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2015.05.16

平和安全法制をどう理解するか?

 昨日14日、政府は臨時閣議で「平和安全法制」関連法案を閣議決定した。これから国会で審議されることになる。同法制については、ネットなどを眺めても賛否の声がいろいろある。そうした国民の各種の声を国会での熟議に反映させることは民主主義国としてよいことだろう、と思う。
 私はこれをどう考えているのか?
 私はどういう意見を持っているのか。賛成なのか反対なのか? 率直に答えると、わからない、のである。
 しかし、いずれ可否が決まるのに、どうするのか?とさらに問われるなら、現時点で取り分け反対ではないので、結果が賛成ということになればそれでよいと考えている。
 なぜ、そんななさけないことになってしまったのだろうか? その理由をブログに書いてみたい。
 結論を先に書く。「平和安全法制」は私の理解を超えている。それはどういうことなのかというのは後で触れる。ようするに「わからない」のである。なさけないなと思うが、どうやら政府与党の自民党議員もわかっていないようなので、ほっとした。いや、冗談。ただ、与党議員がわかっていなさそうなのは確かである。朝日新聞「「平和安全法制、説明できないと言われた」麻生副総理」(参照)より。


■麻生太郎副総理
 これから国会で「平和安全法制」の審議が始まるが、みなさん方の奥さんに「この問題について全然地元で説明ができない」と言われた。誰か紹介しなさいということになったので、岩屋毅先生を予定していたら、総務会が入ってしまった。そこで、初級者向き(の岩屋氏)ではなく超上級者向きの(内閣官房副長官補の)兼原信克氏に説明に行ってもらったら「全然わからなかった」と。なかなか難しいものだ。有権者、後援会の方々に丁寧に説明していただけるよう努力していただきたい。(派閥の会合のあいさつで)

 結果、与党議員はわかったのだろうか? たぶん、わかっていないだろう。
 この問題の要点は、そもそも、「平和安全法制」について「わかる」ということはどういうことなのか?という問題でもあるからだ。
 もうちょっという。賛否両論の声があるが、わかったという人も、実際には、「かくかくしかじかとして、わかった」ということなのだろう。
 例えば、「日本の防衛や世界貢献のために必要だと、わかった」とか、「これで日本が戦争ができる国になったし、若者が徴兵されると、わかった」とかである。
 つまり、「かくかくしかじかとして」についてどのような信憑を持つかということが、現実の「かくかくしかじか」の声の実態だろう。
 ところが私は、そういうのが、いやなのである。
 私は、原典を読んで自分のあたまで考えて、おなかの底でずどーんと理解しないと、わかったとは言えないという種類の人間なのである。もっともすべての分野においてそうかというとそうでもないが、例えば若い頃、キリスト教というのに向き合ったときは、しかたないなと聖書をギリシア語で読み始めることから始めたものだった。
 では具体的に、「平和安全法制」の原典を読んでみようではないか?
 どこにあるのだろうか? そもそもあるのか?
 あるのである。これ(参照・PDF)。緩い字詰めの縦書きなので、新書で50頁くらいのものだろう。そう考えると大した量ではない。読めばわかるけど、無味乾燥。

第一条自衛隊法(昭和二十九年法律第百六十五号)の一部を次のように改正する。
第二条第五項中「第九十四条の六第三号」を「第九十四条の七第三号」に改める。
第三条第一項中「直接侵略及び間接侵略に対し」を削り、同条第二項第一号中「我が国周辺の地域における」を削る。
第二十二条第二項中「原子力災害派遣」の下に「、第八十四条の三第一項の規定による保護措置」を加える。

 どう現行法から変わったかが、これではよくわからない。困ったなと思う間もなくトンネルが、ではなく、具体的にどう変わったのかという新旧対照表があるといいなと思う。すると、ある。これ(参照・PDF)。細かい表組みになっていて、改正案と現行法の違いがわかるようになっている。みっちりした組で132頁。つまり、普通に一冊の単行本くらいの量。
 平和安全法制の賛否を納得いくまで考えるなら、この対照表をじっくり考えればいいだけである。
 で、全部読んでみた。どうか。いろいろ思うことはあった。
 例えば、新設「在外邦人等の保護措置」というのは、へええ、現行法になかったのかと思った。世間では、イスラム国の人質も救済できない安倍内閣といった批判も耳にしたが、自衛隊の法規定としてはそもそも存在してなかったわけで、するとそもそも実力で救済するというのは断念した上で、安倍内閣ならなんとかできるはずだったのにという批判だった。
 他には、「合衆国」がどうたらという改正が多いだが、これはようするに「新ガイドライン」を盛り込むとこうなるということだろう。
 「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」の改正では、逆に現行法がよくこれで法律として機能していたもんだなあ、というか、成文だけでは機能しない部分をいろいろと補っていたので、それで今回法律に盛り込んだのだろうなという印象を受けた。
 「自衛官の国際連合への派遣」なども新設されていたが、現状廃棄予定になってはいるとはいえ放置されている日本への敵国条項を保持する国連に対して、日本の自衛隊が合法的に派遣できれば、敵国条項の無効化が明確になってよいのではないか。
 総じて国連派兵については、かつて小沢一郎が述べたように、自衛隊とは別立ての国連支援軍があってもよいかと思うが、現実的には難しい。ので、こうした改正でもよいのではないかと読んで思った。
 「周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律」については、「周辺事態」という概念自体の変更もあり、興味深いものだったが、現行法も基本的に日米安全保障条約の主旨から展開されているため、「新ガイドライン」に準じればこういう改正になるのだろうと理解した。別の言い方をすればそれが日本国憲法に反するとすれば、そもそもの日米安全保障条約の問題に帰するわけで、平和安全法制特有の変更とは思えなかった。
 「武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律」については、具体的に日本を攻撃する可能性をちらつかせる隣国や、領土争いに軍をちらつかせる隣国がいる現状、隣国さんに日本の意思を伝える上でも、具体的な細分化が必要であり、細分化するとこういうことになっちゃうんだろうと思った。例えば以下の新設は、つまり現行法になかったんだと感慨深かった。

我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃であって、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険があるもの(以下「存立危機武力攻撃」という。)を排除するために必要な自衛隊が実施する武力の行使、部隊等の展開その他の行動

 その他、詳細を見ていくと、こうした改正が日本国憲法を逸脱しているかは気になるが、やはりそもそも日米安全保障条約が前提にあるとこういう実体的な諸法は必要になってしまうだろうという印象をもった。別の言い方をすれば、平和安全法制を改正するなら、根幹の日米安全保障条約をどうにかしないと、どうにもならない。
 しかし、日本国憲法というのは日本が米国を主導とする連合国の支配下でいわば、暫定法として成立した経緯もあり、日本の独立が実質この日米安全保障条約と自衛隊の設立を前提にした経緯からすると、平和安全法制をどうするかという次元ではどうにもならないような諦念がある。もっとも、かつての日米安全保障条約はフィリピン以北の極東地域の含みがあり、米国の安全保障状態の変更をそのまま日本国が受けちゃったなあとは思う。
 さてそれで、結局、どうなのか? 平和安全法制がわかったのか?
 わからないのである。困った。
 自分の考えとしては、繰り返すが、日米安全保障条約がある以上こうなるだろうなというくらいの理解しかできない。否定面でいうと、これが危険な法制度だという自信もまったく持てない。
 ただし、国際社会の平和と安全のための活動という側面については、これまで実質特別法でやってきたものを広義に一般化したものと理解できる。そもそもそういう役割を国際世界から日本が求められる事態が先行したのに、日本国内の法整備が不十分だったということなので、一般的な法制化は世界の変化に準じたものだとは言えるだろうということだ。
 まあ、みなさんも原文を読まれるといい。その上でこそ、いろいろ議論があればよいと思う。
 でも、たぶん、残念ながら、私のような感想に陥るのではないか。
 関連して、山本一郎さんが「しれべえ」でNHKの世論調査を引いて(参照)こう書いていたのが気になった。

で、最後にこんな内容があります。
「安倍内閣が進めている安全保障法制の整備の内容を、どの程度理解しているか尋ねた」
えっ。ある程度理解しているから、上記質問に対して国民は聞かれたことに回答しているんじゃなかったの。


お前ら、分かってねーのかよ!!
途中までふむふむと読み進めていた私は危うく椅子から落っこちそうになりました。知らないのに評価するとか、分からないけど日米安保反対などと、なんとなくな感じの空気で回答しちゃっていいものなんでしょうか。

 それも道理だなと思うけど、今回実際に、平和安全法制の全容を全部読んでみたけど、私もまた、「お前ら、分かってねーのかよ!!」の部類であることは確かである。
 というか、日本国の安全保障と平和国際貢献がどうあるべきかという全体指針があって、そのなかで今回の法制がどういう意味を持つのかという国民的な合意が必要になるだろう。
 わかるということは、むしろ、そうした全体指針への合意なのだろう。
 では、そこがあるのか?と問われると、なんと、私はそれもわからないのである。
 そして思うのだが、今回の法制のプロセスを見ていると、「そこをわかれ」というのは日本国民には無理だけど、日本国民を守るためには、こうするしかねーじゃん、みたいにお仕事をする機構が、きっちりお仕事したのではないかという印象を持った。やたらと微に入り細に入りという改正だったし。
 それと先の山本氏だが、こうも言っていた。

分かってなくても判断を強いられてしまう、この社会の仕組みというものは、果たして私たちにとって本当に過ごしやすいものなのでしょうか。

 ということに困ったなと思う。だが、他の分野でも、例えば金融でも医療・福祉でも、実際の法制の詳細になると理解できるだろうか。無理だね、という領域は発生してしまう。
 どうするのか。そうなると、それでも多様な意見に耳を傾けつつ、「こうするしかねーじゃん機構」がきちんと民主主義の制度のなかで動いているか、つまり手続きの正さをまず見つめていこうと思う。
 
 

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2015.05.12

枕詞について

 昨日、ぬるい風呂に入ってぼんやり吏読について考えながら、ブログに書いた話は、おそらくあまり理解はされないだろうな。もう少しわかりやすく書くべきだったかな。でも、それで読まれるというわけでもないから、あれでもいいか、とかかんとか思いながら風呂から上がったとき、あっ、εὕρηκα!、と思った。ほんの瞬時。何十年来の枕詞についての謎が解けたのである。
 次の瞬間、しかしなあ、それを証明することはできないなあと思い、ちょっと、ぼうっとした。それから寝入りばな、つらつら考えて、まあ、概ね正しいだろうが、その研究やってもなんの成果もでないだろう、というあたりで眠りに落ちた。夢で特に発見があったわけでもなかった。つまらない話であるが、ブログとかに書いておく。
 枕詞とは何か。比喩的な用例も多くなったから、基本的な意味確認をかねて、大辞泉から引いておく。


1 昔の歌文、特に和歌に用いられる修辞法の一。一定の語句に冠してこれを修飾し、または語調を整える言葉。普通は5音、まれに3音・4音などのものもある。「あしひきの」「たらちねの」「ひさかたの」など。冠辞。
2 前置きの言葉。
3 寝物語。枕物語。
「二つならべて―ぢゃ」〈西鶴大矢数〉

 ここでいう枕詞は元の1の意味である。マイペディアではこう。

主として古代の和歌に用いられた修辞法の一種で,主想と直接には意味的連関をもたず,習慣的・固定的に特定の語句に冠してこれを修飾し,句調を整える役割を果たす語。多く5音節からなる。ひさかたの(光),あしびきの(山),飛ぶ鳥の(飛鳥(アスカ))など。・

 間違いはないが、これの何が謎かというと、二つある。

 (1)枕詞そのものの意味がわからない、
 (2)なぜそれが枕詞として機能しているのかわからない、

 ということである。
 例えば、「たらちねの」のは、「母」にかかる。「修飾」している。が、「たらちね」とは何かわからない。なぜそれが「母」にかかるかもわからない。わからないものというのは変なもので、しかもそれが詩歌の伝統技法となると、わかんないからなんだか尊重すべきものに変わる。新たな意味も求められる。そこで万葉仮名の「垂乳根乃」の字面から「垂れた乳のあるのは母親」ということになり、さらには修飾対象は「親」でもいいことになる。
 「ひさかたの」は「光」にかかることがある。「日射す方の」とか考えられたからでもある。万葉集では「久方之」ともある。「久しい」から「永遠の」の意味合いもある。元は「天」「雨」などにかかった。
 まあ、なんだかわからないのである。だが、使うと詩歌として厳かになるから使っている。明治時代になっても斎藤茂吉なんかも「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」とか使っている。
 というわけで、枕詞については、なんだかわからない。
 ということは、実は、一つわかったことになる。つまり、枕詞の大原則その1。

 (1) それがなんだかもう誰もわからない

 である。
 この原則から導かれる小則は、「わからなくなった時代背景があるに違いない」ということだ。
 もう一つ大原則がわかる。

 (2) それは詩歌の伝統のなかで生き延びている、

 ということ。あるいは宗教的な厳かな表現である。別の言い方をすれば、それによって修飾される言葉を、おごそかなものにする、ということだ。「Darth Vader(ダースヴェーダ)」に「Sir Lord」が付くようなものである。さらに別の言い方をすれば、尊称的な情感の修辞として変わった、ということであり、原則1の「意味不明」とも関連している。
 そしてもう一つ、おそらく大原則と言ってよいだろうことがある。弁別性である。それが付いているということは、それが付いてないものと弁別しているはずだ、ということだ。

 (3) かつては弁別機能を担っていた

 実はここまでは、もう40年くらい前に考えていた。特に原則3が重要だと思っていた。加えて、私は小学生のときにアマチュア無線免許を取ったことから、通話表のことを連想していた。通話表というのは、無線で通信文の聞き間違いを防ぐためにの明示規則である。例えば、「ア」は「朝日新聞のア」である。いや、「朝日のア」。「イロハのイ」「名古屋のナ」「沼津のヌ」というやつである。元は英文である。「Alpha A」「Bravo B」「Yankee Y」など。
 つまり、「たらたちねのハハ」があるということは、「そうでないのハハ」があったのだろうと考えるわけである。これが通話表のように一文字を表しているなら、話は簡単だが、どうもそうではない。謎が二つ増える。

 (1) かかっているものがよくわからない
 (2) そうではないものって何だ?

 特に、「そうでないもの」ってなんだろと40年考えていたのだが、昨晩、εὕρηκα!と思ったのは、これは一種の吏読ではないかということだった。吏読規則のようなものだろう。
 ある対象に二つ以上の呼称が生じるという状況が発生したため、その弁別コードが必要になるという国家的な現象が生じたことが、日本の古代にあったのだろう?
 連想して思ったのは、当時の朝鮮語である。
 日本語の起源が朝鮮語だとかいう愉快な話がしたいわけではないので、ご安心を。もっと生臭い話である。
 そこですぐに頭に浮かんだのは金春秋である。新羅・第29代・王・武烈王でもある。在位は654-661年。彼は若い頃、日本に人質になって日本に連れられた。
 余談めくが、というあたりの確認を兼ねてネットを調べたらウィッキペディアが引っかかったので読んでみたら、あれれ?、金春秋が日本に人質になった話が書かれていない(参照)。なんなんだこれ? 旧唐書と新唐書を引くのはいいとして、8世紀の日本書紀をすっとばして12世紀の三国史記が書かれいるのだが、日本書紀のほうが遙かに古くしかも国家編纂で信憑性が高いのだが、どういうことなんだろう? 他も見て回ったが、あまりこの話が書かれていない。
 書紀では大化3年(647)年にこうある。


新羅遣上臣大阿飡金春秋等。送博士小徳高向黒麻呂。小山中中臣連押熊。来、献孔雀一隻。鸚鵡一隻。仍以春秋為質。春秋美姿顔善談咲。

 「以春秋為質」というのは、日本の人質になったということである。
 他に、百済の最後の王・義慈王の王子・扶余豊璋も人質として舒明天皇3年(631年)に来日している。また、皇極元年(642年)には義慈王の子と見られる翹岐も日本に亡命している。
 人質といっても王族として日本の宮廷に迎入れられ厚遇されているし、なにより一人やってきたわけもなく、お世話の係りもいるだろうし、それを取り巻く、新羅系の人々や百済系の人々も日本の宮廷に関係していたはずである。
 当然、新羅や百済の言語が、日本の当時の宮廷に入っていたはずで、しかも、日本語を含めこれらの言語の文法骨格は同一だから、事実上、吏読のような手法で会話されていたと考えてよいだろう。別の言い方をすれば、中国語が使われていたわけでもなく、日本語が使われていたわけでもない。
 状況的に見れば、通話表の必要からすれば、新羅語・百済語かという連想も働く。連想としては、つい現代韓国語の「우리나라(ウリナラ)」の「나라(ナラ)」や、安宿(안숙)でアスカなどに及ぶ。나라じゃないナラが「あおよによしナラ」、안숙じゃないアスカが「とぶとりのアスカ」ということである。もっともこの方式で包括的に説明できるわけではない。
 それでも、吏読の仕組みが当時の日本の宮廷にあり、そこで中国語文や、新羅語・百済語が翻訳されていた状況はあるだろうし、その吏読を補助する語彙の仕組みの一部として現在言うところの枕詞が残ったのだろう。
 おそらく、宣命文などを見ると、吏読による骨格ではめ込まれているのは、むしろポリネシア系のやまとことばなので、枕詞の原形は、古代朝鮮語の翻案コードというより、古代日本語を王権の言語に取り入れる仕組みだったのではないかと思う。
 もうちょっと言えば、むしろ日本の王家は新羅語・百済語に近い状態だったのではないだろうか。それが百済が滅亡し、日本が新羅・唐に敗北することで、半島や大陸から切り離されて、原形のナショナリズムとして日本語が形成されたのではないのだろうか。枕詞はその残滓ではないか。
 というのが、ほんの瞬時に頭に浮かんだのだった。
 
 

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2015.05.11

訓民正音を巡って その3 吏読と宣命体

 世宗が訓民正音を公布した理由については、曖昧ではあるが前回、前々回に触れたが、そこで触れなかったもう一つの側面、つまり、書記系の「創案」ではなく、「改良」の観点に立つと、吏読(吏讀)が注目される。
 「訓民正音」の原文ではそのことが考慮されていたし、「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」は吏読の維持を求めていた。
 原典だが「訓民正音」の鄭麟趾序では吏読(吏讀)はこう触れられている。


吾東方禮樂文章侔擬華夏。但方言俚語、不與之同。學書者患其旨趣之難暁、治獄者病其曲折之難通。昔新羅薛聡、始作吏讀、官府民間、至今行之。然皆假字而用、或澁或窒。非但鄙陋無稽而已、至於言語之間、則不能達其萬一焉。

 下して、「昔、新羅薛聡、始めて吏讀を作り、官府民間、今に至り之を行う」ということで、新羅の薛聡が吏読を創案したとしている。
 吏読とは何かだが、ここには書かれていない。「崔萬理等・諺文創制反對・上疏文」ではこうある。

新羅薛聰吏讀、雖爲鄙俚、然皆借中國通行之字、施於語助、與文字元不相離。

 吏読は、「皆、中國通行の字を借り」とあるように、漢字を表音記号のデバイスとして使うシステムである。具体的にどのようなものかという例は、訓民正音にも上疏文にもない。
 解説の補足として大辞泉を見るとこうある。

古代朝鮮で、漢字の音・訓を借りて、朝鮮語の助詞・助動詞などを書き表すのに用いた表記法。新羅(しらぎ)時代から行われ、ハングルが制定されたのちは官吏の間でだけ用いられたので、この名がある。りとう。

 日本大百科全書(ニッポニカ)はもう少し詳しい。

吏吐、吏道、吏書ともいう。新羅(しらぎ)時代に成立した漢字による朝鮮語の表記法で、漢字を朝鮮語のシンタックスにより配列し、助詞、助動詞などの文法要素を漢字の音・訓を借りて表したもの。日本の「宣命体(せんみょうたい)」に似ている。新羅時代の吏読文は瑞鳳塚(ずいほうづか)銀合う(451推定)の器物銘、「南山新城碑」(591)などの金石文や正倉院所蔵の「新羅(しらぎ)帳籍」がある。なお、薛聡(せっそう)が吏読をつくったとする伝説は、その発生が薛聡以前であるので信じがたい。高麗(こうらい)時代・李(り)朝時代を通じて、吏読は主として胥吏(しょり)たちが公文書や契約文書などを書く場合に用いられた。18世紀なかばに胥吏用の吏読文の手引書として『儒胥必知(じゅしょひっち)』が刊行されており、その巻末に吏読のハングル読みが付されている。一方、訓民正音創製以前に、吏読は漢文で書かれた実務書の翻訳にも使用された。『大明律(だいみんりつ)直解』(1395)と『養蠶経験(ようさんけいけん)撮要』(1415)がそれである。
 吏読に類似した表記法に吐(と)または口訣(こうけつ)とよばれるものがある。これは漢文に文法的要素を各文節ごとに書き添えたもので、つまり漢文を読む場合の送り仮名にあたる。吐としては漢字の正字体のほか略体も多く用いた。略体の吐のなかには片仮名と同形のもの、同音同形のものがある。[梅田博之]

 いろいろと興味深い知識が書かれているが、まず気になるのはその実態だが、『大明律直解』写本(参照)はネットで見ることができるのでそれにあたると興味深い。「訓民正音」について関連して連想することは、明の法体系をどう李朝に移すかという課題が先行していたことが推測される。
 吏読自体について興味深いのは、それが新羅の薛聡に創始されたという点である。が補えば、それもまた伝説である。そうであってもまず新羅の年代と薛聡の年代をざっくり見ると、新羅が356-935年、薛聡は7世紀後半から8世紀前半頃とされている。伝説ではあるとしても、新羅中期以降の法的な書記系が吏読によっていたと見ることは妥当だろう。
 日本人として関心を持つのは、宣命体との関連である。
 これを多数含むのが『続日本紀』(延暦16年・西暦797年)である。私の勘違いでなければ、日本書紀には含まれていない。奇妙なのだが、続日本紀の宣命が発せられるのは文武即位(697年)からということで、同時代的には日本書紀の編纂時期に重なる。宣命体についての書紀と続日本紀の差違には奇妙な違和感がある。
 いずれにせよ、新羅における吏読の時期と日本での宣命体の時期はあらかた同時期であり、中国周辺国における漢字知識人の共時的な共通性と見てよいだろう。
 日本の場合は、この吏読・宣命体から音表記体系として仮名が出現する。吏読・宣命体がそのまま仮名であると言えないでもないが、機能としては漢文の補助であり、そもそもの音表記体系ではない。
 ここから余談めく。
 歴史変遷としては、まさにその順序、吏読・宣命体から仮名が出現し、これが日本書紀から続日本紀の時期に現れるのだが、この傾向に反して奇妙なのはいわゆる古事記である。
 古事記は宣命体の記法は採用されず、漢文と漢字を使った仮名である万葉仮名の奇妙な混在である。吏読・宣命体はその用例からもわかるように、官吏にこの書記系を習得させる便覧と教育システムが存在するはずで、それが書記の集団に共有される。
 逆に言えば、そうした便覧が各種文書を規定しているはずで、古事記は特殊な便覧に寄って書かれているものであるはずだ。古代の音声を引き写したわけではない。
 私はこの点からも古事記はむしろ宣命体が完成してから擬古的に創作された便覧を使って、擬古のために作られた平安時代初期ころの偽文書なのではないかと思う。
 さらに思うのは、現代の朝鮮語と日本語と比べても、文法体系が酷似しているのに、基本語彙がまったく異なるというのは、そもそも日本語が、吏読のようなシステムの便覧から逆に創作された言語なのではないかという疑念である。
 孝謙天皇宣命の

天皇 大命 良末等 大命 衆聞食 倍止 宣。

 は、「すめらみことが、おほみことらまとのりたまふおほみことをもろもろきこしめさへとのる」と音価を与えるが、小字でない部分は別の音価を当てても書記系としては問題ない。元来、吏読とはそのようなものである。
 歴史的偶然とも言えるのかもしれないが、日本という国の国家文書が出現するのは、事実上、吏読・宣命体によるのであり、そこから事実上の日本語が形成されると見ても、その範囲ではよいだろう。
 
 

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2015.05.10

訓民正音を巡って その2 崔萬理等・諺文創制反對・上疏文

 東洋文庫の『訓民正音』(趙義成訳注)(参照)には、訓民正音公布から程なく出された儒者・崔萬理等による諺文創制反對の上疏文も掲載されている。内容について概要は知っていたが、原文を読んでみると、非常に興味深い。思うことを記しておきたい。
 まず、崔萬理にとってこの「訓民正音」は「諺文」であった。つまり、「オンモン」である。


庚子。集賢殿副提學崔萬理等、上疏曰、臣等伏覩、諺文制作、至爲神妙、創物運智……

 庚子は、1445年であり、訓民正音公布の翌年。その時点で、「諺文」として認識されていたことがわかる。
 ところで当代一の儒学者が諺文制作に反対した理由だが、私などは、儒者の利権侵害のように捉えていたしそうした理解で間違っているとも思えないが、王に対する諫言としてどうかと考えると、やはり政治のコンテクストがオモテに出る。そこが儒者としては真摯に重要だったのかもしれない。

我朝自、祖宗以來、至誠事大、一遵華制。今當同文同軌之時、創作諺文有駭觀聽。黨曰、諺文皆本古字、非新字也。則字形雖倣古之篆文。用音合字、盡反於古、實無所據、若流中國、或有非議之者、豈不有愧於事大慕華。

 李朝の国是は「至誠事大、一遵華制」つまり、「大国に至誠心をもち、ただ中国一国に従う国家である」ということである。「諺文」はそれに反するというのである。「豈不有愧於事大慕華」、つまり、「大国に従い中国を慕う点で恥じることになりはしまいか」というのである。
cover
訓民正音
(東洋文庫)
 ここで興味深いのは、「則字形雖倣古之篆文」として、崔萬理は「諺文」が古之篆文によることをひとまず認めていることで、逆に言えば、彼はこの書記系がパスパ文字に由来することを知らなかったか、あるいは表現上軽視していたことを示している。さらに読み進めると、「借使諺文、自前朝有之」という表現もあり、仮定という修辞を噛ませてはいるが、公布以前に「諺文」が存在していたことも暗示されている。
 いずれにせよ、世宗を抱く「諺文」作成側の勢力に、崔萬理は対抗していた。
 日本への言及もある。

自古九州之內、風土雖異、未有因方言而別爲文字者。唯蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃之類、各有其字、是皆夷狄事耳、無足道者。傳曰、用夏變夷、未聞於夷者也。


今別作諺文、捨中國而自同於夷狄。是所謂棄蘇合之香而取螗螂之丸也。豈非文明之大累哉。

 李朝儒者としては、中華に従う他国として、蒙古・西夏・女眞・日本・西蕃を挙げ、それぞれが自国の文字を持っていることを認めている。しかしそれらは、「是皆夷狄事耳」であり、夷狄である。「豈非文明之大累哉」は、文明に反する大罪であるということだ。崔萬理がパスパ文字について知っていたかどうかは表面上はわからないが、フビライハーンが定めた書記系の普及と関係国における自国書記文化の勃興は理解していた。
 興味深いのは、当然とも言えるが、李朝ではその祖・李成桂が女眞人であるということは継承されていないどころか、夷狄として理解されていたこともこの記述で明瞭になっている。ここで少し歴史を振り返ってみる。
 Korea/Coreeの原義である高麗(王氏高麗)は、1258年にモンゴルからの侵略を受け、和州以北を失い、翌1259年に高麗を統治していた崔氏政権は打倒され、降伏。以降、高麗の王子はモンゴル皇族の婿となって元朝宮廷に人質となり、高麗王死後にモンゴル宮廷から派遣された形で継ぐことになった。事実上、高麗はモンゴルに併合されていた。なお、文永の役(1274年)と弘安の役(1281年)の時代からわかるように、日本を襲撃してきたのは、モンゴル・高麗軍である。このとき、日本がモンゴル・高麗に敗北していたら、日本は高麗の弟的な位置になっていただろう。
 時代変化は、1368年、紅巾軍の一派朱元璋が南京で大明皇帝と称したことが大きい。洪武帝である。その後モンゴルは、その植民地である現在の中国の地域での勢力を失い、現モンゴル地域に撤退。この勢力変化の影響を高麗も受け、1392年、女直人の武人・李成桂は、モンゴルの血を引く高麗王・恭譲王を廃位して、自身が高麗王となったが、洪武帝に恭順して国号を「朝鮮」と改め、太宗となる。世宗が生まれたのはこの翌年である。そして「訓民正音」が公布されたのは、世宗26年(1443年)。半世紀を経て、モンゴルと関連した高麗王朝の記憶も薄れた時代である。
 「訓民正音」自体、そうした世宗下の李朝の安定傾向と考えられそうだが、崔萬理は意外とそれに反することを述べている。

凡立事功、不貴近速、國家比來措置、皆務速成、恐非爲治之體。儻曰諺文不得已而爲之、此變易風俗之大者。
相下至百僚.

 「國家比來措置」が「訓民正音」だけでないのは、「皆務速成」とあることかわかる。むしろ、「訓民正音」は新しい政治体制の一つの象徴でもあったのだろう。「不得已而爲」というのが世宗側の改革だろう。それを崔萬理は「恐非爲治之體」というように、憲法改正はイカンといった激怒感を持っていた。
 世宗側の改革がどのようなものであったかは、上疏文の後段に裁判の便宜についての議論があることから推測される。実際上この時代、李朝の法制度が儒者の支配によっては機能しなくなった現実があったのだろう。
 このあたりの事情は、同時代の日本などを考えてもわかる。日本が元寇に対抗できたのは、武家社会が漢字を使いながらも、儒者を排した自国語的な文脈として言語を法・経済の制度として活用したことは大きい。武家諸法度などは画期的な法整備である。
 崔萬理は「諺文」の弊害についも興味深い予想をしている。

如此則數十年之後、知文字者必少、雖能以諺文而施於吏事、不知聖賢之文字、則不學墻面、昧於事理之是非、徒工於諺文、將何用哉。

 「不知聖賢之文字、則不學墻面」、漢字という聖賢の文字を使わないでいると、「不學墻面」になるという。極めて現代語でいうなら、香山リカ・精神科医師の言うところの「知性の海抜ゼロ地帯」と訳せるかもしれない(参照)。
 実際に、「諺文」の弊害なるものがあったかについては、ここでは論じる意味はないが、時代は下るが、1894年から1897年、末期・李氏朝鮮を探訪し、旅行記『朝鮮紀行』を記したイザベラ・バード(Isabella Lucy Bird)は、諺文の使用を女子供など当時無学とされた人々の書記としてみていた。
 国家的に正書法として統合されるのは、1912年、朝鮮総督府による「普通学校用諺文綴字法」が始めであろう。これらは基本的に、日本の仮名交じり文を前提としていた。
 現代の韓国における漢字の廃止は、李承晩政権下、1948年施行「ハングル専用に関する法律」によるが、罰則規定もなく、私の子供のころでも韓国の新聞は漢字で書かれていて大意を読むことができた。
 漢字の廃止は教育からということで、朴正煕政権下、1970年に漢字廃止宣言となったが、1972年には形の上では撤回された。その後は実際のところ、漢字は韓国社会から消えていった。
 が、先日大きな変化があった。「先日」ということでもないのだろうが。
 2015年5月4日、コレードチャイナより「韓国で45年ぶりに漢字が復活!小学校教科書に漢字併記へ=韓国ネット「ハングルで十分、漢字学習は非効率的」「なくすべきは漢字より日本語」」(参照)より。

 2015年4月29日、韓国・SBSニュースによると、小学校の教科書にハングルと漢字が一緒に表記されることになった。1970年の「ハングル専用政策」により教科書から消えた漢字が45年ぶりに復活することになり、韓国内で物議を醸している。
 韓国の教育部は漢字併記の理由として、社会の要求の高まりや、単語の意味の理解のしやすさ、語彙(ごい)力の向上などを挙げており、2018年から配布される小学校の教科書に漢字を「併記」するとしている。これは、文章中に漢字を混ぜて使う「混用」とは異なる。しかし、ハングルの関連団体や全国の教育監、全国教職員労働組合などからは「一方的な推進」「学生の私教育に負担を与える」など、反対意見が挙がっている。

 ということで、日本語のような漢字仮名交じり文とはならないようだが、漢字は復古するらしい。復古するのは、おそらく基本的な漢字のみだろうとは思うが、字体について、日本漢字を使うとも思えないので、簡体字か繁体字を使うことになるだろう。現状の韓国の中国寄りの傾向からすれば、簡体字となるのではないだろうか。
 漢字が普及すれば、「儒(유)」と「乳(유)」の区別が付くとは言えるだろう。「朝鮮王朝は「乳学の国」? 歴史歪曲ラノベに憂慮の声」(参照)より。

「朝鮮は乳学の国」。これは出版業界でいわゆる「ライトノベル(軽小説)」というジャンルに分類される本の中で、朝鮮王朝について説明した項目だ。この本は朝鮮王朝の根幹の学問だった「儒学」を、韓国語の発音が同じ漢字に置き換え、朝鮮王朝時代を「女性の真の美しさを追求した国」と表現したものだ。この本の主人公は領議政(議政府〈中央官庁〉で最高の官職)になったばかりの西人(朝鮮王朝中期の官職の党派)のトップ「ソン・シヨン」で、女性の豊満な胸を意味する「巨乳」と表現した。これもまた、朝鮮王朝後期の党派の一つ「老論」のトップで「巨儒(名高い儒学者)」と呼ばれた宋時烈(ソン・シヨル)をモデルにしたと考えられる。

 あるいは、漢字の知識が復古していく文化の余裕のようなものがそうした笑いの文化を形成してきているのかもしれない。
 
 

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