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2015.05.09

訓民正音を巡って

 朝鮮語(韓国語)の勉強をかねて、訓民正音のことをつらつらと考えている。かつて文字面だけを鵜呑みにして、訓民正音の意味を解していたことと比べると、実際にパッチムの音変化や、中国語学習後に漢文との対比をしてみた経過などから、なんというのか、ぐっと面白さが増してくる。

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訓民正音
(東洋文庫)
 「ああ、なるほどな」という思いがいくつかぽつぽつと心に湧いてくる。まだ、それらが一つのまとまった考えには至っていない。本来なら自分の熟慮を通すべきなのだろうが、まあ、そうでなくてもいいだろう、という思いとこうした、何か、ああ面白いものだな、という感覚はブログなどに書くのに向いているように思うので書いておきたい。
 まず、「え?」と思ったのは「訓民正音」、それ自体である。対比としてウィッキペディアを見ることにする(というか、予想通りの記述だったのだった)。いわく(参照)。

訓民正音(くんみんせいおん、훈민정음)とは、李氏朝鮮の世宗が制定した文字体系ハングルの古称、あるいはそれについて解説した書物のことをいう。ここでは主として書物のことについて説明する。文字自体についてはハングルの項を参照。

 この定義が正しいのか?ということだが、とりあえず、ウィキペディアでは、(1)李氏朝鮮の世宗が制定した文字体系ハングルの古称、(2)それについて解説した書物、となっている。とりあえず(1)の定義でよいと思われる。二解になっている理由はこの先にある。

訓民正音とは「民を教える正しい音」という意味である。世宗はそれまで使用されてきた漢字が朝鮮語とは構造が異なる中国語表記のための文字体系であるため、多くの民衆たちが学び使うことができない事実を鑑み、世宗25年(1443年[1])に朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系を古篆字体を模倣し、これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている。世宗28年(1446年)[2]に鄭麟趾らが世宗の命を受けてこの新しい文字について説明した漢文解説書を刊行したが、その本の名称が『訓民正音』である。

 間違いとは言えないだろうが、2010年刊の東洋文庫の『訓民正音』(趙義成訳注)(参照)を読んでいると、こういう注があった。

原本は冒頭の二丁が欠落しているため、もともとの表題を知ることができない。今、仮に澗松美術館所蔵の復元本に従い「訓民正音」としておく。

 というわけで、書名を「訓民正音」とするのは、澗松美術館所蔵の復元本からは「今、仮に」という以上のものではないだろう。その他の写本の評価は私にはわからないので、ウィキペディアが言うように「その本の名称」が「訓民正音」とした写本もあるかもしれない。なさそうには思えるあたりが、「え?」の意味である。もちろん、鄭麟趾序から想像しておそらくそう解してもよいだろうとは思う。
 次に、「ほぉ」と思った。これもまた「訓民正音」の原義に関わる。これもウィキペディアの先の引用から考えると面白い。

訓民正音とは「民を教える正しい音」という意味である。世宗はそれまで使用されてきた漢字が朝鮮語とは構造が異なる中国語表記のための文字体系であるため、多くの民衆たちが学び使うことができない事実を鑑み、世宗25年(1443年[1])に朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系を古篆字体を模倣し、これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている。

 ウィキペディアの編集方針からすると「これを訓民正音と呼んだと現在は解釈されている」には「要出典」と付くはずだが、ない。誰の解釈かわからないものが定説として記載されている。それが定説だからという含みなのだろうが、先の訳注の趙義成氏はこう解釈している。

 当時の朝鮮の学者は、朝鮮の漢字音が中国における本来の漢字音から離れて、朝鮮風に訛っていることを十分知っていた。その記述は『東国正韻』序にも記されている。この事実を、朝鮮の学者は漢字音の乱れと捉え、漢字音の乱れはとりもなおさず政治の乱れに直結すると考えた。その乱れを正し、あるべき理想的な人工漢字音を提示するためには、発音を的確に明示する文字が必要である。その目的に資するものとして作られたのが、まさに訓民正音であったわけである。

 つまり、訓民正音は漢字の中国語音を示すためのデバイスであって、ウィキペディアの言うような「朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系」という考え方とは著しく異なっている。
 どう考えるべきなのか。趙氏の考察は卓越している。そもそもの「正音」の字義をも明かそうしている。

 ところで、ここで言う「音」とは、実のところ、どうやら朝鮮語音ではなく漢字音のことを念頭に入れていたようである。先の鄭麟趾序の文言を見ても、楽歌とともに挙げられたものは字韻(漢字音)である。また、崔万理との応酬の中で、世宗は「若し予、其の韻書を正すに非ずんば、則ち伊れ誰かよく之を正さんや(若非予正其韻書、則伊誰正之乎。)」と言い、やはり漢字音について云々している。儒学的な動機から「音を正す」というのは、「漢字音を正す」ということであったことが、これらのことから知ることができる。

 かくして、どのように正されたかだが、先の引用にあるように「あるべき理想的な人工漢字音を提示する」ということで、訓民正音は当時の李朝の言語学的知見によって儒学的な古代中国の漢字音を擬似的に再構成したものになる。そう考えると入声がパッチムで保持されているのは、そもそも当然ということになるし、ハングルの文字の組み方が漢字に合わせているのも当然ということになる。
 別の言い方をすると、訓民正音としてのハングルは「朝鮮語固有の表記にふさわしい文字体系」として作られたわけではない。拼音とは異なっている。日本語に古代中国語の入声が残っているのとも異なることになる。
 この点について趙氏はさらに、こう述べている。

 「用字例」は個々の字母の使用法を示した章であるが、そこにはある不可解な記述が見られる。初声の用例を見ると、初声十七文字のうち「ㆆ」の用例が見えない。その一方で、初声十七字には含まれていない合成字「ㅸ」の用例が記されている。このことは「ㆆ」が当時の朝鮮語音の表示には必要ない文字であったということを意味し、また、「ㅸ」という音が当時の朝鮮語には有ったにもかかわらず、それ専用の字母が一時的に作られなかったことを意味する。現実の朝鮮語の音の体系とは食い違う訓民正音の初声十七字は、それが一義的に朝鮮語音の表示のための体系なのではなく、あるべき理想的な人工漢字音を表示するための体系であったことを物語る。

 こういう考え方でよいだろうと私も思う。であれば、現在の朝鮮語は、漢字音については「あるべき理想的な人工漢字音を表示するための体系」を元に形成された側面が大きい。この「側面」をどの程度と見るかだが、漢字起源の朝鮮語の語彙からすれば、七割がたと見てよいのではないだろうか。ただし、日常語では訓民正音とは異なる音の体系が維持されてきたのだろうし、その歴史は千年単位のスパンになるだろう。
 趙義成訳注本は非常に面白いのだが、ではそもそも訓民正音の字母の起源はというと、以下のようにしか解説されていない。

 この文字が世宗一人によって作られたのか、臣下の学者らとの共同作業によって作られたのかについては諸説あるが、文献記述から見る限りでは、世宗自身が文字制作を行った可能性が高い。

 引用はその先も趙氏は世宗の独創と推測している。が、この点については、せっかくの好著でありながら、違和感を覚えるところだ。
 鄭麟趾序の癸亥冬を見てみよう。引用にあたり話題となる「古篆」を強調しておく。

癸亥冬。我
殿下創制正音二十八字,略掲例義以示之,名曰訓民正音。象形而字倣古篆,因聲而叶七調。


癸亥冬。我が殿下正音二十八字を創制し、略々例義を掲げて以て之を示し、名づけて訓民正音と曰う。形を象りて字は古篆に倣ひ、声に因りて七調に叶ふ。

 下し文に趙氏は次のように注している。

古篆…篆書。漢字の字体の一つで、秦代に整理された字体。現行の楷書に比べ、曲線が多い。現代でも印章などによく用いられる。しかしながら訓民正音の字形について、ㄱやㄴといった形に定めたかは諸説がある。その中で、例えば姜信沆(一九八七、二〇〇七)は鄭樵『六書略』の中の「起一成文図」に現れる字形との関連性を指摘している。

 こう注しても、「崔万理等諺文反対上疏文」などを合わせて考えて誤りとも言えない。だが、主要説に数えてよい説として、コロンビア大学名誉教授ガリ・レッドヤード(Gari Ledyard)(参照)はこの古篆を『蒙古篆字』(参照)と解し、蒙古篆であるパスパ文字がハングルの起源説がある。
 モンゴル学者・岡田英弘はこの文脈ではないものの、パスパ文字が起源だとする考え方を取っている。『皇帝たちの中国』より。

一二六〇年、フビライがハーンになると、パクパに国師の称号と王印を授け、新しいモンゴル文字をつくることを命じた。パクパが作った文字は、横書きのチベット文字のアルファベットを改良して、縦書きとしたものである。フビライは、この新モンゴル文字を一二六九年に公布して、国字とした。こののちは、ハーンの詔勅のモンゴル語の本文は、この文字で書き、それに地方ごとの文字で書いた訳文を付けることになった。その功によって、パクパは帝師・大宝法王の称号を授けられ、フビライ家の支配権内の文教教団すべての最高指導者となり、パクパの実家のコン氏族は、モンゴルのチベット総督の地位を世襲することになった。
 モンゴルでは、モンゴル語をウイグル文字で書く習慣がすでに確立していたので、せっかくつくったパクパ文字はあまり普及しなかった。しかし、パクパ文字は、元朝支配下の韓半島の高麗王家に伝わり、その知識が基礎になって、高麗朝に変わった朝鮮朝の世宗王がハングル文字をつくり、それを解説した『訓民正音』という書物を一四四六年に公布したのだった。そういうわけで、フビライ・ハーンがパクパ文字をつくらせたおかげで、今の韓国語・朝鮮語があるのだといえる。

 パクパ文字がそのままハングルになったわけではないが、字形と音声の考え方、さらに時代背景から見て、重要な説だと思われる。対して、姜信沆が指摘する鄭樵起源説は、鄭樵生没年が1104年-1162年なので、ハングルのパクパ文字起源を否定する意味合いがあるのだろう。
 ハングルのパクパ文字起源説は韓国・北朝鮮で伏せられているわけでもないようだ。中央日報「「訓民正音、モンゴル‘パスパ文字’の影響受けた」…高麗大教授」(参照)より。

「訓民正音とハングルに関する国粋主義的な研究は、この文字の制定とその原理・動機の真相を糊塗してきたと言っても過言ではない」。
国語学者のチョン・クァン高麗(コリョ)大名誉教授(68)は訓民正音の‘独創性’について、国内学界の主流とは異なる見解を示した。 訓民正音は創製の過程で、モンゴルの‘パスパ文字’を参照し、その影響をかなり受けたということだ。


チョン教授は「訓民正音(1443年創製)は174年先に作られたパスパ文字から多くの影響を受けた」と主張した論文を18、19日の国際学術大会で発表する。 韓国学中央研究院が主管する「訓民正音とパスパ文字国際学術ワークショップ」でだ。
チョン教授によると、パスパ文字は▽中国の漢字音を表記するための手段▽中国の伝統的な字音36字を基本に作られた▽母音の概念を込めた喩母字7つを導入したという点で、訓民正音に影響を与えたということだ。
「これまで多くの研究者らが『訓民正音は当時の韓国語の音韻を分析し、子音と母音を抽出してここに文字を一つひとつ対応させて作った』と誤解してきた」というのがチョン教授の立場だ。 言語学で音韻分析は19世紀に初めて提起された方法だ。 これを560年前に認識したというのは‘現代的な偏見’ということだ。
チョン教授は「初声(音節の最初に出る音)に該当する中国字音の36字を、パスパ文字は重複音を除いて31字に減らし、われわれは東国正韻23字と訓民正音17字で作った」と説明した。 こうした体系は元の末期に編纂された『蒙古字韻』で確認できるということだ。

 おそらくこの考え方が通説になっていくだろうと思う。
 合わせて、いずれ、世宗の祖、李成桂が女直人(女真人)であるという考え(参照)も通説になっていくのではないかと思う。
 
 

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2015.05.07

韓国語の勉強を始めた

 今年に入ってから新しい言語としてはロシア語をやっていた。教材はミシェル・トーマスのもので、初級と中級をとりあえず理解できたな、という程度までやって、後は語彙をそれなりに増やそうと、語彙の教材を始めた。が、これが意外なほど難しい。簡単に感じられないのは初級と中級の部分が曖昧だからではないかと反省して、復習してみた。基本的にそれで合った。ようは教材が難しく感じられるときは復習が足りない。実際のところ語彙の学習では格の学習が多く、難しいものだった。それも一通り終えた。さらに復習をすればいいのだが、ちょっと飽きた。少しロシア語から離れてもいいんじゃないか。ちょっと別の言語を囓りたくなった。そこでなんとなく思っていたのは、韓国語(朝鮮語)と現代ギリシア語とアラビア語だった。とりあえず、韓国語始めるかと、始めてみた。

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Korean I,
Comprehensive
 教材はピンズラーを使った。英語で学ぶ韓国語である。ピンズラーの韓国語教材はフェーズ2まである。というか、2までしかない。国際的にあまりニーズはないのだろう。それでもたしかユーキャンでは、そこまでの日本語で学べる教材もあったと思うが確認していない。
 韓国語を学ぶにあたって、こっそり思っていたのは、ハングル文字は覚えなくてもいいんじゃないか、あるいは、覚えるなら、韓国語の拼音として、正式に「文化観光部2000年式(Gugeoui Romaja Pyogibeop)」があるはずなんで、そっちのほうで学べばいいやと思っていた。
 学び始めて三日目でダメだとわかった。少なくとも自分ではダメだった。ピンズラー教材が暗黙に前提にしているように、言語の学習というのは音声は聞こえるとおりに学び始めればいい。むしろそのほうがいい。だが、韓国語の教材を聞いていると明らかに、音変化後の音として聞こえる。ちょっと難しい言い方になるが、音素配列は音配列とかなり違っているだろうと推測がつく。
 そもそもこの推測がつくのも、以前からなんとなく思っていたが、日本語と構造がそっくり同じだからというのがある。私は日本人なので米人と違って、韓国語がなぜこういう語順なのか、ここには主題の格助詞があるだろうとか、自然にわかってしまう。いやさすがに、韓国語と日本語は似ている。
 別の言い方をすれば、聞こえている音と、正書法で書かれているものは違うのだろうというのがわかってしまい、いらだつ。ピンズラーの教えに反するが、これはもう一気に、正書法の基礎としてハングルを覚えてしまったほうが早い。
 幸い、ピンズラーのフェーズ1の教材にはハングル(オンモン)の読み方のレッスンが別途18課あって、1課10分程度で終わる。ええい、こっちを先にやってしまえ。ということで、かなり集中的にハングルの読みだけの学習を優先した。
 実は、ハングルについてはこれまでも覚えては忘れる、というのを繰り返している。ハングルは一種のローマ字というか仮名表記だし、そもそも漢文が読めない民衆向けに、ふりがなとして出来ているので、そんなに覚えるのは難しくない。誰でも、一時間も学べば読めるようになる。ところが、一旦覚えても日常使っていないでいると忘れる。たぶん、日本人だとカタカナとの干渉みたいのがあるのではない。「가」となど、「フト」とか読みたくなってしまう。
 ちなみに、ユーチューブにいい教材があるので、これを使うと、15分くらいでハングルの読みは学習できる。

 とりあえず、ハングルが読めるようになったので、ハングルを読み返すと案の定、かなり音変化がある。もちろん、ピンズラー教材には正書法のテキストはないのだが、ある程度聞いていたら意味から正書法のテキストは再現できる。
 改めてハングルの仕組みを見る。そもそもこれは、漢字の読み仮名としてできた工夫である(「國之語音、異乎中國、與文字不相流通、故愚民有所欲言、而終不得伸其情者多矣。予爲此憫然、新制二十八字、欲使人人易習、便於日用耳。」)。
 なので、パッチム(子音字母)は入声(プラス陽声韻)に対応している。別の言い方をすれば、そもそも韓国語(朝鮮語)の音節というかモーラ単位の記法というよりも、漢字に対応させてできたものである。
 たとえば、漢数字の「八」は、普通話では「bā」で1声の母音で終わるが、日本語では「ハチ」、韓国語では「팔」。中古音では、[pat]だろうと思われる。日本語や韓国語に古代中国語の入声が残っている。
 と、こう今書いてみて、韓国語では、「팠」ではないのだなとしみじみ思う。というか、そもそも漢字音の仮名としてそうしたハングル文字は存在しない。[ptk]への対応は「ㅂㄹㄱ」になる。「tからㄹ」が規則的になっている。このあたり、訓民正音の成立は15世紀なので、李朝の儒者たちも日本の儒者同様、その時代の中国語の文化からはすでに切り離されていただろう。まあ、今後もう少し調べてみたいというか、関心が向く。
 今回、しみじみハングルに向き合って考えが変わったことがある。以前は、こんな不合理で古くさい形式の拼音を使うのは不便なので、せめて漢字ハングル混じりにすればいいのにと思っていた。
 だが例えば、「東京から来ました」というとき、仮名で「トウキョウカラキマシタ」と書くと読みづらいが、「도쿄에서 왔습니다」はそれほど読みづらいものでもない。「東京에서 왔습니다」のようが読みやすいように思うが、慣れれば変わらないと思えるようになった。
 ロシア語を学んでいて、完了体動詞・不完了体動詞、格変化とかやっていた感覚からすると、日本語と韓国語は実にそっくりだなあとしか思えない。特に、日常語のなかに尊敬が修辞ではなく文法に埋め込まれているあたりは、なんだろうという気持ちがする。それでも韓国語には女性語がないだけましかもしれないが、ロシア語だと主語が女性だと過去表現ですら性数一致が強制される。
 というわけで、今回の韓国語学習にはピンズラーの教材を使うので、とりあえず、30日間は韓国語を学ぶ。
 今日で4日目になる。意外に難しくて、途中で挫折するかもしれない。それでも今回、集中的に韓国語音声を聞き、ハングルに向き合ってみて、いろいろ思うことはあった。
 日本としてみれば、韓国語というか朝鮮語は、隣国の言葉なので、ハングルの表記法と漢字の関係くらいは義務教育で教えておけばいいのではないかとも思った。
 

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2015.05.04

オバマの戦争ことアフガニスタン戦争が現状どうなっているかというと……

 オバマの戦争ことアフガニスタン戦争は現状どうなっているのか? 報道がないわけではないが、あまり大きく取り上げられることはないように見える。なぜか。アフガニスタンでのタリバンとの戦いが収束したからだろうか。もしかしてそう思っている人がいるかもしれないので、ブログを書いてみよう。
 前ブッシュ政権時にイラク戦争の泥沼がその失態としてしこたま語られたものだった。そしてオバマ米大統領はこれを終結させると公約して登場した。が、2011年に米軍がイラクを撤退してからの惨状はついにIS(イスラム国)の登場を招いた。これにはイラクの政権に問題があったとかいう責任押しつけ論や、そもそも前ブッシュ大統領が開戦したことが原因だというそもそも論といった修辞で覆われているが、普通に考えたら、オバマ大統領の失態だろう。対処の責任者として登場したわけだし。
 そしてオバマの戦争ことアフガニスタン戦争は現状どうなっているのか。
 まず、注目すべきことはオバマ米大統領が約束した米軍の撤退がどうなったかである。転けているのである。
 関連経緯を確認しておこう。まず昨年12月初旬。12月7日WSJ「アフガン駐留米軍の撤退は中断=ヘーゲル国防長官」(参照


【カブール】ヘーゲル米国防長官は6日、国際治安支援部隊の一時的な兵員不足を補うために、追加で最大1000人の米軍兵が向こう数カ月間にわたってアフガニスタンに留まると発表した。
 ホワイトハウスは現地の米兵を今月末までに9800人に縮小すると発表していたが、アフガニスタンとの安全保障協定の承認が遅れたため、欧州の同盟国は独自に約束していた派兵水準の承認を慌てて取り付けることになった。
 アフガニスタンを訪問中のヘーゲル国防長官は、同盟国の派兵の遅れにより米国は駐留米軍が1万0800人になった段階で撤退を中断することになったと述べた。現在は1万2000人に満たない米兵がアフガニスタンに駐留しているが、オバマ大統領は現地駐留米軍の最高司令官であるキャンベル陸軍副参謀総長にいかなる「一時的兵員不足」にも柔軟に対処する権限を与えているとヘーゲル国務長官は語った。

 オバマ米政権の修辞では「中断」。見通しはどうか。

 ヘーゲル国防長官はまた、アフガニスタン駐留米軍の任務がより限定的になり、向こう2年間の長期的な撤退スケジュールに変わりはないとも述べた。国防総省の高官は、駐留米軍が2015年末には5500人に縮小され、それが翌年の末までにはカブールの小さな構成部隊に統合されると述べた。

 修辞上は「長期的な撤退スケジュールに変わりはない」。実態はどうか。
 年が明けて今年の2月。2月22日CNN「米国防長官がアフガン訪問、米軍撤退の期限延長を示唆」(参照)より。

 アフガン駐留米軍は昨年末に戦闘任務を終え、残留した約1万1000人の部隊が訓練、支援任務に当たっている。現在の計画ではこの部隊を1年間で半減させ、来年末までには完全撤退させることになっている。
 これに対してガニ大統領は先月、米CBSとのインタビューで、オバマ大統領に撤退計画の見直しを呼び掛けていた。

 3月にはアフガニスタンのガニ大統領が懇願に出た。ぶっちゃけ演出である。3月21日時事「米軍撤退見直し協議へ=アフガン大統領、22日訪米」(参照)より。

 【ニューデリー時事】アフガニスタンのガニ大統領が22日、米国を初めて公式訪問する。24日にはオバマ大統領と会談し、駐留米軍の撤退計画見直しや反政府勢力タリバンとの和平交渉などについて協議する。
 米軍を中心とする駐アフガン国際治安支援部隊(ISAF)は昨年末に戦闘任務を完了。オバマ大統領は現在約1万人の駐留部隊を今年末までに半減させ、2016年末に完全撤退する計画を打ち出した。
 だが、13年にわたる対テロ戦争を経てもタリバンの脅威は残り、和平の見通しも立っていない。アフガン側は撤退期限の延期を要請し、米国内でも、アフガンが米軍撤退後に過激派組織「イスラム国」の台頭を許したイラクの二の舞いになるとの懸念が広がりつつある。

 会談結果で、現状維持でオバマ大統領の修辞もそのままになった。簡単に言えば、撤退構想は破綻しつつあるが修辞は維持されている。
 戦闘の実態はどうなっているのか? 春の年中行事、タリバンの春の攻勢は滞りなく宣言された。まだ目立つほど陰惨な事態ではない。というか、そうなったら修辞が完全崩壊しかねない。
 近況だが、実際のところ、オバマの戦争ことアフガニスタン戦争では米国は敗戦しているのでその交渉に入っているはずだった。というか、実際の敗戦交渉という点は修辞で覆っているが、やることは交渉でしかない。今日の共同「アフガン政府側とタリバンが会談 停戦で継続協議へ」(参照)より。

 ロイター通信によると、中東のカタールで2、3の両日、アフガニスタン政府当局者と反政府武装勢力タリバンの代表者らが会談し、停戦の可能性を協議した。米軍をはじめとする外国部隊の駐留をめぐり意見が対立、合意には至らなかった。
 来月にも再び会談することでは一致し、今後の議論次第では和平協議実現への道が開かれる可能性もある。
 会合はカタール政府が主催し、非公開で行われた。アフガン政府の和平交渉窓口となる「高等和平評議会」の幹部や、タリバンの政治評議会のメンバーらが出席したとみられる。
 タリバンの参加者によると、政府側は停戦を受け入れるよう求めたが、タリバン側は同国に駐留する外国部隊が完全撤退するまで戦闘はやめないと主張、平行線のまま議論は終了したという。関係者によると、会談には米国、中国、パキスタンの代表も同席した。(共同)

 一種の敗戦処理ではあるのだが、どうも微妙な線が見え隠れする。そのあたりで、実はブログを書いてみようと思ったのだった。
 この共同のニュースだがロイターの孫引きで、元のロイター通信のニュースはざっと見たところ翻訳はない。英文ではこれだろう。"Taliban, Afghan figures talk ceasefire but fail to agree"(参照)。英文報道を見ると、共同の孫引きとは印象が異なり、主眼は現政府にあるようにも読める。
 単純な話、米軍がアフガニスタンを撤退すれば、現ガニ大統領の元のアフガニスタンは維持が難しい。最悪、タリバン政府ができあがる。と、言ったものの事実上、敗戦処理であり、その「最悪」を受け入れて、どう修辞でごまかすかというのが米国オバマ政権の課題となっている。
 このあたりが修辞として非常に面白い。
 そもそも米国がタリバンと交渉しているあたりで、「あれ? 米国はテロリストとは交渉しないのではなかったか」と疑問に思う人もいるだろう。ちなみにウィキペディアを見ると「2010年にアメリカはTTPを国際テロ組織に指定、2011年にはイギリスもテロリスト集団としてその活動を禁じた」(参照)ともある。ところが……
 1月のWSJ「「テロリスト」に譲歩せぬ米政府、「反政府勢力」なら構わず」(参照)より。

 米政府がイスラム教過激派組織「イスラム国」と、アフガニスタンのイスラム原理主義組織「タリバン」との違いを強調している。タリバンは「武装した反政府勢力」で、「テロリスト」のイスラム国とは違うというのがその論理だ。


 だが、米国はアフガニスタンで拘束された米国軍の人質を解放するため、タリバンの求める囚人との交換に応じている。09年にタリバンに拘束されたバーグダル陸軍軍曹を救い出すため、14年にキューバのグアンタナモ基地で拘束していたタリバンメンバー5人を釈放した。
 この件について米政府は、イスラム国はシリアとイラクで猛威を振るうテロ組織だが、タリバンはそうではないというのがオバマ政権の考えだ、と説明した。
 シュルツ氏は「タリバンは武装した反政府勢力であり、イスラム国はテロ組織だ。米国はテロ組織には譲歩しない」と述べた。

 タリバンは「武装した反政府勢力」だが、「テロ組織」ではないのである、まあ、オバマ政権の修辞では。笑える。
 いつからそうだったのか。最初からそうだったのか? この修辞の経緯はよくわからないが、現状、いつのまにか、タリバンはテロ組織ではないことになっている。というあたりで、この修辞が、IS(イスラム国)との関連にあることもわかる。
 この先は、各種関連論説をざっと見た範囲では見えてこないので、私の見方になる。オバマ政権はIS(イスラム国)の対抗勢力としてタリバンを維持したいのではないだろうか? すでにブログで言及したが(参照)、ISはタリバンを支配下に置きたいという欲望を持っている。
 このことはタリバン側からしても、ISが脅威になっているとも言える。
 そのあたりで、推測に過ぎないのだが、現在の米国とタリバンの交渉はすでに敗戦交渉としてアフガン政府との事後処理というより、もう少し積極的に、ISに対する構図で、タリバンと米国との事実上の軍事同盟なのではないだろうか?
 この構図でもう一つやっかいなのは、パキスタンとイランの関わりである。
 オサマ・ビンラディンを事実上パキスタン政府が擁護していたように、パキスタンとしては、タリバンは対インド戦略の駒でもあった。これにさらに、対ISとしての駒の価値が高まることになる。
 こうした構図で見ると、アフガン政府という修辞を維持しつつ、アフガニスタンにタリバン政権が樹立されることが、米国とパキスタンには有益ということになる。さらに言えば、対インドの構造もあってパキスタンと中国も連携しやすい。
 修辞さえ維持できれば、タリバンを軸にISの牽制ができて、米中にとってもいい構図にも思える。だがそういい構図だけでもない。ISを影で支えているのは、対イランとしてのサウジアラビアとイスラエルだからである。構図は非常に奇妙なものになる。さらに構図が奇妙になるのは、イランと米国の関係も米国側では反核の修辞で覆っておきたいというのもある。
 いずれにせよ、二つのことが露出しつつある。一つは国際情勢において修辞と現実がかなり乖離しはじめていること、もう一つはタリバンとイランを軸に巡って新しい構図が生まれつつあること。これらがどこに帰着するかは現段階ではよくわからない。あえて言えば、オバマ政権の修辞は破綻するだろう。
 
 

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