荒地派のスペクトラム
「荒地の恋」に何気なくという感じで北村の話相手として加島祥造が出てくる。原作でもドラマでも。それは荒地派詩人であることと彼の妻だった最所フミを介して、鮎川信夫との物語にも接続するのだが、こうした荒地派詩人としての詩人たちの時代は、もう終わってしまい、あまり顧みられないように感じられる。そういう時代になったのだなと思う。
まったく顧みられないわけでもない。むしろ北村太郎や黒田三郎は、その詩のある普遍性から現代において小さくリバイバルしているようでもある。かく言う私もcakesに黒田三郎について書いた(参照)。黒田三郎を古典として再考したいという思いには、微妙に戦争と戦後というものの感触に関わる部分がある。
こういうとやや勇み足な言い方にはなるが、戦後という知的空間の一部を占めていた「現代詩」が現在どうなっているのか私はもうほとんど知らないのだが、概ね終わったのではないか。
そうしてみると、「荒地の恋」のモデルを懐かしく思い出しながら、荒地派=戦後詩、というより、戦前のモダニズムと戦時の体験をどことなく感じた。黒田三郎も戦前には日本の代表的なシュールレアリスム作品を書いていた。
物語にも北村太郎が通信隊であった逸話はあった。戦地経験はないものの、大正11年生まれの彼には海軍に所属した経験はある。大正12年生まれの田村隆一はというと北村太郎とほぼ同年でありながら軍隊経験はないようだ。(追記:学徒動員で出征し海軍航空隊に配属)北村らより年長で大正8年生まれの黒田三郎はインドネシアで招集されたが彼とても戦地経験というのでもなさそうだ。黒田より一つ下大正9年生まれの鮎川信夫は出征しスマトラに送られたが傷病兵となり、終戦を迎える。さらにその一つ下大正8年生まれの中桐雅夫は兵役逃れで日大に入っている。
こうした並びで見ると、吉本隆明はさらに若く、軍の経験はまったくない。とはいっても彼が大正13年生まれである。冒頭の加島祥造だが、吉本隆明より一つ上、大正12年生まれで、田村隆一と同様、軍経験はない。現在cakes向けに執筆中の隆慶一郎は大正12年生まれだが入隊して中国に送られた。詩人ではないが私が傾倒した山本七平は大正10年の生まれで、かなり過酷な戦地経験を持った。漫画家・水木しげるは大正11年生まれだが出征し、ラバウルで左腕を失った。
荒地派の詩人の世代に戦前のモダニズムと軍経験と戦後世代がある。山本七平や水木しげると対比すると、戦地での強い経験はない。こうしてスペクトラムで見ると、田村隆一はまさに戦後の文化人の第一世代だったと言っていいだろ。そのあと、いわゆる昭和8年組的な一つの世代の山があり、このあたりが現在80歳で、かろうじてネットなどで可視になる「老人」であろう。しいて言えば、戦後第二世代ともいうべき世代が現在日本で到達できる限界かもしれない。
戦争体験を忘れてはならないと戦後言われ続けてはきたが、戦地体験に裏付けられた感覚としてはもう生活の延長からは消えてきている。
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コメント
田村隆一は1944年に海軍に入隊しています。田村、鮎川については本人の著作を含め膨大な関連本が出版されています。興味があったらあたってみてください。
投稿: 蜂 | 2016.02.16 13:29
蜂さん、田村隆一についてのご指摘ありがとうございます。勘違いしていました。海軍入隊があり、少尉で終戦を迎えていました。
投稿: finalvent | 2016.02.16 19:30