« 台湾「大統領」蔡英文が中国を抜いて世界に伝えた日本への謝辞 | トップページ | 点字の難しさ »

2016.01.27

たぶん、ネット保守はアジア全体の傾向

昨日のエントリーを書いたあと、まいどのことだが、私をネット保守認定とまでいくかはわからないが、俗流の文脈で捉える意見を見かけた。個別の点についてもう少し議論を深めてもよいのだが、基本的にこのブログを長く読んで理解されている人でもなそうなので、誤解が深まるだけだろうなと思った。

とはいえ、俗流の文脈については別途思うことはあった。近いところで言えば、民進党・蔡英文氏が大統領に選らばれるにあたり、ネット保守的な一群からピントがずれたような台湾支援を見かけた。俗流というのは、単純ということでもあり、反中共または反韓国・反朝鮮ならなんでも支援しちゃうような安易さである。

この点についてはしかしたいした議論にもならないだろうなと思っていたが、ジセダイというサイトでこれを扱った「日本で「俗流台湾論」があふれる不思議 台湾総統選に見る「上から目線」」(参照)という考察を見かけた。

 ところで、今回の選挙結果に最も強い関心を示した外国は、(中国政府の関係者を除けば)おそらく日本だっただろう。一昔前までは、中国への配慮から青天白日満地紅旗(中華民国の国旗)が画面に映り込むだけでモザイクを掛け、「中華民国」という言葉すらタブー視していたNHKをはじめとするテレビ各局も、現在は普通に取材班を送り込んで詳しく報道するようになった。台湾がそれだけ「普通の隣国」として扱われるようになった証拠でもあり、かの国はもちろん日本のためにも喜ばしい現象だといえるだろう。

 また、ネットなどを見ると、選挙戦の期間中から蔡英文を応援したり、当選を喜んだりする声もけっこう大きかった。今後の蔡政権は中国と一定の距離を置き、比較的「親日」的な姿勢を示すことが期待できるため、こちらもやはり自然な話である(私自身、どちらかといえば緑色陣営の勝利を喜ぶ側だ)。

 もっとも、日本での動きには現地の感覚から見てちょっと不自然な「解説」や「応援」をおこなう人たちがかなり多く見られたのも事実だ。ことに特定の政治的立場に立つ人ほど、恣意的な解釈をアピールする傾向が強かったように思える。ややお節介ではあるが、本稿では以下、これらにいちいち突っ込みを入れていくことにしたい。報道が増えたとはいえ、台湾は日本国内において情報の絶対量がすくない国であり、小さな誤解でもある程度は訂正作業をおこなっておくほうがいいかと思うからだ。

該当記事はまさに「いちいち突っ込み」が入る趣向だが、重要なのは基軸の「台湾ナショナリズム」の概念だろう。この問題については書籍としては以前このブログで簡素ではあるが扱った(参照)、同題の書籍に背景など含めて詳しいには詳しい。だが、同書は該当記事とやや視点が違う面もあり、端的に言って「台湾ナショナリズ」の捉え方は難しい。

とはいえ、「ナショナリズム」といえばネット保守だ、といった単純な日本のいわゆるリベラル派については、該当記事の次の指摘は示唆深いだろう。

 日本は言論や思想信条の自由が保障された国だ。なので、日本のリベラル層の人たちが、日本国内のナショナリズムの高まりに嫌悪感を抱くのは自由だし、その立場も十分に尊重されるべきだ。だが、いくら嫌いであっても、ナショナリズムという要素自体を「なかったこと」にして外国の現象を解釈するのは明らかに問題ありだろう。ネット保守の人たちと同じく、党派性に凝り固まった考え方の先に事実が見えることはないはずなのだ(事実を意図的に見たくないならば話は別だが)。

「台湾ナショナリズム」については、実際には米側の研究も含め各種の研究はあるだろうが、私が最近、いや最近でもないかな、これを考える際の基軸を、具体的な現存国家の関係のイデオロギーから排すのは当然としても、アジアを含め新興国の基調的な傾向に置いている。

これは、いわゆる第2次世界大戦以降の民族自決といった民族と民族国家の枠組みとは異なる。独自の大衆文化とメディアの均質性が熟成が必然的にナショナリズムを生み出すだろうという考え方だ。学者さんがこれにどう着目しているかは知らないが。

そうした面で、「台湾ナショナリズム」に対応して興味深いのは「韓国ナショナリズム」である。これは韓国という国家、その憲法からも伺われるナショナリズム的な傾向といったものではなく、むしろ昨今の傾向であり、具体的には、「民族統一」というイデオロギーの対立として浮かび上がってきた新しい傾向である。

関連する最近見かけた論考としては、ディプロマット「Young South Koreans' Realpolitik Attitude Towards the North」(参照) がある。若者世代がタカ派化しているというのである。

Those coming of age today (the 20s age cohort: university students and college-age people) are doing so under political conditions very different from their barely older compatriots (those in their 30s and 40s). There are many ways to describe these conditions, but the simplest explanation might read as such: political conditions today have been shaped by post-Sunshine Policy politics and the armed provocations of 2010. The result, for young South Koreans, is a relatively more hawkish political attitude towards North Korea.

現在の若者(20代年齢層:大学生や大学時代の人々)は、概ね上世代の同胞(30~40代のもの)とは非常に異なる政治的条件の下でそうしている。これらの条件を記述するに多くの方法があるが、最も簡単な説明は。このよう読まれるかもしれない:今日の政治状況は、ポスト太陽政策の政治と2010年の武力挑発によって形作られた。その結果が、若い韓国人には、北朝鮮に対する比較的よりタカ派の政治的態度である。

原文ではこの主張を補う統計なども記載されているが、論点としては、太陽政策の失敗と、経済力を背景とした国家プレザンスの向上から、若者層に韓国が単一の国家であるするナショナリズムが形成されつつあるという点である。

別の言い方をすれば、従来型の「朝鮮ナショナリズム」による「統一」の考え・イデオロギーが後退しているとも言える。

私はこれは昨今の、「台湾ナショナリズム」と同じ傾向にあると考えている。若者層のなかには、すでに「一つの中国」といった考え・イデオロギーは感覚としては失われているだろう。

ここから議論が粗くなるというか、端折ることになるのだが、実は日本も同じ傾向にあると私は見ている。つまり、日本の若者層も日本国家や社会の問題が優先された保守的な傾向が基調にあり、それが旧来の文脈なかで影絵のように浮かび上がっているのが、いわゆるネット保守言論やその陰画としてのSealdsなどに見られる対抗リベラルの表層的な現象でないかと。

台湾における「一つの中国」という幻想、韓国における「統一」という幻想、それらに対応した日本の幻想はなにかと言えば、残念ながら、「平和憲法」という幻想なのではないかと思う。もちろん、それを幻想とするとはなにごとかという批判は当然期待されるのだが、私が言いたいのは、それはすでに多数の若者の意識のなかにあるだろうという現実のなかで、どのように非幻想化するかという課題を提出すべきだろうということである。

「一つの中国」が幻想ではないなら現実はどうあるのか。「統一朝鮮」が幻想ではないなら現実はどうあるのか。「平和憲法」が幻想ではないなら現実はどうあるのか。それらを幻想の側にイデオロギー的なあるいは情感的な圧力をかけて幻想を復元的に強化させようとしても、実態は変わらないのではないかと思う。私たちは、現在、アジアのなかで、新しいナショナリズムの大きな潮流を今見ていると考えたほうがよいのではないか。
 
 

|

« 台湾「大統領」蔡英文が中国を抜いて世界に伝えた日本への謝辞 | トップページ | 点字の難しさ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: たぶん、ネット保守はアジア全体の傾向:

« 台湾「大統領」蔡英文が中国を抜いて世界に伝えた日本への謝辞 | トップページ | 点字の難しさ »