキ)

 最初に映画のほうを見た。行定勲監督・蓬莱竜太脚本の映画『ピンクとグレー』である。今思うと幸いであった。映画のキャッチフレーズである「幕開けから62分後の衝撃! 」についてはなにも知らなかったからである。
 映画の手法としてはおそらく、そう特異なものでもないだろう。映画の作り手の側の、ある意図がこのような手法を採っているのだろうということは、自分なりにも理解できた。映画ツウ的な映画であろう。と同時に、70代に少年時代を過ごした私の世代にとってはATG的な映像の作りにも似ていて共感していた。
 先に触れたキャッチフレーズにあるように、映画作品としては、というか興行的には大きなどんでん返しがある。『シックスセンス』のような最後のどんでん返しというより、映画の中盤にあり、その部分は、いわゆるネタバレに属するのだろうと思う。その意味では以下は、ネタバレを含む。
 だが、これはネタバレというより、現代小説や現代的な映像によく使われるメタフィクションであり、フィクションのなかにフィクションを埋め込む映像自身の解体的な表現でもある。そこで注視すべきなのは、興行的な仕掛けというより、主題であろう。
 この作品は、まず主題が問われるべきだろう。ではそれはなにか。
 映画は冒頭に衝撃シーンがある。後にノスタルジックな映像に包まれている物語は、小学校時代から親友である、鈴木真吾(ゴッチ、芸能人としては白木蓮吾)と河鳥大貴(リバ)の少年期・青春期である。これに幼なじみの女の子、石川紗理(サリー)が加わる。その映像は70年代を連想させる投稿校外の団地の生活から、遊び場としての「渋谷」に変わる。この映画そして小説の一つの副主題は「渋谷」でもある。
 真吾と大貴の二人は高校でバンド作り、二人ともモデルなども経て芸能界を目指すが、真吾だけがスターダムにのし上がり、大貴は落ちぶれていく。それでも二人の交流があり、そうしてある日、大貴が蓮吾のマンション呼ばれ、そこで縊死した蓮吾を発見する。と、異次元から、カット!の声が響く。
 そこまでは大貴が演じていた真吾の映画内映画で、その後はモノクロベースの大貴の物語となる。いわば現実がモノクロ化される。
 映画の中に映画のメタフィクションが埋め込まれているのは、当然、この映画の主題に関連している。それを単純に言えば、一つは真吾の内面を虚構化して追体験の形でその孤独を暴露することであり、もう一つは、スターダムというもののある恣意的な可換性である。
 後半の主題のほうはある意味わかりやすい。おそらく誰もが、スターに憧れたり、嫉妬したりという経験をするからだ。そして現実のスターは生まれつきそのスターダムに鈍感であるか、しだいに違和感を見失うことで生き延びていく。スターダムを現実として、そのただなかでその違和の感覚を文学的に維持することは難しい。加藤シゲアキという作家には奇跡的にその意識を保つ強度があり、それが文学的な表現に向かわせた結果、それが映像作家たちを刺激したのだろう。このことに気がつく時点で小説を読む必要はあるだろうと予感する。
 もう一つの主題は、真吾という人間の、その固有の孤独の核の感覚である(作者の違和の強度でもある)。これをあえて単純に言えば、天性の表現者に固有の孤独感であり、表現への強迫である。映画では、この主題は冒頭に描かれる真吾の姉の死の継承として象徴される。
 さてこの映画だが、ある意味で映像的にも脚本的にも完成度の高いものだった。がだからこそ、この原作小説はどういう構造をしているのだろうか知るために小説も読んだ。
 小説のほうは、加藤シゲアキの処女作らしい。が、文体も構成もかなり成熟したもので、同年代の村上春樹よりも日本語は達文なので驚いた。ただし、主題の追い詰め方は、おそらくそこが処女作の意義でもあるのだろうが、無意識的な感性に拠っているために、「姉」なる親密性に吸着していった。
 それは、土居健郎自身の本来の定義での「甘え」の世界であり、その意味では比喩的には同性愛の物語だとも言えるだろう。あるいは、ジャック・ラカン的な意味でのファルス(phallus)のない世界でもある。こうしたすでに古典的な精神分析的な世界から見れば、この小説には、普通に個の輪郭をなさない地獄が描かれているだけにすぎないとも言えるが、映画では逆にそうした「甘え」の郷愁に焦点を持っている。
 小説では、この地獄は、文学の文字表現という虚構性(たとえば六通の遺書や断章的な表現)によって対象化されていくると同時に、縊死にともなう脱糞の描写への視線がむしろ作家のある過剰な正気を反映していることで、アイロニカルな開放性を持っている。
 おそらく加藤シゲアキは村上春樹のように死に取り憑かれた作家ではないだろうが、その過剰な理性が、凡庸であるべき自我の輪郭を浸蝕されるある狂気の形をしていくのではないか。そんなふうに思えた。

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