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2015.09.24

[書評] 李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印(波田野節子)

 李光洙(이광수)について私はよく知らなかったので本書から学んだことが多い。おそらくそうした思いを持つ現代の日本人は少なくないだろう。本書を元に自分が受け止めた李光洙について書いてみたい。

cover
李光洙(イ・グァンス)
韓国近代文学の祖と
「親日」の烙印
(中公新書)
 李光洙は、朝鮮の文学者・言論人である。1892年に生まれた。現在の北朝鮮域である。そして、1950年に亡くなったとされる。生涯の大半を日本の植民地下で過ごした。そのことが彼の人生に大きく影響する。出自は、李朝において高官を出す家系であったが、父の代で家は没落。10歳で両親をコレラで亡くし、親族の家を転々とした。好機があり、一進会の留学生に選抜され、1905年、13歳で渡日した。
 その時点である程度日本語も習得していたらしい。翌年、神田にある大成中学校に入学した。同校は当時一高合格者数を多数出す優良校だった。太平洋戦争で旧校舎は消失し、戦後は大成高校として三鷹に移転した。
 大成中学生となった李だが学費問題で退学したが、1907年、明治学院に3年生として編入できた。そこで日本語で小説の執筆活動を始めた。バイロンに傾倒した。
 1910年、明治学院卒業後、18歳で朝鮮に戻り、前年に親族に託されていた許嫁と暮らし、五山学校で教鞭をとるが馴染めず、三年半で退職。そのまま無謀なアフリカ旅行を企てまず中国に向かい、上海で朝鮮独立運動家と出会って思想的な影響を受けた。
 中国やロシアを転々とした後、朝鮮に戻り、いったんは五山学校に復帰し、1915年に長子をもうけるが、好機があってその年、再度渡日し早稲田大学に入学。在学中の1917年、24歳のときに朝鮮語による最初の近代小説『無情』を新聞小説(毎日申報)として発表し話題となり、そのことで朝鮮新文学運動の先駆者と呼ばれるようになった。
 同時期、彼は東京で、朝鮮初の女性近代画家でかつ女性解放論者の羅蕙錫(나혜석)と恋愛をしている。1896年生まれの彼女は留学生グループのマドンナでもあったらしい。間を置かずという印象があるが、1917年には朝鮮初の女性開業医となる1897年生まれの許英粛(허영숙)と恋愛した。きっかけは、李への結核看病であった。李は離婚を経て3年を置いて彼女と1921年に再婚した。
 私生活の目まぐるしい間、1919年、李は東京で「朝鮮青年独立団」を11名で結成し、彼自身の手で「二・八独立宣言」を執筆。これには朝鮮語・日本語・英語の三版があり、日本語版は本書に附録として収録されている。2月8日に神田のYMCA会館で発表され、これが現代の大韓民国が自国政府の起源とする三・一運動につながっていく。なお、三・一運動での独立宣言書は崔南善(최남선)が起草した。
 李はその後、学費滞納による早稲田大学除籍にも合わせ、上海に一時避難したが、運動も早々に冷め、韓国に戻り、合法的な独立運動を目指すようになり、文学創作にも力を入れていくようになる。余談だが、彼は関東大震災の東京にはいなかった。
 ここでいったん、李の生涯の話を中断したい。われらが李はこのころ、だいたい30歳という年齢である。ここまでの流れで見れば李は、どう見ても現代韓国の建国物語で称賛されるべき英雄と言っていい。そのせいか悪口の類だが、三・一運動で李が死んでいたらよかったと思う人がいても不思議ではない。だが、その後の彼の人生は、見方によっては、「親日」と取られる道を彼は歩み出す。
 その前にもう少し。私は本書を読みながら、本書にあまり指摘がないのだが、これは重要なんじゃないかと感じることがあった。李光洙はこの年代、若いせいもあるが、私が見る印象では、イケメンなのである。現代の韓流スターよりイケるんじゃないかと思う。私の感性は昭和なのでなんだが、ついでに言うと、羅蕙錫も許英粛も美女である。許英粛に最初に惚れたのは李のほうだったが、許としてもまんざらではなかったのではないだろうか。
 李がイケメンだったことについては、写真を見ての主観以外にも傍証できそうな挿話ある。李の友人で、慶応大学で永井荷風に師事した作家・山崎俊夫が、1914年に『耶蘇降誕祭前夜』という小説で「李光洙」を登場させている。小説の「李光洙」はロシアの血を引く金髪碧眼なのだが、話は簡単に言えば、美しい病、つまりBL。そこにどどと落ち込む物語である、らしい。ちなみに同作品は生田耕作編・山崎俊夫作品集の上巻に収録されている。さて、そんなことどうでもいいじゃないかと思う人がいるかもしれないが、私はこれはけっこう重要なことじゃないかと思うのである。
 30歳以降の李光洙の人生だが、結核を抱えながらも人気作家となるが、1934年、許との間の6歳の男子を敗血症で失うことにで、李と許の人生は少しづつ離れていく。結果として、それが許の人生に寄与し、李の生涯を守ることになるのが興味深い。
 李の独立志向は1937年の治安維持法による逮捕から、明白な転向意識ではなかっただろうが、作家として小林秀雄など日本のとも交流を持ち、いわば体制に取り込まれた形になる。「香山太郎」として創氏改性もした。日本語の小説も書くようになった。李自身の意識としてはしかし、日朝という関係よりも、当時の知識人の風潮でもあった、アジア対西欧という枠組みに捉えられたのかもしれない。本書も、基本的にはそうした流れで見ている。
 光復後、彼は形の上で許と離婚し、しばらく筆も断っていたが、これまでの人生の懐古なども著すようになる。彼自身の意識としては、「親日」であったことも反省もあるが、それでもずっと朝鮮人国家独立の意識を維持していたという思いではいたのだろう。もちろん、朝鮮では反感は買ったらしいし、その後もそうした評価は続く。
 1950年、李は持病の結核で伏せっていたところ、朝鮮戦争での北朝鮮軍の進撃に巻き込まれ、平壌に連行され、その年に持病がもとで死去したとされる。本書は「詳らかではない」とし、北京での死亡説なども載せている。
 李の死を探したのは妻だった許である。彼女が78歳で1975年に死去した後も、二人の子供達は探し続け、1991年に北朝鮮から消息を聞いた。それによると1950年10月25日に亡くなったとのことだ。ちょっと気になってウィキペディアを除くと、この説がさも確定したかのように記載されていた。
 さて、本書で描かれた李光洙をどう見るべきだろうか。文学者として見るなら、その作品自体の評価とその影響を評価すべきだろう。後者は、同時代的にはその名声からもわかるように高いが、光復後は「親日」として概ね低い。そもそも「親日」というのは、韓国の政治風土では「日本に親しむ」ではなく、「反逆者」といった意味合いが強い。本書はその難しい、隘路のような部分をよく描き出している。
 彼の文学作品の評価はどうか。私は恥ずかしいことに一読もしてない。ただ、本書から伺うかぎりは、大衆作家に近い印象を受ける。とはいえ、本書でも記しているが、朝鮮語で近代小説を最初に生み出す困難さや、その過程に近代文学の成立を先行していた日本語の影響は興味深い。
 誤解なきように言えば、だから近代日本が素晴らしいとナショナリズム的なことが言いたいわけではない。ただ、近代の日本文学が、朝鮮と中国の近代文学、さらには近代語の土台形成に寄与したとは見てよいだろう、というだけである。ノルマン征服でイギリスに現代につながる「英語」が形成されたと同じような意味合いである。
 本書を読み終えて、冒頭述べたように、これは勉強になったなということに加え、二つのことを思った。
 一つは、ひどい言い方だが、李光洙をどう見るべきだろうか、として焦点化して見る必要はないのではないか、ということだ。彼はけっこう気まぐれな感情で行き当たりばったりに生きて、そしておそらくイケメンの典型的な人生の影響もあって、まあ、結果的にそうなった、そしてそうなったことが時代というものだったなあ、ということでも言いように思えることだ。
 めちゃくちゃなことを言うようだが、誰の人生も、早世で余程明確な意志がなければ、後半生に至って、些細な支離滅裂さを覆う凡庸のなかに収束するものだ。むしろその凡庸さの自覚のなかで、何を築き上げたかという達成が問われるが、その意味では、李光洙は韓国近代文学を作ったということだし、それはもっと卑近に言えば、現代の韓流物語の枠組みを作ったということもあるだろう。
 本書でもう一つ思ったのは、女医となった許英粛の生き方である。率直に言うと、李光洙よりも許英粛の評伝のほうが歴史的な意義があるのではないかと思ったのである。彼らの間の子供は二人、その後、米国で博士号を取り、米国で暮らしている。つまり、米国民となった。李光洙がこの世に残した縁者がすべて米国ということではないのかもしれないが、基本的に子孫は米国人となった。
 私は、ここでふと「つまりそういうことなのだと」と呟いて、そのあと「どういうことなんだよ」と自分で突っ込みを入れて、困惑する。なんと言ってよいのかわからない。この感覚は、現在の日韓関係に微妙に通じている、気がする。韓国の歴史は、韓国人は好まないかもしれないが、日本の側でそれなりの学問的方法論に則ってコツコツと積み上げられていくべきだろう。本書も、そういう一冊なのではないか。
 
 

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