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2016.03.21

中野劇団員殺害事件のこと

昨年8月、中野区で起きた若い女性の劇団員殺害事件について、その当時、NHKのニュースでそういう事件があったということは知っていた。報道によると、被害者の自宅アパートでの殺人とのことなので、知人による痴情のもつれではないかとの印象をなんとなく持った。ゆえに早晩、容疑者も絞られるだろうとも思っていた。私の関心はそこで終わった。私はこの手の世間のニュースには関心をもたないのである。案の定その後、世間ではこの事件の話題が盛り上がっていたようだったことも私が興味を失う理由であった。

が、年末頃だっただろうか、この事件が未解決状態であることを知り、そのことに興味を持った。私は世田谷一家殺害事件のように未決事件というものには関心を持つのである。なぜ、中野劇団員殺害事件は数ヶ月しても未解決なのだろうか?

その時点で事件が何であったのか気になりだした。まず、それはどういう事件で、どのように初報道されたのか。ネットに残る記事を引用したい。河北新報社だが、共同が元ではないだろうか(参照)。

<東京女性遺体>被害者は仙台市出身の25歳

 26日午後10時ごろ、東京都中野区弥生町にあるマンション2階の一室で、この部屋に住むアルバイト店員で劇団員の加賀谷理沙さん(25)が死亡しているのを、警視庁中野署員が見つけた。首に絞められたような痕があり、捜査1課は殺人事件として中野署に捜査本部を設置し、50人態勢で調べる。加賀谷さんは仙台市出身で、劇団員としても活動していたという。

 捜査本部によると、司法解剖で死因は頸部(けいぶ)圧迫による窒息と判明。死後1~2日とみられ、首にひもで絞められたような幅1~2センチの圧迫されたような痕があった。
 加賀谷さんは衣服を着ておらず、玄関であおむけに倒れていた。顔にはタオルケットが掛けられていた。玄関は施錠され、室内に荒らされたような形跡はなかった。

自分の記憶にあるこのニュースと上述の報道を比べてみると、「衣服を着ておらず」という点に記憶がなかった。また、死体発見は「死後1~2日」ということも記憶になかった。

この報道を見なおしてみると、印象としては「衣服を着ておらず」というのが気になる。なぜなのかについては、他報道を当たると、朝日新聞記事(参照)
では「加賀谷さんは玄関先で衣服を身につけていない状態で倒れており」ともあった。他には次の話題も加わっていた。

 加賀谷さんは一人暮らしで、玄関や窓は施錠されていた。室内を荒らされた形跡はないという。25日午後11時に勤務予定だったアルバイト先に出勤しなかったため、店長らが26日夜、「連絡が取れない」と署に届け出ていた。

 同じマンションに住む男性(28)は「現場となった部屋で1カ月ほど前、男女の争う声がした。警察が来ていた」と話した。

 現場は新宿駅から西に約2キロの住宅街の一角。

記事からは、加害者には面識があるような印象を受ける。もちろん、そのことで朝日新聞を批判したいわけではなく、そうした文脈で最初の報道はなされていたということである。

その後、犯人像に面識のない人物が上がったのはいつだろうかと気になった。振り返ってみると意外に早い時期だったようだ。昨年8月31日の朝日新聞にすでにその文脈の報道があった(参照)。

 東京都中野区のマンションで26日夜、アルバイト店員加賀谷理沙さん(25)が自室内で死亡していた事件で、加賀谷さんの遺体から男の唾液(だえき)などが検出されていたことが、捜査関係者への取材でわかった。交友関係者とは一致せず、警視庁は、加賀谷さんが面識のない者に襲われた可能性もあるとみて調べている。

 捜査関係者によると、唾液などは加賀谷さんの体に付着していたという。中野署捜査本部が交友関係者からDNA型鑑定のために試料の任意提出を受けて調べているが、今のところ一致した人物はいない。また、警察庁のDNA型データベースに一致したものもないという。

おそらく警察としては知人の筋から調べて、面識のない人物の線を濃くし、さらにDNA鑑定の徹底を開始したのだろう。

結果、今月12日に容疑者が逮捕された。面識のない人物だったようだ。読売新聞記事より(参照)。

 発表によると、戸倉容疑者は昨年8月25日未明から26日夜までの間、中野区弥生町のマンション2階の加賀谷さん宅で、加賀谷さんの首を絞めて窒息死させた疑い。司法解剖の結果、凶器は幅1~2センチのひも状のものとみられる。

 加賀谷さんの遺体は翌26日午後10時頃に発見され、爪や体から犯人のものとみられるDNA型が検出されていた。

 戸倉容疑者は当時、加賀谷さん宅から約300メートル離れたアパートに住んでいたが、事件直後に福島県の実家に転居していた。同庁は2月中旬、DNAの任意提出を求め、鑑定したところ一致したという。

私はこのニュースもNHKで知ったのだが、そのとき二点疑問に思っていた。一つは、「DNAの任意提出を求め」という絞り込みの背景はなんだったか。もう一つは、DNA鑑定の信憑性はどの程度だろうかということだった。後者については、しかしすぐに、現代では精度はかなり高いだろうから犯人特定の有力な証拠となるだろうと思い直した。

絞り込みは防犯カメラだったようだ。毎日新聞記事より(参照)。

 また、事件発覚の2日前にあたる昨年8月24日、黒っぽい帽子とTシャツ姿の戸倉容疑者が、現場周辺の防犯カメラに映っていたことが捜査関係者への取材でわかった。この日、同じような服装の男が近隣にある別の複数の防犯カメラにも映っていたといい、捜査本部は戸倉容疑者の行動を詳しく調べている。

つまり事件の経緯は、当初知人の線を洗っていたが、DNA鑑定からシロなので、防犯カメラを検索して不審人物を絞り込み、DNA鑑定を求めて、面識のない容疑者を特定した、ということである。

このことは同時に、この事件では、いわゆる犯罪事件物語的な物語は存在していない、ということも、かなり確かなこととなった。推理の物語は、面識のない人物という一歩目で終わっていた。

つまり、事件後にメディアやネットで騒がれていた話題の大半はただのゴミだった。そしてそうなってみると、この事件についての話題は即座にゴミを回収するようにもう消えてしまった。

もちろん、今後容疑者の異常な性向などの報道はあるかもしれないが、そこには、世の中には異常な人間がいて、確率的に被害者が出る、という以上の話題にならないだろう。

これは、いったいどういうことなのだろう? 私の疑問はそこである。ふたつ思った。

ひとつは、町中を監視し続け、市民全員のDNAが登録されれば、つまり生体認証が徹底的に情報統制化されれば、ほとんどの犯罪は、物語もなく解決されるのではないだろうか?ということだ。もちろん、生体認証可能な痕跡を残さない犯罪や、監視装置の裏をかく犯罪もありうるだろう。が、原理的には、市民の活動をすべて監視し、生体認証照合ができれば、犯罪はすべて事後に解明されるだろう。その、なんというのか、哲学的な意味は何なのだろうか?

ふたつ目は、私たちがニュースをネタにして盛り上がる話題というのは、本質的には、この事件の話題のように、ただのゴミなのではないだろうか?ということだ。

もう一つ疑問を加えてみたい。この事件には物語というものがなかった。それは、人間の意思としての犯罪の意思も実質的には存在していないということではないだろうか。事件が現状、判明したわけではないが、おそらくこの事件は、たまたま見かけた女を狙って殺した、というだけのことで、およそ「人間」という意味の文脈がない。

そして、その不在に、私たちは意味のゴミを充填しつつ、原理的に犯罪が不毛な情報化社会を作り上げているのである。そのことも、およそ「人間」という意味の文脈がない。

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2016.03.05

[書評] リベラルですが、何か? (香山リカ)

 勧められて読んだ本である。香山リカ著「リベラルですが、何か?」(参照)。たぶん、勧められなければこのような書籍が出版されていたことも、私は気がつかなかっただろう。一つは率直なところ、香山リカさんにもう関心がないからということと、もう一つは読んでもたぶん彼女の心情は理解できないだろう、と思っていたことだった。こういう比喩を弄するのも皮肉のように取られるかもしれないので恐れるが、私は気になっていた料理店なのにいざ行ってみると落胆するほど不味かったという場合、半年くらいの時を置いてもう一度行ってみることにしている。一度の判断では店の味はわからないものなのだ。それと再び不味かったとしても、なぜ自分がなぜそれをまずいと感じるのか、ということは見つめてみたいからだ。
 という良からぬ比喩を続けると、私は香山リカさんの本はいつか読んでいる。タイトルは思い出せないものが多いが10冊は楽に超えているだろう。彼女の論壇的なデビューのころから知っている。彼女は1960年生まれで、私は1957年生まれ。私は大学院のとき三年年下の恋人がいたので、自分の早々に見失った恋人に重なる。まあ、その世代でもある。私たちはあの1980年代の、あの文化のなかにいた。正確に言えば、私は就職を嫌って中途半端に学問の道を目指す名目の「モラトリアム」であった。この「モラトリアム」という言葉もあの時代に独自の響きがあった。
 そうした点でいうなら、彼女の「ポケットは80年代がいっぱい」(参照)は、ありがとうと言いたいほど素敵な一冊だった。他には、ものの考え方を指南した「頭がよくなる立体思考法―RIFの法則」(参照)が面白かった。香山さんは頭いい女性だなとしみじみ思ったものだ。他に彼女の専門に関わる書籍もいくつか読んだ。が、自分の琴線に触れるものはなかった。
 勧められて読む気になったのは、久しぶりに読む香山リカさんの本ということもある。が、表題のテーマ「リベラルですが、何か?」になにより心惹かれたからである。自身を「リベラル」と規定して、それに社会的に答えられる起点はなんだろうか?と思ったからである。別の言い方をすれば、私は自分ではリベラルだと思っているが、そう自己規定をして他者に向かうことはたぶんない(ウヨクと見られようが、サヨクと見られようが、バカと見られようが、しかたない)。そして、それには後で触れるが自分なりの理由もある。それと、彼女が「リベラルですが、何か?」というときの現代的な意味合いについても興味があった。
 読んだ。新書らしく読みやすく書かれた本である。印象だが、これは彼女自身が執筆した本ではなく、話をライターさんがまとめた本でないかとも思った。話の思念らしい展開でもあったからだ。あるいはそういうふうに香山さんなら軽妙に書き言葉も書けるのかもしれない。
 全体は三部に分かれている。第三部は、しばき隊の、と言ってよいものかわからないが、野間易通さんと、民主党政権に道を開いた要因の一つ日比谷越年闘争を指導した湯浅誠さんである。野間さんには先日、ツイッターで誤解されたが、彼も自分と同年代の爺さんだからなあという親近感をもって笑って過ごした。が、本書で生年を見ると1966年生まれとあり、自分とは10年の歳差があった。いやあ、実に誤解していた。失礼。
 内容は第一部と第二部に分かれ、と言いたいところだが、その前に置かれた序章「2015年夏に考えたこと」が問題提起としてはよくまとまっていた。そういえばあの夏の時期。SEALDsを含め国会前で反安保法制をしていたデモの渦中である。私はあの運動をどちらかと言えば冷ややかに見ていた。私はリアルな70年代を見てきたので、最近の国会前デモは随分小さい運動だなあというくらいの印象なのであった。ただ、この自分の冷ややかさこそ、この序章で、彼女自身に内在するものから延長された形で批判されている冷笑主義であることは理解できた。胸に刺さる。
 第一部は「私の「闘い方」が変わった理由」として、序章の問題提起である冷笑主義からの転換が語られている。アジビラ的に見るならここで読者の思念を誘導し、冷笑主義からの脱却を指導する部分であるはずだ。では読んだ私はどうだったか? よくわからなかった。
 なにがどうわからないかもよくわからなかった。が、逆にわかった部分もある。一つは、香山リカさんの積極的リベラルの活動はその仲間との友愛に根を置いていることだ。政治学者の山口二郎さんと美味しくビールを飲む親しい関係は、持病でお酒が飲めずそれにつれて交友関係が狭まる私などには羨ましくも思える。
 ここでの話題としては、アイヌ民族問題と小林よしのりさんの「戦争論」が軸になっていることもわかった。ただ、私はアイヌ民族問題にはほとんど関心ない。正確にいえば大学院で学んだ教授がこのアイヌ語方面の研究もしていたのでまったく関心がないわけでもない。他方、小林よしのりさんの「戦争論」は、あまり言い方ではないが、出た当時に読んだが、イデオロギー的には中村粲「大東亜戦争への道」の漫画版パラフレーズくらいにしか 思わなかった。なので、その延長に香山リカさんが富裕層のネットウヨとしてモデル化するのもあまりピンとこなかった。こうした点において自分で受け取った部分をまとめると、リベラルであることの重要性は彼女の肉声からは私は届かなかった。
 第二部は「リベラル派としての私の〈自戒〉」として、精神科医の香山リカさんの臨床を含めた精神医学の文脈がまず、やや唐突に語れる。そこは詳細に語られるが、そのことと「リベラル派」であることの連携の読み取りは難しい。彼女の語りを逸脱することになるかもしれないが、自分なりの理解で言えば、1980年代以降の精神医学の進展には「リベラル派」と同質の基盤があった、ということだろう。そこには彼女自身も、そのキーワードを借りるなら、精神医学というものの、まさに「凋落」を見ている。この点についてごくローカルに私の観点をコメントすれば(つまり「リベラル派」との関連はないが)、1980年に登場したDSM-IIIの意味と、1988年に市場に登場したSSRIの意義をその後の臨床から問い直すことが重要ではなかったかと思う。
 論点はそこから宇野常寛さんが「リトル・ピープルの時代」(参照)でも論じた、「大きな物語」の喪失で展開されていく。ただし、そこでは宇野さんの論調とは異なり、「リベラル派」は「大きな物語」を再構築できなかったのが問題であるという視点のようだ。ここから、彼女は、その大きなエポックとして、1991年の湾岸戦争反対署名を取り上げていく。
 残念ながらそのあたりで私は、意外なほど香山さんとの年代差を感じた。私にとっては1991年の湾岸戦争反対署名は、1982年年の文学者反核運動の焼き直しに思えるからである。もはやその論点はその10年近く前に終了していたと私は考えていた。そのことはニフティの思想フォーラムで稚拙だが議論したものだった。
 自分語りになるが、1982年のこの運動では私は大学院生として指導教官の一人から勧誘され、署名を求める活動の側にいた。が奇妙な違和感が募った。その違和感から吉本隆明の「「反核」異論」に辿り着き、そこから私は吉本隆明を以前より体系的に読み始めた。そのことで、1982年の「挫折」の意味を自分なりに了解し、それをさらに延長して、ハンガリー事件と六全協の見直しに及び、自分なりの「リベラル」というものの再構築を行った。この過程は私が自著にも書いたがアカデミズムから脱落してく過程でもあり、リベラル派的な友愛を失うことにもなった。反面、細くではあるが、吉本隆明派の人々との交流を得ることにもなった。
 私が自分なりの「リベラル」というものの再構築は、全共闘世代の青春終了の荒野(「さよなら快傑黒頭巾」のエンディング)から発し、ベトナム戦争のシンパに近い位置からエスペランティズムのようなのんきな幻想を含めた、淡いリベラル派の再構築でもあった。ただ、その幻想の中核にあるジョーン・バエズへの敬愛のようなものは未だうまく消化されない。こうした部分の再・再構築は現在、ほそぼそと続けているcakesの連載で行っている。
 香山さんの自分語りにつられてか、私も自分語りが多くなってしまったが、そういう点で思い返せば、彼女が登場した80年代のポストモダンやニューアカの、起点という地点で私はずれてしまっていた。むしろ、本書を読むことは、そうした起点にあったずれの再確認にもなった。それが私たちの世代における自分のズレでもあると知りえたことは、本書から得た一番の利益であった。
 本書は、現代において「リベラル」とはどういうことなのか、一人ひとりの市民が、一人の市民である香山リカさんを鏡として見つめなおすきっかけになる。


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