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2015.09.24

[書評] 李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印(波田野節子)

 李光洙(이광수)について私はよく知らなかったので本書から学んだことが多い。おそらくそうした思いを持つ現代の日本人は少なくないだろう。本書を元に自分が受け止めた李光洙について書いてみたい。

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李光洙(イ・グァンス)
韓国近代文学の祖と
「親日」の烙印
(中公新書)
 李光洙は、朝鮮の文学者・言論人である。1892年に生まれた。現在の北朝鮮域である。そして、1950年に亡くなったとされる。生涯の大半を日本の植民地下で過ごした。そのことが彼の人生に大きく影響する。出自は、李朝において高官を出す家系であったが、父の代で家は没落。10歳で両親をコレラで亡くし、親族の家を転々とした。好機があり、一進会の留学生に選抜され、1905年、13歳で渡日した。
 その時点である程度日本語も習得していたらしい。翌年、神田にある大成中学校に入学した。同校は当時一高合格者数を多数出す優良校だった。太平洋戦争で旧校舎は消失し、戦後は大成高校として三鷹に移転した。
 大成中学生となった李だが学費問題で退学したが、1907年、明治学院に3年生として編入できた。そこで日本語で小説の執筆活動を始めた。バイロンに傾倒した。
 1910年、明治学院卒業後、18歳で朝鮮に戻り、前年に親族に託されていた許嫁と暮らし、五山学校で教鞭をとるが馴染めず、三年半で退職。そのまま無謀なアフリカ旅行を企てまず中国に向かい、上海で朝鮮独立運動家と出会って思想的な影響を受けた。
 中国やロシアを転々とした後、朝鮮に戻り、いったんは五山学校に復帰し、1915年に長子をもうけるが、好機があってその年、再度渡日し早稲田大学に入学。在学中の1917年、24歳のときに朝鮮語による最初の近代小説『無情』を新聞小説(毎日申報)として発表し話題となり、そのことで朝鮮新文学運動の先駆者と呼ばれるようになった。
 同時期、彼は東京で、朝鮮初の女性近代画家でかつ女性解放論者の羅蕙錫(나혜석)と恋愛をしている。1896年生まれの彼女は留学生グループのマドンナでもあったらしい。間を置かずという印象があるが、1917年には朝鮮初の女性開業医となる1897年生まれの許英粛(허영숙)と恋愛した。きっかけは、李への結核看病であった。李は離婚を経て3年を置いて彼女と1921年に再婚した。
 私生活の目まぐるしい間、1919年、李は東京で「朝鮮青年独立団」を11名で結成し、彼自身の手で「二・八独立宣言」を執筆。これには朝鮮語・日本語・英語の三版があり、日本語版は本書に附録として収録されている。2月8日に神田のYMCA会館で発表され、これが現代の大韓民国が自国政府の起源とする三・一運動につながっていく。なお、三・一運動での独立宣言書は崔南善(최남선)が起草した。
 李はその後、学費滞納による早稲田大学除籍にも合わせ、上海に一時避難したが、運動も早々に冷め、韓国に戻り、合法的な独立運動を目指すようになり、文学創作にも力を入れていくようになる。余談だが、彼は関東大震災の東京にはいなかった。
 ここでいったん、李の生涯の話を中断したい。われらが李はこのころ、だいたい30歳という年齢である。ここまでの流れで見れば李は、どう見ても現代韓国の建国物語で称賛されるべき英雄と言っていい。そのせいか悪口の類だが、三・一運動で李が死んでいたらよかったと思う人がいても不思議ではない。だが、その後の彼の人生は、見方によっては、「親日」と取られる道を彼は歩み出す。
 その前にもう少し。私は本書を読みながら、本書にあまり指摘がないのだが、これは重要なんじゃないかと感じることがあった。李光洙はこの年代、若いせいもあるが、私が見る印象では、イケメンなのである。現代の韓流スターよりイケるんじゃないかと思う。私の感性は昭和なのでなんだが、ついでに言うと、羅蕙錫も許英粛も美女である。許英粛に最初に惚れたのは李のほうだったが、許としてもまんざらではなかったのではないだろうか。
 李がイケメンだったことについては、写真を見ての主観以外にも傍証できそうな挿話ある。李の友人で、慶応大学で永井荷風に師事した作家・山崎俊夫が、1914年に『耶蘇降誕祭前夜』という小説で「李光洙」を登場させている。小説の「李光洙」はロシアの血を引く金髪碧眼なのだが、話は簡単に言えば、美しい病、つまりBL。そこにどどと落ち込む物語である、らしい。ちなみに同作品は生田耕作編・山崎俊夫作品集の上巻に収録されている。さて、そんなことどうでもいいじゃないかと思う人がいるかもしれないが、私はこれはけっこう重要なことじゃないかと思うのである。
 30歳以降の李光洙の人生だが、結核を抱えながらも人気作家となるが、1934年、許との間の6歳の男子を敗血症で失うことにで、李と許の人生は少しづつ離れていく。結果として、それが許の人生に寄与し、李の生涯を守ることになるのが興味深い。
 李の独立志向は1937年の治安維持法による逮捕から、明白な転向意識ではなかっただろうが、作家として小林秀雄など日本のとも交流を持ち、いわば体制に取り込まれた形になる。「香山太郎」として創氏改性もした。日本語の小説も書くようになった。李自身の意識としてはしかし、日朝という関係よりも、当時の知識人の風潮でもあった、アジア対西欧という枠組みに捉えられたのかもしれない。本書も、基本的にはそうした流れで見ている。
 光復後、彼は形の上で許と離婚し、しばらく筆も断っていたが、これまでの人生の懐古なども著すようになる。彼自身の意識としては、「親日」であったことも反省もあるが、それでもずっと朝鮮人国家独立の意識を維持していたという思いではいたのだろう。もちろん、朝鮮では反感は買ったらしいし、その後もそうした評価は続く。
 1950年、李は持病の結核で伏せっていたところ、朝鮮戦争での北朝鮮軍の進撃に巻き込まれ、平壌に連行され、その年に持病がもとで死去したとされる。本書は「詳らかではない」とし、北京での死亡説なども載せている。
 李の死を探したのは妻だった許である。彼女が78歳で1975年に死去した後も、二人の子供達は探し続け、1991年に北朝鮮から消息を聞いた。それによると1950年10月25日に亡くなったとのことだ。ちょっと気になってウィキペディアを除くと、この説がさも確定したかのように記載されていた。
 さて、本書で描かれた李光洙をどう見るべきだろうか。文学者として見るなら、その作品自体の評価とその影響を評価すべきだろう。後者は、同時代的にはその名声からもわかるように高いが、光復後は「親日」として概ね低い。そもそも「親日」というのは、韓国の政治風土では「日本に親しむ」ではなく、「反逆者」といった意味合いが強い。本書はその難しい、隘路のような部分をよく描き出している。
 彼の文学作品の評価はどうか。私は恥ずかしいことに一読もしてない。ただ、本書から伺うかぎりは、大衆作家に近い印象を受ける。とはいえ、本書でも記しているが、朝鮮語で近代小説を最初に生み出す困難さや、その過程に近代文学の成立を先行していた日本語の影響は興味深い。
 誤解なきように言えば、だから近代日本が素晴らしいとナショナリズム的なことが言いたいわけではない。ただ、近代の日本文学が、朝鮮と中国の近代文学、さらには近代語の土台形成に寄与したとは見てよいだろう、というだけである。ノルマン征服でイギリスに現代につながる「英語」が形成されたと同じような意味合いである。
 本書を読み終えて、冒頭述べたように、これは勉強になったなということに加え、二つのことを思った。
 一つは、ひどい言い方だが、李光洙をどう見るべきだろうか、として焦点化して見る必要はないのではないか、ということだ。彼はけっこう気まぐれな感情で行き当たりばったりに生きて、そしておそらくイケメンの典型的な人生の影響もあって、まあ、結果的にそうなった、そしてそうなったことが時代というものだったなあ、ということでも言いように思えることだ。
 めちゃくちゃなことを言うようだが、誰の人生も、早世で余程明確な意志がなければ、後半生に至って、些細な支離滅裂さを覆う凡庸のなかに収束するものだ。むしろその凡庸さの自覚のなかで、何を築き上げたかという達成が問われるが、その意味では、李光洙は韓国近代文学を作ったということだし、それはもっと卑近に言えば、現代の韓流物語の枠組みを作ったということもあるだろう。
 本書でもう一つ思ったのは、女医となった許英粛の生き方である。率直に言うと、李光洙よりも許英粛の評伝のほうが歴史的な意義があるのではないかと思ったのである。彼らの間の子供は二人、その後、米国で博士号を取り、米国で暮らしている。つまり、米国民となった。李光洙がこの世に残した縁者がすべて米国ということではないのかもしれないが、基本的に子孫は米国人となった。
 私は、ここでふと「つまりそういうことなのだと」と呟いて、そのあと「どういうことなんだよ」と自分で突っ込みを入れて、困惑する。なんと言ってよいのかわからない。この感覚は、現在の日韓関係に微妙に通じている、気がする。韓国の歴史は、韓国人は好まないかもしれないが、日本の側でそれなりの学問的方法論に則ってコツコツと積み上げられていくべきだろう。本書も、そういう一冊なのではないか。
 
 

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2015.09.22

[書評] 湯川博士、原爆投下を知っていたのですか――〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生(藤原章生)

 不思議な本だったと言ってみて、少し違う。次に、恐ろしい本だったと言ってみて、やはり少し違う。その中間に位置する本だろうかと考えて、再び、沼に沈むような感覚に襲われる。

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湯川博士、原爆投下を
知っていたのですか
〝最後の弟子〟
森一久の被爆と原子力人生
藤原章生
 普通に考えれば、書名は副題の「〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生」だけでよかっただろう。なぜなら本書の表向きの価値は、「森一久」の評伝的な部分にあるからだ。その意味ではむしろ、書名の「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」は、無理に人の関心を煽っている印象がある。だが、ここでまた戸惑うのだ。この書名は正しいのだろうと。つまり、「湯川秀樹は事前に原爆投下を知っていたのか?」 もちろん、それが荒唐無稽に聞こえることはわかるし、それゆえにある種の困惑が伴う。
 本書は冒頭で、新聞記者でもある著者・藤原章生と森一久との最後の出会いが描かれている。そこで森は思いがけぬ嗚咽を藤原に見せる。唐突な切り出しだが、本書を一読して再びこの冒頭のシーンに戻るとき、なんとも言えない、なんだろう、胸にこみ上げてくる嫌な感じがする。そこが本書の本質に関連しており、その本質は、私たちの社会と原子力の向き合い方のある原点が関連している。言葉にしにくいが。
 そこをとりあえず素通りして行くなら、本書は、書名の、ややスキャンダラスな問いかけを使って読者の気を引きながら、実際の叙述の大半は、森一久という人間の生涯に触れていくことになる。そもそも森一久とは何者か?
 読売新聞で科学専門の論説委員をしていた中村政雄が、本書で上手にその一面を描いている。

「森いっきゅうはね、原子力村のドンだよ」
 森さんの本名は「かずひさ」だが、親しい人たちはほぼみな「いっきゅうさん」と呼んでいた。
 「彼も僕も酒を飲まないので、プライベートなことや心情を話すことはまずなかったけどね。とにかく頭が良くて、左から右まで人脈が広くてね。よく勉強する人だから尊敬し、親しくさせてもらっていた」
「ドン……ですか?」
「うん、ドンだね。日本の原子力村を動かしてきた人だよ。まあ、本人には権力も財力もないし、名誉欲なんてものとはまったく無縁な人だったけどね。彼の城、原子力産業会議なんていうのは、森さんがいなけりゃ何の意味存在感もないところ。ただ、森さんは人脈がすごいから、省庁も何か決めるときは『森さんに一応断っとけ』『森さんに聞いてみよう』といった存在になっていたんだね」


「あの人はまあ、黒田官兵衛みたいな軍師、策士だね。金も権力もないから、例えば東電を動かそうとする場合、自分で乗り込んでいってがんがん言うなんてことはしない。原産は東電なんかの協力金でもっているところだから、そんな偉そうなことはできないからねえ。どうするかっていうと、役所や新聞記者、メーカーの社長とかいろいろな人脈を使って、外堀から動かしていくんだ。あらゆる人を『これはこうしなくちゃだめだ』って説得して、その気にさせて、東電を包囲していくわけだね」

 その森一久という人は、現代人の薄っぺらな知性に適したウィキペディア的にはどう描かれているかというと、その項目が存在しない。正確に言えば項目だけしか存在しない(参照)。なぜなのか?
 フィクサーのように影に隠れる人だったのか。そうでもない、公式に簡易に説明もできる(参照)。

もり・かずひさ 京都大卒。故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ。中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材。1956年の日本原子力産業会議設立時に職員となり、専務理事を経て96年副会長。広島市中区出身。74歳。

 過不足ないかに見える紹介文である。だが、ここから原子力村のドンであることは読み取れない。
 どういうことなのか? 本書に戻る。

 電力会社などが出資する原産に権限はないが、推進派から反対派までの多岐にわたる人脈、半世紀の経験が森さんの影響力を強め、「ドン」と呼ばれるまでになった。しかし、生涯、黒衣に徹した人だったため、原子力史に名前が出てくることはほとんどない。

 重要なのは、森一久が「原子力史に名前が出てくることはほとんどない」ということで、そういう人が、原子力村のドンだった。それはどういうことなのか? そこがこの本のまず第一番目の価値になる。
 簡素な彼の経歴をもう一度見てみよう。森一久とは何者か? 「中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材」ということで、つまりジャーナリストなのである。ジャーナリストがなぜ、そのドンのような影響力を持ち得たか。本人の能力もだが、原点は「故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ」からであり、若い日には彼の活躍には湯川博士の事実上の支援があったからだ。森がそもそもジャーナリストとなったのも湯川博士の勧めもあった。このあたりは本書に詳しい。
 それにしても「原子力村のドン」とは、どういう存在だったかのか。福一事故後の現代からそこを顧みたとき、彼はどのような存在に見えるのか? 本書を読まなくても、原子力村のドンなら、原子力開発の推進者であったと理解され、そこで条件反射的に否定に構えてしまう人もいるだろう。が、その前に森は高木仁三郎(参照)とも懇意にしていたことを留意すべきだろう。
 そうして見ていくと、「森一久とは何者か?」という問いの深みが感じられてくるはずだ。そしてさらに経歴を見直すと、「広島市中区出身」ともある。先に本書の冒頭での森の嗚咽に触れたが、晩年の森が、広島原爆で不明となった母親を探す想起のためであった。
 ではなぜ、原子力爆弾を憎んでいた人間が、原子力村のドンになってしまったのか? そしてドンの立場から、また晩年、そこから離れていくとき、彼はどのような懊悩を抱えていたか。そのあたりは本書の後半に詳しい。そして中盤は、そもそも「ドン」なるものを生み出してしまう、日本権力の奇っ怪さをかいま見る面白さもある。後藤文夫も興味深い。
 ここで再び、最初の疑問に戻る。書名の問いかけである。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」ということだが、どうなのか。そもそもこれはどういう問いなのか?
 こういう逸話が語られている――1945年5月、京大工学部冶金学教室に入学したばかりの水田泰次が、冶金学の西村秀雄教授から、特殊爆弾が広島に投下されるので危険だから家族を疎開させなさい、と言われた。その場に湯川博士も黙ったままだが同席していた。そして水田は西村教授の示唆で家族を広島から離したため、原爆の被害に遭わないで済んだ。
 この逸話を70歳過ぎた森一久が知り、困惑する。西村教授と同席していた湯川博士は当然その話を聞いているのに、なぜ、広島に家族がいる自分(森)に広島原爆の事前投下を教えてくれなかったのか? 湯川博士はこのとき何を考えていたのか?
 その逸話が晩年の森を苛ませる。湯川博士も広島原爆投下を知っていて、広島に家族がいる森に知らせなかったとしたら、その理由もだが、その後の良心の負い目から、ジャーナリストになった森を贔屓してくれたのではなかったか?
 問いは、実は錯綜している。
 冶金学の西村秀雄教授に広島原爆投下の情報は本当に入っていたのか? 水田の話では、西村教授に米国の学会から秘密裡に情報が届けられたということだった。だが、それはその時点では憶測や偶然だったのではないか。西村教授がそうした情報に触れるわけがないとする取材も本書には含まれている。
 また湯川博士だが、その話を聞いても、憶測に過ぎないと聞き流しただけなのではないか。それでも、事後に森に対して良心の呵責を感じた可能性はあるかもしれない。
 あるいは……私は本書を読んだ後、ぼんやりと思ったのだが、情報は実は、湯川博士に先に入っていた可能性はなかっただろうか。
 この陰謀論のような問題の、そもそも成立条件だが、まず、1945年5月の時点で、広島原爆投下が米国で計画されていなければならない。もとの情報がないならこうした話題は雲散霧消するべきだ。だがそこは本書を読んでもわからない。
 5月の時点で広島投下が決まっていたら、それは日本に極秘ルートで伝えられた可能性はあるだろうか? 
 本書には書かれていないが私は少しこう考えていた。広島原爆の模擬弾である多数のパンプキン爆弾の存在とその投下点である。投下点の候補は、京都、広島、長崎、新潟の四点と見られていた。京都は有効でなく、新潟は山本五十六への復讐という象徴的な意味であろうから、実際には広島・長崎は、多数のパンプキン爆弾の製造を考えると妥当であるように思われる。この際のポイントはまさに、パンプキン爆弾を多数製造する「冶金学」の技術になるだろうから、そのルートでの西村教授への暗示は存在した可能性はありうるのではないか。
 また当初の問題に戻る。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」と。本書のネタバレのようになるが、本書は悪意ででも意匠でもないだろうが、結果的に慎重にこの問いの答えを避けている。
 仮に、読者の判断に任されていると言ってよいなら、私はどう答えるだろうか。本書の読後(あるいは毎日新聞連載後)、いろいろ考えたのだが、西村教授へのなんらかの通知はあっただろうし、湯川博士はそれを妥当と見ていたのではないかと思うようになった。すると湯川の脳裏には、広島原爆は想起されていただろうとも思う。ただし、そもそもファインマンを含め、マンハッタン計画に参加した科学者はあれほどひどい兵器になると想定していなかったふうもある。
 さて、そもそも本書はなぜ書かれたのか。本書の内容は、2014年から連載されている毎日新聞(朝刊2面)大型企画「戦後70年」『原子の森、深く』をベースにしたものある。その意味では本書の大半はネット上でも読むことはできる(参照)。
 しかし加筆され整理された書籍として読むと、また印象が異なるものである。こう言うと何だが、森一久は70歳以降、JCC事故もだが、ある種、正気のなかで狂気に接していたのではないだろうか。こういう言い方は奇妙だが、集団的な狂気が緩慢に行き渡っている空気のなかでは、正気であることが狂気に近いものを駆り立てしまうことがある。それをどう受け止めてよいのか。また、湯川秀樹が抱えていたかもしれない、ある種のニヒリズムがあるなら、それをどう受け止めたらよいのか。
 本書の読み方を超える部分ではあるが、そこは重く日本の市民にのしかかるものがあるだろう。
 
 

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2015.09.21

[書評] ナグネ――中国朝鮮族の友と日本(最相葉月)

 読まれるのなら、そして「ナグネ」という朝鮮語の意味を知らないのなら、その知らないままに読まれるといいと思う。ネタバレということでもないが、全体を読み終えたときに知るその深い意味合いが、本書のもっとも深いメッセージであろうと思うからだ。おそらく本書は、副題にあるように、「中国朝鮮族の友と日本」として、つまり、友情と日本、という二つの交点から読まれるだろうし、そのことを著者も意図しているだろう。だが、結果的に描かれているものは、人間とは何かという問いかけである。

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ナグネ
中国朝鮮族の
友と日本
(岩波新書)
 書籍として描かれているのを見れば、副題が暗示するように最相葉月の「中国朝鮮族の友」であり、その友達との友情なのだが、そこに現れてくるのは「日本」とは何かという問いかけであり、それは友情のある違和感から浮かび上がる。
 「中国朝鮮族の友」は、1999年に来日していた19歳の中国朝鮮族の女性である。生まれはだから1980年であり、今年は35歳になる。対して、最相は1963年の生まれ、1999年に35歳だった。すでに彼女は『絶対音感』で有名なノンフィクションライターになり、『青いバラ』の取材中だった。二人の間には、16歳の歳差があり、物語はそして16年の物語になる。
 出会いは――最相によると――偶然だった。西武園ドームでのバラの展示会の帰り、西武新宿線の小平駅のホームで、その19歳の女性に「これは高田馬場にいきますか」と問われ、その電車に同行し、知り合い、来日理由や、朝鮮族、地下教会のクリスチャンという話を聞く。最相は支援の思いもあって、彼女に執筆資料の整理のアルバイトを頼み、知り合うことになった。すぐ、日本での保証人にもなったという。そこから16年の、最相から見た、彼女の日々が綴られている。この、友情ということに偽りはないのだが、友人でありながら、外国人だからということでもなく、他者としての関わりが、本書の面白さの一つである。結果的に最相という人を反照してもいるし、その反照のなかで、読者の大半である日本人に日本人であることが問われる。
 本書は、2014年1月、最相がその中国朝鮮族の女性と一緒に、故地である哈爾浜(ハルビン)への旅行記から、やや唐突に始まる。その中で、小平駅での出会いなど経緯も物語られるのだが、第一章は「中国朝鮮族の女性」という存在を支える歴史風土、そしてその関わりでの日本の歴史に主軸が置かれる。そこは岩波新書らしい物語だなという印象で、それなりの完結性を持っている。その意味で、そこで終わりの物語でもよかったのかもしれないが、第二章から16年の友情の内実を通して、一章の背景がさらに深められる。これが非常に面白い。最相がどのように他者と関わってよいのだろうかという、そのためらいの内省が、結果的に「他者」というものを描き出し、凡百の熱い国際友情のノンフィクションをきれいに超えていく。皮肉に取らないでほしいのだが、そうした他者の目から見える人間像は、別の複数の物語の想像の余地を残す。そのある不確かさこそ、人間存在や世界というものを豊かに描き出す。
 なぜ本書が描かれたかも興味深い。結論を言えば、最相の意識のなかの「他者」意識と「友情」の関わりの、微妙な齟齬が産む「負い目」の感覚の相互的なやりとりが基点になっている。いや、そもそも友情というのは、そうした「負い目」に本質を持つものなだということが、現代の日本では失われやすいのかもしれないなか、この奇妙な感覚が、物語を引き寄せるところは、とても文学的だとも言える。
 正確な意味では、本書はノンフィクションではない。対象への配慮が必要なこともあり、「本書では彼女とその家族の名前や実家の所在地についてはすべて仮名を用いた」とある。当然であるが、その仮名であることは物語にもフィクションの要素を結果的に混ぜざるを得ない。これは批判ではない。フィクションであっても構わないほどに強固なリアリティは描かれている。
 主人公は、「具恩恵」と呼ばれる。仮名だろうがおそらくそこにもなんらかのリアリティは保証されている。彼女は「中国朝鮮族」なのだが、「中国朝鮮族」とは何か? これが、本書の岩波新書的な主題でもある。結論を言えば、日本が関わった戦争の結果と言ってよいだろう、現在の北朝鮮の地域から現在の中国に終われた人々であり、彼女の祖父母世代は、普通に朝鮮半島の住民であり、つまり、「日本人」だった。恩恵の父は、1947年に哈爾浜で生まれているから、在中国二世になるかもしれず、そのあたりが、中国政府的には「中国朝鮮族」とする根拠だろう。それはその面では、普通に「中国人」でもある。当然、韓国政府としては別の対応もあり、そのことも本書の後半に興味深く説明されている。日本では、「在日」として異郷に出た朝鮮人が焦点化されるが、朝鮮人は中国やソ連などにも出て行かざるをえない近代の歴史を抱えている。
 関連していえば、彼らの居住域は満州族なのだが、満州族はすでに満州語を失っている。他面、朝鮮族はそこまでにはなっていない。このことは奇妙な逆説を生み出す。

 つまり日本占領によって日本語を強制された朝鮮人は、戦後、中国朝鮮族になった当初は「満州国」の延長戦で日本語を学ぶしかなかったが、文革終了後はその歴史や思想性をそぎ落とし、朝鮮族コミュニティと朝鮮族の民族文化を守るための道具として、自らの意志で日本語を選び取ったのである。日本語と朝鮮語では文法や単語に類似性があることや、漢族には日本語ができる人がほとんどいないということも、朝鮮族が他の民族と異なるスペシャリティとして日本語の価値を見いだした理由だった。

 本書では指摘されていないが、このことは日本でも密かに知られていたようだ。

 国際交流基金の委託で行われた初めての日本語学習者数調査(一九九〇)によれば、中国における約二十万人の日本語学習者の内、その三割が朝鮮族だったという。

 おそらく、中国人に対する日本語教育の補助は、日本の戦後処理の一環の意味合いもあったのだろう。
 本書は、岩波新書らしい枠組みでは、「中国朝鮮族の友」を描くだけで十分だとも言えるのだが、先も触れたように、友情と他者は、「具恩恵」という女性の強烈な個性を描き出している。強烈と言ってもいいのだが、その、凡庸な日本人の感受のなかに、こういうとよくないのだが、「こういう人知ってる」という「あるある感」がある。この強烈性は、彼女のキリスト教信仰も関連しているのだが(長谷川町子の姉のように)、日本人だと、ついキリスト教をその宗派や集団の特性として見がちだが、ここに描かれているキリスト教はそうしたものを超えて、キリスト教というもののもっとも原形を結果的に描き出している。
 くだくだ自分なりの感想というか解説めいたものを書いたが、しかし、一言でいうなら、この本はお読みなさい、ということに尽きる。
 
 

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2015.09.20

[書評] スーパーヴィジョンのパワーゲーム ―― 心理療法家訓練における影響力,カルト,洗脳 (リチャード・ローボルト)

 社会に読まれるべき内容でありながら、専門書ゆえに読みづらいという書籍がある。あるいはすべての専門書が本来はそうであるのかもしれない。そこで社会と専門書の間を取り持つような本、あるいは本のようなものが必要となり、書かれることがある。

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スーパーヴィジョンのパワーゲーム
心理療法家訓練における
影響力, カルト, 洗脳
 専門書の著者に新書のような体裁で執筆することを編集者が頼むことが多いだろう。そしてそれらのいくつかは成功するが、多数は失敗する。と、もったいぶった言い方をしたが、「まあ、それはそういうものだ」ということでしかない。だが、起点にあった「社会に読まれるべき内容」はどうなるのか。取り残されてよいわけはない。本書を読みながら、この内容は実は「社会に読まれるべき内容」なのだという思いが、先見的な失敗を予想するとき、たとえば読者としての私は、さて、何を言ったらいいのだろうか、と思う。
 申し訳ない、散発的に思うことを書いてみたい。本書は何が書かれているのか? なぜそれが「社会に読まれるべき内容」なのか?
 何が書かれているのか? 本書は論集であるが、私が全体として見たところでは、3つの層が感じられる。(1) 精神分析が持つ専門的な問題、(2) 社会を組織する師弟関係の本質的な危機の問題、(3) 現代社会の「心の問題」を受け取る側のもっとも性急な課題。その3層は、第3層から順に「社会に読まれるべき内容」にも関連している。
 3層目、現代社会の「心の問題」を受け取る側のもっとも性急な課題、というのは、カウンセラーやセラピスト、相談員、といった「心の問題」の専門家のあり方の問題である。同時に、その問題を介して、「心の問題」を抱えた一般の社会の人に影響する。
 「心の問題」を扱う技術は、プログラミング技術、調理技術、翻訳技術といった、技能教授とは異なり、そのセラピストの心も危機にさらす側面がある。そこでは「先生」「師匠」といった指導が求められるのだが、その先生が先生たる理由は、個別技能を超える部分において、心の権威となって現れてしまう問題である。疑似宗教的な、教祖と信者の関係が形成されやすい。
 本書表題「スーパーヴィジョンのパワーゲーム」は、ゆえに「管理・指導における心の権力支配の悪弊」と訳してよいだろう、と思う。というか、私はまずそう読んだ。ゆえに副題の「心理療法家訓練における影響力,カルト,洗脳」と続くのもその理解によるものである。
 その点で言うなら、本書は、カウンセラーやセラピスト養成・維持のためにその専門集団のなかで求められる問題であり、宗教的な権力を解体しつつ、効果的に市民の心の問題に取り組むための技法が書かれている、と言ってよいだろう。実践的な書籍であり、特に、第3部はその実践面を扱っている。ただしそれらは試案として扱われ、プログラム的に扱っているわけではないので、そこでは実践面はまだまだ難しいかもしれない。
 言うまでもないが、カウンセラーやセラピストが、「先生や師匠との関係」に由来する、宗教・思想的な偏向があれば、心の問題を抱えた市民にそのまま悪影響をもたらす。この事は、カルト宗教やカルト的な政治団体の内部で、自然に行われていることでもある。その意味での、カルト的な洗脳とカウンセラーやセラピストの内面の関係については、本書の第1部で内省的に扱われている。
 おそらく本書の社会的な有効性の側面は、この三層目に集約されているし、その面でさらに「効果的なスーパーヴィジョン」という実践書が別途書かれてもよいだろう。実際、そうした書籍もある。
 しかし、と私は思う。本書の価値は、第2層とした「社会を組織する師弟関係の本質的な危機の問題」のほうが深い。私がここで言おうとしていることは、心の問題として切り出され、またカウンセラーやセラピストとして浮かび出されいない心的権力の関係が、実は日本社会のかなり隅々まで行き渡っていることである。
 例として、ネットで見聞きした程度で実態を知っているわけでもないので外しているかもしれないが、よく見かけた居酒屋経営にまつわる指導・精神論など、実態は、スーパーヴィジョンのパワーゲームの問題だっただろう。
 また日本社会では、英語教授法のようなシンプルな指導の領域ですら、同種の心的支配による指導法が見られる。ようするに、先生・師匠・指導員という人たちが、日本社会では実際には、擬似的な宗教を広げることで、雇用者や生徒を「洗脳」している。もちろん、日本社会に限定されるわけでもないが。
 この問題については、その先生・師匠・指導員にとって、パワーゲーム(精神権力の乱用)実践の自覚もない状態なので、より深刻な問題である。そしておそらくそれに対抗できるのは、同様に心の問題の専門家だろう。その点でも本書の知見は有効になるだろう。なかでも第6章の「密かな対人支配法」は重要な指摘に満ちている。痛ましいと言ってもいいかもしれない。
 本書で、私にとって最も興味深かったのは、第1層とした「精神分析が持つ専門的な問題」である。これは基本的にあるいは本質的に精神分析が持つ最大の問題だとも言えるだろう、と思う。どういうことか。
 精神分析は、昨今のネットレベルでの知的言説としては「非科学」「似非科学」に過ぎない。しかし、そんなことは取り分け言う意味もない程度のことである。精神分析とはそもそも、人の心の問題を扱う特殊な技能の分野であって、むしろ科学を超えている面がある、とまで言うと、冗談にしか聞こえなかっただろうが、近年DSMの問題が浮上し、反面、おもにこの10年間と言ってよいだろうが、人間の内省の基本構造を見つめていくなかで、むしろ精神分析の意義が問い直されている。その動向の全体像も、本書からは見渡せる。序論からもうかがわれる。

 精神分析は癒やしの歴史のなかで比類ない地位を占めている。精神分析は名声を求めた才能ある若い医師によって生み出され、ヒステリーの迅速な治療法として1890年代に舞台に登場した。やがてこの話すことによる治療という新しいやり方は伝統的な精神医学を時代遅れにする運動となり、21世紀の大衆文化の多くの側面を変容させた。しかし、抗うつ薬プロザックがもてはやされる現代では、精神医学は再び臨床と心理療法の激しい論戦の場に戻ってきた。精神分析にもはや主導権はないし、おそらくもう取り戻すことはないだろう。それでも精神分析は、プラトン的な意味での「対話」の内的な価値と、重要な治療形態として執拗に固執してきた。現代の精神分析は、いくぶん皮肉なことに、ついに本来の姿に戻りつつある。(後略)

 しかし、そこでの論点は二つに分かれるように思われる。一つは、主に米国における精神分析諸派間での調整の問題、あるいは職業としての分析家が「本来の姿に戻りつつある」ことの意義である。残念ながら、この部分については、市民の側にとって関心が持てるものは少ない。
 もう一つは、「本来の姿に戻りつつある」なかで、創始者のフロイトが抱えた問題が再発見されることである。
 ここが私にとってはもっとも興味深い点ではあるが、本書が論集という性格もあり、全体像のなかではうまく浮かび上がってこないように思えた。
 端的に言えば、いや、端的とは言えないかもしれないが、主に「転移」とされる自我防衛機制のなかで、前エディプス期の心性が、クライアントと分析家の関係のなかで再経験される問題である。この再経験のなかで二者にとってパワーゲームへの誘惑が必然的に生じるし、フロイトはそれが生じることを治療の契機ともした。このため、その扱いこそが、精神分析の最大の技術となっている。
 このことは、本書からは明瞭には読み取れないのだが、背後にある本質的な問題意識になっていると、私は読んだ。特に、これがラカン派の動向にも深く関連していて、本書では、ラカンとラカン派についての考察となっている第8章「制度のクローン化」に詳しい。ただし、この論文では「転移」が焦点化されているわけではない。
 本書の範囲からそれるが、スーパーヴィジョンのパワーゲームが社会を覆うとき、そこに歪められた押し込められた人間の内面は、独自の「転移」のようなしかし欺瞞的な人間関係を欲してしまい、心の病理を強化してしまう……ように私には思われる。SNSを介したどろっとした監視的な親近感と憎悪感や、対抗的・支配的な恋愛と性の関係とその忌避は、そうした問題の系から導かれたものではないだろうか。
 しかし難しいのは、フロイト的な意味での「治療」、つまり、転移の再認識を経て悲劇的な近代自我を再形成するということは、もはや現代の社会に適合してはいない。
 現代では、傷ついた心には、ある種の暖かなコミュニティが必要とされるだろうし、それは本書の前提なっているようにも読めた。と、同時にそのコミュニティもまたカルト的な問題を生むため、本書の問題意識が浮かび上がっている。そうした部分は、日本はまだ明瞭には見えてこないように思われる。見えてこないから、SNS的な陥穽となる悪循環か、あるいは、暖かなコミュニティを目指しつつ共同の憎悪対象の幻想を社会に撒く奇妙な衝動のようにもなるのだろうか。
 本書は論集なので、細部で興味深い知見が満ちている。私の場合は、どうしてもフロイト派に関心を向けてしまうが、読む人によって受け取る部分は異なるだろう。それでも、スーパーヴィジョンのもつ疑似宗教的な問題意識の全体像は明瞭になっている。
 

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