ブログに書こうかと思って書かないでいたこと、としての東京オリンピックのエンブレム問題
今年は気が付くとブログを書く量がぐっと減ってしまった。理由はいくつかある。個人的な理由が多い。それでも、これは書かねければいけないなという点は書いてきたようにも思う。「安保法制」など。しかしまあ、それはそれとして、ブログに書こうかと思って書かないでいたことも多かった。書いてもうんざりする事態になるだけじゃないかと予想がついてしまって、その時点でめげてしまう。その一つに東京オリンピックのエンブレム問題がある。
もう年末かあとも思うと、しかし、少し書いておきたい気にもなった。
要点のひとつは、こうだ。佐野研二郎氏による2020年東京オリンピックのエンブレムのデザインになんら問題はなかったではないか、ということだ。が、そういうとまさかと思う人が多いのではないかとも思う。
逆に、何が問題だったのだろうか? 盗作疑惑だろうか。そういう話題が多くあがっていたが、結果として、盗作の認定はされていなかった。そもそも、エンブレムが公開される審査の過程で、運営側で商標など法的な問題はクリアされていた。
もっとも、それでも盗作としての訴訟が今後起きうる可能性があったが、それはしかし、佐野氏の問題である前に運営側の問題であっただろう。この点について自分の知らない点は多くあるのかもしれないが、私としては法的な手続きとして見た限り、佐野研二郎氏にもそのエンブレムのデザインにも瑕疵はなかったと思う。
実際、ネットを含め、世間での話題は、そのエンブレムの盗作疑惑に、あたかも関連つけられたように、佐野研二郎氏のデザイン事務所による他の作品の盗作疑惑が話題になっていた。それについて絞れば、すでに佐野氏自身が認めたように盗作が多々あった。そしてそれはデザイン事務所の長としての佐野氏に責任があった。
が、それとこのオリンピック・エンブレムのデザインは話が別ではないだろうか。よく盗作をするデザイン事務所の作品だからといって、そのデザイン自体が盗作だということにはならないし、否定されるものではないだろう。
話題はまだ多岐にわたっていた。エンブレム審査の過程が不透明であることだ。揉め事を通してその過程の内情が見えてきたことの印象からすると、これは事実上出来レースだったと言っていいだろう。つまり、フェアな審査ではなかった。が、それも、佐野氏が関わったことではなかった。東京オリンピックの運営側位には大きな問題はあったが、佐野氏が責められるべきことではないように思えた。
そして最終的に佐野氏のエンブレムが否定された理由だが、これが漠然としていた。
まず明白に佐野氏に問題が浮かび上がった。エンブレムが審査される過程で佐野氏が提出した資料には不正があった。著作権侵害の羽田空港写真が使用されていたからである。
この時点で私が疑問に思ったのは、審査プロセスで不正があれば、その審査は無効になる、というルールが存在していただろうか?という点である。
あとからざっと思い返すと、著作権侵害の羽田空港写真が、佐野氏のエンブレム否定の決め手となったように見えるのだが、その規定はどうだったのか?
ここが最後までわからなかった。が、おそらくそうした規定はなかったのではないかとも思っている。なぜなら、そうした罰則規定の有無が明示される前に、佐野氏が辞退したからであったし、これは、私には、「詰め腹」に見えたからだ。もちろんこうした見方は私の主観かもしれないが、佐野氏はそのおり、「五輪エンブレムを白紙撤回したがパクリではない。誹謗中傷に耐えられなかっただけだ」というように述べていたと記憶する。少なくとも佐野氏には詰め腹のように受け止められてはいただろう。
「詰め腹」という言葉を知らない人も増える時代になったと思うので、字義を補足しておこう。デジタル大辞泉より。
つめ‐ばら【詰(め)腹】
1 本意でない責任をとらされること。強制的に辞職させられること。「部下の不始末で―を切らされる」
2 強いられて、やむをえず切腹すること。
「急ぎ―切らするか」〈浄・嫗山姥〉
法的には罰則規定がないが、所属集団や機構的な権力の都合によって、自殺を強いられることである。
佐野氏の文脈でいえば、佐野氏が今後、デザイン業界で生き延びたいなら、この件については、運営側の問題に及ばないように「詰め腹」を切ってくれということだったのではないか。
少し余談になるが、この「詰め腹」というのは、戦後は「総括」となった。これも知らない人がいる時代だろう。これもデジタル大辞泉より。
そう‐かつ〔‐クワツ〕【総括/×綜括】
[名](スル)
1 個々のものを一つにまとめること。全体をとりまとめて締めくくること。「各人の意見を―する」
2 労働運動や政治運動で、それまでの活動の内容・成果などを評価・反省すること。「春闘を―する」
1の意味が本来の意味だが、ここでは2の意味である。労働運動や政治運動の独自な意味合いをおび、これが「連合赤軍」事件ではさらに明確な意味になった。ざっとネットを眺めるとウィキペディアに項目があったので借りる。
左翼団体において、取り組んでいた闘争が一段落したときに、これまでの活動を締めくくるために行う活動報告のことを「総括」と言っていた。闘争の成果や反省点について明らかにし、これからの活動につなげていく。工業界でいうところのPDCAサイクルの「C(点検・評価)」に相当する。
ところが連合赤軍では、「真の革命戦士となるために反省を促す」と称して行なわれたリンチ殺人を意味することになった。
左翼運動が激化した「総括」は、封建時代の「詰め腹」の伝統を持っていた。ウィキペディアでは明らかに書かれていないが、これにはもうひとつの背景がある。「自己批判」である。文化大革命でよく使われた。表面上は字義通り、自分で反省し自分を批判することだが、実際には、教義や権力機構に従ったかたちで自分を否定することを認め、自分を失脚させることである。つまり、これも「詰め腹」の一種であり、「総括」である。
私は文化大革命の自己反省や連合赤軍の総括を同時代的に見つつ、恐怖してきた。それが日本社会に「詰め腹」として息づいていることにも恐怖した。
そしてまた、東京オリンピックのエンブレム問題で再現したように、私には見えた。
しかも、この「詰め腹」を強いたのは、特定のイデオロギー集団でも権力でもなく、ネット民であり、マスコミだった。ネット民とマスコミが総出で佐野氏をリンチにかけたように見えた。
私は自分をくだらないブロガーだと思う。ということは、ネット民の一人である。ということは、私はこの件について、彼に詰め腹を強いた側にいる。
そうだったのだろうか。
そうだった。私は、渦中にこのことを語らないでいた。自分にとばっちりのように敵意が及ぶのがいやだなと思って、黙って「詰め腹」の事態を傍観していたのである。だから、私はこの件について加害者の仲間である。
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