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2015.05.23

韓国語から日本語をどのように読み出すか?

 韓国語の数字を学んでいて思った。韓国語から日本語をどのように読み出すか? 話はそういう次第なのでまず数詞から。
 韓国語も日本語と同様、数を数えるときに、母語の数詞と漢字に由来する数詞の二系がある。ここでは漢数字に注目。日本語で言えば、イチ、ニ、サン、シ、ゴ、ロク、シチ、ハチ、ク、ジュウがあたる。韓国語の場合は、일(イル)、이(イ)、삼(サム)、사(サ)、오(オ)、육(ユク)、칠(チル)、팔(パル)、구(ク)、십(シプ)となる。
 起源は漢字の数字なので、その意味では同語源になるはずだが、日本と朝鮮がどの時代のどの地域の漢数字を取り入れて、どのように音変化したか、については、私は調べていない。基本は同じだろうというくらいしか関心がなかった。
 それでも中国語の基本も学んでいるので、自然に現代中国語との比較が頭に浮かぶ。1(yī)、2('èr)、3(sān)、4(sì)、5(wǔ)、6(liù)、7(qī)、8(bā)、9(jiǔ)、10(shí)である。
 現代中国語は入声音が失われているが、中国と歴史的に関連の深い周辺地域の言語にはその片鱗が残り、朝鮮語にも日本語にも残っている。例えば、日本語の「ハチ(/hati/)」は呉音だが中古音の[pat]の[t]を残したものだろう。これが朝鮮語(韓国語)では、팔(/pal/)になる。朝鮮語では、[t]の入声音は、ㄹのパッチムに対応する。
 日本語の「十」は古語では呉音の「ジフ」であり、/zifu/のようになる。日本語では入声音は後続の子音によって促音になるという規則があり、このため、「分(フン)」が後続すると、「ジフ」+「フン」=「ジップン」となる。これがいちおう正しい日本語だということで、現代でもNHKのアナウンサーはニュースなどではそう発音している。ので、注意して聞いてみると面白い。ただし、旧仮名遣いを忘れた現代日本人はもう「ジフ」の入声音を知らないので、「ジュウ」+「フン」=「ジュップン」となることが多い。国語行政的には「ジップンというのを正しい日本語の選択として残したいこともあり、常用漢字音訓表には「ジュウ」「ジッ」「とお」「と」の4種類が残っている。この「ジッ」は入声音への配慮である。
 朝鮮語(韓国語)でも、「十」は십(シプ)で入声音を残している。「十分」は「십분」なので「ㅂ」の連続で自然に日本語の拗音のように聞こえる。
 面白いなと思ったのは、朝鮮語の6の육(ユク)である。これは、北朝鮮の「李」さんが「li(리)」だけど韓国では「이(イ)」になるように、初音のㄹが脱落したものだろう。と思っていると、「육」も語中では「륙」が現れることもあるようだ。
 こうしたことをつらつら思っていると、ハングルのパッチムから逆に漢字音の推定が規則的に出来そうだなと思うようになり、さらに、これはグリムの法則みたいに、ハングルから漢字音の想定が規則的に出来そうに思えてきた。
 とはいえ中国の中古音に戻しても実用的ではないから、中抜きで、ハングルから日本語の漢字音への変換規則が存在するだろうか、と思ったのである。なお、この規則はグリムの法則みたいに祖語の変化の規則ではなく、あくまで便宜的なものである。
 もうちょっと言うと、ハングルの読みかたの規則を変えれば、日本語の漢字音が出てくるなら、つまりは韓国語から日本語が読み出せるのではないかと思ったのである。
 そう思って、1を意味する、漢字の一(yī)、日本語のイチ、ハングルの일(イル)を見ていると、ハングルのパッチム「ㄹ」は、日本語の「チ」へ組織的に変化できそうなので、これは、「日(ニチ)」と「일(イル)」でも言えるだろうと連想した。일(イル)は、닐(ニル)の変化形だろう。そこで、「金日成」を連想する。「キムイルソン」から「キンニッセイ」が導出できるだろうか。やってみよう。
 「金日成」はハングルで「김일성」である。
 「金」については、「김」の「ㅁ(m)」のパッチムが日本語漢字では「ン」になる。そこで「キン」になる。これは簡単。次に「일」は「닐」で、「ㄹ」は、日本語の「チ」へ変化するから、「ニチ」。
 難しそうなのは「성」だが、韓国語ローマ字で「seong」だが、原語の漢字の中国語では"ong"音は日本語で「ウ」に対応し鼻音が消える法則性がある。「南(nán)」は「ナン」だが、「東(dōng)」は日本語では「トン」ではなく「トウ」になる。「春(chūn)」は「シュン」だが、「冬(dōng)」は「トウ」。同様に、「音(yīn)」は「イン」で、「英(yīng)」は「エイ」になる。同じことが朝鮮語の鼻音パッチム「ㅇ」にもあてはまるだろう。なので、この規則だけだと、「성」から「ソイ」のようなものが出来る。
 ここでもう一つ、日本人には「オ」に聞こえる「ㅓ」だが、韓国語ローマ字で「eo」とするように、「エ」に近い印象があるが、ハングルと漢字を眺めていくと、こじつけみたいだが、「ㅓ」「ㅕ」は/ei/の対応が見られる。「서」では「西」「棲」「誓」が呉音で「セイ」に対応している。そこで、鼻音パッチム「ㅇ」を日本語の音便化とるとすると、「성」から「セー」ができる。余談だが、ハングルには/ei/の二重母音がなく、「ㅓ」も「オ」に近い。また、日本語の「エ」に「ㅓ」「ㅕ」も吸収される。
 なんだか難しい規則のようだが、まとめるとそうでもない。

 「김」 パッチム「ㅁ」は「ン」で、「キン」
 「일」 脱落の「ㄴ」を補い、パッチム「ㄹ」は拗音化で、「ニッ」
 「성」 「ㅓ」音は「エ」でパッチム「ㅇ」は音便化で、「セー」

 合わせて、「김일성(キムイルソン)」→「キンニッセー(金日成)」ができる。
 同じルールで、「일본(イルボン)」→「ニッポン(日本)」もできる。
 というか、ハングルの音価コードを変更すると、「김일성」が「キンニッセー」と読めるようになる。「일본」はそのまま「ニッポン」と読める。
 つまり、ハングルの音価コードを変更で、韓国語から日本語を自然に読み出すことが可能になる。
 もっとも、これは語源が漢字音である場合に限られるが、韓国語彙の大半が漢字起源としていると、かなり日本語化が可能だろう。
 さらに、日本語も韓国語も格表示の助詞を使う膠着語なので、格助詞のハングルに日本語読みを与え、その上さらに、朝鮮語固有の語に漢字の訓読みを与えて訓読化すれば、ハングルはほとんど日本語としてそのまま読めるのではないだろうか?

cover
漢字のハングル読みを
マスターする40の近道
 少なくとも、日本語変換用のハングルの音価コード変更は体系的に規則化したいものだなと探していくと、まあ、誰でも思いつくもので、『漢字のハングル読みをマスターする40の近道』(参照)という本を見つけた。この本では、そのコードを「漢字のハングル読み」と読んでいる。
 それを元に私なりに体系的にこうまとめてみた。

初声
 1 ㅎ(h) → k/g
 2 ㅇ(φ)→ g
 3 이(li) → i
 4 ㅈ(j) → s/z
 5 ㅁ(m) → b
 6 ㅂ(b) → h/b
 7 ㅍ(p) → h
 8 ㄴ(n) → r

母音
 1 ㅓ/ㅕ(eo/yeo) → e
 2 ㅖ(ye) → ei
 3 ㅐ(ae)/ᅬ(oe)/ᅫ(woe) → ai
 4 ㅗ(o) → ô
 5 ᅴ(ui)/ᅱ(wi)/ᅰ(we) → i
 6 ᅪ(wa) → a

パッチム
 1 ㄱ(g) → ku/ki/促音化
 2 ㄹ(l) → tu/ti/φ(無音化)/促音化
 3 ㅁ(m) → n
 4 ㅂ(b) → fu(旧仮名)/tu
 5 ㅇ(ng) → R(音便)
 6 パッチム → 日本語入声 e.g. 고→告

 実際にはルールが曖昧な点と、ルールで補足できない例もあるので概ねのルールとしても、基本の漢字とハングルの規則的な対応については、個別の漢字ごとにまとまめた字典ふうの書籍があるといいなと思ったら、これもあった。『当てずっぽうの法則 漢字でひらめく韓国語』(参照)である。

cover
当てずっぽうの法則
漢字でひらめく韓国語
(リー先生の日本人のための
韓国語レッスンシリーズ)
 書籍に「当てずっぽう」とあるように、適応できない事例も少なくはないが、それでも語変形の規則の類推があって面白い。
 ちなみに「金正日」の「김정일」はどうかというと、「金」「日」の変形は見てきたとおりだが、「正」はどうかというと、「정」で「セー」とだいたい読める。まあ、それはそれでよいのだが、「정」(jeong)を見ながら、中国語の「正」(Zhèng)が近いなあとも思った。それでも、ハングルから日本語読み出せるのは、どちらも古代の中国語の漢字音をベースにしているからで、現代中国語の漢字音だとむしろルール化はさらに難しい。
 この本には少しワークブックもあり、「일본져1의도시。일본의중심지신주꾸」という例文が載っている。「ニッポン・ダイ1イ・トシ。ニッポン・チューシンジ・シンジュク」と読み下せる。「日本第一の都市。日本中心地新宿」と当てることができる。こうなると、日本語と朝鮮語との差違は方言くらいになる。
 もちろん、万事がそういうわけにもいかない。むしろ日常の会話は漢字語のほうが少ない。所詮、外国語は外国語ではある。ただ、それでも、構文などは日本語と朝鮮語ではほとんど変わりない。
 
 

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2015.05.22

サムソンはなぜ"Samsung"なのか?

 スマホの「Galaxy S6」から製造社のロゴ「SAMSUNG」が消えたことが先日話題になっていた。「iPhone」から「Apple」が消えたような感じである。と言ってみたものの、別にiPhoneにAppleとロゴが特記されているわけでもなく林檎マークがあるくらい。
 それでも、なぜそれまであった「SAMSUNG」が消えたのか、というか「SAMSUNG」というロゴを意図的に消したのか。しかもこの対処は日本市場に限られていたのはなぜなのか。気になるところだ。
 当のサムソンが説明している。ITmedia「日本の「Galaxy S6/S6 edge」にSamsungロゴがない理由は?――新COO堤氏が語る」(参照)より。


 国内モデルで「Samsung」ロゴをなくしたことについては、「Galaxy S6/S6 edgeは“ゼロスタート”で開発した。Galaxyの進化を皆さんにご理解いただきたいので、『Galaxy』を全面に出させていただいた」とコメント。Samsungロゴがないのは今のところ日本のみだそうで、裏を返せば、日本ではまだGalaxyブランドの認知拡大を図る余地があるということ。Galaxy S6/S6 edgeを日本のユーザーへどのように伝えていくのか。堤氏、そしてサムスンの手腕に注目したい。

 じゃ、注目。そこで、このSamsungロゴの「サムスン」だが、なぜ「サムスン」なのだろうか? ハングルのロゴを見るとわかる。

 元は「삼성전자」である。
 これは漢字に戻せる。戻すと、「三星電子」である。
 そこでつい「三星」って何?という疑問もわく。東洋文化の文脈で連想するのは、「福、禄、寿」三人の仙人である。が、そうではない。中央日報「악수하는 모습 본딴 현대차, 조화와 화합 강조 포스코… 」(参照)より。漢字を補って。


삼성(三星)이란 이름에서 '세(三) 개의 별'을 떠올리는 사람이 많지만 Group의 공식(公式) 입장(立場)은 "관련(関連)이 없다"는 것이다. 우리민족(民族)이 가장 좋아하는 숫자(数字)이기도 한 '삼(三)'은 크고 많고 강하다는 것을 상징(象徴)한다. '성(星)'은 밝고 높고 영원(永遠)히 빛나라는 뜻을 담고 있다.

サムスン(三星)という名前で「三つの星」を思い浮かべる人が多いが、Groupの公式公式立場は、「関連がない」ということだ。私たちの民族が最も好きな数字である「三」は、大きく多く強いことを象徴する。「星」は、明るく高く永遠に輝けという意味を含んでいる。


 「三星」は、①明るく②高く③永遠に、という意味らしい。
 さて「サムスン」という言葉の表記の話に戻る。「삼성(三星)」が元であれば、これを英語的というかローマ字風に表記すると「Samsung」になるのではないかと、まず思える。そこで「Samsung」でハングルを書いてみる。「삼숭」である、公式の「삼성」にならない。これをあえて漢字に戻すと「三崇」となる。または「三嵩」か「三崧」である。
 京畿道楊州市に三崇洞という地名があり、三崇宮という同郷寺院がある。漢字の知識のある韓国人にとっては、「Samsung」から連想されるのは、三崇宮ではないかと思う。が、現在の「삼성」のハングル表記を超えて、そこまで漢字音から連想できるかもわからない。
 いずれにせよ、「サムスン(Samsung)」からハングル表記考えると、公式の「삼숭」にはならないという奇妙なことになっている。
 では、公式の「삼숭」をローマ字表記にするとどうなるのか。公式の文化観光部2000年式でローマ字化すると、というか、中国語のように拼音化すると、「samseong」となる。現行の「Samsung」にならない。
 現在の韓国では自国の名称を文化観光部2000年式によってローマ字化しているので、国家に関連するのであれば、サムスンは「Samseong」となるはずだが、そうならない。
 となると、「サムスン(Samsung)」表記の起源は何か?
 文化観光部2000年式以前のローマ字化のはずではないかと調べてみると、以前まずよく使われていたマッキューン=ライシャワー式で考えると。それだと、「Samsŏng」になる。やはり現行の「Samsung」にならない。他の方式で「Samsung」が出来るか調べてみたが、わからなかった。
 おそらく、「三星」から「삼성」となりそこから「Samsung」が生じた、というのではなく、英語名のロゴとして新規に「Samsung」ができたと考えてよさそうだ。
 しかし、そうだとすると、これは英語風に読むと「サムサン」になってしまう。
 むしろ、現在の「サムスン」は、日本語のローマ字読みに近い。サムスンの企業発展の過程で日本語のローマ字読みの影響を受けていた時期があったのかもしれない。
 なお、英語としては、「Samsung」から旧約聖書の英雄(士師)のサムソン(「サムソンとデリラ」のサムソン)を連想するが、それだと「Samson」である。その文脈でもじるなら「Samsong」ではないかとも思う。それをハングルにすると「삼송」となり、漢字かすると「三松」になる。
 ごちゃごちゃと議論したが、ようするに、「Samsung」のロゴの表記は謎である。
 ただしそれを言うなら、「ヒュンダイ(現代、현대)」の「Hyundai」も文化観光部2000年式なら、「Hyeondae」とラテン語みたいになる。
 ちなみに先日取り上げた、「西武新宿駅」の「세이부신주쿠역」も文化観光部2000年式でローマ字化すると「Seibusinjukuyeok」となる。日本語のローマ字をハングル化して韓国のローマ字化にしても、もとが音価主義なので、ほとんど日本のローマ字と変わらない。ということは、この例では韓国で文化観光部2000年式のローマ字化が進展すれば、日本語のローマ字でも問題なさそうだ。ただし、別の例だと奇妙な問題が生じる。「高田馬場駅」は「다카다노바바역」だが、ローマ字化すると「dakadanobabayeok」になる。日本人がこれを見ると、「ダカダノババイエ~ok?」みたいになる。日韓のローマ字共通化は無理だと言っていいだろう。
 いずれにせよ、ここで疑問が生じるのは、「サムソン(Samsung)」や「ヒュンダイ(Hyundai)」のラテン字母の表記の混乱を見てもそうだが、そもそも韓国では文化観光部2000年式のローマ字、別の言い方をすると韓国式拼音、が普及しているのか疑問に思える。
 まず、はっきりしていることは、韓国の国としては、文化観光部2000年式拼音を推進しようとしていることだ。このことは公式の文書で採用され、地名のローマ字母表記でも使われているからだ。
 日本でも歌謡曲などでも知られる「釜山(プサン)」は、ハングルでは「부산」で、韓国のローマ字表記では「Busan」になる。マインドマップの創始者のような印象だが、「Busan」の発音は発音記号では[pusan]で、実際の音を聞いてみると「ブサン」に近い印象もある。부は前に母音がくると「ブ」に聞こえる。なので「ブサン」でもいいようにも思えるが、仕組み上は日本語のローマ字読みの「ブサン」ではない。
 「金浦空港」の「金浦(キンポ)」も、ハングルでは「김포」で、「キンポ」の音に近い。が、表記は「Gimpo」である。独島は「ドクト」と日本で読まれることがあるが、ハングルは「독도」。ローマ字では「Dokdo」。音は「トクト」。皮肉なのか、もじって「Dogdo」と表記されることもある(参照)。同様に、日本で「キムチ」と言っているあれは、「김치」なので、ローマ字では「gimchi」になる。韓国としてはローマ字が整備できたわけだが、「Gimchi」が「キムチ」というのは日本人にはちょっとわからないのではないか。
 基本的にローマ字化というのは、音価をラテン字母で疑似表示するのではなく、一つの正書法として統一的に確定しているということだ。中国語の拼音もそうで、「北京」は「Běijīng」とラテン字母で表示するが、発音は「ペイチン」に近い。
 いずれにしても、ローマ字化は必然的に発音とずれてしまうことになる。日本語の場合は、正書法としてのローマ字化を訓令式として、英語発音に近づけたのがヘボン式である。が、それでもずれる。
 中国語の拼音、つまりローマ字化が国内の国語教育の基本に採用されているのに対し、また日本でもローマ字化は小学校で教えるのに対し、韓国ではローマ字化は教育の場で教えられているふうはない。韓国語の外国語教育でもそうした教材は見かけない。たぶん、ないだろう。
 なお、以上は韓国の場合であって、北朝鮮では別の方式を使う。興味深いのだが、北朝鮮は元来ソ連の傀儡国家として成立した背景もあって、ロシア語のキリル文字を使う表記法があり、現在でも正書法となっている。「平壌」の「평양」は「Пхеньян」である。
 韓国語のローマ字化の今後はどうなるのかも、ついでなんで考えてみた。というか、私は韓国語を学ぶとき、中国語同様、このローマ字を通して学べばいいのではないかと当初思っていたからだ。しかし、実際に学んでみると、訓民正音でも明らかなように、元来は漢字のまざる文化がベースにあり、漢字を意識する点でハングルのほうが便利だった。
 元来が漢字なら中国語のように拼音化できそうなものだが、韓国語の場合は言語の基本部分にアンシェヌマンが多く、これがローマ字だと切れ目の意識が逆にわかりにくくなる。そういう点からすれば、韓国語は中国語と日本語の中間的な言語であるがゆえに、正書法も独自のものにならざるを得なかったかのだろう。
 
 

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2015.05.21

韓国人は漢字が読めないのだろうか?

 韓国人は漢字が読めないのだろうか? 答え、人による。たいていは読める、ようだ。それどころか、読める人はかなり読める。もちろん苦手な人はいる。たぶん日本人のように常用漢字2136字を読める人は、おそらくそんなには多くないだろう。
 とはいえ、常用漢字というのは、日本独自の規定でそもそも他の国には当てはまらない。漢字の字形も違うし、訓読みも規定されている。
 中国はどうかというと、「常用漢字」と呼んでもそう間違いでもないらしい。以前は「现代汉语常用字表」というのがあったが改訂され、、2013年から「通用规范汉字表」(参照PDF)に統合された。これには8105字が含まれている。常用漢字の4倍もありそうに見えるが、クラスに分かれている。概ね、教育用の1級3500字、出版物用の2級3000字、専門用語用の3級1605字である。日本の常用漢字に相当するのは2級と見てよいから、中国で通常使う漢字は日本の三倍の漢字はあると言ってもいいだろう。
 初等教育での漢字数だが、日本の場合は教育漢字が1006字なので、この点でも中国は三倍はある。小学校でそんなに教えられるのか疑問に思えてネットに当たると、人民教育出版社の小学校中国語教科書の常用漢字表(参照)というのがあり、学年別で総計2207字あった。総字数で見ると日本の中学校までの漢字教育を小学校で詰め込むという印象がある。
 余談だが、この中国人向け小学校漢字2207字に「犬」があるかと検索すると、ない。なぜないかわかりますか? たぶん「町」もないだろうなと思ったら、なかった。「村」はある。他に「糸」もない。
 中国で使われる漢字は多い。そこで以前のように簡体字にない漢字は台湾や香港そして朝鮮でも使っている繁体字(旧漢字)がオーソライズされたかと思いきや表を眺めると、そうでもない。さすが科学的社会主義の国だけのことはある。漢字を全面的に改良したようだ。康煕字典の時代は終わると言っていいかもしれない、ま、それはないだろうけど。
 台湾はどうかというと私には正確にはわからないが、「常用國字標準字體表」4808字、「次常用國字標準字體表」6341字などがある。基本、康煕字典ベースの繁体字の整理というふうに見られるがいろいろ複雑そうだ。小学校で覚える漢字の規範もよくわからないが、2000字くらいだろうか。
 漢字を使う地域の教育という次元で覚えるべき漢字数は、2000字くらいだろう。それでも多いようには思えることもあって、800字程度に制限する中日韓の共通常用漢字の模索がある(参照)。
 さて韓国だが、朴正煕政権下の1970年に漢字廃止を宣言したが反対が強く、1972年に撤回され、中学校・高校での選択科目の漢文学習用ということで漢文教育用基礎漢字(대한민국 중고등학교 기초한자 목록)の1800字が制定された。だいたい9割方は日本の常用漢字が占められているが繁体字が採用されている。
 この時点の実態はおそらく漢文学習というより、韓国語における漢字文化の維持ではなかったかと思われる。そもそもこの表題「대한민국 중고등학교 기초한자 목록」だが、「대한민국(大韓民国)」「중고등학교(中高等学校)」「기초한자(基礎漢字)」「목록(目録)」、つまり、ハングルを漢字に戻すと「大韓民国中高等学校基礎漢字目録」ということで、字面で見ると日本語と変わらない。音価も「テハンミング・チュンゴトハッキョ・キチョハンチャ・モクロ」といった感じで漢字が想像つけばだいたいわかる。
 自分の記憶からも1970年代では韓国人は日本の新聞がそのままあらかた読めたし、日本人も漢字ハングル混じりの韓国の新聞がだいたい読めた。その後、漢字教育は選択でもあり、入試に関連しないことから、実際上は教育の場から消え、それに準じてメディアからも消えていったため、韓国は漢字を捨てたかのような印象を与えるようになった。
 しかし、先の「대한민국 중고등학교 기초한자 목록」と「大韓民国中高等学校基礎漢字目録」を見てもわかるように、ハングルは漢字に対応しており、意味を理解する上では漢字があったほうがよく、またこの間、韓国は中国に経済的に依存するようになったので漢字教育の声が再び高まった。
 ということに加えて、2003年以降、小学校低学年向けの学習マンガ『마법천자문(魔法千字文)』がヒットし子どもたちに千字文ベースの漢字学習が流行した。

 「千字文」については10年ほど前ブログで触れたことがある(参照)。ネタ話を書いたこともある(参照)。日本でも朝鮮でも漢字文化受容の原点にあるのが『千字文』であり、なかでも日本では、百済人の王仁が千字文と論語を日本に伝えたとされている。
 漢字の文化は古代では習字の文化と一体化しており、王羲之の手によるものなど習字の手本ともされてきた。簡単にいえば、習字として学び、漢字も覚え、そして中華文化の基本を学ぶというとても便利な教育ツールであった。
 千字文教育は文字がベースになるため、音価については、朝鮮や日本など周辺国では各種工夫があった。つまり、漢字の字形を元に、その地域での正統音価と意味をどのように学習するかである。
 朝鮮の場合は、両点式が使われたようだ。冒頭「天地玄黄 宇宙洪荒」だが、一例だが、漢字音価「天(천)」に、朝鮮語の「하(ハ)」を当て、「ハは、天」ということで、「하늘 천」と下す。続いて、「タン、地」で「땅 지」となる。訓は別の方法もあるが、いずれ一字一字訓じていくのが両点である。基本的にこうしないと、漢字はその地域の言語の音価とは結びつかない。
 これが日本だと文選読みで、「天地(テンチ)のあめつちは」として二字が基本になる。「天はアメ」「地はツチ」という両点式にはならなかった。あるいは両点があって、それが文選読みに変化したのかもしれない。日本は漢字の訓読みに関心を持つ志向があったのだろう。
 なお、千字文は名前のとおり、全て違った文字で重複のない千文字で作られた詩で、あり、「いろは」歌の着想の原形でもある。教育ツールではあるが、漢数字が抜けていたり、方角の「北」、四季の「春」がないなど、基本的な漢字が選ばれたわけでもなく、四分の一近くが常用漢字を逸脱する。当然、現代の漢字教育に向くとはいえない。
 それでも朝鮮では伝統的に子供は千字文を習うものだったので、漫画ではあれ千字文のリバイバルは朝鮮の漢字文化の復興を意味した。文化の底力だろう。
 こうした背景を受けて、2018年には小学校教科書への漢字併記の方針が決まった。が、当然反対論も多い。5月1日聯合ニュース「小学校教科書への漢字併記 ハングル関連団体が反発」(参照)より。


 同団体らは「教科書への漢字併記の方針が漢字の私教育(塾や家庭教師など)をあおり立て、学習の負担を増やすのみで、新しい教育過程が目指す創意・融合型人材の養成や学習負担の軽減に全く役に立たない」と主張した。
 また、「中国でも漢字が難しいため簡体字を作って使うのに、わが国だけが昔の漢字を書くのは、歴史を逆に進む行為」と指摘。その上でハングルだけで行われた46年間の教育を無視して教科書に漢字を併記するのは、漢字が分かる層と分からない層を分けようとする反民主的発想と批判した。
 さらに私教育費の負担増加に対する懸念も表明した。同団体らは「漢字併記は児童生徒の学習負担を増やし、私教育費を増加させること」とした上で、「中・高校で漢文を独立した教科として学ぶため、小・中・高の教科書に漢字を併記する理由がない」と指摘し、方針の撤回を求めた。

 反対論点は意外と多岐にわたっているが、「漢字が分かる層と分からない層を分けようとする反民主的発想」という視点は興味深い。逆にいえば、従来は「漢字が分かる層」抑制してたとも取れないではない。
 いずれにせよ、韓国の漢字教育の復活は併記であって、正書法には及ばない。つまり、漢字ハングル交じり文にはならない。
 というところで冒頭の疑問に戻って、「韓国人は漢字が読めないのだろうか?」というとき、韓国の漢字の識字率の統計があるか探したが見つからなかったが、その理由も察せられる。識字率というのは文字が読めるというより、正書法を理解しているという意味であり、韓国語には漢字の正書法がそもそも存在していない。それでは、漢字の識字率自体が問いにすらならないのである。
 
 

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2015.05.20

そこに神社が建つだろう

 こんなエントリー書いていいのか戸惑っている。炎上が怖いとか、ご一同様のバッシングに打たれ弱いからとかいう理由ではない。昨今人気ブロガーさんのように炎上を狙いたいわけでもないし、ご一同様を刺激したいわけでない。書くべきじゃないんじゃないかとなんとなく思うのだが、そのなんとなくがなんなのかよく自分でもわからない。とか言うのは、これは書いておいたおいたほうがいいんじゃないかという気分もあるからだ。なぜ書くのかというのははっきりとはしないのだが。まあ、うだうだした前口上を述べたのも口ごもりの修辞ではある。
 そこに神社が建つだろう、と思うのである。実はずっと思っている。これだけ書いてぴんとくる人がいるだろうか? いたらそれはそれで怖いんだけど。
 そこがどこかというと、多摩川の河川敷である。川崎市中1男子生徒殺害事件である。すでに一つエントリーは書いた(参照)。
 今日が事件三か月後になる。現場はどうなっているかというと、今も花を手向けに来る人が絶えないらしい。朝日新聞「絶えぬ献花 川崎中1殺害」(参照)より。


 ボランティアが置いたバケツ三つにあふれるほどの生花。上村さんが好きだったバスケットのボールは、20個を超える。月命日の20日は、朝早くから花を手にした人がやってきた。
 「彼の死を無駄にしてはいけない。ちょっとした働きかけで、結果を変えることはできる」。埼玉県所沢市から訪れた新井近之さん(56)と妻の恵美さん(52)はそう言って静かに手を合わせた。

 その所沢のご夫婦の思いがじんとくる。年が近いせいもあるかもしれない。私もぼんやりしていると、花を手向けに行くかと考えていることがある。行ってない。無神論者である私は霊も死後の世界も信じていない。いや、そういうことではないなと思う。感じる。そのもやっとした気持ちの行方がどうも落ち着かない。
 そして、これはいつかそこに神社を建てるしかないんじゃないか、という奇妙な想念に捕らわれている。言うまでもないが、私は神道は信じない。初詣とかは行くが、祈りとかはしない。まあ、言い訳みたいな話はもういいだろう。なんとなく、この無意識を突き動かす変な気持ちはなんだろうと、前回エントリーを書いたあとも思っていた。
 ああ、これは神社が建つんだろうな、とダメ推しみたいにことさら強く思えたのには、きっかけがある。18日のNHKニュースである。「少年法の対象年齢引き下げ 今国会で方向性を」(参照)より。一見、意味不明なニュースに見える。

 自民党の成人年齢に関する特命委員会は、川崎市の河川敷で中学1年の男子生徒が殺害された事件の現場を視察し、今津委員長は、少年法の保護の対象を18歳未満に引き下げることも含めて検討し、今の国会の会期中に一定の方向性を出したいという考えを示しました。
 自民党の成人年齢に関する特命委員会は、選挙権年齢を18歳以上に引き下げる公職選挙法の改正案が今の国会に提出されたことを受け、成人年齢を20歳以上と定めている民法や、20歳未満を保護の対象としている少年法などの見直しを検討しています。
18日は特命委員会の今津委員長ら8人が、ことし2月、川崎市の河川敷で中学1年の男子生徒が殺害された事件の現場を視察し、警察の担当者から説明を受けたあと花を供えて全員で黙とうしました。
 視察のあと今津氏は記者団に対し、「刑罰を厳しくすれば犯罪がなくなるという実証は必ずしもなされてはいないが、悲惨な少年事件が連日起きていることは間違いなく、放置することはできない」と述べました。
 そのうえで今津氏は、少年法の見直しについて、「何らかの形で、きちんと手を打たなければならず、できるだけ早く結論を得たい」と述べ、保護の対象を18歳未満に引き下げることも含めて検討し、今の国会の会期中に一定の方向性を出したいという考えを示しました。

 ニュースを見ながら、あれだ、寄生獣で田村玲子の頭が割れて空っぽだよんというシーンがあるが、そんな感じがした。これは、いったい、なんのニュースなんだ?!
 表面的には、自民党の成人年齢に関する特命委員会が少年法の見直しを考えているがその際、最近の凶悪な少年犯罪について警察からレクチャーを受け、レクチャーだけではわからない点があるので、現場視察をし、合わせて、死者の霊を弔った、という話になっている。
 でも、実際はというかその心理は、殺害された中1男子生徒の鎮魂であり、その鎮魂なくして少年法を見直したら、祟られる、みたいな話だろうなと、私は思った。まあ、私の思い込みというテンプレ批判は了解の上なのでご勘弁。そんな奇妙なことを思ったのは、冷静に考えれば、少年法の見直しと、犯罪現場での献花には繋がりがないからだ。私がこの一団だったら、学校や関係者の話の場に出ていくだろうと思う。ただし、そうした場に出たあと、現場に献花せずに済むとも思えない。詣出するだろう。
 この話、社は建っていないけど、すでに神社化しているよなあ、とも思ったのである。
 繰り返すけど、妄想だと言われてもいいが、そういう奇妙な心性を感じてやまないので、いちおう書いて起きますよ。ということ。
 神道がなんだかわからないし、国家神道と結合してからはさらに意味不明ではあるんだが、それでも、日本民衆の神社というのは、すべてがとは言わないが、つまり御利益信仰とかもあるだろうから、でも、少なからず、こうした鎮魂で建ったのではないかな。
 というか、率直に言えば、自分は古代日本人の心性に向き合っているような奇妙な感じがしている。
 該当の教育委員会はすでに公式に最終報告書案を了承している。毎日新聞「川崎・中1殺害:市教委臨時会、最終報告書案を了承」(参照)より。

川崎市川崎区の多摩川河川敷で同区の中学1年、(中略)殺害された事件で、川崎市教委は18日の臨時会で、検証委員会の最終報告書案を了承した。上村さんが1月以降、学校を欠席し続けたにもかかわらず、交友関係などを十分に把握できなかったことが事件を防げなかった大きな要因と総括した。


 報告書案は61ページに及んだが、公開されたのは「プライバシーに配慮する」との理由で27ページ分にとどまった。渡辺直美教育長は「(この公表内容で)市民の理解を得るのは難しい面もあるが、被害者への配慮が必要だった」と説明した。

 この報道では、最終報告書の大半が公開されてないことで、市民の了解が得られるかと懸念しているが、おそらく市民の了解というのは、もっと宗教的な感情のほうではないだろうか。
 まあ、さすがにべたに神社が建つということはないだろうとは思うが。
 
 

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2015.05.19

駅名をなぜハングルで表示するのだろうか

 新宿を歩いていてふと「西武新宿駅」という表記に目が止まった。我知らずという感じである。この時の意識が自分でも不思議なのだが、なぜその表記を見ているのか、理解していない。自分がなぜ?と改めて思ってから我に返る。そこにあるハングル表示が気になっていたことに気がつく。「세이부신주쿠역」
 それが「西武新宿駅」の表記であることはわかる。口を突いて読んでみる。「セイブシンジュクヨ」。たしかに。最後の「역」は韓国語の「駅」を意味する言葉で、音の響きからわかるように、元は漢字の「駅」である。
 というところで、はぁ?と変な気持ちになった。その時の意識もよく思い出せないが、口をついて今度は中国語で読んでいた。「シーウーシンスーイー(Xīwǔ xīnsù yì)」最後の「駅」は、日本語では「站」だから、「シーウーシンスーチャン(xīwǔ xīnsù zhàn)」のほうがいいだろうか。
 中国語はいい。漢字を読めばいい。ときおり読みの異なる漢字もある。もっとも「西武新宿」は中国語ではたぶん意味をなしていない。

cover
三省堂五十音引き
漢和辞典 第二版
 そしてそこで、あれ?と思った。意味が不明でも漢字の表記だから、韓国語でも漢字に対応したハングルで読むべきなのではないか。そもそもハングルは漢字の転写のための仕組みである。とすると……と考え込んでしまった。どうなるのだろうか。すぐにはわからない。というか当然わからない。あとで調べてみるかなと思った。三省堂の『五十音引き漢和辞典』を使うとわかるからである。
 調べてみると、「서무신숙역」になるはずだ。これをハングルで読むと「ソムシンスッキョ」となる。その時は字引がなくて正確にはわからなかったが、かなり違うだろうなとは思っていた。
 次に思ったのは、日本語の地名をハングルで書くのなら、元の漢字を大切にして、ハングルに対応して書いたほうがよいのではないか、ということだった。現行の「세이부신주쿠역」ではなく「서무신숙역」のほうがよいのではないか。
 いや、と即座に思った。それだと韓国人に「西武新宿駅」という駅名がわかったことにならないかもしれない。現代の韓国人の大半は、ハングルからその本字とも言える漢字は想起できないだろう。
 ちなみに、「서무신숙역」という表記を見たとき、現代の韓国人は何を連想するのだろう。「서무」は「庶務」の意味があるので、「庶務新宿駅」のような連想をするのだろうか?
 さて、自分は何を考えているんだろうか。しばし呆然としてから、ようするに、日本の駅名のハングル表記は基本的には、日本語の音をハングルで仮名書きしているだけなのだろうという考えに至る。
 なるほど漢字を失ってしまえば、朴正煕(ぼくせいき)、金日成(きんにっせい)、李承晩(りしょうばん)が消えてしまうのは、しかたない。朴槿恵についても「ぼくきんけい」と読める日本人は少ない。
 朴槿恵はハングルだと「박근혜」なので、「パクネー」になる。と、今、気がつく。よく見かける「パク・クネ」ではないな、音価は。
 韓国式ローマ字表記にすると「bag geunhye」になる。「パクネー」である。しかし姓ということで「パク」で切らざるをえないから、「クネ」の「ク」がまた出てくるのだろう。だが、それを言うなら、朝鮮人名も中国人名のように漢字ごとに切るのだから、「パク・クンヘ」がよいだろう。ああ、そういう表記もあったなあ。あれ、いつから「クンヘ」から「クネ」になったのだろうか。
 ちょっとまて。朴正煕は日本では「ぼくせいき」から「パク・チョンヒ」になったはずだが、「박정희」(bag jeonghui)だと「パクチョンイ」ではないのか。このあたりどうなっているんだろう。そういえば、金賢姫は「김현희」(gim hyeonhui)で「キム・ヒョンヒ」だった。「パク・クネ」なら「キム・ヨンイ」ではないのか。しかし、李恩恵は「리은혜」(li eunhye)だが、「パク・クネ」風に「リ・ウネ」になっている。どういう規則なのだろうか。ちなみに李承晩が「이승만」で姓が「리」ではないのは、李恩恵は北朝鮮の人という含みなのだろう。
 要するになんだかんだ言っても音価主義ということではあるのだろう。その上で何らかの表記指針が存在しないと混乱する。日本での韓国語表記はどうも混乱しているようにしか見えない。
 韓国側ではさすがに指針があるだろうと、探すと、すぐに見つる。ウィキペディアにまとまっているのが簡易にわかりやすい。「日本語のハングル表記」(参照)である。
 これを眺めると、「西武新宿」が日本語の「セイブシンジュク」で、それにハングルを対応させて「세이부신주쿠」となっていることがわかる。
 この日本語のハングル表記法なのだが、一見簡単そうで、日本人にはわかりにくい。たとえば、「カキ」だが、「カ」は「가」、「キ」は「기」だが、 二字目の「キ」は母音に挟まるので「키」になる。つまり「カキ」は「가키」になる。この表に説明はないが、「가(カ)」と「기(キ)」だからといって「가기」と書くと、発音は「カギ」になる。韓国語には有声軟口蓋破裂音が子音組織としてはないが音環境で音として現れる。それをさけるために、無声有気音が初声の「키」を使う。
 そこで最初の沈黙にまた戻る。なんでハングルで「세이부신주쿠역」と書いているのだろうか? ローマ字で事足りるということはないのだろうか。ハングル表記が音価の転写でしかないなら、ローマ字でいいはずである。
 考える。合理的な結論は、この条件だけに絞ればだが、韓国人はローマ字が読めないからだろう。少なくとも、日本を訪問する韓国人の多数はローマ字が読めないと考えてよさそうだ。しかし、そんなことがあるのだろうか?
 ざっとネットを眺めてみる。同じような疑問を持つ人はいるに違いないだろうから。そして、「そんなことはない」「韓国人は普通にローマ字が読める」といった情報を得る。
 だが、と。思う。私は大学生のころ知ったのだが、普通の米人はローマ字が読めないのである。いや単純なことだ。「竹」を「take」と書いても、「タケ」とは読まない。「物の哀れ」に至っては、「Monono Aware」になる、米人は、「モノウノゥ、アウェア」とか言う。
 似たような現象が韓国人に起こるのではないか。おそらく大変の韓国人は英語を学習しているからローマ字母は読めるはずだし、子音と母音も理解しているだろう。だが、「Seibu-Shinjuku Station」という字面を見たとき、それをどう理解するか? おそらく、ハングルに転写して意識するだろう。すると、「Seibu」は普通なら二文字のハングルと意識されるだろうから、「※부」となるだろうが、ハングルの中声には「ei」が存在しない。自然に、「Se・i・bu」と三文字のハングルに分解されるだろうか。そのあたりで、おそらく日本風ローマ字はハングルとしては読みづらいだろうことが予想される。ハングル表示があったほうが韓国人にはわかりやすそうだ。
 とはいえ、そもそもハングルには日本語の音引きはない。「東京」は「도쿄」(dokyo)になる。音価は「ドキャオ」に近い。「大阪」は「오사카」で、音価は「オッサカ」に近い。しかし、それを言えば、「西武新宿駅」も実際の日本語の音価は「セーブシンジュクエキ」である。なので「세부신주쿠역」でもよさそうだが、それだと「세부」がフィリピンの「セブ」や、「세부데이터집합」のような「詳細」の意味に重なる。
 おそらく、日本語の固有名詞をハングルに音転写するときには、できるだけ同義語を避けるという隠されたルールはありそうに思える。
 
 

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2015.05.18

大阪都構想住民投票否決について

 大阪都構想については、ブログで語ってこなかった。ツイッターでもほとんど語らなかった。理由は三つある。一つは、基本的にこれは大阪という地域住民の問題で、その視点からの問題意識が自分には持てないことだ。別の言い方をすれば、では日本国民として東京都民としてどう考えればいいかという課題には変奏できる。それはあとで触れる。
 二つ目は、橋下徹氏にまつわる議論に関わりたくないからであった。彼の公開された考え方については、それが話題になるごとに、共感する点もあり反対する点もある。今回の大阪都構想自体について言えば、方向性は正しいと思う。だが端的に言ってネットではアンチ橋下徹が多すぎて、そうした是々非々の議論をしても是の部分だけで橋下シンパ認定を受けて嫌がらせをいっぱい受ける。それははっきり言ってうざったい。ブログについて批判は受け止めるのだが、毎度毎度強迫めいたコメントを読まされるのは、もううんざりしている。
 三つ目は、今回の住民投票の結果が読めなかったこと。後出しジャンケンのようだが、どっちかといえば否決されるだろうとは思っていたので、否決の結果が出て違和感もない。また、橋下氏がこれを機会に大阪市長の任期後に政治から引退するのもさほど違和感はない。そういう人だろうなと思う。ただ、予想段階で可決の線もあるなあとは見ていた。これが東京都知事選であれば、石原候補や猪瀬候補にどれだけメディアやネットでネガティブキャンペーンがあっても、生活空間で都民の動向を知っている自分としては、開票とともに決定することはわかっていた。そうした感覚が私は大阪についてはまったくもっていない。地方について、私が感じ取れるのは関東地方と、祖先の長野県と、八年暮らした沖縄くらいである。
 結果はしかし、少し驚いた。こんなにも僅差になるとは思っていなかったからである。これでは読めないなと納得した。このことは同時に、今回の否決は、僅差という視点以外からは読み解けないだろういうことだ。大阪市のなかに、都構想について賛否が拮抗しているということは明らかである。
 では当然、どのように対立しているかということに関心が向く。誰もそうだと言っていい。その期待に合わせて、ネットでは早々に解釈が飛びかう。いわく、すでに大阪市には地域的分断がある、年代的な差がある、男女差がある、などいったものである。是か非かで色分けすればそうした差は「見える化」できるし、実際色分け図なども流れてくるのだが、二値の色分けではなく段階的な数値で見れば、大阪市のなかで都構想について顕著な地域差というものは見られない。年代的には差はでるが、そこから意味を読み取れるほど顕著でもない。結局、対立は地域全体に均質的に存在していたとしか言えない。安易な解釈ができない難しい結果だった。
 ちょっと視点を変えて、ではどうすれば僅差でなかったかと考えると、橋下氏のアクの強さがマイナスに働いただろうという印象はあるので、可決に向けてならそこに改善の余地はあっただろう。この点について数値化はされていないが、この間、メディアやネットを見ていても、NHKニュースでの該当インタビューなどを見ても、そのことはうかがわれた。もっとも、彼はそのアクの強さが魅力だったのではないかという意見もあるだろう。私はそうとも思えない。橋下氏は、本来の政治家業以外のことに口を突っ込みすぎてそこで面白がって世論の炎上を招いていたようにしか見えない。
 橋下氏の文脈はもういいだろう。ではこの結果を、日本国民として東京都民としてどう考えればいいかというテーマで考えてみたい。
 結論は、とても残念なことだと言えるだろう。なぜか。メディアでは二重行政の無駄を省くという、ネットで言うところの「新自由主義」が叩かれていることが目立ったが、この様相の根幹は政令指定都市という存在の矛盾にある。行政の無駄を省くというより、なんのための無駄を省かねばならないのか、という根の議論に至ってなかった。
 今後の日本国内の大きな課題は、少子高齢化である。あるいは諸問題はその派生である。そして変な議論が多いが、少子化自体は避けられない。問題は、そのことによる人口縮小もだが、子供が減ることで将来の労働者が減り生産力が減退し、他方、その労働者に依存しなけれならない高齢者の数が増えることだ。このことは地方と都会の双方を疲弊させる。地方は端的に自治体の衰退や消滅となるし、都会では多数の高齢者を抱え込む社会システムが用意されていない。ではどうするかといえば、都会の問題はいったん切り離したなら、地方自治体の整理統合を進めなければならない。ここで、二つの方向性が生じる。
 一つは、中核都市に近隣の弱い自治体をぶら下げることである。
 もう一つは、強い自治体を効率よく分散することである。
 今回の都構想についていえば、大阪市という巨大な自治体を分割することで少なくとも大阪府全体の整理が期待できた。が、その意味でいうなら、この路線は今後、他の地域でも無理になったということだろう。
 残された道は、中核都市に近隣の弱い自治体をぶら下げることだが、強い政令都市というのは、そこの市民としても自分たちだけが繁栄して生き延びようとしてしまう。つまり、弱い自治体をそこに上手にぶら下げるには権限と独自性が強すぎるのである。
 こうした問題をどのように政治課題として取り組むについては、それなりに学問的な手法があるので、あまりブログで踏み込んでも意味がないが、現状の日本の地方行政で言えば、県である鳥取県の人口は約57万人、島根県が約70万人、高知県が約73万人、対して、政令指定都市では、横浜市が約370万人、大阪市が約268万人、名古屋市約227万人となり、県と政令指定都市の行政規模の関係が都道府県という行政の仕組みと整合しづらい。大阪府については、約885万人だが、その30%を政令指定都市が占めている。都道府県としての本来のあり方すれば、稼ぐ地域の富を他の地域に効率よく分散する主体として県が機能しづらくなっている。
 「大阪都構想」に国民の視点で意義を見るならそういう文脈であったし、その芽がもうないのであれば、都道府県を整理統合し、政令指定都市をどうそこに組み込んで、その上で政令指定都市にある稼ぎ頭の地域や病院などのサービスをどのように地域全体に循環させるか、が問われなくてならなくなるだろう。
 しかし率直に言えば見通しては限りなく暗い。おそらく今後の実態は、住民が強い政令指定都市に向けて移住するしかなく、その結果を現状と受け止めてから国の行政が介入してくるのではないだろうか。
 
 

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2015.05.17

お金の単位の話、日本、中国、韓国


 中国語でのお金単位「元」が、日本語の「円」と同じだというのは知っていたが、韓国語の「원(ウォン)」も同じだというのは、韓国語を勉強するまで、うかつにも知らなかった。なんか盲点だったなあ。「원」の発音を聞いていて、これ「円」に似ているな、もしかして同じ?と思って対応する漢字を見ていたら「圓」があった。ああ、そうか。
 日本語の「円」の旧字体は「圓」で、中国語でも繁体字は当然同じ。簡体字だと「圆」になるが、発音は「Yuán」で、同発音「Yuán」の「元」を当てるので、中国語の通貨単位は「元」。
 韓国語の場合、音価は、れいの訓民正音の時代に、「圓」に「원」を当てたのだろう。それが李朝では、中国古代音だとされたのだろう。
 これらの「圓」が、通貨単位の呼称としてどのように伝搬したかだが、おそらく、中国語の「圓」が、普通の言語の用例として先にあったのだろう。米国ドルは英語ではまんまで「美元」とするように、ドルですら、「元」になる。つまり、「圓」は「ドル」に当ててもよいくらいの一般的な名称である。
 こうした漢字の伝搬だが、中国語を勉強していて自分なりにわかったのだが、三系統ある。

 A 中国語でそのまま日本語。日本語では音変化。
 B それぞれに分離。
 C 近代になって日本語から外来語として中国語に入る。

 Aは、「東西南北」みたいな基本語だが、これは基本、漢字一文字が多い。ところが現代中国語は、そもそも漢字一文字の名詞を嫌う傾向があるので、そもそも少ない。
 Bは、例えば「駅」だが、これは大宝律令以降の駅伝制に由来する名前で、元の「驛」の字に「馬」があるように、馬を使った伝達制度だった。これを近代日本が天皇制の連想から律令制復古の気風で鉄道に再利用しだした。ちなみに、そもそも古代において律令制を実施したのは国家は日本以に外ない。余談が長くなったが、中国では「站」が当てられている。この漢字は「兵站」からわかるように拠点の意味がある。面白いのは、韓国語の「역(yeok)」で、漢音に近く、「驛」に由来するが、その意味当てが中国語にないので、実際には日本語の外来語であろう。
 Cだが、これが非常多い。70%近くある(参照)。事実上、近代中国語は日本語の外来語で成立したと言ってもいい。さらに語彙ならず「化」「式」「的」の造語も日本語の派生と見られる。
 さて、これに韓国語(朝鮮語)を加えると、「駅」でもそうだが複雑になる。

 A 中国語でそのまま朝鮮語。朝鮮語では音変化。
 B それぞれに分離。
 C 近代になって日本語から外来語として朝鮮語に入る。
  C1 日本語の音価を保持。
  C2 日本語の音価を消すために訓民正音的中国語音価を与える。
 D 近代になって日本語から中国語に入り、朝鮮語に外来語として入る。

 「駅」の場合は、「역」でパッチムがあり、漢音的な音価が連想され、日本語の音価は維持していないかのように思える。
 ここでふと思ったのだが、訓民正音というとき、「正音」は日本語では「平安時代の漢音」を指し、呉音の排除を狙っていた。同時代的に見ると、朝鮮語にも日本の呉音的な影響があったはずだが、そのあたりはどうだろうか。さらに連想がはたらくのだが、日本の漢字の由来は百済の王仁との伝説があるが、この伝説の核の『千字文』はその名称からもわかるように呉音的な響きを残している。伝説が正しければ、百済系は呉音的な音価を維持していたはずであるし、伝説を除いても百済が呉音的な音価を保持していたことは推測される。訓民正音の音価的な原形は吏読からも新羅の系統が推測されるのだが、新羅では漢音的な音価がどの程度普及していただろうか。また李朝において漢音的な音価の系統が正統視される際、それ以前の漢字語の音価はどうだったのだろうか。
 話が大幅にそれたが、「원(ウォン)」の由来はどうだろうか。
 まず日本統治下の外来語ではないことは確実と言える。李朝の造幤機関である典圜局は1883年(高宗20年・明治16年)である。多少気になるのは、「典圜局」からわかるように、「圓(원)」ではなく「圜(환)」となっていることだ。異字であろうか。大韓帝国成立(1897年)以降は「圓(원)」となっている。
 「圜(환)」以前の朝鮮はどうかというと、日本の江戸時代と同様に「文」が使われていたようだ。「文」は中国の南北朝以来使われているので、基本的には、通貨単位としての「文」は中国・朝鮮・日本で近代まで共通だった。基本的に貨幣金属の重さの単位が維持されていたのだろう。なお、いくつか資料に当たってみたが指摘がないのだが、気になることがある。「文」は中国語では「wén」である。そこで案外「원」の由来は「文」ということはないのだろうか。
 関連する日本の「円」の由来だが、これがよくわからない。とりあえず確かなこととして言えるのは明治4年(1871年)の新貨条例だが、その以前から「円」の用例はありそうだ。いずれにせよ、年代から見ると、この明治時代初期に「円」が確立していたのことは、時期的には李朝の「典圜局」に影響を与えていた可能性はありそうだ。
 面白いのは、この新貨条例だが、条例策定に関わった大隈重信が「各国通用ノ制ニ則リ、百銭ヲ以テ一元ト定メ」(明治財政史(第11巻)通貨)として「元」を示していたことだ。日本円に先行して、中国圏での「元」の活動がうかがわれる。
 ざっとした考察で言えば、中国圏での「元」の利用があり、それが日本や朝鮮に影響して、「円」や「圓」が形成されたと見てよさそうだ。
 
 

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