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2016.04.20

コンテンツとグローバリズムの関連で

先日、米ドラマ『エンパイア 成功の代償』の話を書いた。自分には現代の黒人音楽と黒人社会のドラマティックな情景がとても面白かった。なるほど米国でこれが大ヒットしたのはよくわかる。で、日本だとどうだろうか? 

日本でもこの作品、DVD/BDでも販売されているし、いろいろオンデマンドやペイチャネルで放映されているから、それなりに人気があるのだろう。が、ざっと自分の周りを見回した印象だと、興味を持っている人は少ない。

もともと、基本的に米ドラマに関心を持つ日本人は特定のセクターになっていて、そのセクター内でのローカルな話題になるのかもしれないなとも思っていた。それでも、この作品ならそれらを超える部分はありそうなものだが、と心に引っかかっていた。

『エンパイア 成功の代償』と限らず、米ドラマがどのくらい日本で視聴率があるのだろうか?  かつての、と言ってももうけっこう古いが、韓流『冬のソナタ』や『アリ−・my・ラブ』みたいな社会現象はあるだろうか。

ものによってはあるにはあるんだろう。が、けっこうすごい作品だなと思える『ブレーキング・バッド』でも日本で大きな話題ということもないみたいだし、同じくすげーと思った『アフェア 情事の行方』もあまり日本では話題を聞かない。これら、けっこうすごい作品だと思ったが。

それが視聴者が細分化されたコンテンツ、ということだろうとは思う。単純な話、各人にとって、自分が面白ければそれでいいだけのことだ。自分としては、自分が面白いものは、他の人にもこれ面白かったよと伝えれば、それ以上の話でもないはずだが。

それでも基本的に、良質なコンテンツは、広告モデルのテレビから、ペイチャネルに移行していくというトレンドは米国から始まり、日本でも追いかけていくのではないかと思っている。

で、もとの疑問の端っこに戻るのだが、米国ドラマと日本の聴衆という二極の枠組みではなく、米国コンテンツとグローバルな枠組みとしてはどうなんだろうか。英語コンテンツとして見ると、そもそも英語国民の国は多い。外国語統制をしているフランスなんかでも、英語コンテンツの人気は高いはずだ。フランスのアマゾンとか見ると大工道具と米国コンテンツしか売ってないんじゃないのという印象すらある(言い過ぎ)。

そんなおり、ビルボード誌の「'Empire' Flops Overseas as Foreign Viewers Resist Hollywood's Diversity Push」(参照)に関連記事があることを知った。いわく、「エンパイア」は海外でこけた。米国外の視聴者はハリウッドが押し付ける多様性を拒絶した。というものだ。

記事の背景としては、前回のアカデミー賞に黒人が含まれていなかったという話題があるのだろう。つまり、『エンパイア 成功の代償』のほうは逆に黒人を中心に取り上げることで、ハリウッドの多様性を強調して、それが米国でも支持された。なのに、国際世界のコンテンツ市場ではウケない、という視点である。

率直なところ、その視点で関心を持ちたくはないなと思ってはいるものの、提示されている事実にはちょっと驚いた。『エンパイア 成功の代償』はイギリスやオーストラリアなど英語国民の国でもそれほどウケていない。ドイツやフランスでウケないというのはまだわからないでもないし、まして日本でも、というのはあるが。いずれにせよ、米国以外ではウケていない。多様性を配慮したコンテンツはグローバル・マーケットではウケない。

簡単に言えば、そうものさ、ということだが、じゃあ、それはなんだというと、この記事のように「多様性」ということでフォーカスすべき問題なのかは、微妙に違うようにも思う。むしろ、なんであれ、この作品の米国的な性格が、各国の国民性というのにはあまり適合していないというのはあるだろう。多様性があればグローバリズムであるという単純な話でもないだろう。

実際のところ、日本人である私など、『エンパイア 成功の代償』は、面白いなあと惹かれる反面、一話一話、ぐったり疲れる部分はあった。人間関係の愛憎が濃すぎる。情景の情感などもあまりなく、映像的にも重たい印象はあった。『わたしを離さないで』のような、日本版のリメークはちょっと想像もつかない感じはした。

皮肉な話、だったら日本や欧州などでもウケる話をマーケティングしてハリウッドに作ってもらいたいか、というと、そこまでしなくてもいいよという感じはする。もっというと、グローバリズムなんか配慮してコンテンツなんか作らなくてもいいんじゃねと思う。

結局のところ、コンテンツとグローバリズムがどうなっているかだが、マスの単位で見る限りでは国民性による好みのような限界はあるだろうが、こうしたコンテンツのグローバリズムというのは、グローバルにはまだらなセクターとして生じるのではないかと思う。コアな趣味は各国の視聴者にまだらに存在しつづける。マイクロトレンド的なものというか。そしてまだら状態が拡散していくのではないか。

そもそも、コンテンツというのがそういう方向に向かっているのではないだろうか。ニッチなロングテールでグローバルを考えればいいのではないか。ニューヨークMETなんかもそういう方向性を感じる。

別の言い方すれば、日本のテレビ番組や映画はつまらない、と言うより、他国のコンテンツで他に面白いものがあるなら、とりわけ「日本」を焦点化せずに、やすやすと享受すれば、それだけでよいのではないだろうか。


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