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2016.02.21

自民党・丸山和也参議院議員の与太話を聞いて、沖縄のことを少し考えた。

一昨日、自民党・丸山和也参議院議員の「失言」についての英語報道をざっくり見て回ったが、ついでなんで、彼の与太話をもう少し聞いてみた。まあ、聞いてみてしみじみ与太話だなと思ったのだが、それはそれとして、少し沖縄のことを連想して考えた。

ちなみに、元になる丸山議員の話だが、該当部分を書き起こしてみた。

そこでですね、えー、これは憲法上の問題でもありますけれど、ややユートピア的かもわかりませんけれども、例えば、日本がですよ、アメリカの第51番目の州になるということについてですね、例えばですよ、憲法上どのような問題があるのかないのか。例えばですね、そうするとですね、例えば集団的自衛権、安全、安保条約、これまったく問題になりません。それから例えば今、非常に拉致問題ってありますけれども、拉致問題すら恐らく起こってないでしょう。え。それから、いわゆる国の借金問題についてでもですね、こういう行政監視の効かないような、ズタズタな状態には絶対なっていないと思うんですね。 え、これはですね、例えば日本がなくなることじゃなくて、例えばアメリカの制度によれば、人口比において下院議員の数が決まるんですね。比例して。それとですね、恐らく日本州というような、最大の下院議員選出州を持つと思うんです、数でね。上院もですね、州1個ですよ2人ですけど。日本をいくつかの州に分けるとすると、かなり十数人の上院議員もできるとなるとですと、これはですね、ま、世界の中の日本というけれども、ようするに日本州の出身が、アメリカの大統領になる可能性が出てくるようになるんですよ。ということは、世界の中心で行動できる日本という、ま、その時は日本とは言わないんですけれども、こともあり得るということなんですよ。

このての話は冗談のネタなんでまさか国会に持ち出すお馬鹿な議員がいるものかとあきれたが、苦笑したあと、ふと、沖縄の施政権が返還されなかった場合どうなっていたかについて少し考えてみた。

沖縄県の人口は現状の推定で1,432,386人(参照)である。これまでは増加傾向にあるがおそらくこのあたりが頭打ちで、150万人にまでなるとは想定されていない。

沖縄は、日本の戦後、日本本州が1952年に独立してからも米国施政権下に置かれていた。日本に復帰したのが1972年であり、米国の施政権下の時間としては、本州との差は20年に及ぶ。仮に沖縄がこの時期に復帰していない場合、沖縄はどのようになっていたかについては諸論あり、池宮城秀意などは国連の信託統治を期待していた。池宮城の考えでは米国を介さないものであっただろうが、歴史的には、サンフランシスコ平和条約第三条に規定を踏まえると、米国から国際連合への提案があれば、日本国は同意せざるをえず、沖縄の地位は米国の信託統治下になりえた。該当規定を引用しておこう。

第三条

日本国は、北緯二十九度以南の南西諸島(琉球諸島及び大東諸島を含む。)孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島及び火山列島を含む。)並びに沖の鳥島及び南鳥島を合衆国を唯一の施政権者とする信託統治制度の下におくこととする国際連合に対する合衆国のいかなる提案にも同意する。このような提案が行われ且つ可決されるまで、合衆国は、領水を含むこれらの諸島の領域及び住民に対して、行政、立法及び司法上の権力の全部及び一部を行使する権利を有するものとする。

改めてサンフランシスコ条約の文言を読むと、当時の米国としては、沖縄を日本に所属させるより、米国の直接的な施政権下の後は、米国の信託統治を経ることが想定されていたように思われる。実際、自著でも言及したが米国では戦後すぐに琉球政府の成立を促していた。ただし、琉球政府ができたのは1952年。

こうした沖縄の地位を米国との関係で考えるうえで参考になるのが、まずグアムとハワイである。

よく私はクイズで「グアムは何州でしょう?」というのを人に投げるが、答えは、いちおう「準州」である。地位としては「自治的未編入領域」となる。この地位決定は、1950年成立の「グアム自治基本法」によるもので、年代を見るとサンフランシスコ条約に先立つ。ざっと見た印象では、沖縄も準州化される可能性はあったかもしれない。

ハワイについては米西戦争以降に準州としていたが、1959年に米国50番目の州となった。

ここでふと考えたのは、グアムとハワイの差はなにかだが、おそらくもっとも大きな要因は人口だろう。グアムの人口は現状(2013年)16万人で、1950年の中位推計で約6万人。対して、ハワイだが、現状(2014年)で142万人で、1950年の中位推計で約50万人。州となった時点では約62万人。

現状で見るとハワイ州と沖縄の人口はほぼ等しい。ちなみに、1950年時点で沖縄の人口は約80万人。返還時の1972年には100万人が見えていた。

おそらく沖縄を国連を経て米国の信託統治下におけばいずれ、沖縄州、あるいは琉球州となった可能性はあるだろう。その場合、米国での琉球州の勢力は現在のハワイ州に近いものになったはずだ。

現状の日本全体が米国の51番目の州となるという与太話はさておき、歴史のIFとしては、琉球州のほうがありえただろう。この場合、現状の沖縄での米軍基地はどうなるかだが、これも自著で触れたが、普天間飛行場は米国の基準に合わないので即座に撤去されるだろう。

以上のように歴史のIFを考えてみて思うのは、沖縄の地位の可能性や米国での勢力よりも、連合国と米国との関係で、連合国を介して中国が関係してくる。中国は沖縄に対して領土的な野心をもっているが、サンフランシスコ条約を経た経緯を考えると、直接、中国対日本という領土に持ち込むのはやっかいなのではないか。

与太話に戻るなら、日本が米国の51番目の州になるというネタより、プエルトリコのようなコモンウェルスになる可能性のほうがありうるだろう。もっとも、プエルトリコとしては米国の51番目の州に成りたがっていて、2012年の住民投票では賛成が多かった。人口規模的にも米国の州と近い。「米国の「51番目の州」への昇格で初の多数派賛成、プエルトリコ住民投票」(参照

(CNN) カリブ海の米自治領プエルトリコで6日、米大統領選に合わせる形で米国の「51番目の州」への昇格の是非などを問う住民投票が投開票され、61%が昇格を支持した。反対が33%、独立を求める意見は6%だった。

投票は2段階方式で実施され、現状維持の諾否を尋ねる質問では地位変更の支持が54%、逆が46%だった。

投票結果に法的な拘束力はないが、州昇格の意見が過半数を占めたのは初めて。同自治領の政府高官によると、類似の投票は1967年、93年、98年にも実施された。今回の投票結果は今後のプエルトリコ政策の策定で米議会に影響を及ぼすとの見方もある。

プエルトリコでのこうした動向の背景は、自治区の財政破綻の影響が大きい。まあ、財政破綻で第51州化する可能性もあるかもしれない。実際には、米国議会が嫌うだろう。

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2016.02.19

自民党・丸山和也参議院議員の「失言」は英語でどう報道されたか?

自民党・丸山和也参議院議員の「失言」が話題になっている。この件についてはあまり関心を持っていなかったが、いろいろと話題になっているふうでもあるので、少しあとから追ってみた。まず、なにが「失言」で、なにが問題なのか。

対比用に国内報道としての朝日新聞報道の確認

問題として「角度を付けて」報道した朝日新聞「自民、止まらぬ失言・不祥事 谷垣氏「すぐペケが付く」(参照)を見てみよう。

 安倍内閣の閣僚や自民党議員の不祥事や失言が止まらない。丸山和也参院議員が参院憲法審査会で「米大統領は黒人。奴隷ですよ」などと発言。野党3党は18日、丸山氏の議員辞職勧告決議案を参院に提出した。甘利明前経済再生相の辞任や宮崎謙介前衆院議員の辞職ショックが冷めやらぬ中、政権は火消しに追われている。

 「いかようにも抗弁できない。外交関係にも影響しかねない」。18日の衆院予算委員会で、民主党の神山洋介氏は丸山氏の発言を厳しく批判した。菅義偉官房長官は「政治家は常に自らの発言に責任を持って、国民の信頼を得られるよう説明を果たしていく責任がある」と防戦に追われた。

 丸山氏は17日の参院憲法審査会で「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」などと発言した。安倍政権がもっとも重視する同盟国・米国の指導者に対する人種差別にあたる恐れがあり、政権幹部は「どう考えても正当化できない。陳謝、陳謝、陳謝だ」と沈静化に動いた。

 民主や社民、生活の野党3党は、丸山氏の議員辞職勧告決議案で「看過できない」と指摘。自民側は、丸山氏を参院憲法審査会の委員から外し、18日夕の幹事懇で、丸山氏の17日の発言を大幅に議事録から削除することを提案。同氏は「人種差別の意図はない」と謝罪した。幹事会後、野党の批判について「正直言って、あきれている。人種差別を乗り越えてきた米国は素晴らしいと言うことが批判されるのは不条理」と語り、議員辞職を否定した。

朝日新聞報道による曖昧性

朝日新聞によると問題は、「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」などと発言し、米国の指導者に対する人種差別にあたる恐れがあり、ということだ。つまり、米国の大統領を「これ」呼ばわりして、「奴隷」としたので人種差別になる……かもしれないというのが朝日新聞としての失言問題のようだ。

「かもしれない」としたのはのは、朝日新聞報道にある「などと」と「恐れ」という部分を汲んだもので、そこの報道意図がよくわからないせいである。

「恐れ」とした朝日新聞としては、もしかすると、これは人種差別ではないかもしれないという含みを持たせているのだが、それはなぜだろうか?

「黒人は現在でも奴隷である」というなら人種差別以前にただの馬鹿発言だし、「大統領は奴隷だ」というなら侮辱発言としてもいいだろう。「人種差別」という焦点はわかりにくい。「黒人には大統領になる能力はない」というなら、これは単純に人種差別発言である。丸山議員はそう述べたのだろうか?

丸山議員のオリジナル発言の確認

「などと」という朝日新聞の表現も気になるところで、含みは、実際の発言にはさらに追加があったと理解してよい。つまり、文脈から朝日新聞が「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」だけ焦点化して取り出したということだ。では、オリジナルの文脈と全文を検討してみる必要がある。

該当部分を書き起こしてみた。
 


馬鹿みたいたいな話だと思われるかもしれない。かもしれませんがですがね、例えば今、アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。はっきり言って。で、リンカーンが奴隷解放をやったと。でも、公民権もない。何もない。マーティン・ルーサー・キングが出て、公民権運動の中で公民権が与えられた。でもですね、まさか、アメリカの建国、当初の時代に、黒人奴隷がアメリカの大統領になるとは考えもしない。これだけのですね、ダイナミックの変革をしていく国なんです。

 朝日新聞の報道とくらべてみる。

  • 朝日新聞報道 「アメリカは黒人が大統領になっている。これ、奴隷ですよ」
  • オリジナル発言 「アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。」

朝日新聞の報道では、オバマ大統領を「これ」呼ばわりしてしているふうに受け止めやすいが、オリジナルでは、「これ」が示すのは、文脈上直接は「黒人の血を引く」ことになっている。好意的に解釈すれば、「アメリカはかつて奴隷であった黒人が大統領になりうる」というふうにも読める。

朝日新聞の論点背景

丸山議員発言を「アメリカはかつて奴隷であった黒人が大統領になりうる」と好意的に読むなら、今回も朝日新聞としては「角度を付けた」報道にはならなかっただろう。というのは、朝日新聞は、2009年「「イエス、ウィー・キャン」オバマ氏が勝利宣言」(参照)でこう報道していた。

 奴隷制度という過去を持ち、人種問題を抱える米国が、奴隷の子孫ではないものの、アフリカ系(黒人)の大統領を選んだ歴史的な選挙となった。

つまり、朝日新聞としては、奴隷の子孫が大統領になるという言及では問題でない。すると、オバマ大統領を奴隷の子孫と間違えたという点で丸山議員発言を「失言」とし、問題視したことになるだろう。繰り返すが奴隷の子孫が大統領になることには朝日新聞としては問題ないわけである。

これは人種差別の失言というより、丸山議員の無知ということのようには思われる。なお、やや文脈は異なるが、オバマ大統領が奴隷の子孫であることはDNA研究から示唆されている。2012年の朝日新聞「オバマ大統領の祖先「米国最初の奴隷」 家系図調査」(参照)より。

オバマ米大統領は、実は米国で最初の奴隷の血をひいていた――。DNA分析や古文書の調査によって判明したと米家系図調査会社が発表した。白人の母の12世代前の祖先が、米史上最初に終身奴隷となったアフリカ系男性だという。

 家系図調査会社のアンセストリー・ドットコムによると、カンザス州生まれのオバマ氏の白人の母親から12代さかのぼると、ジョン・パンチ氏というアフリカ系男性にいき当たる。米独立前のバージニアで年季契約召使の身分から逃亡しようとして失敗、罰として1640年に終身奴隷とされた男性で、記録に残る最古の例という。パンチ氏は白人女性との間に子がおり、その子孫が「白人地主」として成功した。

 2008年の大統領選では、オバマ氏が「奴隷の子孫ではない」ことで、アフリカ系有権者の間には一時、支持をためらう声も出ていたとされる。

丸山議員の文脈とは異なるが、DNA分析を含めたという意味で、科学的には、オバマ大統領は奴隷の子孫と言ってもよさそうだ。また、オバマ大統領の選挙戦ではむしろ、「奴隷の子孫ではない」ことがマイナスの要因であったことも朝日新聞は伝えていた。

CNN報道の例

前段が多くなってしまったが、今回の「失言」が欧米圏ではどのように報道されただろうか? 

まず読みやすい事例としてCNNの日本語報道があった。「丸山和也議員、オバマ大統領についての「黒人奴隷」発言を謝罪」(参照)

(CNN) 自民党の丸山和也参院議員は、オバマ大統領を奴隷の子孫だとした発言に関して、誤解を招くものだったとして謝罪した。
丸山議員は17日の参院憲法審査会で、「いまアメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ」と発言した。
この発言は日本の憲法改正を巡る論議の中で飛び出した。丸山議員は米国の「ダイナミックな変革」を引き合いに出し、「アメリカの建国、あるいは当初の時代に、黒人、奴隷がアメリカの大統領になるなんてことは考えもしない」と力説していた。
オバマ氏は初のアフリカ系米国人の大統領だが、奴隷の子孫ではない。父はケニア人、母はカンザス州出身の白人だ。
丸山議員の発言は人種差別的と見なされ、審査会後の記者会見で同議員は「誤解を与えるようなところがあった」として謝罪した。
丸山議員は19日、CNNの電話取材に応じ、自らの発言によってオバマ大統領と米国国民に不快な思いをさせたことを申し訳なく思うと述べた。その上で、発言に人種差別的な意図はなく、人種差別を乗り越えた米国の偉大さに言及しようとするものだったと説明した。

CNNは朝日新聞報道に似て、「丸山議員の発言は人種差別的と見なされ」たとして判断を避けている。

CNNのオリジナル報道はわからなかったが、英語でどのように理解されているかという点では、CNN「Japanese lawmaker apologizes for Obama 'black slave' remark」(参照)が表題からでもわかりやすい。つまり、日本の議員が「オバマを黒人奴隷」としたということである。丸山議員の発言は英語で表現されている。

"In America, a black man became president. I mean, he's in a bloodline of black people who were slaves," Kazuya Maruyama, a lawmaker from the Liberal Democratic Party (LDP), said Wednesday, during a meeting of the Upper House constitutional panel.

該当部分を訳すと「アメリカでは、ある黒人が大統領になった。私が言いたいことは、彼は、奴隷であった黒人の血筋にある」ということになる。

こう英文で表現されると、朝日新聞報道のような曖昧さはなく、つまり、オバマ大統領を黒人の血筋とした、という発言になる。また、「Obama, the first African American U.S. president, is not a descendant of slaves. He's the son of black father from Kenya and white mother from Kansas.」とも述べ、事実の誤認を確認している。

しかし先に引いた2009年の朝日新聞報道にもあったように、オバマ大統領が選挙戦の際は、そうした血統がないことはデメリットともされていた。

CNN報道の「角度の付け方」

では、CNNはどのようにこれに「角度を付けて」報道したかというと、原文では丸山議員の発言についてCNNとしての考察はなく、テンプル大学のカイル・クレイブランド(Kyle Cleveland)教授による日本の保守派論に移っている。つまり、行間を読むの類である。

"This isn't just one particularly racially outrageous thing that he said about Obama, but it represents a certain kind of nationalism that this generation of politician holds," Cleveland said.

つまり、これは単にオバマ大統領について語られた、とりわけ人種差別の怒りを招く一発言ではなく、この世代の政治家が有しているナショナリズムの一種を示している、とクレイブランド教授はいうのである。

ごくあっさり言えば、クレイブランド教授も丸山議員の発言それ自体は人種差別発言としてはことさらに問題視していない。

BBC報道の例

BBCは日本語サイトを持っているがここでは該当記事は見当たらなかった。

英文のBBCの報道では、CNNとも似て、日本で話題になって以降の安倍首相の対応に焦点を当ていて、失言問題そのものへの言及はあまりない。とはいえ「Japan's Shinzo Abe rebukes MPs after Obama 'slave' remark」(参照)より、該当部分の英文を見てみよう。

"Now in the United States, a black man serves as president. With the blood of black people. This means slaves, to be clear."

いわく、「いまや合衆国では、黒人が大統領として職務にあたっている。黒人の血を持ちながらである。このことの意味は、端的に言えば、奴隷ということだ」。

CNNの英訳では、奴隷であったことは過去として”who were slaves”としているが、BBCの英文では、現在なお奴隷だという響きを持っている。実際、丸山議員のオリジナル発言では「アメリカは黒人が大統領になっているんですよ。黒人の血を引くね。これは奴隷ですよ。」となっているので、現在への言及でもよいようだが、「血を引く」という表現には子孫の意味合いがあるのに対して、”With the blood of black people”は現在の人種状況を指しているように受け取れる。これだと黒人の血に焦点を当てたかたちで人種差別になる。BBCとしては、人種差別の話題としての「角度を付けて」報道したのかもしれない。

時事の英文報道の例

CNNやBBCは日本について直接報道することがあるが、時事や共同を介することが多い。共同はAPと同じことが多い。

時事で該当部分を見てみよう。「Japanese lawmaker calls Obama descendant of black slaves」(参照)より。


“In the United States, a black man has become its president. I mean, he is in a bloodline of black people, who were slaves,” Kazuya Maruyama said during a session of Upper House Commission on the Constitution.

CNNと同じ表現がある。おそらく、CNNは時事を引用したのだろう。

共同の英文報道の例

共同で該当部分を見てみよう。DP Diet member apologizes over remarks about U.S. President Obama」(参照)より。

TOKYO (Kyodo) -- A Diet member belonging to Prime Minister Shinzo Abe's Liberal Democratic Party apologized Wednesday over remarks he made about U.S. President Barack Obama, calling him black and adding that blacks are descendants of slaves.

"Now the United States has a black president. (He) is of black origin. That means slaves," Kazuya Maruyama, the head of the LDP's judicial affairs division, said during a session of the House of Councillors commission on the Constitution.

共同の英文で丸山議員の発言とされているのは、「今や合衆国では黒人が大統領になっている。彼は黒人の起源である。これは奴隷だという意味だ」となる。つまり、共同が世界に報じた内容は、黒人ならすべて奴隷であり、こうした奴隷が今や合衆国の大統領だということで、わかりやすく黒人差別という「角度をつけて」報道している。

APの英文報道の例

APで該当部分を見てみよう。「Lawmaker Maruyama criticized for linking Obama to slaves」(参照)より。

"Today, America has a black person as president. A person who inherits black people's blood. Frankly speaking, they were slaves," he said Wednesday, then went on to explain how civil rights improved in the United States. "Back at the beginning of U.S. history, it would have been unthinkable that a black person, a slave, would become president. That's how dynamic a transformation this country makes."

APの共同の英文で丸山議員の発言とされているのは、「今日、アメリカは黒人を大統領に持っている。黒人の血を継いだ者である。率直に言えば、彼らは奴隷だった」ということで、奴隷を過去として、その血統を継いだという点も明確にしている。加えて、その次の文で市民権に言及している。

AP記事だが別サイト(参照)で見ると、山口真理記者の記事である。

AFPの英文報道の例

AFP報道の全体を見渡したわけではないが、訳出の一つの典型例として、「Japan ruling party on defensive over Obama "slave" comment」(参照)が興味深いものだった。

"Now in the United States, a black man serves as president," Maruyama told lawmakers on Wednesday, adding that Obama "carries the blood of black people.

"This means slaves, to put it bluntly."

He then described as "unthinkable" at the time of the founding of the United States more than two centuries ago the idea that a black man could become president.

英文の表現を見れば明白なように、これは実質BBC報道を焼き直している。

ロイターの英文報道の例

ロイターも署名記事を出していた。「JAPANESE PRIME MINISTER SHINZO ABE CRITICIZES MP’S OBAMA ‘SLAVE’ COMMENT」(参照)より該当部分を見てみよう。

“Now in the United States, a black man serves as president. With the blood of black people. This means slaves, to be clear,” he said, according to the BBC. Maruyama then added: “It was unthinkable at the founding of the country that a black man, a slave could become president. That's how dynamically America has evolved.”

明確にBBC記事の孫引きだということがわかるように良心的に書かれている。率直に言って、この件ではそれ以上の考察は必要ないだろう。

英文報道の精度

ざっとした印象では、APの英文報道がもっとも精度が高いようには思われた。日本語にも精通したスタッフを有しているメリットが現れた形になっている。

CNN報道はおそらく時事からの孫引き報道で、記者は日本語の能力はそれほど高くはないように思われる。時事に関連していうと、日本の英文紙として参照されやすいジャパンタイムズだが、この報道については時事を採用していた。時事の報道に不正確さがあれば日本についての話題は、ジャパンタイムズから伝搬する経路がある。

BBCの報道は共同や時事と独立していたが、意外にも、精度の高いものではなかった。扱いも、内閣問題となってからの二次的影響の視点に立っていた。

今回のBBC報道の不正確さが、ロイターやAFPにも伝染している様子が見られる。この点は、海外報道の伝搬についての従来の傾向からすると、やや意外に思われた。というのは、ロイターやAFPは独自の報道機関の矜持を持っているからである。日本に対する国際世界の関心の薄れの反映かもしれない。そもそも、日本語に精通した記者を十分に日本に配備していないのだろう。

BBC報道は従来の他分野で見ると日本についての報道精度は高かった。そうした報道の精度が維持ができるかは今後も注意が必要になる。

フランスに拠点を持つAFPは英語圏とは異なった独自の報道網を持っているし、日本においても優れたスタッフを擁しているので、BBCに影響された今回の報道は少し残念に思われた。

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2016.02.16

荒地派と三島由紀夫

戦後詩を形成した荒地派の生年をスペクトラムとして見ると、おおよそではあるが、大正8年の黒田三郎から大正13年の吉本隆明くらいの、5年くらいの幅がある。彼らが戦後を迎え、「荒地」を形成するころの20代以降では、彼らのなかではそれほど大きな年齢差としては意識されなかったのではないか。が、実際のところ、そのスペクトラムに出征の有無がある。

今、たまたまではあるが、世界大百科事典を覗いたら、「荒地」について「鮎川、加島祥造、北村太郎、木原孝一、黒田三郎、田村隆一、中桐雅夫、三好豊一郎ら戦争体験を経たモダニズムの詩人たちがこの雑誌に結集し」とあり、そこでは「戦争体験」として一括されていた。間違いだとは言えないし、そこで出征経験の有無が差異として強く問われたこともなかっただろう。またおそらく、彼らの多くが戦後、海外文学の翻訳者として関わっているように、西洋的なモダニズムの基礎があり、それにがドメスティックな戦争観からは少し距離を置かせたかもしれない。

それでも出征の有無や戦地体験は、戦争の意味や感触に微妙な差異としてあっただろうと、彼らを見ていて私などには感じられる。特に吉本隆明に顕著だが、彼には、戦争は当時の少年期の課題として意識され、現実の軍という集団の生活経験は不在である。戦争についても理念的な構成的な理解になる。そしてそこには、これも微妙にではあるが、その経験のなさということの負い目のようなものが感じられる。例えば、吉本隆明については、山本七平との対談などでの、ある種のこわばりが感じられた。山本側からすると、吉本についてはあまり関心がないようでもあったが、それも戦争実体験を基盤とする共感のなさに思えた。

こうした、わずかとも言える大正後期の生年のスペクトラム、あるいはその最後に大正14年生まれの三島由紀夫がいる。彼も改めて見直してみると、西洋的なモダニズムの詩の少年期を過ごしている。学習院の初等科から詩をその学内誌に発表し、高校生時代には熱心に詩を創作している。なにより30歳ころに書かれた自伝的作品『詩を書く少年』が示すように、自身でも詩を書く少年として理解していた。その意味で、少しの差異で三島由紀夫も戦前のモダニズムの気風にあった荒地派をなぞっている。もちろん、三島由紀夫はこの作品が示唆するように詩人にはならなかったし、そこには戦争の影響が直接問われているわけではない。

それでも荒地派のスペクトラムのなかに参照として三島由紀夫を置いてみると、その構図からは吉本隆明に近い。両者は、実際のところ戦争に遅れたモダニズム詩の少年として、戦後は詩の言葉の空転からイデオロギーとしての社会認識に転換していった。黒田三郎や北村太郎とは逆の方向であり、たまたまなのか、性と他者の対峙のあり方も理念的・美的にずれていく。

現在cakes向けに書いている隆慶一郎論も大正12年生まれで、アルチュール・ランボーなどフランス象徴詩に傾倒した少年期を送っていた。彼の場合は、直接小林秀雄の影響もあった。小林秀雄は明治35年生まれ。「荒地」の元になったエリオットの詩も荒地派には、明治27年生まれの西脇順三郎を経由している。そのあたりの生年に、「詩と詩論」がある。

cakesに黒田三郎論を書いたおり、黒田が詩壇に躍り出て村野四郎との関係に悩む風景を見たが、黒田などからすれば、「詩と詩論」のモダニズムと自分たちの差異は大きく感じられたのだろう。逆に、「詩と詩論」のモダニズムから太平洋戦争がどう見えたかというのも、改めて気になる。

というのも、最近思うのだが、現在、老人とされている世代がせいぜいのところ昭和8年世代くらいであり、むしろ、明治時代からのモダニズムから一端途切れ、戦後文化として形成された潮流にある。そこではあたかも、「戦争」の意味合いが、近代文学的な系譜とは別系譜的に創作され、そしてさらにその創作のうえに現在の「戦争」観が乗っかっているように思えてならない。あるいあ、そうした中では、荒地派の出征のスペクトラムはちょうどその微妙なつなぎの意味を持っているように思える。

 
 

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2016.02.15

荒地派のスペクトラム

「荒地の恋」に何気なくという感じで北村の話相手として加島祥造が出てくる。原作でもドラマでも。それは荒地派詩人であることと彼の妻だった最所フミを介して、鮎川信夫との物語にも接続するのだが、こうした荒地派詩人としての詩人たちの時代は、もう終わってしまい、あまり顧みられないように感じられる。そういう時代になったのだなと思う。

まったく顧みられないわけでもない。むしろ北村太郎や黒田三郎は、その詩のある普遍性から現代において小さくリバイバルしているようでもある。かく言う私もcakesに黒田三郎について書いた(参照)。黒田三郎を古典として再考したいという思いには、微妙に戦争と戦後というものの感触に関わる部分がある。

こういうとやや勇み足な言い方にはなるが、戦後という知的空間の一部を占めていた「現代詩」が現在どうなっているのか私はもうほとんど知らないのだが、概ね終わったのではないか。

そうしてみると、「荒地の恋」のモデルを懐かしく思い出しながら、荒地派=戦後詩、というより、戦前のモダニズムと戦時の体験をどことなく感じた。黒田三郎も戦前には日本の代表的なシュールレアリスム作品を書いていた。

物語にも北村太郎が通信隊であった逸話はあった。戦地経験はないものの、大正11年生まれの彼には海軍に所属した経験はある。大正12年生まれの田村隆一はというと北村太郎とほぼ同年でありながら軍隊経験はないようだ。(追記:学徒動員で出征し海軍航空隊に配属)北村らより年長で大正8年生まれの黒田三郎はインドネシアで招集されたが彼とても戦地経験というのでもなさそうだ。黒田より一つ下大正9年生まれの鮎川信夫は出征しスマトラに送られたが傷病兵となり、終戦を迎える。さらにその一つ下大正8年生まれの中桐雅夫は兵役逃れで日大に入っている。

こうした並びで見ると、吉本隆明はさらに若く、軍の経験はまったくない。とはいっても彼が大正13年生まれである。冒頭の加島祥造だが、吉本隆明より一つ上、大正12年生まれで、田村隆一と同様、軍経験はない。現在cakes向けに執筆中の隆慶一郎は大正12年生まれだが入隊して中国に送られた。詩人ではないが私が傾倒した山本七平は大正10年の生まれで、かなり過酷な戦地経験を持った。漫画家・水木しげるは大正11年生まれだが出征し、ラバウルで左腕を失った。

荒地派の詩人の世代に戦前のモダニズムと軍経験と戦後世代がある。山本七平や水木しげると対比すると、戦地での強い経験はない。こうしてスペクトラムで見ると、田村隆一はまさに戦後の文化人の第一世代だったと言っていいだろ。そのあと、いわゆる昭和8年組的な一つの世代の山があり、このあたりが現在80歳で、かろうじてネットなどで可視になる「老人」であろう。しいて言えば、戦後第二世代ともいうべき世代が現在日本で到達できる限界かもしれない。

戦争体験を忘れてはならないと戦後言われ続けてはきたが、戦地体験に裏付けられた感覚としてはもう生活の延長からは消えてきている。

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2016.02.14

[書評] 「荒地の恋」(ねじめ正一)

いつからか文学賞というものには関心を失った。新しい作家のメディア的な登場やベテラン作家の新作などにも概ね関心なくした。ねじめ正一の作品はどうか。詩については彼が各種文学賞を取る以前の作品から知っていた。吉本隆明の講演集などをよく出していた弓立社『脳膜メンマ』も当時に読んだ。『高円寺純情商店街』のような小説を書くことも知っていた。村上春樹と同年代なので、つまり彼らが三十代前半だったころから知っていた。概ね私より10歳年上の世代である。それでもねじめさんの作品にはそれほど関心もなく、彼の書いた『荒地の恋』も知らなかった。そうした間抜けな状態で、5回ものにドラマ化されたものをぼんやり見始めた。落とし穴に落ちたように引きずり込まれた。

見始めは、田村隆一と北村太郎の痴話話というのも面白いかもしれないというくらいの思いだった。冒頭、朝日新聞勤め北村と鮎川信夫が、鮎川の外車に乗っている光景は、あの時代の記憶のある自分には懐かしい。反面、作り物のような映像には奇妙な滑稽さも感じた。その滑稽さの地続きで鮎川を田口トモロヲが演じているのだなと気になった。北村太郎を豊川悦司(トヨエツ)が演じる違和感よりも強かった。

田村隆一は「孤独のグルメ」の松重豊が演じていた。そのせいか、ずれたような滑稽さを覚え少し苦笑したものの、松重の口調は、私が知っている生前の田村隆一そっくりだった。松重は田村のはまり役に思え、ぐっとドラマに捕らわれた。全体を見終えてからも、松重の田村は印象深く残った。そのあと原作も読んだが、田村隆一を描くという点では原作よりも良かった。

背景を知らない人のためもあってか番組の紹介には、若作りを際立たせた鈴木京香の肩をトヨエツが抱くポスターふうの写真がドラマの表紙のように使われていた。原作の文庫のカバーもそれになっていた。なんじゃこれはと思ったが、そういう趣向、不倫恋愛ものというのだろうか、その興味で見ても良い映像には仕上がっていた。トヨエツと鈴木京香のカラミはなかなか綺麗に仕上がっていた。

北村太郎をトヨエツが演じるのかあという違和感は、田口トモロヲの鮎川よりも長く続いた。それでも北村については原作とモデルの年齢差の違和感は微妙にない。トヨエツも50代を迎えるからだろう。物語の始めの北村の年齢とほとんど同じである。そして、トヨエツは、男というものがわかる女ならこれはかなりぐりぐりと来るほどの色気があるだろう。羨ましくも思う。他方、鈴木京香の色気は、好きな人もいるだろうが、さほどでもない。が、高田博厚のお嬢さんらしい奇矯さはよく演じられていた。次第にこれもはまり役だったと納得する。余談だが、高田博厚の没年が気になったので調べたら昭和62年で、物語にちらほらと言及される理由に納得した。

鮎川のシーンに、いかにもインテリ風の老女が登場するが、微妙に役者に見覚えがあり、気になったて調べると、りりぃであった。恥ずかしながら、十代の私はりりぃのファンでもある。その感慨もあったが、つまりこれは、最所フミなのか。これもなかなかのはまり役だった。ドラマの後半では、鮎川と最所の関係は上手に描かれていた。そしてよく見ると、加島祥造も上手に登場していた。

その当たり、原作はどうなのだろうと確かめるように読んだが、最所については北村との関わりのなかできちんと描かれてはいたが、原作では「荒地の恋」という表題ではあるものの、荒地派群像の恋という広義の含みは弱かった。この点も脚本のほうがよく練られていた。余談だが、原作を買ってから、たまたまアマゾンの読者評を見たら猫猫先生が毎度のユーモラスな酷評を付けていて、いわく、ねじめ正一は会話が下手だとある。まあ、猫猫先生に異論を述べる蛮勇は私にはないが、原作の会話の大半は脚本に取られていて不自然感はなかった。

ドラマの評のような話になってきたが、北村の妻役の富田靖子も好演だった。映像では赤い靴下を強調しているので原作に対応があるかと気になったが、そうでもない。他にも、ドラマは映像配色は光景の切り取り方が美しかった。なかでも後半、老いていく北村が見る墓地の光景も美しい。きれいな映画を見た感も残った。

物語は後半、北村の若い恋人に焦点を当てていく。この老人と若い女性・阿子の性の関わりはとても面白い。作者ねじめさんの性を見つめる視線と言葉の運びに独自のエロスが感じられる。ドラマもここは上手に映像的に描いていた。村川梨衣という女優については何も知らなかったが、演技もうまくエロスの見せ方もよかった。田村の若い愛人役の前田亜季との演出の対比もよかった。

阿子という女性が実在したのだろうかというのは、原作を読む強い動機になった。自分の趣味からいえば、荒地派詩人の群像の恋愛劇への興味もあるが、小説としてみれば、老いた詩人と若い女性の性の関係を前面に描く作品のほうが興味がある。そうした思いのせいか、阿子の描き方には、原作もドラマもやや微妙なものが残った。モデル小説としての限界かもしれない。原作では阿子に北村の最初の妻の重なりを心象として描いていたが、ドラマでは出会いがしらの手へのくちづけという動作に変えた。この出会いのときにすでに阿子は既婚であったのだろうか。

原作では後半、田村の存在は背景に消えていき、北村の老いの内面に焦点を当てていく。上手に描いてはいるが、本当に老いた詩人の内面まで肉薄しているか、もう一つもどかしさも感じた。北村太郎という詩人の悪魔性のようなものにまではまだ十分に近づいていないようにも思える。この作品を書いたころのねじめ正一さんの年齢はだいたい今の私くらいなので、なんというのか、ようやく男の性の老いのとば口に立っているという限界のようなものがあったのではないか。


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2016.02.09

予言というわけでもないがサウジ・アラビアが不安定化するかもしれない

ガス・スタンドで100円を割る数字を見るようになった。数年前を思うと、想像しがたいほどの原油安である。なぜこうなったかというと、とりあえずは世界規模の需要不足ということで、その先鋒が中国だが、さてそれでこの原油安に十分に説明がつくのかというと、よくわからない。それに加える要因としては、当初はシェール革命の影響とそれに対応するサウジの思惑なども言われていた。またここに来て、イランが国際社会に復帰することで原油価格がさらに下がることも予想されている。

そうした関連の話題で、最近見かけた金融商品化説は興味深かった。NHK「原油安 拡大するその影響」(参照)に話題がある。

今回の原油安の大きな原因は、原油が『金融商品』になってしまったというところがあると思っています。 具体的に、原油の値段につきましては、先物が原油の実体の値段を決めていまして、原油の先物は、実は2000年代の半ばから、株式、それから債権に次ぐ『第3の金融商品』ということで、先ほどのWTIの先物市場ですが、取引高がNYダウの半分まで拡大しているといわれております。 ですから、実体の原油に比べて、金融で取り引きされるその量が多いものですから、実際は金融の要素で価格が決まってしまっています。 ですから、先ほど言ったように、たかだか生産量の1%の需給ギャップで、原油価格は3分の1まで落ちてしまうという状況になっています。
(略)リーマンショックの後に、32ドルまで実は原油価格が下がりました。 この時に、アメリカのFRB(=連邦準備制度)が量的緩和を始めますと、グングンと原油の価格が上がりまして、2011~14年まで100ドル超えでした。 この水準というのは、なぜ起きたかといいますと、量的緩和で、要は投資マネーにものすごくお金が入って参りまして、その受け皿として原油の先物市場が使われてしまったということです。 それが、実際に量的緩和をやめ始めるとFRBがアナウンスすると同時に、原油価格が下がってしまいました。 さらには、昨年末にFRBが利上げすることによって、さらに、原油先物の金融商品としての魅力がなくなってしまって、それで一気に原油価格が30ドル割れしてしまったということになるわけです。

非常に説得力のある説明で納得しやすい。少なくとも、生産量の需給ギャップで見れば1%程度というのも事実だろう。そうすると、世界的な需要不足というのが原油安についての最も強い要因とは言えないだろう。

とはいえ、需給ギャップが大きくなければ、金融商品的な様相がある程度沈静化しても、基本的には原油安の構造は変わらないということになる。むしろ、原油安がこれらの中期的なトレンドとして世界に影響を与えると見たほうがよい。するとどうなるのか?

同記事には、➀米国発金融危機、➁サウジアラビアに「アラブの春」を挙げている。前者については、シェール革命を支えてたジャンク債が焦げつく連鎖を見ている。私の印象では連鎖を起こすかどうかは別としてもシェール革命の効果は原油高に支えられたものなので、早晩クラッシュはするだろうとは思う。後者のサウジに「アラブの春」だが、同記事ではその背景にサウジアラビアの財政悪化を見ている。端的に言えば、サウジアラビアの国家体制の安定はオイルマネーに依存しているのでそこがクラッシュすれば社会が不安定化するというものだ。いわゆる民主化という意味での「アラブの春」ではない。

どうなるかだが、同記事では触れていないが、サウジ王家は現状、大きな問題を抱えている。即位一周年になるサルマン国王だが80歳という高齢であり、実は健康状態に問題があると見られている。当然、近い将来に正式に次の権力者が立つことになり、それだけで不安定化を招きやすい。余談だが、来日するパレスチナのアッバス議長も80歳でパレスチナを抑えきれるか不安定な状態にある。

サウジの現状だが、30歳のムハンマド・ビン・サルマン副皇太子が若い世代の支持を背景にかなり権力を握っているし、実際数年前からそうした動向があり、今回のシリア派兵などもそうした動向の延長だろう。これは伝統主義的なサウジの観点からすると、56歳のムハンマド・ビン・ナエフ皇太子を出し抜くことになる。これらに関連した話題は多い。が、実際のところサウジアラビアの内情の詳細については各種の推測がありはっきりとしてことはわからない。ただ、強い不安定化要因があることは確かだ。

サウジアラビアにレジームの危機が起きると連鎖的にいろいろな事態になる。シナリオ的にはかなりとんでもない事態にもなりかねない。

日本として気になるのは日本のエネルギーとしての原油をどうするかで、先の記事でもそこに話のオチを持ってきている。しかし、原油はコモディティ化しているので、サウジアラビアからの供給がなくなれば、不安定な時期を経過してもどこか所定の価格で安定化するだろう。というか、それがシェール革命と釣り合うくらいだと、米国も安心できる。

というあたりで、さも陰謀論的なシナリオが想像できないでもないが、まあ、そういう展開にならないとよいのだがとは願う。


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2016.02.08

北朝鮮の長距離ミサイル実験で、韓国世論から核武装論が出てくる理由

韓国世論全体の動向が、というほど大きな潮流でもないと思われるが、核武装論が出てきた。近いところでは朝鮮日報「【コラム】中・日に見下される韓国、今こそ核武装を議論せよ」(参照)より。

 全国民・政界・社会指導層が安全保障の共通分母を導き出す作業は、すぐには期待できない。だからといって放棄もできない。まずは実権を握る政権だけでも、韓国の安全保障の力を補強する、もしくは韓国の意志を示す特段の措置を取る果断さを示すべきだ。いっちょやってみよう、ということだ。核武装に関する議論から始めよう。

このての議論は今回が初めてというわけではない。このコラム以前に朝鮮日報では先月の社説でも議論はあった。「【社説】米中に頼れない韓国、今こそ独自の核武装を」(参照・リンク切れ)。

北朝鮮の核問題解決の責任を中国に押し付けてきた米国や、北朝鮮による相次ぐ核実験を黙認してきた中国を信じるべき時はもう終わった。今や韓国は自衛策として最低限の核兵器を保有するため、国民的な議論を行わざるを得ない状況に直面している。それによって国民が核兵器保有を進めることで一致すれば、韓国政府はすでに紙くずとなった1991年の韓半島(朝鮮半島)非核化共同宣言をまずは破棄しなければならない。さらにウラン濃縮や核燃料の再処理など、最低限の核主権確保に向け米国との交渉もあらためて推進しなければならない。

 一方で核武装を無理に進めた場合、韓米同盟にヒビが入るのはもちろん、国際社会からの制裁も避けられないだろう。これは貿易で国の経済を維持する韓国にとっては大きな試練になるはずだ。またたとえ独自の技術を確保したとしても、強大国による厳しい監視をくぐり抜けて原料を確保し、核兵器を作れるのかという懐疑論もある。しかし現状は6カ国協議や数々の制裁措置に何の効果もなく、また米中両国も互いに責任を押し付け合っているだけで効果的な手段は何も打ち出せていない。これでは韓国としても、着実に核武装を進める北朝鮮の動きをただ眺めているわけにはいかないだろう。

しかし韓国の核武装論は特段に驚くべきことではないが、注意したいのは、「中国を信じるべき時はもう終わった」という指摘で、現下の韓国の核武装論は、対中国の文脈に置かれていることだ。

日本では今回の北朝鮮による長距離ミサイルについてなぜか国家安全保障に関連したかのようなニュースの話題になっているが、安全保障という点では、300発保有とも見られる北朝鮮ノドンの射程内に日本はすでに置かれているので、特段に状況の変化はない。これについては韓国と同じ状況である。

むしろ従来との違いは、先週の中国による韓国への防空識別圏(ADIZ)を事前通報なしに侵犯したことが重要だろう。面白いのだが日本の通信社・共同通信を引いたかたちで朝鮮日報が報じていた。「中国軍機が事前通報なしに大韓海峡縦断、韓日の防空識別圏を侵犯」」(参照)より。

 中国軍機2機が、史上初めて大韓海峡(対馬海峡)を縦断し東海(日本海)まで往復飛行を行った。共同通信が31日に報じた。この過程で、中国軍機は韓国および日本の防空識別圏(ADIZ)を事前通報なく侵犯・通過したという。アジアの覇権をめぐる米中日の軍事力競争の影響が、韓半島(朝鮮半島)にまで及んだ格好だ。なお、日本の防衛省は「中国軍機が領空を侵犯することはなかった」とコメントした。

この中国のメッセージは何かだが、朝鮮日報では終末段階・高高度防空ミサイル(THAAD)システムの関連に置いている。「【社説】中国機の防空識別圏侵犯、韓国政府は十分な備えを」(参照)より。

 先月31日、2機の中国軍機が韓国と日本の防空識別圏(ADIZ)を侵犯し、大韓海峡(対馬海峡)を経由して東海(日本海)まで往復飛行を行った。これまでも、中国軍機が一時的に西海(黄海)・南海(東シナ海)付近の韓国のADIZに入り込むことはあったが、東海まで進出したのは今回が初めて。

 中国による今回の韓国ADIZ侵犯は、北朝鮮の核実験への対応として終末段階・高高度防空ミサイル(THAAD)システムを在韓米軍に配備する問題が本格的に取り上げられ始めた時期と重なっている。また、米軍の艦船が先月30日、南シナ海にある西沙諸島(パラセル諸島)の12カイリ以内を航行したが、中国軍機の飛行はその翌日に行われた。米中はこれまで、北朝鮮制裁をめぐっても意見を対立させてきた。こうしたことから、韓国のTHAAD配備の動きや米軍艦船の航行などに対する不満の表明、もしくは報復措置として、中国が韓日のADIZをあえて侵犯したと考えるほかない。

とはいえ、続く文脈で、「今回の事件で「中国が韓国を敵対視し始めた」と拡大解釈する必要はないだろう」と朝鮮日報も他面、冷静に見てはいるが、それでも中国が韓国のTHAAD配備に警告を出している構図があると見てもよいだろう。実際、中国でもそうした論調は見られる」(参照)。

単純な話にすると、韓国としては今回の長距離ミサイルで話で進展するTHAADに関連して、中国と対立する構図が浮かび上がり、これに韓国ナショナリズムとして反米と反日の構図を組み入れると、韓国世論から核武装論が出てきても不思議ではない。普通に考えるなら、そこまでして反米・反日を標榜するものかなという感想もあるが。

現実論として考えると、韓国が核武装化することはありえない。また、THAADも避けがたい。となるとどのあたりで妥協点を作るかだが、基本米中関係での手打ちということになるだろう。THAADは中国を狙ったものではないという修辞を中国が受け入れれば問題はなくなる。韓国としてももとの、安寧の幻想にも戻れる。

しかし、もう一歩考えてみると、こうした米中日韓の思惑の相違を突いた形で核実験やミサイル実験をする北朝鮮としては、それなりに核を梃子にした「統一」の夢を韓国に投げかけたかったということでもあるだろう。

現実問題としては、これまでのTHAADについての米側の態度を見るとわかるように比較的忍耐強く待ちの姿勢だったわけで、中国がどう折れるかにかかっている。中国は国内事情があって折れないだろうなとは思うが、このところの海洋進出も国際世論で痛い目にあっているので、少し戦略を変えるかもしれない。


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2016.02.05

最近の文房具屋さんのこと

おやこんなところに文房具屋さんがある、と疑問に思った。しばらく通っていない道を通り過ぎたときのことである。けっこう大きな店構えである。文房具屋なのだから文房具を売っているだろう。が、これだけの規模の店舗でいったいどんな文房具を売っているのか気になって覗いてみた。そもそも、客がいるのか? いたのである。いっぱい。

主に小学生・中学生であった。考えてみると当たり前のことだ。彼らは日々、使うのだ。そうして熱心に文具を選ぶ子どもたちを見ていると、なんだか懐かしいような胸にじんとくるものがある。大人たちも多い。意外と老人が少ない。最近はどこに言っても老人比率が高くて、うへぇ感があるのだが、そうした点でもちょっと違和感を感じた。店舗を覗いた時間帯の影響もあるのかもしれないが。

文房具屋さんにはいろいろ懐かしい思い出がある。あれを買ったなあ、あれが欲しくても買えなかったなど。ドイツ製の文具とかなあ。それは苦い思い出でもある。街にはかならず文房具屋があった。考えてみればあたりまえで、お医者さんと薬屋さんの深い関係のようなもので、あるいはパチンコ屋と換金屋の関係のように、あれは学校とつるんだビジネスであった。当時の文房具屋を見ていると、いくつか固定の事務所への納品などもあった。それがどのくらいの比率かわからないが、およそ昭和時代の社会主義社会のような一面だった。

大きな店舗の文具店に最近はニーズがあるのかと思った瞬間、間抜けだな自分と気がつく。かくいう私も文具を買うときは、百均か、無印か、デパートとかショッピングセンターとかのフロアの広い文具屋にでかけていた。むしろ、定期的に出かけていて、なんか面白い文具ないかなあと探すのである。

今回も探した。とりわけ変わったものはないだろうと思っていたが、ロジカルノートが多いのに気がついた。この手のノートが売られていることは知っていたが、こんなに普及しているのかというのは驚いたし、実際に手にしたのは始めてだった。

よいな、これ。欲しいぞ。となると、私の脳にスイッチが入る。文具は気に入ったもの選びが難しいのである。どのタイプのロジカルノートがよいのか。その日は悩んで結局買わなかったが、しばしその文房具屋さんで時を過ごした。店員の若い女性がとても親切だったのも驚いた。どうでもいいが、最近、親切な店員さんと、不親切な店員さんと、アンドロイド型店員さんの3種類のうち、最初のに遭遇する確率が低い。

ロジカルノートはアマゾンでもいいかと見ていると、かなりいろいろあり、悩んだ。

これは衝動買い。

他に、英語の語順を教えるノートみたいのがあった。子供の頃やるデタラメ文章作成ゲームをやるようなものである。「警察官が駅前で熱心に豆腐を食べていた」みたいな文章ができるあれである。英語でやるようにできている。意味あるのか? ああ、これだ。

理論背景でもあるのかと今みたらあった。ふうん。

語順がこうなっているのはピジン言語っぽい英語の特性かもしれないなあ。意外と面白いのかもしれない。

そういえば、フリクションはあるかなと店員さんに聞くと、山ほどあった。すげー。そうなるとまたスイッチがはいる。最近フランス語の勉強関連で知ったのだが、フリクションはフランスでけっこう売れているらしいというか、フランス人がよく使うらしい。理由は、たぶん、彼らは手書きをするからだろう。

残念ながら、笑いのポイントがわからん。が、フリクションの使い勝手はわかった。

あと、これを買った。ミドリという会社のノート。

紙質については実際手に触ってみないとわからんでしょうけど、まあ、いいんじゃないの。

 

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2016.02.03

米国民主党員5人に1人は、保守派

サンプリシティの法則からしても物事は単純に考えたほうがいいが、単純にしか考えられない人には案外単純に考えることは難しい。

そうした日本人にありがちな単純思考の一つに、米国民主党はリベラルとする考えがある。概ね間違ってはいないというか、四割くらいは当てはまるし、後で述べるがそうした傾向は高まっているようにも見える。実態はというと、きちんと単純に考えると、米国民主党は必ずしもリベラル派の政党ではない。5人に1人くらい保守派がいる。

そのことが現下の阿呆なトランプ騒ぎで問題になるのは、ブルームバーグ元ニューヨーク市長が大統領選に色目を出していることだ。まず、単純にしか考えられないふうに考えると、保守派の共和党でもなくリベラル派の保守党でもないから、彼は中道、よって三極の争いとか。

昨日のアイオワ州の動向を見ると、民主党は概ねクリントン候補に決まったようにも見えないではない。が、そうでないようも見えるし、現下の動向ではサンダース候補の勢いのほうが強い。この動向は極端を面白がるトランプ旋風と同質なのだが、今後の動向は現時点ではまだよくわからない。いずれにせよ、サンダースが強くなると、クリントンとしては対応のためによりリベラル派色を強くせざるを得ない。これは必ずしもリベラル派の政党ではない民主党の票を割りかねない。

共和党が結局トランプ候補を下ろせない場合、リベラル派色を濃くしてうへー感の高まるクリントン対お馬鹿なトランプという構図になり、この構図を見てうんざり感のある層を狙ってブルームバーグが出る可能性がある。

するとどうなるか。すでにロイターに話題がある。「米大統領選、ブルームバーグ氏出馬ならトランプ氏に追い風=調査」(参照)より。

調査によると、トランプ氏と民主党の有力候補ヒラリー・クリントン前国務長官(民主党)については、2人だけの比較では、「クリントン氏に投票する」との回答が「トランプ氏に投票する」との回答を10ポイント上回った。しかしブルームバーグ氏を候補に加えて3人で比較すると、クリントン氏支持が37%、トランプ氏支持が31%、ブルームバーグ氏支持が9%となり、クリントン氏とトランプ氏の差が6ポイントに縮小された。

一方、トランプ氏と、民主党候補指名を目指すバーニー・サンダース上院議員の比較では、ブルームバーグ氏を候補に入れると、サンダース氏のトランプ氏に対する優位が12ポイントから7ポイントに縮まった。3人の比較での支持率は、サンダース氏が37%、トランプ氏が30%、ブルームバーグ氏が8%。

現下の動向を見ていると、ブルームバーグに勝ち目はないが、確実に民主党候補の票を削る。これがトランプ旋風の後のトランプ大統領という悪夢を産みかねない。

民主党員を含め、いわゆる民主党シンパは必ずしもリベラル派ではない。大体4割である。ピューの比較的最新の調査による。「5 facts about Democrats」(参照)より。

In surveys conducted this year, 41% of Democrats describe themselves as liberal, 35% say they are moderates and 21% say they’re conservative.

米国民主党のリベラル派は41%、中道派が35%、保守派が21%。日本の「リベラル派」は概ねデタラメなのでうまく対応しないが、米国のリベラル派も比較的過激なリベラル志向があると見てよい。そしてそれは民主党全体からは多数を示しているわけではない。もっともピューの記事を読むとわかるように、民主党内のリベラル派は増加している。他方、民主党内の保守派はこの12年間大きな変化はなく、中道派がオバマ政権を契機にリベラル派に移行したと見てよいだろう。

ちなみに、二分法しか通用しない日本人からすると、じゃあ、ブルームバーグは保守派とか単純化されそうだが、彼のニューヨーク市長としての政策はかなりリベラル色の強いものであり、そのあたりがクリントン票を食う可能性の背景にある。

ここで仮に、クリントンより極端ともいえるリベラル派のサンダースが民主党から出るとどうかだが、当然、よくわからない。というのは、米国民も日本国民同様、富豪というものに愛憎を持っていて、トランプやブルームバーグという富豪は嫌いだという流れで、どっとサンダースに票が動きかねない。日本のかつてのルーピーを笑えない事態になるかもしれない。

まあしかし、結局どうなのかだが、以前オバマ大統領が候補の際は、私は早々に彼が大統領になると予想して結果的に当ててが、今回はまだわからない。クリントン候補が大統領になるという実感がまるでしないせいもある。サンダースもそうだがクリントンも基本的に老人で、ブルームバーグも老人である。まだ比較的若さのある国家である米国が、第二次世界大戦後のベビブーム老人層の影響が強いにしても、こうした老人を選ぶものだろうか。ケリーが敗れたのも老人に見えたからではないか。まして米国は日本のような70歳を過ぎた老人が政治で活躍する国家でもあるまいし。


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2016.02.02

甘利前大臣辞任のうんざり感

甘利・前経済再生担当大臣の事務所問題について、詳細に関心があるわけでない。が、これを文春が出して概要を知った範囲で、ああ、これで甘利さん終了、とは思った。甘利さんが金銭面で清廉潔白な政治家であるわけもないだろうし、こうしたスキャンダルが大好きな日本人が彼に詰め腹を強いるまで問題が落ち着くとも思えない。それにしても、TPP交渉で尽力した甘利前大臣をこうしたスキャンダルで失うのかと思うと嘆息した。お高くつくなあ感である。それとても、そもそも反TPP派にはムカつく要因でもあるだろう。かくして、「問題」の全構造を見ると、それもまたああまたか、といううんざり感があった。

安倍政権側としては強行に甘利さんを守る方向に動くだろうかという関心も少しあった。噂を聞くに、10パーセントくらい支持を失っても構わないと政権が決意しているという話もあり、そらなら大したものだなとも思ったが、そこはむしろ逆に政権が動いた。さっさと甘利さんを切ったことで安倍政権支持率は守られた。つまり、田中角栄を追い落とした昭和な空気は多少流れは変わったのかもしれないし、案外私のように、またこれかといううんざり感と政策を分けて考える冷たい人が増えているのかもしれない。

海外での受け止め方を見ると、フィナンシャル・タイムズ(FT)などでも事実とありきたりな背景の説明はしていた。深読み的な解説はなく、FT記者は日本の風習にむしろ手馴れている印象を受けた。ディプロマットでもこの問題について扱っていて、現状の分析を上手にこなしていたが、際立って面白い視点はなかった。ただ、そこでの論調のポイントはTPPについての農政をどうするかという指摘がある。確かに基本的にそこが重要だろうとは思えた。つまり、後任と農政の問題である。

驚いたのだが、後任に石原伸晃さんが出てきた。いや驚く自分がどうかということかもしれない。そもそも古賀誠さんの思惑では、第二次安倍内閣自体存在せず、伸晃内閣になるはずだったのを、事実上麻生さんが自民党内クーデターのようにして、現政権をぶっ立てたので、その無理が戻ったくらいのことかもしれない、自民党力学として。

というあたりで、日本経済暗雲が増えるなあとは思う。この点では、TPP反対派の伸晃大臣(参照)がどうこれからどうTPPを推進するのかというのが気になるところだ。が、こうなってしまった以上、どうとなるものでもないだろう。予想外のことだってあるかもしれない。もっとありえない湿原(誤字)が広がっているかもしれない。

その後の海外の反応だが、日銀のマイナス金利政策のほうに関心が向き、それをもって安倍政権の運営を量っているようであり、甘利前大臣辞任問題はとっくに霞んだかに見える。実際のところ、TPP問題は関連国および影響国にとっても一枚岩の問題でもないので、簡素な構図に落とし込みにくい。日本でも内紛はあるんだなあ、ふーん感もあるだろう。

ちなみにマイナス金利問題だが、まだ規模が小さいので安倍政権との協調が取れている心理的な評価が大きいだろう。実際ところ、この政策は、すでに書いたがIMFの発表会でも言及されていたので、それ自体のサプライズ感はない。つまり、日銀は手詰まりではなくまだまだ緩和策に手はあるのだが、市場とのコミュニケーションが重要だという話だった。ここでいう市場は基本的には海外市場だろうが。

まあ、書いてみてこの問題にはとりわけ論点はない。ブログに書くまででもなかったか。という流れで連想するのは、東日本大震災復興道路舗装工事をめぐる談合疑惑である。談合が良くないことは明白で、淡々と処理するしかないだろうが、談合の結果を見るともっとも合理的に仕事が配分されたように見えないでもない。この工事の必要性がどのくらいあったかわからないが、ある程度の水準では合理的な日本の産業システムの結果であっただろうし、甘利前大臣辞任にからむ口利きスキャンダルも、全体像としては日本政治の「合理的」システムの一貫だろう。

そう考えれば、より合法的に合理的なシステムが形成できれば、口利きスキャンダルの余地も談合もなくなるのだろうが、この意味での新合理システムは、動労者移民なども含むような全体像を持っているのではないかと思う。
 
 

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2016.02.01

『アフェア 情事の行方』はすごいドラマだった

当初、あまり期待なく見始めたテレビドラマ『アフェア 情事の行方』はすごかった。表面的な題材から簡単に言えば、不倫物である。四人の子供もある冴えない作家志望の高校教師の男・ノアと、田舎の観光地で観光ビジネスで食いつないでいるその地方の家の若い嫁・アリソンが、ヴァカンスシーズンに偶然恋に落ちるという代物で、そんなふうに説明されたらまともな人間なら見るわけないだろ、というような代物である。本質は、全然そうではない。

不倫もとりあえず不倫ではあるのだけど、ただ恋に落ちるというものではなく、ひりつくような孤独と苦悩を抱えた中年の男と女が、どうしようもなくそこに落ちていく。その落ち方は、普通にある程度知性というものを抱えた男女なら理解できるだろうというくらい丁寧に描かれている。

その先にはいちおう謎の殺人事件があり、形式上は推理小説のようにもなっている。通常の推理小説ならそのお作法の謎解きくらいの面白さで終始するのだが、この作品ではどちらかというと殺人事件も二人の罪の深さを暗示するような仕立てになっている。表題の”The Affair"は不倫と事件の二重の意味があるだろう。

初回面食らったのは、最初にノアがアリソンに出会うまでの話が30分ほどノアの視点から、ノア・パートとして描かれ、そのあと30分ほど基本的には同じ話がアリソンの視点からアリソン・パートとして描かれていて、同じ風景や話展開のはずだが、ディテールが微妙に違う。いや、ディテールの差ではないけっこう大きな部分で違っている。不倫にいたるプロセスが男の目からと女の目からはこんなにも違って見えているというのがわかる。そういう違いは恋の本質でもありながら、スレ違いでもある。見ながら私などは、すっかりノアが見る世界に共感し、アリソンの見る世界で、「女ってこういうふうに世界を見ているのか」と考えさせられる。当然ながら、二人の感受する世界の差異は、殺人事件の鍵にもなっている。

ドラマなのでどこが好きかというのは、好みが違っていて当然だろう。ノア役のドミニク・ウェストは美男子とは言いがたいし日本人の女性があまり好むタイプではないだろうが、あれはけっこうセクシーな中年男だと思う。アリソンは一見するとかなり癖のある美人だが、その癖のなかに孤独や知性や狂気がうまく溶け込んで魅惑される。吹き替えの声で聞くと高めの声だが、女優のルース・ウィルソンの声は低く、それだけで独自のセクシーさがある。

ノアの妻ヘレンもアリソンの旦那コールもなかなかうまい設定になっている。不倫で裏切られる側の姿もよく描いている。シーズン2ではそのあたりもまた表に出てくるらしい。ノアの家庭の子どもたちの演技もうまい。

特に金をかけたはでな映像には見えないが、ヴァカンス地モントークの光景やノアの住居ブルックリンの街も丁寧に美しく描かれている。現代のアメリカの俗悪的な風景やそれゆえにそこから孤立してしまうようすも美しく、その結果的なアイロニーはかなり笑えるものになっている。私たち現代先進国の人間の俗悪さを鏡で見るような苦しい笑いがある。このあたりもシーズン2に繋がるだろう。

日本のメディアでこういう特殊な恋の、深みのある物語ができるだろうか。できないわけでもないが、あまり思いつかない。しかし要するに作品が良ければどの国の作品でも同じだ。すでに米国ではシーズン2が終わり、3が予定されているらしい。話を引っ張るにはそれに見合う地獄が必要になるだろう。なんでこんな暗い物語に魅了されてしまうのかと思うが、その暗さが人間というものだろう。結果的には宗教的な作品なのかもしれない。

あと、出てくる人物の肌の色合いや名前などに、いろいろ深い意味がありそうにも思える。ノア・ソロウェイはユダヤ人の暗示はあるのだろうか。ヘレン・ソロウェイの褐色の肌の意味は、などと思うが私などにはわからない。英語は現代米語ってこうなのかという勉強にもなる。不倫は”fling"だし、"score"なんて普通に言うのかあと驚いた。

音楽もなかなかに美しかった。

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