「津久井やまゆり園」事件、雑感
神奈川県「津久井やまゆり園」で元職員の男が、同施設の入所者、年齢19歳から70歳の男性9人・女性10人を刃物で殺害する事件が起きたのは、先月26日のことで、もうしばらくすると1か月になる。事件は日本国のみならず世界を震撼させる話題となったが、海外での受け止め方は、①これはISなど宗教・政治的なテロではないこと、②日本では大量殺人は非常に珍しいこと、の2点に集約されていた。対して日本では、全日本自閉症支援者協会の声明に見られるように、ヘイトへの危険性として受け取られることが多かったように思われた。また、ネットなどでは優生思想の危険性が政局の枠組みと関連づけられて語られている様子もしばしば見られた。
例えば同協会の声明の事件の認識の核は次のようだった(参照)。
今回の事件の詳細については、十分に把握できない状況ですが、警察の被疑者への取り調べやメディアを通じた情報によれば、被疑者は、「障害者はいないほうがいい」、「障害者は生きていてもしょうがない」などと、障害のある人たち、とりわけ重度自閉症の人たちをはじめとした重複障害の人たちに対する極端な差別的かつヘイト的言動を繰り返していたと伝えられています。
今から77年前の1939年から1941年にかけて、障害者や難病者が「生きるに値しない生命」として、約7万人を抹殺したナチス・ドイツの「優生思想」を被疑者の言動から思い起こします。
同声明にある事件の詳細だが、現状でも「十分に把握できない状況」は変わらないように思われる。ただ詳細について、メディアやジャーナリズムではあまり語られていないことが私には気になっていた。これは後に触れたい。
事件で私がまず思ったことから思い返したい。それは、「なぜ、大量殺人が可能だったか?」という技術的な側面だった。別のややアイロニカルな側面で言うなら、大量殺人に至らなければ、ヘイトや優生思想という文脈は依然重要ではあるものの弱まったかもしれない。というのも、暗黙裡にではあるが、今回の事件後には、ある一定の人々の内面では、ヘイトや優生思想を排除することでこの大量殺人が防げたのではないかという過去を取り戻すタイプの期待が形成されていたことだろうからだ。しかし、実際に大量殺人を防ぐのはどちらかというと、防御・安全の技術である。
今回の事件で大量殺人が技術的に実現したのには二点の理由があるだろう。まず、対象が知的障害者という弱者だっために自分を十分に守ることが難しかったことが予想される。
そこから連想されたのは、2001年の池田小事件である。8人の小学生が、同じく刃物によって殺傷されたが、それも小学生という弱者であったからだった。この事件の死刑囚はヘイトや優生思想は語らなかったが、弱者への大量殺人の構図としては同じであった。
池田小事件の連想は二点目の理由に関連する。安全の体制である。これは、今回の事件で言えばまず、津久井やまゆり園の安全体制であるが、弱者保護の点で見るなら、すでに起きてしまった池田小事件の後の日本社会での小学校の安全体制が教訓的に問われるはずだ。補足すれば、弱者の集まる施設をどのように安全に保つかは日本社会の将来わたって大きな課題である。
では、池田小事件後、小学校はどのような安全体制を確立しただろうか。同校については2010年に学校全体で安全対策について世界保健機関(WHO)が認定する「インターナショナル・セーフ・スクール(ISS)」を取得した。日本では、2013年時点で、厚木市立清水小学校と東京都豊島区立朋有小学校の2校が認定を取得している。世界での認定校は約130校ほどなのでそもそも多いとは言えない。だが、日本の小学校で3校程度であれば、この方面の安全の制度化は未だに十分に進んでいるとは思われない。
他方、国はどうしているのかというと、2012年に閣議決定で学校保健安全法に基づく「学校安全の推進に関する計画」を5か年計画として策定している(参照)。ただ、具体的な外部からの犯罪者への対応の仕組みについては明瞭にはここから読み出せない。むしろ参考になるのは、2014年の読売新聞記事「「池田小事件」教訓に安全対策」(参照)でこれを見ると、①防犯カメラの強化、②地域ボランティアの強力、くらいしか具体的な防御・安全の技術は推進していないように思われる。
話題を「津久井やまゆり園」に戻すと、こうした施設弱者への安全・防御の技術はどうあるべきだろうかということが社会的に問われるべきだが、世論ではそうした技術的な側面への声は少ないように思えたのは意外でもあった。というのは、この問題は知的障害者だけでなく、急増する老人介護施設についても同じ問題を潜在的に抱えているのであり、むしろ急務である。
具体的に「津久井やまゆり園」のような知的障害者施設固有の文脈でこの件を見ると、私が事件一報で気になったのは施錠であった。連想したのは、6月に発覚した鳥取市の障害者支援施設「県立鹿野かちみ園」での施錠である。こちらの施設では、知的障害など女性入所者3人にを最長約20年食事時などを除いて施錠した居室に閉じ込めていた。同県はこれを虐待と判断し、同園に施錠の中止と再発防止策の報告などを指示した(参照)。が、園としては家族、本人の同意を得ていたとしている。
この問題背景には、2011年に成立した「障害者虐待防止法」(参照)も関連している。同法の理解は難しいが、報道記事にもあるように「施錠を含む身体拘束を緊急で他に手段がない場合に限って一時的に認めている」ことがある。施錠自体は違反ではない。むしろ、知的障害者の危険行動を防ぐための施錠は当然なされているはずである。
話が前後してしまったが、私がまず疑問に思ったのは、今回の容疑者がどのように施錠を解いたかという技術的な側面だった。これについては後の報道でも明らかになったように、同施設では一種のマスターキーが存在しており、容疑者が同施設で働いてその仕組みを熟知していたことに拠っていた。その意味では、今回の事件はヘイト・優生思想という一般論よりかなり特殊な犯罪であったようにも思われる。
さて先に言い残した、メディアやジャーナリズムではあまり語られていない部分だが、社会的にヘイト・優生思想で覆われてしまったかに見える、容疑者の世界観・思想である。
容疑者は2月15日、東京都千代田区衆院議長公邸を訪ね、土下座で頼み込んだうえ、大島理森衆議院議長にあてた手紙を渡している。ここに容疑者の思想がかなり長文で述べられている。これは、日本テレビなどで一部黒塗りで報道されていた。内容を見てみよう。まず冒頭部分。
衆議院議長大島理森様この手紙を手にとって頂き本当にありがとうございます。
私は障害者総勢470名を抹殺することができます。
常軌を逸する発言であることは重々理解しております。しかし、保護者の疲れきった表情、施設で働いている職員の生気の欠けた瞳、日本国と世界の為と思い居ても立っても居られずに本日行動に移した次第であります。
理由は世界経済の活性化、本格的な第三次世界大戦を未然に防ぐことができるかもしれないと考えたからです。
冒頭部分には、ヘイト・優生思想は直接的には見られず、むしろ、世界経済を活性化させ、第三次世界大戦を未然に防ぐ大義が掲げられている。端的に言えば、容疑者自身の思想としては、これは、ヘイト・優生思想ではなく、平和思想の帰結の行動だった。
しかしもちろん、ヘイト・優生思想は後続に見られる。
障害者は人間としてではなく、動物として生活を過しております。車イスに一生縛られている気の毒な利用者も多く存在し、保護者が絶縁状態にあることも珍しくありません。
私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です。
このブログでも「[書評]優生学と人間社会 ― 生命科学の世紀はどこへ向かうのか(米本昌平、橳島次郎、松原洋子、市野川容孝)」(参照)で触れたように、優生学は単純ではない。容疑者の思想も、広義にはヘイト・優生思想ではあることに論を俟たないが、フランスなどが実質制度化している出産前検査での中絶の是非などの議論とも関わる難しい部分も含まれている。
さらに後続を見ると、ヘイト・優生思想的な思想展開はなく、奇妙で稚拙な陰謀論が現れ、そこにはメディア公開では黒塗りされている部分がある。
フリーメイソンからなる■■■■■が作られた■■■■■■■■を勉強させて頂きました。戦争で未来ある人間が殺されるのはとても悲しく、多くの憎しみを生みますが、障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます。
今こそ革命を行い、全人類の為に必要不可欠である辛い決断をする時だと考えます。日本国が大きな第一歩を踏み出すのです。
世界を担う大島理森様のお力で世界をより良い方向に進めて頂けないでしょうか。是非、安倍晋三様のお耳に伝えて頂ければと思います。
黒塗り部分だが、すでにネットでの解読が進んでいるように、同容疑者のツイッターでの記録との参照とフリーメイソンとの関連から、この伏せ字部分は「フリーメイソンからなるイルミナティが作られたイルミナティカードを勉強させて頂きました」であろうと思われる。なお、イルミナティカードとは、米国製ゲーム会社「スティーブ・ジャクソン・ゲームズ」(参照)が1995年に発売した「イルミナティ:ニューワールドオーダー(Illuminati: New World Order)」である。ただのカードゲームの玩具に過ぎず、陰謀論的な背景は実際には存在しない。
報道上、この程度の玩具である「イルミナティカード」を伏せ字とした理由はわからない。厳密に言えば、この伏せ字読解が正しいかもわからない。しかし、容疑者の思想の核は、これに対する個人的な妄想的な解読に関わるとしてよいだろう。つまり、今回の事件は、容疑者が「イルミナティカード」をどう考えていたが問われなくてはならないはずである。少し踏み込んで推測すれば、容疑者は自身を彼の理解するフリーメイソンの一員と見なし、大島理森衆議院議長もそうだと見ていたのだろう。
こうした妄想的な文面の関連で気になることは以下である。
作戦を実行するに私からはいくつかのご要望がございます。
逮捕後の監禁は最長で2年までとし、その後は自由な人生を送らせて下さい。心神喪失による無罪。
新しい名前(■■■■)、本籍、運転免許証等の生活に必要な書類、美容整形による一般社会への擬態。
金銭的支援5億円。
これらを確約して頂ければと考えております。
こちらの伏せ字は推測できない。また、この手紙にそもそも大島理森衆議院議長が答えたとも思えない。だが、容疑者には、これに諾の回答があったと確信していたのだろう。そう推測されるのは、この件について、毎日新聞記事「相模原殺傷 容疑者「自分は死刑にはならない」発言も」(参照)で報道された言及が対応している。
「今の日本の法律では、人を殺したら刑罰を受けなければならないのは分かっている」。植松容疑者はこれまでの調べでそう供述する一方、事件への反省の言葉はなく、「権力者に守られているので、自分は死刑にはならない」という趣旨の発言もしているという。
容疑者自身は、自分では平和思想の保持者であり、依然自身を彼の理解するフリーメイソン一員と理解し、これが日本の権力者の同じであると確信しているのだろう。もちろんそれだけなら、よくある陰謀論者の一人に過ぎない。そこはこの問題の本質ではない。
問題はこの、彼の確信がどのような経緯で成立したかにある。おそらく、それは先の手紙の回答の存在とその理解を前提にしているはずだ。つまり、現実には存在しない衆議院議長からの回答を容疑者としては得ていたということだ。その意味で、おそらく容疑者の行動の根幹にあるのは、幻聴のような精神活動であろう。こうした精神疾患については当然専門医の判断を待つべきだが、以上のように考えるなら、容疑者にはおそらく統合失調症のような疾患があるのではないだろうか。
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