スピルバーグ作品「エクスタント」は、私にはユダヤ教というものの本質に思えた
スピルバーグ制作総指揮のテレビドラマ(全13回)「エクスタント」を見た。最初の数話はテーマが散漫ではないかなと馴染めない印象があった。また、テレビドラマにありがちなご都合主義展開も少なくはなかったし、映像は意外にチープな作りかもしれないなとか、雑なことも思っていた。が、全体としては脚本の破綻もなく、主要出演者の演技は見事なものだった。主人公のハル・ベリーは女性の内面をとても上手に描き出していた。子役もたいしたものだった。
素材は、いかにもスピルバーグらしい。悪くいうなら、『ET』『レイダーズ』『A.I.』をごっちゃまぜにしたような作品である。驚異の状況でエイリアン対アンドロイドが、暴力的な人間を巻き込み、どたばたと対決するといったような代物なので、いっそマーベル風に純粋にそうしたドラバタにしたほうがよかったのかもしれない。が、作品ははるかに哲学性・神学性が優っていた。私にはユダヤ教というものの本質にすら思えた。エイリアンの子供とそれが幻視的に確約する希望がキリスト教で、知の達成と人間愛と犠牲精神であるのがアンドロイドに比喩されたユダヤ教である。全体としては、非キリスト教的な、ユダヤ教的な、世界の意味を今日的な感覚で表現していたように思えた。
ネタバレを含めた紹介すると、表面的なテーマは家族愛である。女性の宇宙研究者で飛行士のモリー・ウッズはかつて妊娠したまま交通事故で夫と言える恋人と胎児を失っていた。その後、アンドロイド研究者ジョン・ウッズと結婚するが不妊症で子供ができない。そこで、人間社会にあって人間を学習する子供型ロボットイーサンを子供として育てようとする矢先、モリーは宇宙任務にあたり、13ヶ月の別居となる。宇宙でモリーはエイリアンの子供を妊娠し、地球に帰還するのだが、そもそもそうなることが、富豪・安本英樹の思惑だった。彼はエイリアンを通して不死を得ようとしていた。
胎児のエイリアンは安本の庇護で成長する。彼も子供の姿を得る。彼には、人間に幻視を見させるという能力があり、これを使って、人間に死者との幸福な邂逅や憎悪の幻視を植え付け、それによって人間の精神を制御する。つまり、人間はその希望や愛の幻想・期待・恐怖ゆえにエイリアン対抗できない。そこで幻想のない知性と愛のイーサンが対決することになる。
ということで、エイリアンものとアンドロイド(AI)ものが融合するし、そこは「人間とは何か?」という問いに統合されている。ただ、初めの数回は、そうした統合が見えないので、謎だらけになる。SF好き以外では、謎が上手に関心に繋がる人、神学的・哲学的な関心を持つ人にとっては面白いだろう。つまり、私には面白かった。
メディアのカバーになっているハル・ベリーの寝顔の横顔はこの作品にとても象徴的で、一つには宇宙任務、他方では妊婦を暗示している。
13回分のシーズンワンはすでにDVDなどメディア化されている。このシーズンだけの完結性は高い。おそらく、一つの構想としては、エイリアンとアンドロイドが相打ちの形で死ぬことになっていのではないかとも思うが、最後に二人生き延びて、シーズン2に続く。ただし、シーズン2ですでに打ち切りが決まっている。
と、書いたものの、完結性から二者が相打ちであったと見るのは難しいかもしれない。アンドロイドは自己犠牲と愛を理解するが、これを自爆テロのように「大義」に結びつけるかというと、それはありえないかもしれないし、最後エイリアンが生き残るものも、結果として、母なるモリーの愛情であった。
神学性を優先した荒唐無稽な作品ともいえるが、エイリアンの造形は含まれていない。その面でのアート的な面白さはない。一つには、この作品におけるエイリアンは「胞子」(spore)とされているが、実質的にはウイルスと言ってよいだろう。つまり、感染・寄生する身体がないと存在できず、地球生命に関わってくると見てよいだろう。これはSF的な妄想というより、意外にウイルスというものの本質を表している可能性もある。
一昔前に流行ったウイルス進化説を持ち出すのもさすがに古臭いが、さりとて、ウイルスがただの自然選択の機会と見るのも単純すぎる。むしろ、ジーン情報の単純型と見てよいし、情報という水準ではミームの理想形がAIだとしてもよいだろう。テレビドラマなのである程度簡略的な世界観にせざるを得ないが、文学であればもう少しこった修辞も可能かもしれない。往時の栗本慎一郎氏であればその面で豊かな解説をしてくれたかもしれない。
| 固定リンク
| コメント (0)
| トラックバック (0)