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2015.05.02

官邸ドローン落下事件はインスタレーションと見てよかった

 書こうかどうか迷ったのだけど、いちおうまだブロガーを廃業しているわけでもないので、少し書いておこう。ネタは、官邸ドローン落下事件である。で、何がいいたいのか。官邸ドローン落下事件はインスタレーションと見てよかったということである。
 つまりアート。芸術である。
 何も奇矯な修辞を弄したいわけではない。「芸術は爆発だ」とかいうギャグを言いたいわけでもない。普通に考えて、これはインスタレーションと見てよかったと思うのである。むしろ、なぜそうならなかったのかという点にこそ、現代日本の重苦しい空気を感じる。
 普通に考えてこれはインスタレーションだと私は思うのだが、そういう指摘をニュースでもネットでも私は見かけなかった。どこかにあったのかもしれないが、見かけないならブロガーが書いておくのもいいだろう。
 容疑者が出頭してから、出頭に合わせて関連経緯のブログが公開され、それがこの事件の説明とされたことから、「こいつアホじゃね」みたいな空気が形成された。反原発の主張を読み取ることで「反原発ってこんなやつらばっかしなんじゃいの」といった文脈も形成された。
 またそれ以前に、官邸側が上手にテロ対策の文脈を作ってしまったことや、容疑者もテロという言葉をもてあそんでいたことから、報道もそういう枠組みにすっぽり嵌ってしまった。
 しかし、現状の小型クアッド・コプターで運べるのは500gに満たない。500gだって危険な物質があるというのもそうだが、だったら、問題はまさしく小型クアッド・コプターではありえない。そもそもこのレベルのドローンの規制にどれだけの意味があるのか頭を冷やして考えればわかることだ。しかも今回運んだのは「汚染土」である。これもよく探せば都内でも見つかる程度の泥である。つまり、それはメッセージ以外のものではない。
 つくづく、なにかと、残念だなと思う。なによりこれは普通に考えたらインスタレーションであるのに。
 昨年月7月22日、ブルックリン・ブリッジの星条旗が白い旗にすり替えられた。しかもわざわざ通常の星条旗を脱色して作った旗である。やったのは、芸術家であった。
 今回の容疑者も、愛読してた古賀茂明氏のようにどうどうと「自分のインスタレーションを理解してくれよ」としゃべくりまくるか、艾未未みたいな演出でもすればよかったのではないか。あるいはもうちょっと、よくあるように支援組織に目配せしてもよかったのではないか。本人は「ローンウルフ」を自称していたが、アートはなかなかプレゼンテーションも必要なのである。
 インスタレーションとしては場所とタイミングも重要になる。ブルックリン・ブリッジ白旗も橋設計者のジョン・ローブリングの命日だった。今回の事件も、自称の「官邸サンタ」でわかるように、本来は12月24日の深夜に成功するはずだった。官邸へのサンタからの贈り物が、原発汚染土だったのである。「あと反原発アピールなら汚染土か・・・」(参照)という着想であった。テロというようなものではそもそもない。
 もうちょっとだけ演出がよければと悔やまれてならない。しかしまあ、インスタレーションとしてミスは多かったことは否めない。
 容疑者にはまだアートの心が足りなかったと言ってもいいかもしれない。若い頃に漫画なども書いていたから、まったくアートの才能がなかったとは思えないが、事件直前に公開されたブログを読むと、奇妙に真面目な自省が自意識との合間で歪んでいくようすが凡庸すぎて、自分を見るようなつらさがある。
 本来のクリスマス・イブはつらいものだった(参照)。


帰りの道中少しホッとしている・・・
家に着いた頃には気が狂うほど後悔・・・飛ばしたかった・・・

 なにが彼を失敗したアーティストに変えたのか。
 40歳という年齢だっただろう(参照)。

「ゲリラ戦士の最高年齢は40歳以上であってはならない」(チェ・ゲバラ)
40歳になっってしまった・・・
平均寿命の半分を無駄に過ごした
ゲリラ定年・・・いやまだ何もしてない・・・再雇用

 40歳になる焦りが稚拙に書かれている。その半年ほど前には「39歳・・・思うように身体を動かせる期間はあとどれくらいか・・・」(参照)ともある。老いていくことの恐れが彼を駆り立てていたことは確かである。まあ、自分を省みてもその焦りはよくわかる。
 そして、このゲリラへの言及だが、彼はもともとゲリラになりたかったのである。そういう夢があって悪いものでもない、夢だけなら。
 その点、今回の事件で彼のブログを見て最初に奇妙に思えたのは、「ゲリラブログ参」という「参」である。最初、「参上!」かと思ったが、ふとこれは数字の「3」なんだろうと考えて調べてみると、これ以前に「ゲリラブログ」(参照・アクセス不可)があり、2010年10月から2014年4月まで書かれていた。内容はほとんどがサバゲーである。趣味でやっていた。この時期、2011年3月11日の震災やそれに続く原発事故についての言及はない。つまりこの時期には彼は、反原発に関心をもっていなかったことがわかる。
 現存の「参」は2014年7月から2015年4月までである。推測するに、2014年5月から2014年6月までの2か月間の「弐」が存在していても不思議ではないので探したが見つからなかった。ただし、あったとしても短期間である。が、この間に「反原発」への転換の芽はあったかもしれない。
 「参」を読んでいくと、反原発は彼の故郷の福井県小浜市の住民として高浜原発への思いが根にあるようにも思える。そうしてみると、彼が定職を辞したのも転勤としてこの地を離れることを厭う気持ちもあったのかもしれない。
 彼を「官邸サンタ」にした一つの転機は、会社を辞めたあとの昨年秋の九州一周自動車旅行だったようだ。そこで着想した(参照)。

2週間くらい車で走りながらずっと次の行動を考えてた・・・
ドローンを使えないだろうか・・・

 このあたりの彼のブログを読んでいて思うのは、やはり普通にインスタレーションだなということだ。彼にとっての「テロ」はサバゲーのような趣味の領域であり、自分が40歳にもなって崇拝するチェ・ゲバラからの離れていく脱落感から、意思を表明してみたかったのだろう。
 滑稽といえば滑稽だし、私とさほど変わらない小市民である。むしろ、その小市民性がせっかくの芸術行為をちょっとつまんないものにしてしまった。
 しかし小市民というなら、私たち日本の小市民はこの事件を芸術として鑑賞していいのだと思う。反原発というインスタレーションの趣旨は理解するとしても、その主張それ自体に同調する必要はないし、またこの程度の騒ぎに官邸側のストーリーに載せられてテロだと市民が騒ぐような段階でもない。誤解なきよう補足すれば、だからといってこれが現状の法律で犯罪ではないというたぐいの弁護をしたいわけではない。もっとも、芸術には千円札裁判(参照)のような事例もある。
 ただ私たちにはもっとアートな心をもっていい。息苦しい正義が横行しているときこそ、アートで笑うべきなのだ。戦時、「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」というポスターが貼られたが、市民はそこで「工」の文字を消した。ちょっとしたアートである。その諧謔の伝統こそ市民社会が維持するべきものだ。
 
 

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2015.04.30

川崎市中1男子生徒殺害事件について

 しばらくブログを書かないでいた。ツイッターにはほとんど毎日出没しているし、その時折の思いなどはそこで呟いている。それで十分ならブログを書くことをはないんじゃないかとも思ったりもした。率直なところ、このブログは特に読まれる意味のあるブログということでもないだろうし、私は炎上ワザが使えるほどの魔法使いでもない。ただ、この間ずっと奇妙に心にひっかかることがあった。川崎市中1男子生徒殺害事件である。これは、ブログに書くべきなのではないかと思った。そう思って、もう数日が経つのだけど。
 いったい何が心にひっかかっているのだろうか。
 そこがまずもどかしく、うまく言葉にならない。
 まずこれはどういう事件なのか。
 今年の2月20日、神奈川県川崎市川崎区港町の多摩川河川敷で、その近所に住む中学1年生(13歳)が殺害された。それがこの事件である。一週間後に、少年の知り合いの18歳の少年3人が殺人容疑で逮捕された。報道から伺う限り、別の犯人がいるといった「真相」といった意味での謎は残されていない。
 事件当時、私は4つのことを思った。
 まず、誰がやったのか? ざっと報道を聞いていても、関係者の証言などもあり、容疑者は早晩割り出せるだろという印象を持った。報道関係者はその容疑者をすでに知っているという印象ももった。その意味で、迷宮入りといった事件ではないだろうと確信していた。実際、振り返ってみると、そういうことでだいたい合っている。
 次にあまりの惨殺さに胸が痛んだ。当初、公園トイレから放火があり、焼かれた衣服や靴底が発見され、その後、裸体の死体が発見された。殺害後、裸体にされたのかはわからない。稚拙過ぎて証拠隠滅とも思えない。殺害手法だが、拘束されてメッタ刺しされたようである。惨殺と言ってよい。この惨殺さは、容疑者グループの結束を高めるためものだろうと私は思った。殺害のリーダー格はよほど残忍なのだろう。これでも振り返ってみると、だいたい合っている。
 三つ目の疑問は、なぜ? である。そこが皆目わからなかった。性的な暴力というよりも、暴力集団にありがちなリンチのようにも思えたが、そもそも13歳の少年を殺害しなければならないほどの掟をその手の集団がもつわけもないだろう。ならば基本的に、リーダー格の人物の性格的な異常性に帰するのではないかと思ったのである。
 その後、取り調べが進み、「嫉妬」などが報道で語られた。例えば、4月3日産経「18歳リーダー格の幼稚な動機…「カミソンの人気に嫉妬した」「誰かに止めて欲しかった」とも」(参照)より。


 「(以前の暴行を)チクられた(告げ口された)のでやった」「カミソン(上村さんのあだ名)が慕われていることに、むかついた」「カミソンのためにこれだけの人が集まったと思い、頭にきた」「(上村さんが自分を)先輩として立てなかったことに不満を持っていた」…
 反省の一方で、供述から見えてきたのは、少年が上村さんに対して募らせていたねたみや逆恨みだった。

 そういう類の報道の文脈が理解できないわけではない。だが、私はこれは殺害の動機にはなっていないだろうと思う。隠された別の動機があると言いたいわけではない。容疑者の心理にはもう一段、背景がありそうに思う。だが、そこが見えてこない。いろいろ考えたが、わからない。
 そして4つの目の疑問は、そもそもこの事件はなんなのか?ということだった。
 少年が関係した残虐な事件はいつの時代にも起きる。昭和64年には「女子高生コンクリート詰め殺人事件」という陰惨な事件もあり、その世相を私はまざまざと覚えている。平成5年には「山形マット死事件」という陰湿な事件もあった。
 基本的にこうした猟奇性も感じられるような青少年の集団的な暴力事件というのは、人間社会には一定の確率で生じる。その意味では、今回の事件も「またか」という印象はあった。そして、私の心のなかに、「また陰惨な少年集団事件か」という形で沈んでいくだろうと思っていた。
 だが、そううまく行かなかった。なぜなのだろうか。
 一つの「なぜが」残った。なぜ、この事件は私の心のなかに静かに沈んでいかないのだろうか。
 そこが、今なお、不可解に心に引っかかっている。ずっと考えていた。
 この点を延長していくと、3つ思うことがある。
 一つは、SNS(ソーシャルネットワーク)時代のメディア性である。事件当初、私はこの事件は陰湿でも特殊な事件ではないと思っていたせいもあり、報道がどれだけ騒いでも事実関係以上の関心をもたないでいた。私はある種の事件には関心を持たないという訓練をしているので、そこはそれほど難しいことではない。
 そのことで、SNSを中心としたネットでプライバシー暴きなどが進行していたことも知らないでいた。
 後追いしてわかったのだが、テレビが容疑者の顔のモザイク写真を公開したため、そこからネットの人々が容疑者の割り出しをしてプライバシー暴きを始めたらしい。SNSでの情報をたぐると、容疑者にはどうやら、表向きの報道からは語られない裏の事情もあるようだった。ただし、その点は、表向きの報道からは確認できない。
 世間という形で大きくくくりなおすと、世間は、私の思いの外側で、私にしてみると、とんでもない大騒ぎをしていた。その大騒ぎというのは何を意味しているのだろうか?
 奇妙な絵だった。NHKを含め、なぜこの事件を連日7時のニュースのトップに置くほど報道していたのだろうか。報道社は、この事件のどの側面に報道の社会的な意義を見いだしていたのだろうか?
 そこが皆目わからないうちに、この事件の報道は、メディアからは消えていった。
 あの大騒ぎの理由を考えてみる。結局のところ、視聴率が取れるからという、一種の娯楽性以外はなかったのではないか。実際、この事件は一種の娯楽としてネットを巻き込んで燃え上がっていたのではないか。
 そうでなければ……と考えて思うのは、「誰かを罰したかった」のではないだろうか。
 報道も視聴者もネットの住民も。だが、その罰するべき誰かをうまく探り当てられなかったのではないだろうか。
 そう思う奇妙な関連だが、「週刊文春」(3月12日号)林真理子連載エッセイ「夜ふけのなわとび」で、被害者の母親をひたすら責め立てると読める内容が掲載され、そのことで、林真理子をバッシングする動向がSNSを中心に見られた。たしかに、同エッセイは鼻白むといった類ものだが、基本的に今回の事件に薄っぺら思いを寄せて一本仕上げた売文である。それをバッシングすることは、この事件の本質とは直接関係はない。誰かを罰したいという無形の欲望に釣られたようにも見えた。
 他にも、誰かを罰したいという欲動からいくつかの物語が語られたが、どうもうまく形にならなかった。
 では、処罰者がうまく見つからなければ、ではこの事件は、社会的になんなのか?
 その形で、結局のところ、「誰が悪いのか?」を迂遠に解消しなくてはならない。いわく、教育の問題、地域社会の問題などである。
 そうした点で、とりあえず繕える物語は、「学校や教育委員会が生徒が苦しんでいる状況を理解できていれば、力になれたかもしれず、残念に思う」といったものだろう。NHK解説委員なども結局そういう話に仕立てていた。「気づけなかったSOS ~川崎・男子生徒殺害事件~」より(参照)。

 福祉などの専門家も多いスクールソーシャルワーカーが、子どもを多様な目でとらえ、主導的な立場で子どもたちの声を聞けるようにする。そうした仕組みであれば、今回も必要な組織同士がいち早く協力体制を作ることができ、事前の対処につながった可能性があります。
 被害者も容疑者も少年だったという今回の事件。
 子どもの姿が大人から見えにくくなっている中で、子どもの声をすくい上げには、大人の側が、より関心を持って子どもに働きかける。
 そうすることで、SOSに気づくことができる社会にする。それが、今回の事件が私たちにつきつけた課題であるように思います。

 率直に言って、そう言われても、「ベイマックス、もう大丈夫だよ」という前にベイマックスが萎んでしまったようながっかりした印象しか残らない。
 率直に言えば、この種類の事件は防ぐことはできない、ということだ。
 私たちは、無力さの前に立ちすくんで、自分たちが取り残されてしまった。
 そう書いてみて、陰湿な事件や、誰かを罰したいという思いの背景に、どうしようもない無力さが、大きな壁のように自分も塞いでいることに気がつく。
 それは無意識のなかで、「少年の死を自分は見捨ててしまった」というような、奇妙な罪責感の回路を形成していく。
 おそらくそこがこの事件の、事件性としての本質だったのではないだろうか。
 というのも、表向きの報道がなくなったあとでも、殺害場所に寄せる人々の献花や祈りが絶えない。さすがに49日も過ぎたので、自然に人々の関心は薄れてはいくだろうが、それでもそうした無名の多数の人々の鎮魂の思いがかたまるのは、無意識のなかで、「結局、少年を見捨てたのは私でしょう?」という自責のようななにかが形成されているからだろう。
 そうした自責を私たちは無意識のなかに貯め込んでいって、結局、私たちはどうなるのだろうか?
 
 

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