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2016.07.14

[書評] オキナワ論 在沖縄海兵隊元幹部の告白 (ロバート・D・エルドリッヂ)

エルドリッヂ博士による新書『オキナワ論 在沖縄海兵隊元幹部の告白』(参照)は、なかなか感慨深いものだった。新書でありながらテーマが盛りだくさんで、「第一章 国立大学から海兵隊へ」では彼のパーソナル・ヒストリーと関連させつつも、歴史学の点からは彼の主著の一つともいえる『沖縄問題の起源―戦後日米関係における沖縄1945‐1952』(参照)の要約的側面があった。逆に言えば、この部分に史学的な関心を持つのであれば先の専門書を読めばよいだろうし、現代史の学者には必読だろう。

また「第三章 トモダチ作戦と防災協力の展開」は、彼の社会的実務家をよく表現していた。この三章を読むと、エルドリッヂ博士の信条の根幹にあるものがよく伝わってくる。日本の政治家が学ぶところが多いはずだ。特に大都市の首長となる人には欠かせない知識でもあるだろう。その面では別途、『次の大震災に備えるために―アメリカ海兵隊の「トモダチ作戦」経験者たちが提言する軍民協力の新しいあり方 』 (近代消防新書)(参照)が有益だろう。首長を目指し、これから勉強をされるという後期高齢者のかたにも有益であることは疑いえない。

「評価」というのでもないが、ある意味、理解が難しいのは、「第二章 米軍基地再編の失敗と政権交代」である。この章では、民主党政権が、ナイーブに引き起こした沖縄問題の本質のかなり重要な側面を表しているいるとともに、結果としてのその時期の民主党政権やそれまでの自民党政権の問題も炙り出している。

本書によって気づかされたのだが、こうした表層的な「沖縄問題」は、実際上、米海兵隊の政治的な性格にも関連している。

この問題が、学究かつ実務肌のエルドリッヂ博士を時事的な事件に追い込むことになったことを私たちは知っている。

第二章のこの部分は、「第四章 沖縄のメディアと活動家との闘い」に継がれ、簡単にいえば、沖縄の左派的な政治運動家の虚偽を暴くかたちでの彼の行動と、米国政府での対応の狭間に置かれる事実上の「処罰」を見ることになる。本書の側からは、純粋な志のエルドリッヂ博士に共感も持つが、蟷螂の斧にも見えなくもない。

それらの命題はさらに、「第五章 沖縄問題の解決へ向けて」として、沖縄・日本政府・米国政府・米軍の総合的な視点での沖縄論に触れていく。

この章では「沖縄問題」が政治学的に合理的に描かれている。が、沖縄のエスニシティ関連した形での米政府による沖縄統治統治下史、さらにベトナム戦争が沖縄に与えた歴史の心情的な部分はうまく掬い上げられていないように私には思えた。その部分については、率直に言えば、沖縄というエスニシティの親族構造の内側に入らないと見えない部分でもあり難しい。このあたりの機微を私は私なりに自著で論じてみたが難しいものだと感じている。

エルドリッヂ博士は、新書形式の本書の出版後に類似の新書や一般向け書籍や対談なども著しているが、率直なところ、羮に懲りて膾を吹くということにならないよう懸念をもった。率直にいえば、博士は明白な日本の右派勢力とは距離を置いたほうがいいだろう。なにより、この分野の学究研究はさらにまだ多くの余地がある。むしろそうした学業の成果に大きな期待をもって待っている日本の読者もいることを覚えていていただきたい。

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