中野劇団員殺害事件のこと
昨年8月、中野区で起きた若い女性の劇団員殺害事件について、その当時、NHKのニュースでそういう事件があったということは知っていた。報道によると、被害者の自宅アパートでの殺人とのことなので、知人による痴情のもつれではないかとの印象をなんとなく持った。ゆえに早晩、容疑者も絞られるだろうとも思っていた。私の関心はそこで終わった。私はこの手の世間のニュースには関心をもたないのである。案の定その後、世間ではこの事件の話題が盛り上がっていたようだったことも私が興味を失う理由であった。
が、年末頃だっただろうか、この事件が未解決状態であることを知り、そのことに興味を持った。私は世田谷一家殺害事件のように未決事件というものには関心を持つのである。なぜ、中野劇団員殺害事件は数ヶ月しても未解決なのだろうか?
その時点で事件が何であったのか気になりだした。まず、それはどういう事件で、どのように初報道されたのか。ネットに残る記事を引用したい。河北新報社だが、共同が元ではないだろうか(参照)。
<東京女性遺体>被害者は仙台市出身の25歳26日午後10時ごろ、東京都中野区弥生町にあるマンション2階の一室で、この部屋に住むアルバイト店員で劇団員の加賀谷理沙さん(25)が死亡しているのを、警視庁中野署員が見つけた。首に絞められたような痕があり、捜査1課は殺人事件として中野署に捜査本部を設置し、50人態勢で調べる。加賀谷さんは仙台市出身で、劇団員としても活動していたという。
捜査本部によると、司法解剖で死因は頸部(けいぶ)圧迫による窒息と判明。死後1~2日とみられ、首にひもで絞められたような幅1~2センチの圧迫されたような痕があった。
加賀谷さんは衣服を着ておらず、玄関であおむけに倒れていた。顔にはタオルケットが掛けられていた。玄関は施錠され、室内に荒らされたような形跡はなかった。
自分の記憶にあるこのニュースと上述の報道を比べてみると、「衣服を着ておらず」という点に記憶がなかった。また、死体発見は「死後1~2日」ということも記憶になかった。
この報道を見なおしてみると、印象としては「衣服を着ておらず」というのが気になる。なぜなのかについては、他報道を当たると、朝日新聞記事(参照)
では「加賀谷さんは玄関先で衣服を身につけていない状態で倒れており」ともあった。他には次の話題も加わっていた。
加賀谷さんは一人暮らしで、玄関や窓は施錠されていた。室内を荒らされた形跡はないという。25日午後11時に勤務予定だったアルバイト先に出勤しなかったため、店長らが26日夜、「連絡が取れない」と署に届け出ていた。同じマンションに住む男性(28)は「現場となった部屋で1カ月ほど前、男女の争う声がした。警察が来ていた」と話した。
現場は新宿駅から西に約2キロの住宅街の一角。
記事からは、加害者には面識があるような印象を受ける。もちろん、そのことで朝日新聞を批判したいわけではなく、そうした文脈で最初の報道はなされていたということである。
その後、犯人像に面識のない人物が上がったのはいつだろうかと気になった。振り返ってみると意外に早い時期だったようだ。昨年8月31日の朝日新聞にすでにその文脈の報道があった(参照)。
東京都中野区のマンションで26日夜、アルバイト店員加賀谷理沙さん(25)が自室内で死亡していた事件で、加賀谷さんの遺体から男の唾液(だえき)などが検出されていたことが、捜査関係者への取材でわかった。交友関係者とは一致せず、警視庁は、加賀谷さんが面識のない者に襲われた可能性もあるとみて調べている。捜査関係者によると、唾液などは加賀谷さんの体に付着していたという。中野署捜査本部が交友関係者からDNA型鑑定のために試料の任意提出を受けて調べているが、今のところ一致した人物はいない。また、警察庁のDNA型データベースに一致したものもないという。
おそらく警察としては知人の筋から調べて、面識のない人物の線を濃くし、さらにDNA鑑定の徹底を開始したのだろう。
結果、今月12日に容疑者が逮捕された。面識のない人物だったようだ。読売新聞記事より(参照)。
発表によると、戸倉容疑者は昨年8月25日未明から26日夜までの間、中野区弥生町のマンション2階の加賀谷さん宅で、加賀谷さんの首を絞めて窒息死させた疑い。司法解剖の結果、凶器は幅1~2センチのひも状のものとみられる。加賀谷さんの遺体は翌26日午後10時頃に発見され、爪や体から犯人のものとみられるDNA型が検出されていた。
戸倉容疑者は当時、加賀谷さん宅から約300メートル離れたアパートに住んでいたが、事件直後に福島県の実家に転居していた。同庁は2月中旬、DNAの任意提出を求め、鑑定したところ一致したという。
私はこのニュースもNHKで知ったのだが、そのとき二点疑問に思っていた。一つは、「DNAの任意提出を求め」という絞り込みの背景はなんだったか。もう一つは、DNA鑑定の信憑性はどの程度だろうかということだった。後者については、しかしすぐに、現代では精度はかなり高いだろうから犯人特定の有力な証拠となるだろうと思い直した。
絞り込みは防犯カメラだったようだ。毎日新聞記事より(参照)。
また、事件発覚の2日前にあたる昨年8月24日、黒っぽい帽子とTシャツ姿の戸倉容疑者が、現場周辺の防犯カメラに映っていたことが捜査関係者への取材でわかった。この日、同じような服装の男が近隣にある別の複数の防犯カメラにも映っていたといい、捜査本部は戸倉容疑者の行動を詳しく調べている。
つまり事件の経緯は、当初知人の線を洗っていたが、DNA鑑定からシロなので、防犯カメラを検索して不審人物を絞り込み、DNA鑑定を求めて、面識のない容疑者を特定した、ということである。
このことは同時に、この事件では、いわゆる犯罪事件物語的な物語は存在していない、ということも、かなり確かなこととなった。推理の物語は、面識のない人物という一歩目で終わっていた。
つまり、事件後にメディアやネットで騒がれていた話題の大半はただのゴミだった。そしてそうなってみると、この事件についての話題は即座にゴミを回収するようにもう消えてしまった。
もちろん、今後容疑者の異常な性向などの報道はあるかもしれないが、そこには、世の中には異常な人間がいて、確率的に被害者が出る、という以上の話題にならないだろう。
これは、いったいどういうことなのだろう? 私の疑問はそこである。ふたつ思った。
ひとつは、町中を監視し続け、市民全員のDNAが登録されれば、つまり生体認証が徹底的に情報統制化されれば、ほとんどの犯罪は、物語もなく解決されるのではないだろうか?ということだ。もちろん、生体認証可能な痕跡を残さない犯罪や、監視装置の裏をかく犯罪もありうるだろう。が、原理的には、市民の活動をすべて監視し、生体認証照合ができれば、犯罪はすべて事後に解明されるだろう。その、なんというのか、哲学的な意味は何なのだろうか?
ふたつ目は、私たちがニュースをネタにして盛り上がる話題というのは、本質的には、この事件の話題のように、ただのゴミなのではないだろうか?ということだ。
もう一つ疑問を加えてみたい。この事件には物語というものがなかった。それは、人間の意思としての犯罪の意思も実質的には存在していないということではないだろうか。事件が現状、判明したわけではないが、おそらくこの事件は、たまたま見かけた女を狙って殺した、というだけのことで、およそ「人間」という意味の文脈がない。
そして、その不在に、私たちは意味のゴミを充填しつつ、原理的に犯罪が不毛な情報化社会を作り上げているのである。そのことも、およそ「人間」という意味の文脈がない。
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