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2015.11.16

2015年パリ同時多発テロ事件

 フランスのパリで11月13日の夜(日本時間では14日の朝)、パリ11区の若者向け繁華街を中心に、また北部のサッカー場の「スタッド・ド・フランス」で同時多発テロ事件が発生した。この記事を書いている現時点での死者は132人にのぼる。哀悼したい。また負傷者は349人とのこと。犯行は、犯行声明を出したIS(イスラム国)と見られる。日本のブロガーの一人としてこの事件の印象を記しておきたい。
 事件でまず気になったのは、パリ11区という地域だった。11区にはコンサートホールは劇場など文化的な地区であり、どちらかというと若者世代やリベラルな世代の歓楽街である。テロリストとしてはウィークエンドの金曜日の夜に人が集まる地域を狙ったものだとも言える、という点では不自然ではないが、事件の第一印象はこの襲撃対象地で決まった
 同時に、あるいはそれゆえか同時性として仕組まれたの「スタッド・ド・フランス」でのテロに多少の違和感を覚えた。ここでは当時、サッカー・ドイツ代表とフランス代表の試合が行われ、オランド仏大統領も観戦に訪れていたらしい。テロとしてはフランス大統領を狙ったことになり、政治的なメッセージ性は明確になる。大統領のスケジュールを意識したことで、計画的な犯行であることも打ち出しやすい。
 同時性のテロではあり、若者文化という点では11区とサッカー場では共通点があるが、テロ対象として見ると、11区の側に違和感が残る。
 この時点で私が即座に連想したのは、このテロの実行主体はフランスの20代後半でフランスで育った移民二世ではないかということだった。現時点で判明している一人は、ベルギー生まれのフランス人、アブデスラム・サラ容疑者(26)である。
 私が連想した理由は、2005年のパリ郊外暴動事件である。10年前になる。2005年10月27日、フランス・パリ郊外で強盗事件を捜査中の警官に追われた北アフリカ出身の若者3人が変電所で感電死したことをきっかけに、フランス全土に若者の暴動が発生した。背景には民族差別などもあり、先日の27日もこの追悼を兼ねた抗議デモがパリで実施されていた。事件全体を見れば、パリ郊外など郊外部の団地住宅地がスラム化し、その地域の若者の不満が高まっていた。

cover
最強のふたり
 こうした一端は、映画『最強のふたり』などでもうかがえるえる。今回の事件の非常事態宣言も2005年暴動に次ぐ第2次世界大戦以降4回めである。私が連想し想像したのは、当時10代だった少年が今20代後半に至り、パリの若者文化に共感を持ちながらも憎悪しているのではないかということだった。
 別の言い方をすれば、2005年のパリ郊外暴動事件がいよいよパリの内側に入ってきたというのがこの事件の本質であり、IS(イスラム国)やテロという視点はその、パリの内側に入ることでの必然的な補助だったのでないかということである。
 さらにその文脈でいうなら、今回の事件は1995年東京におけるテロ事件と同質の都市型の市民殺戮事件だっただろう。こういうと不謹慎だが、数名のテロリストが多数の人を殺害することは技術的に難しい。それが可能になるテクノロジーが都市型の市民殺戮事件の本質でもある。その意味で、今回のテロの被害が膨れ上がったのは、その「技術」としての殺戮の様式と標的性だろう。
 こうした思いと並行して、「スタッド・ド・フランス」でのテロで大量殺人が、計画されたようには成功しなかったことは、これまでのフランス政府のテロ対策に基本的な失点がなかったことを示しているようにも思えた。つまり、今回の事件をもってテロ対策を強化するというのは、別の政治的な文脈に載せられる懸念のほうが強いだろうと思えた。今回の事件でテロはソフト・ターゲット化したといった文脈も同様である。
 補足すると、今回のテロ事件の背景にはIS(イスラム国)があると見てよいが、前回のパリのテロ事件はISではなく、「イエメンのアルカイダ」だった。この組織は、ISとも対立しているし、元のアルカイダとも対立していた。少数のテログループが起こしうるテロという点では、ISという焦点化は必然的ではない。
 前日の11日にはレバノンの首都ベイルートの郊外でテロ事件が起こり、44人が死亡している。同じく哀悼したい。対象はシア派のヒズボラの拠点とも言える繁華街で、同じくISが犯行声明を出している。ISにしてみれば、こうしたテロは対象は多様であり、むしろ自身のグループ・アイデンティティの一つのプレザンスの証明でもあり、その点では、「対テロ戦争」というような戦争といった枠組みとは異なっている。
 さてでは、どうしたらよいのか? 私たちはどうしたらよいのか? その問いは避けがたい。
 とりあえずだが、「テロ戦争」や「移民問題」として用意された枠組みが促す焦点化には少し警戒していたほうがいいだろうと思う。例えば、「日本がシリア問題に介入しなければテロの被害はない」といった議論も単に「テロ戦争」という枠組みの変奏でしかなことにも注意したい。
 多文化・他宗教の融和によって国家を組み上げることは難しいものだ。それは当然の難問である。だがこの難問に絶え間なく取り組むことが、都市型の市民殺戮事件を最終的には抑制することになるのだという希望を持ちたい。
 
 

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