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2015.02.02

後藤健二さんはなぜ「イスラム国」に行ったのだろうか?

 「イスラム国」日本人人質殺害事件でずっと疑問に思っていたことがある。後藤健二さんはなぜ「イスラム国」に行ったのだろうか?ということだ。
 結論から言うと、わからない。
 特段に私がこう思うということもない。陰謀論のような推論もなにもない。が、疑問はずっと脳裏を去らないので書いてみたい。
 基本的な疑問は解けている。これには二つある。一つは、後藤さんは戦場ジャーナリストとして仕事をされていたのだから、戦場に赴くのは当然であるということだ。このことはおそらく彼の最後の文章となっただろう(10月24日だと思われる)、クリスチャン・トディー「戦争に行くという意味 後藤健二」(参照)からも理解できる。そしてその仕事の意義も了解できる。
 もう一つは、人質・湯川遥菜さんを助けに行ったということだ。なぜそこまでして湯川さんを助けに行ったのかという疑問もあるが、それについては、どうやら以前(昨年4月)にも湯川さんは武装グループに拉致されたことがあり、その際に後藤さんが救済したということらしい(参照)。それ以上の確実性は私にはわからないが、概ねそういう事実が過去にあったとすると、後藤さんがまた善意から湯川さんの救出に乗り出したというのは理解しやすい。
 しいて三点目を加えると、さほど危険な地域と考えていなかったから気軽に行ったという可能性もある。後藤さんは「まぁ、必ず生きて戻りますけどね」とも言ってはいる。1年ほど前には、世界遺産を撮影していたところを反政府軍に捕まりシリアで身柄を拘束されが、なんなく解放された経験がある(参照)。そうした経験は自信になっていたかもしれない。
 では何が疑問なのか。まず、後藤さんが湯川さんを解放できると確信したのはどのような経緯だったのか。
 これに関わる経緯で重要なのは、産経「「湯川さん助ける」 出発直前「生きて戻る」 後藤さん足取り」(参照)である。


 そんな後藤さんがイスラム国に向かったのは、湯川さんのためだった。7月28日にシリアに入った湯川さんがイスラム国に拘束されたという情報が入ったからだ。
 後藤さんは10月2日に取材でシリア入りし、その後いったん帰国。同22日に再び出国した。予定は1週間だった。わずか1カ月の間にシリアに2回入った行動について、安田さんは「普通はこんな強行軍は組まない。湯川さんの安否など確度の高い情報が入ったのではないか」と話す。
 イスラム国に向かう直前まで後藤さんと行動をともにしたシリア人ガイド、アラアッディーン・ザイムさん(34)によると、後藤さんは同23日、トルコとシリアの国境付近に入り、25日にイスラム国が「首都」とするラッカへと向かった。

 事実かどうかという点では疑うべきことはないように思われる。気になるのは、引用中安田さんの「湯川さんの安否など確度の高い情報が入ったのではないか」という推測である。後藤さんはどのように湯川さん救出する情報を持っていたのか。
 気になるのは10月29日には「イスラム国」から帰還するつもりでもあったことだ(参照)。短期に終わると見ていたのだろうし、それなりの裏があったのだろう。
 産経記事にある後藤さんと同行していたシリア人ガイドのアラアッディーン・ザイムさんの証言も興味深い。

 イスラム国に向かう直前まで後藤さんと行動をともにしたシリア人ガイド、アラアッディーン・ザイムさん(34)によると、後藤さんは同23日、トルコとシリアの国境付近に入り、25日にイスラム国が「首都」とするラッカへと向かった。
 「危険すぎる」。アラアッディーンさんは何度も止めたが、後藤さんは「湯川遥菜さんを助けたいんだ」「シリア人の苦難を伝えたいんだ」と言い残して笑顔で旅立った。アラアッディーンさんが同行を断ったため、別のシリア人ガイドを伴ってのラッカ行きだった。アラアッディーンさんは、この別のガイドといまだに連絡が取れないという。
 イスラム国入りの直前、後藤さんはビデオ映像にメッセージを残した。「何が起こっても、責任は私自身にあります。どうか、日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください」

 アラアッディーンさんは後藤さんとの同行を断っている。危険だからだろう。25日にアラアッディーンさんと別れ、その後は後藤さんは「別のシリア人ガイド」とそれ以降行動することになる。
 ここにも疑問がある。「別のシリア人ガイド」は、後藤さんがアラアッディーンさんの代わりとして頼んだガイドなのか、湯川さん情報を持っているとして後藤さんに接近してガイドとなったか。
 この件関連して別の証言が毎日「イスラム国拘束:後藤さん入国許可に悔い…検問所担当官」(参照)にある。

 外国人記者の審査を担当していたハラプさんの前に、後藤さんは昨年10月24日昼ごろ、「2人のシリア人と現れた」。アラビア語の通訳や運転を担当する取材助手で、ハラプさんとも顔見知りだった。後藤さんは「マレアに行き、数日滞在して空爆の様子や市民の生活を取材する」と話した。ハラプさんが「(反体制派の)警護が必要か」と聞くと、後藤さんは「いらない」と答えたという。
 同行者の一人、アラ・エルディン・アルズイムさんはマレアに後藤さんらを送った。アルズイムさんは毎日新聞の電話取材に「25日にも後藤さんと会った。携帯電話や日本の連絡先を渡され、1週間待って(連絡が無ければ)日本の友人に連絡してほしいと言われた」と話した。後藤さんは同日、イスラム国の支配地域に入ったと見られる。

 ここでの「2人のシリア人」の一人はアラ・エルディン・アルズイムさんである。名前から推測するに、産経記事のアラアッディーン・ザイムさんと同一人物ではないか。

 ハラプさんによると、もう一人の同行者はジャーナリスト、ヤセル・アルハジさん。後日、アルズイムさんがアルハジさんに後藤さんの状況を聞くと「知らない。(後藤さんは)イスラム国の支配地域に(別の)助手がいた」と述べた。ハラプさんも今月23日、アルハジさんに「日本の人々が心配している。知っていることを話すべきだ」と伝えたが、「今自分が話せばケンジの命が危うくなる」と拒否されたという。

 もう一人はヤセル・アルハジさんである。
 状況が錯綜しているようだが、さらにもう一人、「イスラム国の支配地域に助手がいた」ということで、事件に関わる謎の「別のシリア人ガイド」は存在していそうだ。
 この「別のシリア人ガイド」の消息は不明である。後藤さんと一緒に被害者となったか、あるいは、このガイドが後藤さんを意図的に拉致するビジネスに関与していたか。狙った拉致であれば、後藤さんをだましたということになる。(この件、新情報で追記した。
 この場合、「日本人ジャーナリストならだれでも人質ビジネスになる」と見られていたのか、後藤さんに狙いが付けられていたかはわからない。前者のようには思える。湯川さん情報で日本人をおびき出した可能性もあるだろう。
 関連して疑問を深めるのは、後藤さんが「イスラム国」入り前に残した証言映像である。NHK「後藤さん 映像で「責任は私に」 」(参照・リンク切れ)ではこう報道していた。この映像はテレビで私も見た。

 「イスラム国」に拘束されたとみられるフリージャーナリストの後藤健二さんは、連絡が取れなくなる直前にメッセージを収録した映像を残し、シリアの「イスラム国」の拠点に向かうが責任は自分にあると話していたことが分かりました。
 映像は2分26秒間撮影されていて、後藤さんは青っぽいシャツにスカーフを巻いた姿で座り、記者証とパスポートを手に持って、「私の名前は後藤健二、ジャーナリストです」と名乗っています。
 そして、「これからラッカに向かいます。『イスラム国』の拠点と言われていますが、非常に危険なので何かが起こっても私はシリアの人たちを恨みませんし、どうかこの内戦が早く終わってほしいと願っています」と話しています。
 そのうえで、「何が起こっても責任は私自身にあります。どうか日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください」と、手ぶりを交え強い口調で述べたあと、「必ず生きて戻りますけどね」と笑みを浮かべながら話しています。
 このあと、後藤さんは同じ内容のメッセージを英語でも話しています

 産経には「全文」がある。「「これからラッカへ」「必ず生きて戻ります」…後藤健二さんメッセージ動画全文」(参照)より。

 後藤健二さんがイスラム国に拘束される前の昨年10月、シリア北部で自らを撮影したビデオ映像に残していたメッセージの全文は以下の通り。

 (パスポートと身分証のようなものを示し)えー、私は、私の名前はゴトウ・ケンジ。ジョーゴ・ケンジです。ゴトウ・ケンジ。ジャーナリストです。これからラッカに向かいます。イスラム国、ISISの拠点といわれますけれども、非常に危険なので、何か起こっても、私はシリアの人たちを恨みませんし、どうかこの内戦が早く終わってほしいと願っています。ですから、何が起こっても、責任は私自身にあります。どうか、日本の皆さんもシリアの人たちに何も責任を負わせないでください。よろしくお願いします。まぁ、必ず生きて戻りますけどね。よろしくお願いします。(この後、英語で同様の内容を伝える)

 この映像の時期だが、後藤さんがラッカへ向かったのは10月25日なので、この映像は24日か25日だろう。映像が託されたのはアラ・エルディン・アルズイムさんのようだ。なお、ツイッターへの投稿は23日で途絶え、最後の記事は24日に送信されている。
 て、この映像だが、何を意味しているのだろうか?
 表面的には、危険の「責任は私自身にあり」、「シリアの人たちを恨みません」ということだ。
 こうした映像を残すのは危険地域に入るときのお決まりの行動パターンなのだろうか。この点についてわからないが、印象としては、「イスラム国」の危険性を知り「シリアの人たちを恨みません」としていることからも、実際にはかなりの危険性を覚悟しての特例としての映像だったようにも思えるし、なぜこの映像が残されたのかについて、「別のシリア人ガイド」との関連もあるかもしれない。
 なによりこの映像で奇妙なのは、「イスラム国」入りの目的は、湯川さん救出であるのに、その目的どころか、そもそもなぜ「イズラム国」入りするかについての言及がまったくないことだ。ここが最大の疑問である。後藤さん自身がなぜ「イスラム国」入りしたかについて、まったく語っていない。
 結局その疑問に戻ってしまうだけなのだが、それでも、戦場ジャーナリストがその使命のためのリスクとして戦争に巻き込まれたという単純なストーリーではなさそうだ。

追記(2015.2.3)
 2月3日付け毎日新聞「後藤健二さん:外国人ガイド聴取へ 合同捜査本部」(参照)に後藤さんのシリア入りに関連して興味深いことが語られていた。


 後藤さんは11月1日ごろ、知人のシリア人男性に「ガイドに裏切られて拘束された」と電話しており、捜査本部はガイドらが何らかの事情を知っているとみて調べる。

 これが事実であれば、後藤さんは、シリア入りした際の「別のシリア人」にだまされたということになる。そう見てよいだろう。
 気になるのはしかし、だまされたという事実ではなく、「11月1日ごろ」という日付のほうである。エントリーにも記載したが、後藤さんはシリア入りのミッションを10月末までには片付くものと想定していた。
 また、この時点でなぜ知人のシリア人に電話が出来たかというと二つの可能性がある。一つは人質映像のように本人意思でなく「イスラム国」に言わされている可能性、もう一つはその時点までは電話をする自由があった。おそらく後者だろう。すると、当初のミッション終了時点の10月末ごろまでは後藤さんの想定で事態が進行していたのが、その頃に予想外の事態となり、結果、「イスラム国」の人質とされたのではないだろうか。その線で考えるなら、「別のシリア人」は当初から後藤さんをだますつもりではなかったかもしれない。そのあたりの推測が一番整合性があるように思われる。


 
 

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2015.02.01

「イスラム国」日本人拘束事件、日本人人質殺害で思ったこと

 「イスラム国」日本人拘束事件で殺害されたと見られる日本人人質二名、湯川遥菜さんと後藤健二さんに哀悼したい。
 「殺害された」と見るのは日本政府の判断にならう以上はない。遺体の受け取りや犯人を逮捕して司法に引き出すなどの点からすれば、この事件はまだ終わったわけではない。が、人質が殺害された現在、その生存について対応するという事態は終わった。そこまでのとりあえず「事件」とする。
 痛ましい「事件」だったが、「イスラム国」のジハーディ・ジョンが公開に関わったこれまでの人質殺害事件では、人質が救出された事例はなかった(と思われる)。今回も過去例を踏襲しているという点では、大きく意外という結果ではなかった。
 別の言い方をすれば、ジハーディ・ジョンが出てくる時点で、実際には「イスラム国」の人質ビジネスとは別部署の扱いということなのかもしれない。
 さらに過去例との比較で言えば、彼の要求は一貫して「イスラム国」への空爆の停止であり、今回の日本人人質対象では、要求自体が転換するなど異なる点も見られた。
 過去例と違うという点では、当初の要求映像の作り(人質に触れていない)や、その後のスチルの映像の作りも異なっていた。「イスラム国」広報部門フルカーンのロゴもなかった。が、後藤さん殺害については過去例の形態に戻り、フルカーンのロゴが含まれた。
 これらの映像の差が何に由来するのか。言い方を変えれば、当初、過去例とは異なった形で映像が提出されたのはなぜか疑問が残る。
 簡単に想定されるのは、ジハーディ・ジョンとフルカーンの関係が通常のプロセスではなかったということだろう。
 以下、その他、疑問として残った点についてメモ的にまとめておきたい。
 ヨルダンで収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡しに関連して、この事件にヨルダン政府が関わるようになり、ヨルダン側で焦点となったのが、「イスラム国」に拘束されているヨルダン軍パイロット、モアズ・カサスベ中尉の生存確認である。だが、その生存についての情報は一切公開されなかった。
 関連して、ヨルダンと「イスラム国」との交渉において、「イスラム国」側からの、サジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡し要求が、カサスベ中尉との交換の形で強く出されていないようにも見えた。「イスラム国」にとってサジダ・リシャウィ死刑囚の獲得が重要であれば、カサスベ中尉との人質交換交渉に乗り出しているはずである。
 あるいは、リシャウィ死刑囚とカサスベ中尉との人質交換はある時点までは進展していたのかもしれない。というのは、途中、リシャウィ死刑囚が移動され後藤さんが解放されるとのニュースもあったからだ。それが事実であったとしても、交渉は決裂したことになるし、決裂があってもそれを回避するためには、カサスベ中尉が生存しているというカードが「イスラム国」からあってもよさそうだが、なかった。
 このことから推測されることが、三つほど思いつく。一つはカサスベ中尉の生存を「イスラム国」がカードとして使えないなんらかの理由があること。
 二つ目はリシャウィ死刑囚の解放は「イスラム国」にとってそれほど重要ではないこと。
 三つ目は「イスラム国」内部で事件対応に分裂があったこと。
 それぞれの理由の想定からはさらにいくつかシナリオが想定できるが、第三の推測「イスラム国」内部で事件対応に分裂については、別の疑問も対応する。
 「イスラム国」が決めた期限の対応は曖昧だったのはなぜか、である。
 当初の72時間の対応も遅れてから湯川さん殺害の映像が公開され、その遅れを弁明する形で次の強迫が出された。こうした期限延ばしも今回が異例であった。
 サジダ・リシャウィ死刑囚の引き渡し期限についても、現地29日の日没、日本時間同日深夜から30日未明であったが、そこからかなり時間が過ぎても対応はなかった。人質交渉が進展中かとも見られたが、それの交渉のために有利に運ぶための「イスラム国」側からの発表もなかった。今の時点で振り返れば、膠着というより「イスラム国」側の沈黙だったのではないだろうか。
 こうしたいくつかの疑問は疑問の根幹に行き当たる。そもそも「イスラム国」はなんのために日本人人質事件を引き起こしたのか、理解できないことである。
 テロリストに合理性を求めることが間違いかもしれないが、まず合理性を想定しないことには理解もできない。過去例では、ジハーディ・ジョンの任務は英米の空爆停止であったが、日本の「イスラム国」への直接軍事的な関与は弱い。
 奇妙なのは、ジハーディ・ジョンとしても自分が何をしているのかについて結局、理由付けに追われ、最終的には、安倍首相が対「イスラム国」の戦争に参加した決断によって人質が殺され日本人も殺されることになるのだ、という、支離滅裂な理屈に陥ってしまったように見えることだ。
 そういうふうに日本を英米と重ねて、ジハーディ・ジョンは自身を納得させたか、あるいは「イスラム国」内政への釈明としたのかもしれない。
 この最終的な理屈は、日本でも一部では安倍政権批判の文脈にのって機能した面もあるが、日本全体としては日本を「イスラム国」の敵に明確に位置づけることになり、結果日本をより英米に接近させることになった。つまりその結果は、「イスラム国」の差し迫った敵である英米にとって有利に働くことになった。すでに国際世論は日本への同情から日本を英米への親近感に導いている。
 こうしてみるとこの事件は「イスラム国」の情報戦としては効率的だったようには見えない。
 あるいは、「イスラム国」側の焦りのようなものが潜在的にあって今回の了解しづらい事件となったのかもしれない。
 なんとなく思うのは、「イスラム国」側に、軍事的な弱体があるというよりも、その経済的な困窮と関連しているのではないだろうか。経済大国である日本の援助が「イスラム国」の商売と対立する契機(商売の邪魔)が予想されたのかもしれない。

追記(2015.2.4)
 日本時間4日未明、「イスラム国」は、拘束していたヨルダン軍パイロット、ムアーズ・カサースベさんを火刑したとする映像をインターネットに公開した。その後、ヨルダン政府は、カサースベさんは、先月3日に殺害されていたことを情報機関が確認したと発表した(参照)。
 また、ヨルダン国営テレビは4日正午すぎ、「サジダ・リシャウィ死刑囚の死刑が、けさ執行された」と速報で伝えた。

 
 

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