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2016.04.12

[書評] 外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か (白井恭弘)

2月に立川にジュンク堂が出来たので見に行った。ちょうどエレベーターを出てその脇の書棚が英語学習関連のものだった。なんとなく、入り口から迷路に入りましたという感じで順に見ていくと、このジャンルの本がけっこうあるので驚いた。世の中、英語を学習しようとした人が増えたのだろう。当然、いろいろな学習法もある。

もう30年以上も前だが、大学院にいたおり、英語教授法という主題のコースを受講したことがある。吉沢美穂先生と升川潔先生が講師で、そこからもわかるように「ベーシック・イングリッシュ」を使ったGDM(グレーディッド・ダイレクト・メソッド)が基本だった。吉沢先生はその背景から応用を詳しく説明された。優れたメソッドであるというよりも、吉沢先生という優れた教師のキャラクターに圧倒されたものだった。ああできたらいいなと教育実習のときに真似て自分の至らなさを実感した。升川先生とはその語、理論背景を含め、意味論のコースでオグデン(Charles Kay Ogden)についても学んだ、というか個人的にもいろいろ議論した。先生の、オグデンの残した謎のような図を前に「でもどうしてもオグデンこれがわからないんだ、君、解明してくれないかな」と言った言葉は今も耳残る。

余談が多くなったが、その後もこの分野は関心を持ち、だいたい20年くらい前までの英語教授法の理論や背景については、それなりに知っているほうだと思った。が、さすがにいつのまにか関心を失い、近年はふとこの分野に関心を戻したものの、ピンズラーやミシェル・トーマスの手法のほうが興味深くなった。とはいえ、第二言語学習についてアカデミックには現状どうなんだろうか。手頃な本でもないか。と見ていたら、岩波新書のこれ『外国語学習の科学―第二言語習得論とは何か』を見つけた。後で知ったが2008年刊なのでもうすでに古いが、おそらくそう大きなパラダイム・チェンジはないだろう。

で、この本はどうだったか。普通にこの分野の良書だった。こういうとなんだが、英語学習法というのはその大半はニセ科学と同じである。どこがニセ科学かというと、手法と達成がきちんとスキームになって検証されていないものばかりだから。もちろん、そうでもないという主張も多いのだろうが、そうだったらきちんと、学問的な枠組みで検証されているはずである。古典的なエビングハウスによる無意味綴りの学習理論くらいなものが多い。なにかこの分野の革新的な達成でもあれば本書とかに触れているはずだが、まあ、ないよ。というのが本書を読んできちんとわかる。そこが一番の、本書の価値ではないだろうか。

ただ、この分野自体、言語学からは傍流なので理論的な枠組み自体がまだまだ弱そうだという印象は受けた。が、反面、生成文法派などから提唱されていた言語学習臨界期説なども疑問視されている状況はわかる。こういうとなんだが、言語「獲得」と、第二言語「習得」という概念そのもの基本的な問題にいまだに拘泥している感はある。これはもともと言語学と認知心理学の間でぐだぐだになっていたものだから、しかたない。ざっくり、生成文法派的なUGが第二言語習得に寄与しているかと言いたいところだが、このテーマには「中国語の部屋」的な哲学的な問題もからんでいる。おそらくこの問題は、むしろドナルド・デイヴィッドソンの「根元的解釈」に関連しているだろうと私は思うが、本書というか、このアカデミック分野そうした学際的志向はなさそうだなという印象もあった。

とはいえ、目次を見てもわかるが、具体的に第二言語習得に役立つ知見は書かれている。第5章、第6章がそうした視点になっている。

  • 第1章 母語を基礎に外国語は習得される
  • 第2章 なぜ子どもはことばが習得できるのか―「臨界期仮説」を考える
  • 第3章 どんな学習者が外国語学習に成功するか―個人差と動機づけの問題
  • 第4章 外国語学習のメカニズム―言語はルールでは割り切れない
  • 第5章 外国語を身につけるために―第二言語習得論の成果をどう生かすか
  • 第6章 効果的な外国語学習法

具体的な知見に関心を持つ人も多いだろうし、私などもそうであったが、本書を通読してもわかるように、「ガッテン!」といった簡単な秘訣のようなものはない。むしろ、私が先日提唱していたような、「英文和訳学習がいいよ」といったものは否定されている。もちろん、役立つ示唆は多い。

あれ? 矛盾していない? 語学学習の理論的な枠組みで否定されているはずの和訳を提唱するなんて?

いやいや、本書では明示的に触れていないが、語学学習で重要なのは、達成レベルの考え方なのである。日本の英語学習書を見ているとTOEICがうんざり出てくるのも、ようするにそれで達成レベルが計測できるからだ。そして、そこで達成されたものが、知識人の英語能力に見合っているかという問題は残る。

この点についてはEUですでに基準が作成されていて(野菜の安全基準みたいな印象)、CEFR(Common European Framework of Reference for Languages)というのがある。一般的に語学学習とされているのは、日常生活が遅れるA2レベルである。TOEIC900・英検1級がC1レベルと言われている。いずれにせよ、日本の英語教育はまだ十分に国際基準に整合されていないようには見える。

EUがCEFRを定めた背景は、移民生活と高等教育だろう。つまり、A2で移民者が暮らせて、C1で大学入学可能ということだろう。

本書の枠組みは基本的にA2からB2だろう。日本の大学ではB2あたりが求められているのではないだろうか。いずれにせよ、英文和訳学習は書き言葉が出てくるC1レベルからに向いているのではないかと思う。まあ、これも検証すべきだろうが。

本書では、語学学習と動機についての議論も詳しいが、これらの背景には移民があり、その移民の子から大学教育者を出すという要請がある。外国語学習というのはそうした動機が一番に想定されていると理解してよいだろう。そう考えると、CEFRの理論背景をまとめた書籍も読んでみたいと思う。

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