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2015.09.24

[書評] 李光洙(イ・グァンス)――韓国近代文学の祖と「親日」の烙印(波田野節子)

 李光洙(이광수)について私はよく知らなかったので本書から学んだことが多い。おそらくそうした思いを持つ現代の日本人は少なくないだろう。本書を元に自分が受け止めた李光洙について書いてみたい。

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李光洙(イ・グァンス)
韓国近代文学の祖と
「親日」の烙印
(中公新書)
 李光洙は、朝鮮の文学者・言論人である。1892年に生まれた。現在の北朝鮮域である。そして、1950年に亡くなったとされる。生涯の大半を日本の植民地下で過ごした。そのことが彼の人生に大きく影響する。出自は、李朝において高官を出す家系であったが、父の代で家は没落。10歳で両親をコレラで亡くし、親族の家を転々とした。好機があり、一進会の留学生に選抜され、1905年、13歳で渡日した。
 その時点である程度日本語も習得していたらしい。翌年、神田にある大成中学校に入学した。同校は当時一高合格者数を多数出す優良校だった。太平洋戦争で旧校舎は消失し、戦後は大成高校として三鷹に移転した。
 大成中学生となった李だが学費問題で退学したが、1907年、明治学院に3年生として編入できた。そこで日本語で小説の執筆活動を始めた。バイロンに傾倒した。
 1910年、明治学院卒業後、18歳で朝鮮に戻り、前年に親族に託されていた許嫁と暮らし、五山学校で教鞭をとるが馴染めず、三年半で退職。そのまま無謀なアフリカ旅行を企てまず中国に向かい、上海で朝鮮独立運動家と出会って思想的な影響を受けた。
 中国やロシアを転々とした後、朝鮮に戻り、いったんは五山学校に復帰し、1915年に長子をもうけるが、好機があってその年、再度渡日し早稲田大学に入学。在学中の1917年、24歳のときに朝鮮語による最初の近代小説『無情』を新聞小説(毎日申報)として発表し話題となり、そのことで朝鮮新文学運動の先駆者と呼ばれるようになった。
 同時期、彼は東京で、朝鮮初の女性近代画家でかつ女性解放論者の羅蕙錫(나혜석)と恋愛をしている。1896年生まれの彼女は留学生グループのマドンナでもあったらしい。間を置かずという印象があるが、1917年には朝鮮初の女性開業医となる1897年生まれの許英粛(허영숙)と恋愛した。きっかけは、李への結核看病であった。李は離婚を経て3年を置いて彼女と1921年に再婚した。
 私生活の目まぐるしい間、1919年、李は東京で「朝鮮青年独立団」を11名で結成し、彼自身の手で「二・八独立宣言」を執筆。これには朝鮮語・日本語・英語の三版があり、日本語版は本書に附録として収録されている。2月8日に神田のYMCA会館で発表され、これが現代の大韓民国が自国政府の起源とする三・一運動につながっていく。なお、三・一運動での独立宣言書は崔南善(최남선)が起草した。
 李はその後、学費滞納による早稲田大学除籍にも合わせ、上海に一時避難したが、運動も早々に冷め、韓国に戻り、合法的な独立運動を目指すようになり、文学創作にも力を入れていくようになる。余談だが、彼は関東大震災の東京にはいなかった。
 ここでいったん、李の生涯の話を中断したい。われらが李はこのころ、だいたい30歳という年齢である。ここまでの流れで見れば李は、どう見ても現代韓国の建国物語で称賛されるべき英雄と言っていい。そのせいか悪口の類だが、三・一運動で李が死んでいたらよかったと思う人がいても不思議ではない。だが、その後の彼の人生は、見方によっては、「親日」と取られる道を彼は歩み出す。
 その前にもう少し。私は本書を読みながら、本書にあまり指摘がないのだが、これは重要なんじゃないかと感じることがあった。李光洙はこの年代、若いせいもあるが、私が見る印象では、イケメンなのである。現代の韓流スターよりイケるんじゃないかと思う。私の感性は昭和なのでなんだが、ついでに言うと、羅蕙錫も許英粛も美女である。許英粛に最初に惚れたのは李のほうだったが、許としてもまんざらではなかったのではないだろうか。
 李がイケメンだったことについては、写真を見ての主観以外にも傍証できそうな挿話ある。李の友人で、慶応大学で永井荷風に師事した作家・山崎俊夫が、1914年に『耶蘇降誕祭前夜』という小説で「李光洙」を登場させている。小説の「李光洙」はロシアの血を引く金髪碧眼なのだが、話は簡単に言えば、美しい病、つまりBL。そこにどどと落ち込む物語である、らしい。ちなみに同作品は生田耕作編・山崎俊夫作品集の上巻に収録されている。さて、そんなことどうでもいいじゃないかと思う人がいるかもしれないが、私はこれはけっこう重要なことじゃないかと思うのである。
 30歳以降の李光洙の人生だが、結核を抱えながらも人気作家となるが、1934年、許との間の6歳の男子を敗血症で失うことにで、李と許の人生は少しづつ離れていく。結果として、それが許の人生に寄与し、李の生涯を守ることになるのが興味深い。
 李の独立志向は1937年の治安維持法による逮捕から、明白な転向意識ではなかっただろうが、作家として小林秀雄など日本のとも交流を持ち、いわば体制に取り込まれた形になる。「香山太郎」として創氏改性もした。日本語の小説も書くようになった。李自身の意識としてはしかし、日朝という関係よりも、当時の知識人の風潮でもあった、アジア対西欧という枠組みに捉えられたのかもしれない。本書も、基本的にはそうした流れで見ている。
 光復後、彼は形の上で許と離婚し、しばらく筆も断っていたが、これまでの人生の懐古なども著すようになる。彼自身の意識としては、「親日」であったことも反省もあるが、それでもずっと朝鮮人国家独立の意識を維持していたという思いではいたのだろう。もちろん、朝鮮では反感は買ったらしいし、その後もそうした評価は続く。
 1950年、李は持病の結核で伏せっていたところ、朝鮮戦争での北朝鮮軍の進撃に巻き込まれ、平壌に連行され、その年に持病がもとで死去したとされる。本書は「詳らかではない」とし、北京での死亡説なども載せている。
 李の死を探したのは妻だった許である。彼女が78歳で1975年に死去した後も、二人の子供達は探し続け、1991年に北朝鮮から消息を聞いた。それによると1950年10月25日に亡くなったとのことだ。ちょっと気になってウィキペディアを除くと、この説がさも確定したかのように記載されていた。
 さて、本書で描かれた李光洙をどう見るべきだろうか。文学者として見るなら、その作品自体の評価とその影響を評価すべきだろう。後者は、同時代的にはその名声からもわかるように高いが、光復後は「親日」として概ね低い。そもそも「親日」というのは、韓国の政治風土では「日本に親しむ」ではなく、「反逆者」といった意味合いが強い。本書はその難しい、隘路のような部分をよく描き出している。
 彼の文学作品の評価はどうか。私は恥ずかしいことに一読もしてない。ただ、本書から伺うかぎりは、大衆作家に近い印象を受ける。とはいえ、本書でも記しているが、朝鮮語で近代小説を最初に生み出す困難さや、その過程に近代文学の成立を先行していた日本語の影響は興味深い。
 誤解なきように言えば、だから近代日本が素晴らしいとナショナリズム的なことが言いたいわけではない。ただ、近代の日本文学が、朝鮮と中国の近代文学、さらには近代語の土台形成に寄与したとは見てよいだろう、というだけである。ノルマン征服でイギリスに現代につながる「英語」が形成されたと同じような意味合いである。
 本書を読み終えて、冒頭述べたように、これは勉強になったなということに加え、二つのことを思った。
 一つは、ひどい言い方だが、李光洙をどう見るべきだろうか、として焦点化して見る必要はないのではないか、ということだ。彼はけっこう気まぐれな感情で行き当たりばったりに生きて、そしておそらくイケメンの典型的な人生の影響もあって、まあ、結果的にそうなった、そしてそうなったことが時代というものだったなあ、ということでも言いように思えることだ。
 めちゃくちゃなことを言うようだが、誰の人生も、早世で余程明確な意志がなければ、後半生に至って、些細な支離滅裂さを覆う凡庸のなかに収束するものだ。むしろその凡庸さの自覚のなかで、何を築き上げたかという達成が問われるが、その意味では、李光洙は韓国近代文学を作ったということだし、それはもっと卑近に言えば、現代の韓流物語の枠組みを作ったということもあるだろう。
 本書でもう一つ思ったのは、女医となった許英粛の生き方である。率直に言うと、李光洙よりも許英粛の評伝のほうが歴史的な意義があるのではないかと思ったのである。彼らの間の子供は二人、その後、米国で博士号を取り、米国で暮らしている。つまり、米国民となった。李光洙がこの世に残した縁者がすべて米国ということではないのかもしれないが、基本的に子孫は米国人となった。
 私は、ここでふと「つまりそういうことなのだと」と呟いて、そのあと「どういうことなんだよ」と自分で突っ込みを入れて、困惑する。なんと言ってよいのかわからない。この感覚は、現在の日韓関係に微妙に通じている、気がする。韓国の歴史は、韓国人は好まないかもしれないが、日本の側でそれなりの学問的方法論に則ってコツコツと積み上げられていくべきだろう。本書も、そういう一冊なのではないか。
 
 

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2015.09.22

[書評] 湯川博士、原爆投下を知っていたのですか――〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生(藤原章生)

 不思議な本だったと言ってみて、少し違う。次に、恐ろしい本だったと言ってみて、やはり少し違う。その中間に位置する本だろうかと考えて、再び、沼に沈むような感覚に襲われる。

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湯川博士、原爆投下を
知っていたのですか
〝最後の弟子〟
森一久の被爆と原子力人生
藤原章生
 普通に考えれば、書名は副題の「〝最後の弟子〟森一久の被爆と原子力人生」だけでよかっただろう。なぜなら本書の表向きの価値は、「森一久」の評伝的な部分にあるからだ。その意味ではむしろ、書名の「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」は、無理に人の関心を煽っている印象がある。だが、ここでまた戸惑うのだ。この書名は正しいのだろうと。つまり、「湯川秀樹は事前に原爆投下を知っていたのか?」 もちろん、それが荒唐無稽に聞こえることはわかるし、それゆえにある種の困惑が伴う。
 本書は冒頭で、新聞記者でもある著者・藤原章生と森一久との最後の出会いが描かれている。そこで森は思いがけぬ嗚咽を藤原に見せる。唐突な切り出しだが、本書を一読して再びこの冒頭のシーンに戻るとき、なんとも言えない、なんだろう、胸にこみ上げてくる嫌な感じがする。そこが本書の本質に関連しており、その本質は、私たちの社会と原子力の向き合い方のある原点が関連している。言葉にしにくいが。
 そこをとりあえず素通りして行くなら、本書は、書名の、ややスキャンダラスな問いかけを使って読者の気を引きながら、実際の叙述の大半は、森一久という人間の生涯に触れていくことになる。そもそも森一久とは何者か?
 読売新聞で科学専門の論説委員をしていた中村政雄が、本書で上手にその一面を描いている。

「森いっきゅうはね、原子力村のドンだよ」
 森さんの本名は「かずひさ」だが、親しい人たちはほぼみな「いっきゅうさん」と呼んでいた。
 「彼も僕も酒を飲まないので、プライベートなことや心情を話すことはまずなかったけどね。とにかく頭が良くて、左から右まで人脈が広くてね。よく勉強する人だから尊敬し、親しくさせてもらっていた」
「ドン……ですか?」
「うん、ドンだね。日本の原子力村を動かしてきた人だよ。まあ、本人には権力も財力もないし、名誉欲なんてものとはまったく無縁な人だったけどね。彼の城、原子力産業会議なんていうのは、森さんがいなけりゃ何の意味存在感もないところ。ただ、森さんは人脈がすごいから、省庁も何か決めるときは『森さんに一応断っとけ』『森さんに聞いてみよう』といった存在になっていたんだね」


「あの人はまあ、黒田官兵衛みたいな軍師、策士だね。金も権力もないから、例えば東電を動かそうとする場合、自分で乗り込んでいってがんがん言うなんてことはしない。原産は東電なんかの協力金でもっているところだから、そんな偉そうなことはできないからねえ。どうするかっていうと、役所や新聞記者、メーカーの社長とかいろいろな人脈を使って、外堀から動かしていくんだ。あらゆる人を『これはこうしなくちゃだめだ』って説得して、その気にさせて、東電を包囲していくわけだね」

 その森一久という人は、現代人の薄っぺらな知性に適したウィキペディア的にはどう描かれているかというと、その項目が存在しない。正確に言えば項目だけしか存在しない(参照)。なぜなのか?
 フィクサーのように影に隠れる人だったのか。そうでもない、公式に簡易に説明もできる(参照)。

もり・かずひさ 京都大卒。故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ。中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材。1956年の日本原子力産業会議設立時に職員となり、専務理事を経て96年副会長。広島市中区出身。74歳。

 過不足ないかに見える紹介文である。だが、ここから原子力村のドンであることは読み取れない。
 どういうことなのか? 本書に戻る。

 電力会社などが出資する原産に権限はないが、推進派から反対派までの多岐にわたる人脈、半世紀の経験が森さんの影響力を強め、「ドン」と呼ばれるまでになった。しかし、生涯、黒衣に徹した人だったため、原子力史に名前が出てくることはほとんどない。

 重要なのは、森一久が「原子力史に名前が出てくることはほとんどない」ということで、そういう人が、原子力村のドンだった。それはどういうことなのか? そこがこの本のまず第一番目の価値になる。
 簡素な彼の経歴をもう一度見てみよう。森一久とは何者か? 「中央公論社で9年間、記者として原子力問題を取材」ということで、つまりジャーナリストなのである。ジャーナリストがなぜ、そのドンのような影響力を持ち得たか。本人の能力もだが、原点は「故湯川秀樹博士の下で理論物理を学んだ」からであり、若い日には彼の活躍には湯川博士の事実上の支援があったからだ。森がそもそもジャーナリストとなったのも湯川博士の勧めもあった。このあたりは本書に詳しい。
 それにしても「原子力村のドン」とは、どういう存在だったかのか。福一事故後の現代からそこを顧みたとき、彼はどのような存在に見えるのか? 本書を読まなくても、原子力村のドンなら、原子力開発の推進者であったと理解され、そこで条件反射的に否定に構えてしまう人もいるだろう。が、その前に森は高木仁三郎(参照)とも懇意にしていたことを留意すべきだろう。
 そうして見ていくと、「森一久とは何者か?」という問いの深みが感じられてくるはずだ。そしてさらに経歴を見直すと、「広島市中区出身」ともある。先に本書の冒頭での森の嗚咽に触れたが、晩年の森が、広島原爆で不明となった母親を探す想起のためであった。
 ではなぜ、原子力爆弾を憎んでいた人間が、原子力村のドンになってしまったのか? そしてドンの立場から、また晩年、そこから離れていくとき、彼はどのような懊悩を抱えていたか。そのあたりは本書の後半に詳しい。そして中盤は、そもそも「ドン」なるものを生み出してしまう、日本権力の奇っ怪さをかいま見る面白さもある。後藤文夫も興味深い。
 ここで再び、最初の疑問に戻る。書名の問いかけである。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」ということだが、どうなのか。そもそもこれはどういう問いなのか?
 こういう逸話が語られている――1945年5月、京大工学部冶金学教室に入学したばかりの水田泰次が、冶金学の西村秀雄教授から、特殊爆弾が広島に投下されるので危険だから家族を疎開させなさい、と言われた。その場に湯川博士も黙ったままだが同席していた。そして水田は西村教授の示唆で家族を広島から離したため、原爆の被害に遭わないで済んだ。
 この逸話を70歳過ぎた森一久が知り、困惑する。西村教授と同席していた湯川博士は当然その話を聞いているのに、なぜ、広島に家族がいる自分(森)に広島原爆の事前投下を教えてくれなかったのか? 湯川博士はこのとき何を考えていたのか?
 その逸話が晩年の森を苛ませる。湯川博士も広島原爆投下を知っていて、広島に家族がいる森に知らせなかったとしたら、その理由もだが、その後の良心の負い目から、ジャーナリストになった森を贔屓してくれたのではなかったか?
 問いは、実は錯綜している。
 冶金学の西村秀雄教授に広島原爆投下の情報は本当に入っていたのか? 水田の話では、西村教授に米国の学会から秘密裡に情報が届けられたということだった。だが、それはその時点では憶測や偶然だったのではないか。西村教授がそうした情報に触れるわけがないとする取材も本書には含まれている。
 また湯川博士だが、その話を聞いても、憶測に過ぎないと聞き流しただけなのではないか。それでも、事後に森に対して良心の呵責を感じた可能性はあるかもしれない。
 あるいは……私は本書を読んだ後、ぼんやりと思ったのだが、情報は実は、湯川博士に先に入っていた可能性はなかっただろうか。
 この陰謀論のような問題の、そもそも成立条件だが、まず、1945年5月の時点で、広島原爆投下が米国で計画されていなければならない。もとの情報がないならこうした話題は雲散霧消するべきだ。だがそこは本書を読んでもわからない。
 5月の時点で広島投下が決まっていたら、それは日本に極秘ルートで伝えられた可能性はあるだろうか? 
 本書には書かれていないが私は少しこう考えていた。広島原爆の模擬弾である多数のパンプキン爆弾の存在とその投下点である。投下点の候補は、京都、広島、長崎、新潟の四点と見られていた。京都は有効でなく、新潟は山本五十六への復讐という象徴的な意味であろうから、実際には広島・長崎は、多数のパンプキン爆弾の製造を考えると妥当であるように思われる。この際のポイントはまさに、パンプキン爆弾を多数製造する「冶金学」の技術になるだろうから、そのルートでの西村教授への暗示は存在した可能性はありうるのではないか。
 また当初の問題に戻る。「湯川博士、原爆投下を知っていたのですか」と。本書のネタバレのようになるが、本書は悪意ででも意匠でもないだろうが、結果的に慎重にこの問いの答えを避けている。
 仮に、読者の判断に任されていると言ってよいなら、私はどう答えるだろうか。本書の読後(あるいは毎日新聞連載後)、いろいろ考えたのだが、西村教授へのなんらかの通知はあっただろうし、湯川博士はそれを妥当と見ていたのではないかと思うようになった。すると湯川の脳裏には、広島原爆は想起されていただろうとも思う。ただし、そもそもファインマンを含め、マンハッタン計画に参加した科学者はあれほどひどい兵器になると想定していなかったふうもある。
 さて、そもそも本書はなぜ書かれたのか。本書の内容は、2014年から連載されている毎日新聞(朝刊2面)大型企画「戦後70年」『原子の森、深く』をベースにしたものある。その意味では本書の大半はネット上でも読むことはできる(参照)。
 しかし加筆され整理された書籍として読むと、また印象が異なるものである。こう言うと何だが、森一久は70歳以降、JCC事故もだが、ある種、正気のなかで狂気に接していたのではないだろうか。こういう言い方は奇妙だが、集団的な狂気が緩慢に行き渡っている空気のなかでは、正気であることが狂気に近いものを駆り立てしまうことがある。それをどう受け止めてよいのか。また、湯川秀樹が抱えていたかもしれない、ある種のニヒリズムがあるなら、それをどう受け止めたらよいのか。
 本書の読み方を超える部分ではあるが、そこは重く日本の市民にのしかかるものがあるだろう。
 
 

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2015.09.21

[書評] ナグネ――中国朝鮮族の友と日本(最相葉月)

 読まれるのなら、そして「ナグネ」という朝鮮語の意味を知らないのなら、その知らないままに読まれるといいと思う。ネタバレということでもないが、全体を読み終えたときに知るその深い意味合いが、本書のもっとも深いメッセージであろうと思うからだ。おそらく本書は、副題にあるように、「中国朝鮮族の友と日本」として、つまり、友情と日本、という二つの交点から読まれるだろうし、そのことを著者も意図しているだろう。だが、結果的に描かれているものは、人間とは何かという問いかけである。

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ナグネ
中国朝鮮族の
友と日本
(岩波新書)
 書籍として描かれているのを見れば、副題が暗示するように最相葉月の「中国朝鮮族の友」であり、その友達との友情なのだが、そこに現れてくるのは「日本」とは何かという問いかけであり、それは友情のある違和感から浮かび上がる。
 「中国朝鮮族の友」は、1999年に来日していた19歳の中国朝鮮族の女性である。生まれはだから1980年であり、今年は35歳になる。対して、最相は1963年の生まれ、1999年に35歳だった。すでに彼女は『絶対音感』で有名なノンフィクションライターになり、『青いバラ』の取材中だった。二人の間には、16歳の歳差があり、物語はそして16年の物語になる。
 出会いは――最相によると――偶然だった。西武園ドームでのバラの展示会の帰り、西武新宿線の小平駅のホームで、その19歳の女性に「これは高田馬場にいきますか」と問われ、その電車に同行し、知り合い、来日理由や、朝鮮族、地下教会のクリスチャンという話を聞く。最相は支援の思いもあって、彼女に執筆資料の整理のアルバイトを頼み、知り合うことになった。すぐ、日本での保証人にもなったという。そこから16年の、最相から見た、彼女の日々が綴られている。この、友情ということに偽りはないのだが、友人でありながら、外国人だからということでもなく、他者としての関わりが、本書の面白さの一つである。結果的に最相という人を反照してもいるし、その反照のなかで、読者の大半である日本人に日本人であることが問われる。
 本書は、2014年1月、最相がその中国朝鮮族の女性と一緒に、故地である哈爾浜(ハルビン)への旅行記から、やや唐突に始まる。その中で、小平駅での出会いなど経緯も物語られるのだが、第一章は「中国朝鮮族の女性」という存在を支える歴史風土、そしてその関わりでの日本の歴史に主軸が置かれる。そこは岩波新書らしい物語だなという印象で、それなりの完結性を持っている。その意味で、そこで終わりの物語でもよかったのかもしれないが、第二章から16年の友情の内実を通して、一章の背景がさらに深められる。これが非常に面白い。最相がどのように他者と関わってよいのだろうかという、そのためらいの内省が、結果的に「他者」というものを描き出し、凡百の熱い国際友情のノンフィクションをきれいに超えていく。皮肉に取らないでほしいのだが、そうした他者の目から見える人間像は、別の複数の物語の想像の余地を残す。そのある不確かさこそ、人間存在や世界というものを豊かに描き出す。
 なぜ本書が描かれたかも興味深い。結論を言えば、最相の意識のなかの「他者」意識と「友情」の関わりの、微妙な齟齬が産む「負い目」の感覚の相互的なやりとりが基点になっている。いや、そもそも友情というのは、そうした「負い目」に本質を持つものなだということが、現代の日本では失われやすいのかもしれないなか、この奇妙な感覚が、物語を引き寄せるところは、とても文学的だとも言える。
 正確な意味では、本書はノンフィクションではない。対象への配慮が必要なこともあり、「本書では彼女とその家族の名前や実家の所在地についてはすべて仮名を用いた」とある。当然であるが、その仮名であることは物語にもフィクションの要素を結果的に混ぜざるを得ない。これは批判ではない。フィクションであっても構わないほどに強固なリアリティは描かれている。
 主人公は、「具恩恵」と呼ばれる。仮名だろうがおそらくそこにもなんらかのリアリティは保証されている。彼女は「中国朝鮮族」なのだが、「中国朝鮮族」とは何か? これが、本書の岩波新書的な主題でもある。結論を言えば、日本が関わった戦争の結果と言ってよいだろう、現在の北朝鮮の地域から現在の中国に終われた人々であり、彼女の祖父母世代は、普通に朝鮮半島の住民であり、つまり、「日本人」だった。恩恵の父は、1947年に哈爾浜で生まれているから、在中国二世になるかもしれず、そのあたりが、中国政府的には「中国朝鮮族」とする根拠だろう。それはその面では、普通に「中国人」でもある。当然、韓国政府としては別の対応もあり、そのことも本書の後半に興味深く説明されている。日本では、「在日」として異郷に出た朝鮮人が焦点化されるが、朝鮮人は中国やソ連などにも出て行かざるをえない近代の歴史を抱えている。
 関連していえば、彼らの居住域は満州族なのだが、満州族はすでに満州語を失っている。他面、朝鮮族はそこまでにはなっていない。このことは奇妙な逆説を生み出す。

 つまり日本占領によって日本語を強制された朝鮮人は、戦後、中国朝鮮族になった当初は「満州国」の延長戦で日本語を学ぶしかなかったが、文革終了後はその歴史や思想性をそぎ落とし、朝鮮族コミュニティと朝鮮族の民族文化を守るための道具として、自らの意志で日本語を選び取ったのである。日本語と朝鮮語では文法や単語に類似性があることや、漢族には日本語ができる人がほとんどいないということも、朝鮮族が他の民族と異なるスペシャリティとして日本語の価値を見いだした理由だった。

 本書では指摘されていないが、このことは日本でも密かに知られていたようだ。

 国際交流基金の委託で行われた初めての日本語学習者数調査(一九九〇)によれば、中国における約二十万人の日本語学習者の内、その三割が朝鮮族だったという。

 おそらく、中国人に対する日本語教育の補助は、日本の戦後処理の一環の意味合いもあったのだろう。
 本書は、岩波新書らしい枠組みでは、「中国朝鮮族の友」を描くだけで十分だとも言えるのだが、先も触れたように、友情と他者は、「具恩恵」という女性の強烈な個性を描き出している。強烈と言ってもいいのだが、その、凡庸な日本人の感受のなかに、こういうとよくないのだが、「こういう人知ってる」という「あるある感」がある。この強烈性は、彼女のキリスト教信仰も関連しているのだが(長谷川町子の姉のように)、日本人だと、ついキリスト教をその宗派や集団の特性として見がちだが、ここに描かれているキリスト教はそうしたものを超えて、キリスト教というもののもっとも原形を結果的に描き出している。
 くだくだ自分なりの感想というか解説めいたものを書いたが、しかし、一言でいうなら、この本はお読みなさい、ということに尽きる。
 
 

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2015.09.20

[書評] スーパーヴィジョンのパワーゲーム ―― 心理療法家訓練における影響力,カルト,洗脳 (リチャード・ローボルト)

 社会に読まれるべき内容でありながら、専門書ゆえに読みづらいという書籍がある。あるいはすべての専門書が本来はそうであるのかもしれない。そこで社会と専門書の間を取り持つような本、あるいは本のようなものが必要となり、書かれることがある。

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スーパーヴィジョンのパワーゲーム
心理療法家訓練における
影響力, カルト, 洗脳
 専門書の著者に新書のような体裁で執筆することを編集者が頼むことが多いだろう。そしてそれらのいくつかは成功するが、多数は失敗する。と、もったいぶった言い方をしたが、「まあ、それはそういうものだ」ということでしかない。だが、起点にあった「社会に読まれるべき内容」はどうなるのか。取り残されてよいわけはない。本書を読みながら、この内容は実は「社会に読まれるべき内容」なのだという思いが、先見的な失敗を予想するとき、たとえば読者としての私は、さて、何を言ったらいいのだろうか、と思う。
 申し訳ない、散発的に思うことを書いてみたい。本書は何が書かれているのか? なぜそれが「社会に読まれるべき内容」なのか?
 何が書かれているのか? 本書は論集であるが、私が全体として見たところでは、3つの層が感じられる。(1) 精神分析が持つ専門的な問題、(2) 社会を組織する師弟関係の本質的な危機の問題、(3) 現代社会の「心の問題」を受け取る側のもっとも性急な課題。その3層は、第3層から順に「社会に読まれるべき内容」にも関連している。
 3層目、現代社会の「心の問題」を受け取る側のもっとも性急な課題、というのは、カウンセラーやセラピスト、相談員、といった「心の問題」の専門家のあり方の問題である。同時に、その問題を介して、「心の問題」を抱えた一般の社会の人に影響する。
 「心の問題」を扱う技術は、プログラミング技術、調理技術、翻訳技術といった、技能教授とは異なり、そのセラピストの心も危機にさらす側面がある。そこでは「先生」「師匠」といった指導が求められるのだが、その先生が先生たる理由は、個別技能を超える部分において、心の権威となって現れてしまう問題である。疑似宗教的な、教祖と信者の関係が形成されやすい。
 本書表題「スーパーヴィジョンのパワーゲーム」は、ゆえに「管理・指導における心の権力支配の悪弊」と訳してよいだろう、と思う。というか、私はまずそう読んだ。ゆえに副題の「心理療法家訓練における影響力,カルト,洗脳」と続くのもその理解によるものである。
 その点で言うなら、本書は、カウンセラーやセラピスト養成・維持のためにその専門集団のなかで求められる問題であり、宗教的な権力を解体しつつ、効果的に市民の心の問題に取り組むための技法が書かれている、と言ってよいだろう。実践的な書籍であり、特に、第3部はその実践面を扱っている。ただしそれらは試案として扱われ、プログラム的に扱っているわけではないので、そこでは実践面はまだまだ難しいかもしれない。
 言うまでもないが、カウンセラーやセラピストが、「先生や師匠との関係」に由来する、宗教・思想的な偏向があれば、心の問題を抱えた市民にそのまま悪影響をもたらす。この事は、カルト宗教やカルト的な政治団体の内部で、自然に行われていることでもある。その意味での、カルト的な洗脳とカウンセラーやセラピストの内面の関係については、本書の第1部で内省的に扱われている。
 おそらく本書の社会的な有効性の側面は、この三層目に集約されているし、その面でさらに「効果的なスーパーヴィジョン」という実践書が別途書かれてもよいだろう。実際、そうした書籍もある。
 しかし、と私は思う。本書の価値は、第2層とした「社会を組織する師弟関係の本質的な危機の問題」のほうが深い。私がここで言おうとしていることは、心の問題として切り出され、またカウンセラーやセラピストとして浮かび出されいない心的権力の関係が、実は日本社会のかなり隅々まで行き渡っていることである。
 例として、ネットで見聞きした程度で実態を知っているわけでもないので外しているかもしれないが、よく見かけた居酒屋経営にまつわる指導・精神論など、実態は、スーパーヴィジョンのパワーゲームの問題だっただろう。
 また日本社会では、英語教授法のようなシンプルな指導の領域ですら、同種の心的支配による指導法が見られる。ようするに、先生・師匠・指導員という人たちが、日本社会では実際には、擬似的な宗教を広げることで、雇用者や生徒を「洗脳」している。もちろん、日本社会に限定されるわけでもないが。
 この問題については、その先生・師匠・指導員にとって、パワーゲーム(精神権力の乱用)実践の自覚もない状態なので、より深刻な問題である。そしておそらくそれに対抗できるのは、同様に心の問題の専門家だろう。その点でも本書の知見は有効になるだろう。なかでも第6章の「密かな対人支配法」は重要な指摘に満ちている。痛ましいと言ってもいいかもしれない。
 本書で、私にとって最も興味深かったのは、第1層とした「精神分析が持つ専門的な問題」である。これは基本的にあるいは本質的に精神分析が持つ最大の問題だとも言えるだろう、と思う。どういうことか。
 精神分析は、昨今のネットレベルでの知的言説としては「非科学」「似非科学」に過ぎない。しかし、そんなことは取り分け言う意味もない程度のことである。精神分析とはそもそも、人の心の問題を扱う特殊な技能の分野であって、むしろ科学を超えている面がある、とまで言うと、冗談にしか聞こえなかっただろうが、近年DSMの問題が浮上し、反面、おもにこの10年間と言ってよいだろうが、人間の内省の基本構造を見つめていくなかで、むしろ精神分析の意義が問い直されている。その動向の全体像も、本書からは見渡せる。序論からもうかがわれる。

 精神分析は癒やしの歴史のなかで比類ない地位を占めている。精神分析は名声を求めた才能ある若い医師によって生み出され、ヒステリーの迅速な治療法として1890年代に舞台に登場した。やがてこの話すことによる治療という新しいやり方は伝統的な精神医学を時代遅れにする運動となり、21世紀の大衆文化の多くの側面を変容させた。しかし、抗うつ薬プロザックがもてはやされる現代では、精神医学は再び臨床と心理療法の激しい論戦の場に戻ってきた。精神分析にもはや主導権はないし、おそらくもう取り戻すことはないだろう。それでも精神分析は、プラトン的な意味での「対話」の内的な価値と、重要な治療形態として執拗に固執してきた。現代の精神分析は、いくぶん皮肉なことに、ついに本来の姿に戻りつつある。(後略)

 しかし、そこでの論点は二つに分かれるように思われる。一つは、主に米国における精神分析諸派間での調整の問題、あるいは職業としての分析家が「本来の姿に戻りつつある」ことの意義である。残念ながら、この部分については、市民の側にとって関心が持てるものは少ない。
 もう一つは、「本来の姿に戻りつつある」なかで、創始者のフロイトが抱えた問題が再発見されることである。
 ここが私にとってはもっとも興味深い点ではあるが、本書が論集という性格もあり、全体像のなかではうまく浮かび上がってこないように思えた。
 端的に言えば、いや、端的とは言えないかもしれないが、主に「転移」とされる自我防衛機制のなかで、前エディプス期の心性が、クライアントと分析家の関係のなかで再経験される問題である。この再経験のなかで二者にとってパワーゲームへの誘惑が必然的に生じるし、フロイトはそれが生じることを治療の契機ともした。このため、その扱いこそが、精神分析の最大の技術となっている。
 このことは、本書からは明瞭には読み取れないのだが、背後にある本質的な問題意識になっていると、私は読んだ。特に、これがラカン派の動向にも深く関連していて、本書では、ラカンとラカン派についての考察となっている第8章「制度のクローン化」に詳しい。ただし、この論文では「転移」が焦点化されているわけではない。
 本書の範囲からそれるが、スーパーヴィジョンのパワーゲームが社会を覆うとき、そこに歪められた押し込められた人間の内面は、独自の「転移」のようなしかし欺瞞的な人間関係を欲してしまい、心の病理を強化してしまう……ように私には思われる。SNSを介したどろっとした監視的な親近感と憎悪感や、対抗的・支配的な恋愛と性の関係とその忌避は、そうした問題の系から導かれたものではないだろうか。
 しかし難しいのは、フロイト的な意味での「治療」、つまり、転移の再認識を経て悲劇的な近代自我を再形成するということは、もはや現代の社会に適合してはいない。
 現代では、傷ついた心には、ある種の暖かなコミュニティが必要とされるだろうし、それは本書の前提なっているようにも読めた。と、同時にそのコミュニティもまたカルト的な問題を生むため、本書の問題意識が浮かび上がっている。そうした部分は、日本はまだ明瞭には見えてこないように思われる。見えてこないから、SNS的な陥穽となる悪循環か、あるいは、暖かなコミュニティを目指しつつ共同の憎悪対象の幻想を社会に撒く奇妙な衝動のようにもなるのだろうか。
 本書は論集なので、細部で興味深い知見が満ちている。私の場合は、どうしてもフロイト派に関心を向けてしまうが、読む人によって受け取る部分は異なるだろう。それでも、スーパーヴィジョンのもつ疑似宗教的な問題意識の全体像は明瞭になっている。
 

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2015.09.18

[書評] セラピスト(最相葉月)

 「積ん読」という言葉は英語にはないらしいという話題を先日見かけ、いや、英米人でも、未読の本を積んでおくことはあるだろうと思い、いやいや、「積ん読」というのはあれで、未読でもない、一種の読書形態なんだよなと思い返し、そして、そういえば、と積ん読山から既読山に目を移して、『セラピスト(最相葉月)』(参照)を見かけ、うーんと呻ってしばし。
 何を思ったかというと、ブログに書こうかと思いつつ、まだ書いてないのだった。こういう本はなんというのだろか。「未ブログ読」だろうか。

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セラピスト
(最相葉月)
 『セラピスト(最相葉月)』は、「心の病」に現代日本人が向き合うとき、向き合われる側――それがつまり「セラピスト」――はどのようにノンフィクション的に描くことができるだろうか、という本である。まあ、とりあえずそう言ってよいだろ。本の概要にも「心の病いは、どのように治るのか。『絶対音感』『星新一』の著者が問う、心の治療の在り方。うつ病患者100万人突破のいま、必読のノンフィクション」とあるくらいだ。
 と、ここで余談だが、私は『絶対音感』も『星新一』も既読である。考えてみると、このブログでは書いたことがない。と、奇妙な戸惑い感があるのは、『星新一』については、cakesの連載のほうで触れたからだ(参照)。これは労作だと思った。というあたりで、最相葉月について言及すべきか、また戸惑う。
 うだうだした話を書いているのには理由があって、本書は、最相葉月の「カミングアウト」の本でもあり、そのことが本書や彼女の仕事について、なんとも言いいがたい微妙な陰影を感じさせるからである。どう言ったらいいものか。
 自由連想のように言ってみる。「カミングアウト」と言っていいものかもためらうが。

 個人的なことを書くことをお許し願いたい。私はずいぶん前から、自分がなんらかの精神的な病を抱えていることを自覚していた。ときどき風景が止まって見える。睡魔が襲う。重いときには、テレビのお笑い番組で笑えず、毎朝毎晩読んでいた新聞を読めなくなる。(中略)物事の判断力が鈍り、わけもなく涙がこぼれる。このままでは死ぬしかないと思い、首をつろうとしたこともあった。

 率直にいうと、そんなこと誰でもある。ないよ、という人もいるのは知っているが。ようするにこれは、まずは、自己認識の問題ではある。いや、それがどういう意味を持つかという問題であり、これは実は、先日読んだ中村うさぎ『他者という病』(参照)でも考えさせられた。かなり。
 最相に戻る。で、彼女はどうしたか。「セラピスト」に行ったのである。が、その前にもひとつ、自己認識の問題に関連して重要なことがある。

 この分野を取材し、専門機関でも学んでいたから、ある程度、それらの症状が何によるのかはわかる。しかし、私は自分にその診断が下ることを避けてきた。

 理由はこれまで乗り越えられたからだというのだが、2012年の夏からそうもいかず、2013年に入ってある町医に行ったという。
 で、どうか。いやその前に。本書の取材がいつから始まったのか、2008年と見てよいだろう。木村晴子への訪問である。そのきっかけは、その前年河合隼雄特集の雑誌で彼女の論文を読んだことらしい。本書の背景の時間はざっと5年の日々とまず見てよいだろう。
 さて最相は仕事とプライベートは分けるということで、取材で知った「セラピスト」は避け、ネットの口コミで選んだ町医に行った。診断は、双極性障害Ⅱ型。DSMを単純に適用すると鬱病のはずだろうと彼女は思っている。
 私はこうした過程を見て、率直な思いが浮かぶ。表現はよくないのだが、「ああ、それが病気だ」と思ったのである。付け足すと、「私と同じだな」ということでの「病気」である。どういうことか。
 自分で診断が付くのである。そして「セラピスト」の考えがだいたい透けて見えるのである。別に相手のレベルがどうかと判断しているわけではない。
 そこまで言えるのか? もちろん、言えるわけもないのだが、こうした場合、自分の診断が納得できるというのが要点で、彼女でもそのとおりになっている。「このような取材をしている最中に自分の病名を知ることになろうとは、まったく想定外の展開だった」とあるが、つまり、それで納得できたということであり、この無意識の全体構図がおそらく本書の全体を薄く覆っている。自分でうまく表現できたとも思えないが、つまり、これが自己認識の問題ということの意味である。
 もうちょっと言う。私もこの手の事は結果的に詳しい。で、どうかというと、私の場合は、まず精神的な問題としては医師のもとには行かないだろう。個別の身体症状についてそれに適合した医師に向かい、その結果、心療内科なりが勧められたら検討するだろう。
 別の言い方をすれば、心の問題であれば、まず心の問題としては精神科医ではなく「セラピスト」を探すだろう。
 私は何を言っているかというと、医療としての精神とは、単純に言えば、脳の疾患だが、心の病とは脳の疾患というより、脳機能の疾患、つまり生き方の問題だろうと思うからだ。
 というか、それが精神分析学やロジャーズ的カウンセリングにつながり、医療とはうまく結びついていない。……ということを私は知っているからだ。いや、これは逆説として私は語っているのである。つまり、そうした心の動きがすでに「病気」なんだと。
 少し、この、「私」語りを本書から離して、本書に戻ると、その風景からも興味深い。

 三分療法、という言葉があるように、決してこれは珍しいことではない。私は現在の主治医に会う前に都内で二人の精神科医に受診したことがあったが、どちらも医師も訴えにじっと耳を傾けることなく、こちらの顔もちらりと見ただけでパソコン画面に目を移し、簡単な質問を二つ、三つする程度だった。家族構成も聞かれないし、仕事の内容も聞かれない。眠れないなら睡眠導入薬、過呼吸なら精神安定剤。症状に応じた薬がその都度処方されるだけで、具合が悪くなった理由を訊ねられることはなかった。(後略)

 ということなのである。これは、ひどい、のではない。

理由を問わないことが精神科診療の標準であること知ったのはこの取材を初めてからである。

 批判を意図したいわけではないが、実は、この「無知」は本書の基底にある。本書は、大半は、河合隼雄と中井久夫についてのノンフィクションとなっている。中井久夫は精神科医であるが、上の文脈の精神科医ではないし、まして河合隼雄はユング心理学という一種の精神分析学にある。そして、この二人に微妙に対置したかたちで、カール・ロジャーズが問われている。彼女の町医とは異なるのである。つまり、普通の悩める人が行く町医はそうではない。河合隼雄と中井久夫もいない。
 とするなら、本来の本書のテーマとしては、河合隼雄・中井久夫・カール・ロジャーズに対する、DSM的な精神科医の現状であってもよかったはずだが、ここは微妙に混乱しているかに見える。そしてその部分は著者の現在にも関連している。
 好意的なアイロニーとして言いたいのだが、本書は、その「混乱」を通して、日本人の現在の心の病の状況を、結果的に、上手に描き出してしまっている。
 ふう、溜息が出るが、そういうことだ。もうちょっと余談を言えば、私語りをすれば、ということだが、私の場合は、本書にも出てくる木村敏から本書には出ないフリッツ・パールズを経て、精神科医の方向性からは離れた。そして、さらに言うなら、私自身がカール・ロジャーズ的なカウンセリングで青春の一部を乗り越えたことは、自著に記した。
 そうした、ごたごたした部分を除いても、本書は興味深いものではあった。なかでも、「心の問題」が時代ともに変遷するくだりである。

 しかし、この解離性障害もやがて流行が去り、とくに典型的な多重人格のクライエントはあまり見かけなくなる。
 代わって、今世紀に入って目立つようになったのが、発達障害である。

 たぶん、そうなのだろう。
 うざく私語り的にいうなら、私のように1970年代に青年期を過ごした人間は、世界が高度資本主義に向かうのに対して、アジア的な心性や近代社会的な心性と人格(パーソナリティ)の形成に大きな齟齬があったものだが、そうしたその前高度資本主義的な部分の根が、高度資本主義の逆説的なある種結果としての自然性として抽出されれば、生得的な障害としての発達障害となるのは当然だろうと思われる。そしておそらく現代の高度資本主義は、SNSの精神病理的な傾向に対応するように、発達障害を高度資本主義への憎悪として克服しようとしているのだろう。(という構図で私にもその憎悪が向けられるのはこうした同一の精神構図なのだろう。)
 さて、エントリーも終わり。本来なら、「書評」であるなら、河合隼雄・中井久夫・カール・ロジャーズについて本書というノンフィクションがどう見たかを扱うべきなのだろう。が、まあ、本書自体がホットな問題の書として出来ちゃっているなあというのに、自分がホットに対応しちゃっているというわけですよ。でも、たぶん、本書の価値はそちらにあるだろう。
 
 

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2015.09.12

[書評] 数学の大統一に挑む(エドワード・フレンケル・著、青木薫・訳)

 たまに現代数学の本を読むことにしている。付け加えると、理解できなくても、時代の最先端の数学を解説しようとした本は読むことにしている。それでどうかというと、正直なところ、たいていはさっぱりわからない。

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数学の大統一に挑む
エドワード・フレンケル・著
青木薫・訳
 同じことは物理学や生物学・医学についても言える。ただ、そうした「わからない」に向き合うのを諦めちゃうのが、なんとなくいやだなと思っている。この本、エドワード・フレンケル・著『数学の大統一に挑む』も同じ。めっちゃ、現代数学である。もうこれは無理だろくらいの敷居の高さである。でもちょっと手にとってみたい気分にさせるのは、青木薫さんの翻訳だからだ。日本語として読みやすい。内容を理解している彼女ならではの自然さがある。もう25年以上も前になるが、彼女が物理学のアカデミズムから翻訳者なろうとしているころ、数学はお得意だったのでしょと聞いたことがある。ラグランジアンなんかも難しいと思わなかったと答えていたのが印象的だった。
 邦題の『数学の大統一に挑む』という表現はよく練られている。本書を見たとき、まず、そう思った。本書には大きくわけて2つのテーマがあり、1つは、現代数学のなかで関連が明確ではない分野(「ブレード群」「調和解析」「ガロア群」「リーマン面」など)を統一する可能性を秘めたラングランズ・プログラムについての一般向け解説書だからである。この統一は数学だけに限らず、物理学、特に超ひも理論にも関連していて、その意味では、邦題が暗黙に示唆する物理学の大統一理論との関係もきちんとある。この点には、「はじめに」とされた序章におけるクオークの発見の物語からも暗示されている。もう1つは、数学への愛情をだけを頼りにしてユダヤ人差別のソ連下から米国に脱出し、数学分野の一人者とまでなった著者エドワード・フレンケルの半生録である。この側面は同じく青木訳『完全なる証明』(参照)が描く、類似の境遇だったペレルマンの話題にも似ている。
 二面を本書として統合するのがまさに「数学への愛情」である。本書は、ラングランズプログラムの一般向け解説書というよりも、いかに「数学への愛情」がこの課題(プログラム)を引き寄せているのかという情熱の物語であり、それはかなり熱い。現題は「Love and Math(愛と数学)」としているのもそのためだろう。この熱さだが、終章に描かれる三島由紀夫が制作に関わった映画『憂国』との対比にまで至る。また情熱を補うように、ヴェイユ兄妹や、先日亡くなったアレクサンドル・グロタンディーク、谷山豊の挿話で彩られているのも読書の楽しみになる。と書いて、著者フレンケルには谷山の自殺への共感のようなものもあったのだろうなと気がつく。
 ラングランズ・プログラムがなんであるかについては、まさに本書がその概要的な解説書であり、ロゼッタ・ストーンの比喩は私のようなものでもなるほどと思えるほど秀逸である。数学史的には、その基礎であるガロワ群論からグロタンディークの層の概念を経て、各種の数学分野を統合する予想の集まり(プログラム)としてしている。この「プログラム」という響きだが、私など大学で数学基礎論の基礎を学んだ程度からだろうが、ヒルベルト・プログラムに似たようにも感じられる。
 本書は、とはいえ、その数学的な側面の記述はかなり難しい。終章前の章の終わりで、著者の父親が編集時の同書に「内容を詰め込みすぎだ」と示唆したことを記しているのも、著者自身にもその点は了解されているからだろう。
 本書はそれでも、現代数学に関心をもつ人に広く読まれるだろう。ざっと見渡したところ、ラングランズ・プログラムについての一般向け解説書は『数学の最先端 Volume 1 21世紀への挑戦』(参照)の他に見当たらないように思えるからだ。
 それでも、本書を読みながら、そうした、現代数学に関心を持つ人は、もしかすると素通りしてしまうかもしれないなとふと私が思ったことがある。著者のペンローズへの言及である。なかでも『実在への道』についての言及である。本書ではこの書名の言及に訳注がないのが少し不思議にも思えた。調べてみると、どうやらなぜか訳書がまだ存在していない。ただし、同書からの引用には、原題「The Road to Reality」(参照)についての注釈は付いている。ただの偏見かもしれないのだがペンローズの同書については日本では、タブーでもないだろうが、まともに批評したくないというような空気があるのかもしれない。日本人の科学者は、神学を連想させるような実在論は非科学的として好まないようにも思える。
 著者フレンケルはといえば、『実在への道』で示されている、数学的実在については簡素ながら同意を示し、さらにそこで合わせて実在主義者であるゲーデルにも言及している。もっとも、それ以上にこの問題へは深入りしていない。だが、本書を読み終えた実感すると、著者フレンケルが「数学への愛情」としているものは、数学的実在についてだが、ロシア正教神学でいう「エネルゲイア」に近いものではないかと、少し夢想した。原書の副題は、「The Heart of Hidden Reality(隠れた実在の核心)」なのもそれに関わっているように思えた。
 
 

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2015.09.08

日中韓首脳会議を開催へ

 報道されたときはそれなりに意味のあるニュースであっても、時が経ってみると自然に忘れられ、思い出すと、あれはなんだったのだろうか、というものがある。これもそうなるかもしれないな、という印象を少し持ったのが、この秋、10月末に開かれるとされる「日中韓首脳会議」の話題である。
 該当のニュースを、やや熱が入っているふうもあるが、NHKから拾っておこう。「日中韓首脳会議を開催へ 中韓が一致」(参照


 中国の習近平国家主席と韓国のパク・クネ(朴槿恵)大統領との首脳会談が2日、北京で行われ、韓国大統領府は、双方が日本、中国、韓国3か国の首脳会議を来月末から11月初めまでをめどに韓国で開くことで一致したと発表しました。
 韓国のパク・クネ大統領は、中国政府が実施する「抗日戦争勝利70年」の記念行事に出席するため、2日、北京を訪問して人民大会堂で中国の習近平国家主席と会食も含めておよそ1時間40分にわたって首脳会談を行いました。
 韓国大統領府は、両首脳が北東アジアの平和と安定のために日本、中国、韓国3か国の協力を発展させなければならないことを確認し、3か国の首脳会議を来月末から11月初めまでをめどに韓国で開くことで一致したと発表しました。
 また、中国国営の新華社通信によりますと、会談の冒頭、習主席は「中韓両国の人民は日本の植民地侵略に抵抗し、民族の解放を勝ち取る闘いの中で団結した」と述べ、歴史認識を巡って日本をけん制するうえで韓国と連携したいという思惑をにじませました。
 韓国大統領府によりますと、これに対し、パク大統領は、最近、北朝鮮による軍事挑発をきっかけに緊張が高まったことに触れ、「この地域の平和には、韓国と中国両国の戦略的な協力と、朝鮮半島統一の実現がいかに重要かを示した」と述べました。そのうえで、北朝鮮に挑発を繰り返させないよう、中韓両国が連携を深めて北朝鮮に働きかけていくことを呼びかけると、習主席は「緊張をもたらすいかなる行動にも反対する」と応じたということです。

日本政府関係者「前向きなメッセージ」
 政府関係者はNHKの取材に対し、「日本側にも、中韓首脳会談で一致した内容について、事前の通知はあったが、日本として、日中韓首脳会議についての具体的な時期の詳細について合意したわけではない。ただ、年内の早期開催を目指してきたということは一貫していたので、前向きなメッセージと受け止めている」と述べました。


 このニュースを聞いたときの私の印象は、なんと言っていいのか、奇妙なものだった。その奇妙な感じをほぐしてみたい。
 ニュースの出所は、れいの謎の中国軍事バレードでの中韓会談である。読み進めると、少し驚かされる。「日本側にも、中韓首脳会談で一致した内容について、事前の通知はあったが、日本として、日中韓首脳会議についての具体的な時期の詳細について合意したわけではない」と言うのだ。修辞に覆われているが、ようするに日本にとっては「寝耳に水」の類であった。そこで、「寝耳に水」的な対応がその後迫られた。NHK「官房長官 日中韓首脳会議の日程調整急ぐ」(参照)にその一端が見える。

そのうえで、菅官房長官は「引き続き、中韓両国と一層の意思疎通を重ね、具体的な時期、場所を詳細に調整していきたい」と述べました。

 この「寝耳に水」対応だが、外交上前向きな修辞に覆われているが、時期も場所も日本側からはわからない、という状態である。
 もっとも「事前の通知」については6月末に動きはあった。産経「9月にも日韓首脳会談の見通し 外務審議官が指摘」(参照)より。
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 外務省の杉山晋輔外務審議官は29日、東京都内で講演し、安倍晋三首相と韓国の朴槿恵大統領との日韓首脳会談について、早ければ9月にも実現する可能性があるとの見通しを明らかにした。実現すれば、日韓首脳会談は2013年の朴政権発足以来、初めてとなる。

 その関連で、日中韓首脳会談の話もあるにはあった。

 日韓両政府は今月21日の外相会談で、日中韓首脳会談をできる限り早期に開催することで一致した。また韓国の尹炳世外相は、聯合ニュースが25日に報じたインタビューで、「韓日中3カ国の首脳が会談すれば(日韓)双方の接触は自然に行われる」と述べていた。

 とはいえ、今回の韓国側の提案は「寝耳に水」であることには変わりない。韓国が独走をした理由はなんだろうか。もちろん表向きは「北東アジアの平和と安定のために日本、中国、韓国3か国の協力を発展させなければならない」だが、特段今に始まったことでもない。
 この時期というなら、中国軍事パレードが関連している。このパレードの意味は、どう見ても、韓国は中国共産党政権の軍門に降りました、ということだが、それでも韓国としてはゴネてみたいかもしれない。今回の「寝耳に水」会談構想は、そのゴネのダシに日本が引き合いに出されたような印象がある。
 そう見える背景には、中国軍事パレードよりも、高高度ミサイル防衛(THAAD:Theater High Altitude Area Defense)配備問題がある。日本ではあまり報道されていないようなので、このブログで3月に触れたが(参照)、韓国でのTHAAD配備は中国を巻き込んで大きな問題となっている。補足すると、THAADはミサイル防衛(MD)システムの一部で、海上配備型迎撃ミサイル(SM3)に続く迎撃である。そのためには、ミサイル発射を早期探知する高性能レーダーを韓国に配備する必要がある。と同時にこれによって、中国国内のミサイル基地の動向が丸裸になり、実質、中国の固定式ミサイルは無効になる。中国はこれを嫌っている。
 ここの関連は、レコードチャイナが9月3日の韓国のテレビ局JTBCを引いてこう伝えている(参照)。

 そして3つ目は、中国が発射したミサイルの動きをリアルタイムで把握できる高高度防衛ミサイル、いわゆる、米国が計画している「THAAD」の朝鮮半島配備問題のため。「中国は自分たちの要求を言うため、事前にお客さまをもてなした。外交には、式典が豪華なら懐事情を考えなければならないという言葉がある」との指摘も出ている。
 韓国メディアは、「THAAD配置問題に敏感な反応を示している中国が、盛大な式典の後にどんな要求をしてくるのか考えずにはいられない。中国の歓待が韓国に負担になる」と懸念している。

 THAAD問題が背景ある。とすると、その背景を動かしている他端の米国はどうか。5月時点のZakZakソースなのでネタっぽいが、概ねこうである(参照)。

 「北朝鮮の挑発に備えねばならない。THAADなどについてわれわれが話す理由だ」
 ケリー米国務長官は18日、ソウルの在韓米軍基地で突然こう語った。直前に行われた尹炳世(ユン・ビョンセ)外相との米韓外相会談では、THAADについては取り上げられなかったため、韓国外務省はパニック状態になったという。
 続いて、米国務省のローズ次官補が19日、ワシントンで開催された討論会で、「米国は、韓半島にTHAADの永久配備を考えている」と発言した。米統合参謀本部のウィニフェルド次長も同日、ワシントンでのセミナーで、「米国は、北朝鮮の脅威のため、韓国と在韓米軍の防衛力増強に向けてTHAADを使う可能性に関心を持っている」と語ったのだ。いずれも、東亜日報(日本語版)が21日報じた。


 韓国メディアは当初、朴氏の訪米について「日韓の歴史問題での米国の協力」「TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の参加問題」などを焦点としてたが、「THAAD配備問題」が重要課題に急浮上しそうなのだ。

 こうした問題を考えるときには要人の動向が注視される。尹炳世外相の動きが重要になる。この感の尹外相ついては、8月31日、米アラスカ州アンカレジで米国のケリー国務長官と会談したことが注目される。朝鮮日報記事より(参照)。

ケリー長官との会談はおよそ30分ほどと短いものだったが、その場で実際に話し合われたのはやはり中国における戦勝節に朴大統領が参加する問題だった。二人は会談後「韓半島(朝鮮半島)の平和と安定のためには、中国の建設的役割が非常に重要との点で一致した」とコメントした。ケリー長官は朴大統領訪中の理由について説明を聞いた後、尹長官に「十分に理解する」と語ったという。

 この報道では、尹炳世外相の尽力でケリー米国務長官から理解を得たといった内容になっているが、実際のトーンは違う。韓国・国民日報を引いたレコードチャイナ(参照)はこう伝えている。

 その上でケリー長官は「理解はしているが支持はしていない」と表明。今回の韓国の決定を望んでいたわけではないが、周辺状況を考慮して「理解する」と表明したという。

 以上の全体をできるだけ合理的な推測を含めて整理したい。
 中国軍事パレード以前の報道からすると、朴韓国大統領は中国の式典には参加するものの軍事パレードに出てくるかは未定だった(参照)。
 それが8月27日に、独走的にパレード参加を決めた。おそらく中国からの圧力を抑えきれなかったのだろう。他方、これが米国の逆鱗となってケリー長官に呼び出されたか、あるいは事後の言い訳として尹炳世外相が出向いた。重要なのは、二人の事実上の外交トップがきちんとメンツを会わせる必要があったことだ。
 そこまでした理由は、尹炳世外相が米国に対してただ韓国の立場を説明するだけではなく、なんらかの密約を必要としたからだろう。それは何か?
 米国に対して、朴韓国大統領の中国軍事パレード出席を理解させる決め球は何だろうか? 当然、THAADの認可だろう。
 だが、そうだとすると、突然「日中韓首脳会議」を韓国が言い出した理由は、判然としたなくなる。合理的に考えると、韓国がTHAADの認可を飲む条件に「日中韓首脳会議」がなんらかの理由で関わっていそうに見えることだ。
 どのように関わりが考えられるだろうか。大筋ではおそらく二つある。推進か否定か。韓国のTHAADについて、日本に泥を被せて推進するということか、あるいは平和主義国日本を中国向けの盾に使って、THAAD韓国配備の必要性はないと米国を断念させることだろう。後者はケリー長官が飲むとは思えない。
 この問題をどう解くかだが、中国の動向も読まないといけない。だが、ここがもっともわからないところだ。9月3日時点のハンギョレ報道「韓中日首脳会議開催で韓国は同意、中国は言及なし」(参照)ではこう中国側を伝えている。

 中国国営メディアは2日、朴槿恵(パク・クネ)大統領と習近平・中国国家主席の首脳会談のニュースを大きく報道し、両国の友好関係を浮き彫りにした。しかし、中国外交部の首脳会談関連の発表文には、韓国側が明らかにした韓中日首脳会談の開催に対する合意や北東アジア平和協力構想などは言及されなかった。両国の立場の違いが露わになったものと見られる。


 大統領府は、「両国首脳が10月末〜11月初旬を含む相互に便利な時期」に、韓国で3カ国首脳会議を開催することで意見の一致を見た」と発表したが、中国外交部のホームページに公開された両首脳間の主要な会話内容には、韓中日首脳会談に関する言及が全くない。また、大統領府は「北東アジア平和構想に対する中国の支持の立場を再確認した」と発表したが、これも中国外交部のホームページに掲載された両国首脳会談の主要な対話内容では見当たらない。

 中国としても日中韓首脳会議は韓国から押し切られた印象があり、中国側からの情報はほとんど見当たらない。
 その後だが、3か国で日程調整に入ったと毎日新聞は伝えている(参照)。
 どうなるだろうか。会談が実現するとしても、その前には、中国の習主席は9月、韓国朴大統領は10月にそれぞれ訪米してオバマ大統領と会談することになっている。
 日本としては、米中・米韓首脳会談の流れにつづいて、10月末に日中韓首脳会議が実現するという日程だろう。まずは、THAADを念頭に置き、米中・米韓首脳会談をよく見ておく必要がある。
 
 


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2015.09.06

シリア難民の子どもの遺体がトルコの浜辺に漂着した写真が引き起こした報道について

 シリア難民の子ども遺体がトルコの浜辺に漂着した写真を伴うニュースが国際的に話題になった。これまで難民遭難死の問題については、4月15日(参照)や8月5日(参照)にリビアからの難民が大量溺死しても、海外報道に比べれば、それほど大きくは扱ってこなかった日本のメディアだが、この件については注目しているようだった。が、その報道を見ていると、少し奇妙な感じがした。
 報道の概要を知るという点からも、まずNHK報道から見てみよう。「シリア難民の子ども遺体漂着受け対策求める声」(参照)より。


 中東などから地中海を渡って難民や移民がヨーロッパに流入するなか、トルコの浜辺にシリア難民の男の子の遺体が流れ着いたことが欧米などで大きく報じられたことを受けて、幼い子どもも犠牲になる難民などの問題への対策を求める声が一段と高まっています。
 トルコ南西部の沖合で2日、内戦が続くシリアを逃れギリシャを目指していた難民たち23人を乗せていた2隻のボートが沈没し、子ども5人を含む12人が死亡しました。このうち、3歳の男の子の遺体がトルコの浜辺に漂着し、欧米や中東のメディアは幼い子どもも犠牲になる難民などの問題を象徴するものだと大きく報じています。
 また、激しい戦闘が続いてきたシリア北部から逃れてきたという男の子の父親が幼い2人の子どもと妻を亡くし、「今はただ、子どもたちと妻の墓のそばに座っていたい」と涙ながらに話す様子とともに、激しい戦闘が続いてきたシリア北部から逃れる難民の厳しい現状も伝えています。
 さらに死亡した幼い兄弟の写真を持つ親戚の女性が「子どもを失った父親がどれほどつらいか想像できない。これ以上、家族を失いたくない」と難民などへの支援を訴えています。
 こうしたことを受け、ユニセフ=国連児童基金は3日「子どもを守るために行動しなければならない」と声明を発表するなど、幼い子どもも犠牲になる難民などの問題への対策を求める声が一段と高まっています。

 とても基本的な報道のように見えるが、改めていったい何がニュースなのだろうかと考えてみる。当然、「幼い子どもも犠牲になる難民などの問題への対策を求める声が一段と高まっています」ということで、難民への対策が求められる。そうでなければ、こうした悲劇が繰り返される、ということである。
 たいていの報道も、結論から言うとNHK報道と同じであった。この点については、日本も海外も変わらない。国際的な騒ぎになる前に私のツイッターのタイムラインにこの写真が流れ来てたときも、そうした文脈にあった。
 それが間違いだというのではないが、こうした悲劇的な映像が核となって注目される報道があるとき、私は常に身構える。
 私が見せつけられている映像の意味は、それに付与されている解説と同じなのだろうか?
 端的な話、この子は誰なのだろうか? NHK報道からそれを読み取ると、「内戦が続くシリアを逃れギリシャを目指していた難民たち23人を乗せていた2隻のボートが沈没し、子ども5人を含む12人が死亡しました。このうち、3歳の男の子」であるとあり、シリア人難民であるということが読み取れる。別の言い方をすれば、この子の名前などについては、それ以上読みらなくてよいという地平でこの報道が成立している。
 たしかに私たち西側諸国の大衆の多くはシリアの惨状をたまに報道で聞くので、シリア人が惨禍を逃れたいと思うのは当然だろう、と暗黙に思う。
 だが、過去の難民を思うとたいていの場合、常に一筋縄ではいかない背景があるものだ。
 別報道の例として朝日新聞で見てみよう。「波打ち際に横たわる難民男児… 遺体写真に欧州衝撃」(参照)より。

 赤いTシャツに紺色のズボン。靴を履いたまま、波打ち際にうつぶせで横たわる男の子――。トルコの砂浜に漂着したシリア難民とみられる幼児の遺体の写真が、難民の流入に直面する欧州に衝撃を与えている。
 トルコのドアン通信が撮影、配信した。同国のメディアによると、エーゲ海に面するリゾート地、ボドルム近郊の海岸で2日朝、男の子を含むシリアからの難民とみられる12人の遺体が見つかった。対岸のギリシャ・コス島へ向かう途中、ボートが沈没し、おぼれたとみられる。
 男の子の写真は3日、欧州の多くの新聞で1面に掲載された。横たわる男の子の写真を載せた英インディペンデント紙は、「『進行中の移民危機』という薄っぺらい言葉では、難民が直面している絶望的状況があまりにも簡単に忘れ去られてしまう」と、サイトで掲載理由を説明した。
 収容される様子の写真を扱った英デイリー・メール紙は「人道的惨事の小さな犠牲者」と見出しをつけた。批判の矛先は、さらなる難民受け入れに難色を示すキャメロン英首相らに向いている。伊スタンパ紙は「我々が休暇で訪れた浜辺で何が起きているのかを、誰もが知らなければならない」と呼びかけた。
 AP通信などによると、男の子はシリア北部アインアルアラブ(クルド名コバニ)出身のアイラン・クルディくん(3)。母親と5歳の兄の遺体も見つかった。カナダ・バンクーバーに住むおばが保証人として一家の受け入れを申し出ていたが、カナダ政府に申請を却下されていたという。
 カナダのアレクサンダー移民担当相は「多くのカナダ人と同様に、悲しみでいっぱいだ」とコメントし、却下の理由を調査することを明らかにした。また衛星テレビ局アルジャジーラなどによると、トルコ当局は3日、男の子らの死亡に関連し、人身売買容疑などでシリア人4人を拘束した。
 ギリシャ政府は3日、今年に入ってから同国にたどり着いた難民申請希望者が23万人を超えたと発表した。昨年同時期の1万7500人を大幅に上回った。
 AP通信などが伝えた。8割が紛争地などから逃れてきた難民で、7、8月だけで15万7千人以上だという。(イスタンブール=春日芳晃、ロンドン=渡辺志帆)

 基本的にNHKの報道と同じといってよいのだが、異なる点もある。朝日新聞でのこの件についての報道はこれ1つではないものの、代表例として取り上げることはできるだろう。
 まず指摘できるのは、この朝日新聞の報道は、朝日新聞社としての報道というより、他紙報道の孫引きというか、コピペやパクリではないが、いずれにせよ、暢気なブログと同じレベルで別報道をまとめてみたものである。
 とはいえ、そうした他紙報道孫引きは朝日新聞記者にはきちんと意識されていて、「シリアからの難民とみられる12人の遺体が見つかった」として、実はシリア難民であるという断定は避けている。
 また、APからの孫引きで背景も伝えるなか、男の子の名前も明かしている。「男の子はシリア北部アインアルアラブ(クルド名コバニ)出身のアイラン・クルディくん(3)」である。先回りするようだが、この点については後で触れる。また、出身はコバニであることを記している。
 国内の他紙報道だが、読売新聞(参照)や共同(参照)は特に取り上げる点はない。
 毎日新聞はやや詳しい。「難民男児遺体:「映像に世界が震撼」欧州首脳にも波紋」(参照)より。

 【ローマ福島良典】トルコからギリシャに向け地中海を渡る途中に死亡し、遺体が海岸に漂着したシリア難民男児の映像が中東や欧州で波紋を広げている。シリアのメディアによると、悲嘆にくれる男児の父親は「息子はシリアの苦しみのシンボルだ」と語り、同情を呼んでいる。
 男児はアラン・クルディちゃん(3)。2日未明、両親と兄のガリブちゃん(5)と共に、一家でギリシャ東部コス島に向かう密航ボートに乗ったが、約30分後に高波でボートが転覆。トルコ西部ボドルム近くの海岸に遺体が打ち上げられた。アランちゃん、ガリブちゃん、母親のレハンさん(35)の計3人が死亡した。
 シリアのラジオ「ロザナFM」(電子版)や英BBC放送(電子版)によると、トルコ沿岸警備隊に救助された父親のアブドラさん(40)は「妻子を助けようとしたが、駄目だった」「トルコ人の密航手引き業者は高波が来ると、自分だけ海に飛び込んで逃げた」と述べた。手引き業者に支払った密航料金は4000ユーロ(約53万円)だったという。
 アランちゃんの遺体漂着の映像はインターネットのソーシャルメディアによって拡散。イタリアのレプブリカ(電子版)は「世界を震撼(しんかん)させる一枚」と報じ、シリアのテレビも「人類がこの映像を理解するのに、どれだけ時間が必要なのか」などと伝えた。
 映像は欧州首脳も動かした。イタリアのレンツィ首相は「映像を見ると胸が締め付けられる。すべての人々を救助するという欧州の理想を取り戻す必要がある」と述べ、キャメロン英首相は「一人の父親として(映像を目にして)心を動かされた」と語った。
 カナダ紙ナショナル・ポスト(電子版)によると、一家は過激派組織「イスラム国」(IS)が攻勢をかけているシリアのアインアルアラブ(クルド名コバニ)出身で、当初、カナダへの移住を希望していた。カナダ・バンクーバー在住のアブドラさんの姉妹がトルコ滞在費を出し、身元引受人になろうとしていたが、準備が整わなかったという。
 国際移住機関(IOM)によると、今年1月から9月3日までに36万4183人が地中海を渡って欧州に到着したが、2664人が渡航途中に死亡した。

 この毎日新聞報道でも、子供の名前については朝日新聞同様、「アラン・クルディ」としている。朝日新聞同様、海外紙のまとめをそのまま引き写したためだろう。出身も朝日新聞同様、「シリアのアインアルアラブ(クルド名コバニ)」としている。他については、斡旋業者の実態の一部を伝える点は興味深い。つまり、どのような難民の移動にどのような組織が関係しているかは誰も気になる。
 毎日新聞ではその後の話題もある。「シリア難民:漂着男児、遺体を埋葬…父「自分を責める」」(参照)より、一部。

 報道によると、遺体は救助された父アブドラさん(40)とともに故郷へ戻った。埋葬に立ち会った地元ジャーナリストによると、葬儀では多くの人が悲しみ、涙を流していたという。

 ややパセティックに「故郷」として毎日新聞記者が記しているのは、記事全体を見るとわかるように、コバニ(アインアルアラブ)である。批判の意味はないが、おそらく記者は、彼らの「故郷」についてそれほど考えていなかったのではないかと思われる。これも後で触れることになる。
 以上が、日本での関連報道の代表例だが、基本的に海外紙の孫引きで、1つの視点「シリア難民の悲劇」から描かれている。間違いではないが、詳細に報道を見て行くといくつか齟齬が顔を出す。AFP「「子供たちは私の手を滑り抜けた」 水死したシリア男児の父が述懐」(参照)より。

【9月4日 AFP】トルコの浜辺に遺体となって打ち上げられ、その写真が世界中に衝撃を与えている3歳のシリア人男児の父親が3日、ギリシャを目指していたボートが沈没した際の様子を述懐し、「子どもたちは私の両手の間を滑り抜けていった」と語った。
 男児の父親の名は、トルコメディアではアブドラ・クルディ(Abdullah Kurdi)さんと報じられているが、シリアの情報筋はアブドラさんの姓をシェヌ(Shenu)だとしている。アブドラさんは、写真に写っていたアイラン(Aylan Kurdi)君に加え、4歳のガレブ(Ghaleb Kurdi)君と妻のリアナ(Rihana Kurdi)さんを一度に失った。

 AFPはここで「アイラン・クルディ(Aylan Kurdi)」とされる名前が、トルコのメディアで呼ばれていることを記し、シリアでは「姓をシェヌ(Shenu)」としていることを明らかにしている。これはどういうことなのだろうか。
 このあたりについていろいろ報道を調べてみると、中でもアルジャジーラ報道(参照)やガーディアン報道(参照)などを見ると、子供の名前は、「アラン・シェヌ(Alan Shenu)」であると見てよいことがわかる。ではなぜ、トルコのメディアは「アイラン・クルディ(Aylan Kurdi)」としたのだろうか? またなぜ、日本のメディアはそのことを報道しなかったのだろうか?
 ガーディアン記事を読むと、「クルディ」はトルコでの民族背景を示している、とある。つまり、「クルド人のアイラン」としてトルコが報道したということだ。日本と韓国の比喩でいえば、この呼称は「韓国人の槿惠」といった感じであろうか。奇妙な比喩をあえてだしたのは、その違和感を示したかったから以上はない。あるいは、この呼称は彼らの一家がクルド人の誇りとして使っていた可能性もあるだろう。いすれにせよ、日本のメディアも初報道以降、これに気がついたら、仔細を調べるべきではなかったか。
 そして、この「クルド人のアイラン」というトルコでの呼称が意味していることは、まさに、この溺死したこどもが「クルド人」であることを示している。そのことは、毎日新聞がいう「故郷」がコバニ(アインアルアラブ)であることからも、間接的にはわかる。
 ここでもう1つ疑問が起きる。なぜ日本の報道社は、この子供がシリア難民であると同時にクルド人であることを明示的に伝えなかったのだろうか?
 別の言い方をすれば、たしかに、アラン・シェヌ君はシリア難民であるが、国家を持たない民族クルド人にしてみれば、自身はまずクルド人難民であろう。このことは、コバニ(アインアルアラブ)にも関連している。
 その前に、シリア問題におけるクルド人の微妙な位置について復習がてら言及しておきたい。今年7月のニューズウィーク「アメリカがトルコのクルド人空爆を容認」(参照)より。

 トルコがついに国境を越えてISIS(自称イスラム国、別名ISIL)との戦いに加わった。これまでISISの掃討に手を焼いてきたアメリカなどの有志連合は参戦を歓迎したが、事態はそう単純ではない。ISISが一部地域を支配するシリアとイラクには、最前線でISISと戦うクルド人がいるが、そのクルド人はトルコの敵。つまりこの場合、敵の敵も敵なのだ。
 有志連合にはなかなか参加しなかったトルコ政府だが、空爆の対象をISISからクルド労働者党(PKK)に拡大するのには1日しかかからなかった。PKKは、長年自治権獲得を目指してトルコ政府と戦ってきたトルコ国内の組織だが、シリアとイラクのクルド人と連携してISISとも戦っている。
 トルコ空軍のF16戦闘機は先週末、初めてシリアのISIS拠点に対する空爆を実施。その翌日、今度はイラク北部にあるPKKの兵站基地を爆撃した。PKKが対ISIS攻撃の拠点としていた場所だ。
 この複雑な展開により、アメリカも厄介な立場に置かれている。
 トルコはアメリカの同盟国だが、米軍にとってISISとの地上戦で最も頼りになるのがクルド人だ。イラクのクルド民兵組織「ペシュメルガ」、シリアのクルド民兵組織「人民防衛隊(YPG)」、そしてトルコのPKKは、戦闘で協力し合っている。アメリカは、ペシュメルガおよび人民防衛隊と協力しているが、この2組織と協力しているPKKとは協力していないと主張している。
 というのも、米国務省はPKKをテロ組織に指定している。この指定は時代遅れで、対ISIS戦争におけるPKKの役割を考えると指定を解除すべきだという声もあるが、最近はトルコの治安部隊とPKKの戦闘も激化している。トルコ政府からみれば、PKKは立派なテロ組織だ。

 米国はIS(イスラム国)との「戦争ではない」という修辞で避けるために地上部隊を派兵しない建前にしていて、実働の兵士にはシリア内のクルド人を使っている。
 そして、このクルド人はトルコにとっては、IS(イスラム国)より事実上優先される空爆対象の敵なのである。
 このことが、今回のシリア難民の子ども遺体漂着報道の背景を複雑にしていると見てよいだろう。
 次に、コバニ(アインアルアラブ)だが、ここはトルコ国境近くでクルド人が多く住む町であり、IS(イスラム国)が支配(殲滅)を狙っている。すでにこのブログでも言及したが(参照)攻防激しく、一時期、クルド側が持ちかえしたかに見えたが、安定はしていない。6月25日AFP「IS、コバニ再侵攻で民間人120人を「虐殺」 シリア」(参照)より。

【6月26日 AFP】(一部更新)英国に拠点を置く非政府組織(NGO)「シリア人権監視団(Syrian Observatory for Human Rights)」は26日、イスラム過激派組織「イスラム国(Islamic State、IS)」が、シリアの要衝の町アインアルアラブ(Ain al-Arab、クルド名:コバニ、Kobane)に再侵攻して以降の24時間余りで、少なくとも120人の民間人を殺害したと発表した。シリアで起きたISによる「最悪の大量虐殺の一つ」としている。

 後で触れるが実は、アラン・シェヌ君一家がシリア脱出を試みた背景にはコバニでのこの虐殺が関係している。米国の代理戦争に巻き込まれたと言ってもよいのではないかとすら思える。
 さて、コバニはアラン・シェヌ君の「故郷」だろうか? 年齢から察するにその地で生まれたようにも思われる。ここで、アラン・シェヌ君一家の動きを報道から眺めてみたい。WSJ「溺死したシリア難民の男児の写真に世界が衝撃」(参照)より。

 アブダラ・クルディさん一家は3年前にトルコにやってきた。シリアの首都ダマスカスで床屋をしていたアブダラさんは戦闘から逃れるためシリア北部のアレッポに移り、それからトルコとの国境に接したクルド人の街コバニに逃れた。

 ふと気になったのだが、「3年前にトルコにやってきた」のなら、トルコ難民とも言えるのではないかということだ。クルド人でもあるのだから。推測ではあるが、シェヌ一家が3年をトルコで過ごしたという点から見ると、今回の事態は「シリア難民」ではあるが、トルコとしては、むしろ、200万人とも言われるトルコに入ったシリア難民について、クルド難民の分を欧州に押しつけようとする意図があるのかもしれない。
 また先のAFP報道にも避難についてこうある。

 コバニのクルド人活動家、ムステファ・エブディ(Mustefa Ebdi)氏によると、一家は2012年までシリアの首都ダマスカス(Damascus)で暮らしていたが、内戦による情勢不安のため、複数回にわたり避難を強いられた。避難を繰り返すうち、6月にはコバニでイスラム過激派が人質を取って2日間にわたり籠城し200人以上の民間人が死亡する事態となったことを受け、一家はトルコから欧州へと渡ることを決意した。
 一家はボドルムに1か月滞在し、資金を蓄えたり、親族から借り受けたりして、欧州入りの準備をしていた。「彼らはよりよい生活を求めて(シリアを)去った」(エブディ氏)

 おそらくアラン・シェヌ君一家の故郷は、聖パウロで有名なダマスカスだろう。だが、内戦でそこには戻れないので、クルド人が多数住むコバニ(アインアルアラブ)に埋葬されたと理解してよいだろう。
 だが、コバニという町は実際上は、クルド人にとって民族が戦い抜くシンボルになっていると見てもよい。これに関連してアルジャジーラ報道は、アラン・シェヌ君の名前について、興味深い指摘をしている。「アラン」はクルド語では「旗手(flag bearer)」であるとして、クルド人社会を守り抜く戦いの旗手たれ、という意味合いを告げている。
 戦いの旗手であるなら、それは守り抜くべき町に葬られるのが当然であろうし、その意味合いは、殉教的な死に対する顕彰でもあるだろう。よい比喩ではないが、日本の戦前でいえば、靖国神社に祀られるといった情感に近いものではなかったか。
 
 

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2015.09.04

中国軍事パレードで気になったこと

 昨日、北京では6年ぶりに行われた大規模軍事パレードで、西欧諸国を除く各国から多くの首脳が参加したが、なかでも注目されたのは、国際刑事裁判所(ICC)から、人道に対する罪および戦争犯罪の容疑で逮捕状の出ているスーダンのオマール・アル・バシル大統領が参加したことだった(参照)。以下、バシル容疑者と記す。
 バシル容疑者が中国共産党政府からどのような扱いになるのかは気になることでもあったので、NHKの7時のニュースで記念写真を取る様子を見たところ、小柄ながら中央に目立つ韓国の朴槿恵大統領からずいぶん離れ、正面から見て右の端のほうにオマール・アル・バシル容疑者が映っていた。
 バシル容疑者への人道に対する罪および戦争犯罪の容疑は、20万人とも30万人以上が殺害され、数千人がレイプされ、数百万人が避難民となった2003年以降のダルフール紛争についてである。具体的には次のようにまとめられている。2009年の外務省より(参照)。


ICCによるスーダン・ダルフールに関する事態の捜査・訴追の経緯

  1. 2003年より、スーダン西部ダルフール地域において、政府の支援を受けたアラブ系民兵(ジャンジャウィード)と反政府勢力の間での戦闘が激化。現在は、政府軍と反政府勢力、反政府勢力間の抗争や反政府勢力の人道支援機関に対する襲撃などが頻発しており、現地の治安・人道状況は劣悪。現在までに約20万人の死者、約200万人の難民・国内避難民が発生したと言われている。
  2. 2005年3月、国連安保理は、このダルフール地域における事態をICC検察官に付託する決議第1593号を採択(賛成11(含:日本)、反対0、棄権4)。2007年2月、同検察官は現職閣僚を含む2名の被疑者を特定し、逮捕状の発付を請求。ICC予審裁判部は逮捕状を発付するも、スーダン政府は協力を拒絶(現在まで逮捕されず)。
  3. 2008年7月、ICC検察官は、集団殺害犯罪、人道に対する犯罪及び戦争犯罪の容疑で、バシール・スーダン大統領に対する逮捕状をICC予審裁判部に請求。
  4. 3月4日午後2時(オランダ時間)、ICCは、予審裁判部第1部がバシール大統領に対する検察局からの逮捕状発付請求に基づき、人道に対する犯罪及び戦争犯罪の容疑に関する逮捕状を発付する旨決定を行ったと発表。


 バシル容疑者が自国スーダンにおいて逮捕されないのは、多数の先進国では人道に対する罪および戦争犯罪に対する免責は認められていないのに対して、スーダンではその現行憲法で、国家元首(大統領)はその在職中、刑事訴追から免責されることになっているためである。
 それでも、スーダン当局は、国連安全保障理事会決議第1593号(2005年)によって、ICCから逮捕状の出た容疑者は誰であれ逮捕する法的義務を負っている。
 また、国際社会としては、バシル容疑者がスーダンから出国した場合、その先の、入国した国家がICC締約国(ICC設立に関するローマ規定の調印国)である場合、その国家はバシル容疑者を逃亡者として逮捕し、ICCに引き渡す義務がある。
 すでに日本では、バシル容疑者が日本に入国した場合に逮捕することを明確にしている。同じく外務省より(参照)。なおより詳細には「外務省調査月報 2009/No.2 」(参照)が参考になる。

国際刑事裁判所(ICC)によるスーダン大統領に対する逮捕状発付について
平成21年3月4日

  1. 3月4日(水曜日)、国際刑事裁判所(ICC)予審裁判部は、オマル・ハサン・アフマド・アル・バシール(Mr. Omer Hassan Ahmed Al-Bashir)・スーダン大統領に対する逮捕状発付を決定しました。我が国はICC締約国であり、ICCの独立性及びその決定を尊重します。
  2. 我が国は、今回の決定がダルフール和平プロセスに影響することのないよう期待します。今回の決定にかかわらず、スーダン政府には、文民やPKO要員の安全を確保する責任を全うすることを求めます。またスーダン政府及び反政府勢力の双方に対し、AU・国連との協力関係、南北和平プロセス、ダルフール和平プロセス、人道・治安情勢に悪影響を及ぼすような行動を自制するよう求めます。
  3. 我が国は、ダルフールにおける「和平」と「正義」を両立させる道を国際社会が一致して、粘り強く探っていくことが必要であると考えます。
  4. 我が国は、今後もスーダンにおける和平プロセスを支援していくとともに、スーダン政府の責任のある対応を引き続き促していく考えです。


 同様の対応は、ICC締約国全体に当て嵌まるので、そこに含まれる南アフリカでもその対応が期待された。だが、見事に国際社会が裏切られるという事件がこの6月に起こり、フィナンシャルタイムズなども社説で問題視していた。「[FT]南ア、「お尋ね者」の引き渡し要請を無視(社説) 国際刑事裁判所に協力せず」(参照)より。

 国際刑事裁判所(ICC)は、ほんのわずかな時間だったが、探し求めていた人物を追い詰めたかのように見えた。オランダのハーグを拠点とするICCは過去5年間、スーダン西部のダルフールで起きた事件に関連して、大量殺りく及び集団殺害の容疑で同国のバシル大統領の身柄引き渡しを求めてきた。バシル氏は逮捕を恐れ、ほとんど外国訪問をしていない。そして同氏は、先週南アフリカのヨハネスブルクで開催されたアフリカ連合(AU)首脳会議への出席を決めた際に、判断を誤ったかにみえた。
 南アの高等裁判所は、ICCからの引き渡し要請を検証する間、同氏に出国禁止命令を出した。ところが同国政府は15日、自国の判事たちを無視して同氏を帰国させてしまった。この同政府の決断は、ICCにとっても、厳しい戦いで勝ち取った同国の人権問題における信頼性にも打撃となった。

 南アフリカの司法としては、ICCの規定に遵守する意図があったが、行政から裏切られた形になったのである。端的に言えば、南アフリカのズマ大統領に問題があると見てよい。

 過去の残虐行為に対する説明責任を求めるためにバシル氏の拘束を求める人々は、先週末の出来事に少し元気づけられている。同氏は急きょ、当惑の中でAU首脳会議から退席せざるを得なかったのだ。同氏はスーダンを再び離れる前にはよく考えなければならないだろう。だが、南アの行動が混乱の原因でもある。もしアフリカの道義的指導国を切望する国がICCに協力しないとすれば、司法への希望は見いだせない。

 その後の南アフリカのズマ大統領だが、ICC加盟脱退を含め(参照)、バシル容疑者への擁護に回っているらしく、今後米国を巻き込んで展開がありそうな話題もある(参照)。
 いずれにしても、日本国であれば、「今後もスーダンにおける和平プロセスを支援していくとともに、スーダン政府の責任のある対応を引き続き促していく考え」としていた。
 他方、中国共産党が支配する中国政府は、国際的な人道の理念もっていないためであろう、バシル容疑者を軍事パレードに安全に招待した。
 中国の場合、ICC締約国ではないとはいえ、確固たる信念のもと、ICCを軽視するとも言える態度を表明していると見てよく、フィナンシャルタイムズの言葉を借りれば「過去の残虐行為に対する説明責任を求めるためにバシル氏の拘束を求める人々」は、この事態に、絶望感に近いものを感じることになった。なお、ICC非締約国には米国も含まれる。
 問題は中国ばかりとは言えない。そもそも国際刑事裁判所(ICC)は国連のお墨付きで成立した仕組みであるとも見なせるのに(ICC規定は国際連合全権外交使節会議において採択された)、なぜその長ともいえる潘基文総長がこの軍事パレードで安閑とバシル容疑者と同席(参照)しているのだろうか?
 そもそもダルフール紛争における人道問題は、国際連合憲章第7章に基づく案件の付託を受けたものであり、こうした視点から考えれば、潘総長自身が中国をICC設立に関するローマ規定の調印国となるように説得し、バシル容疑者逮捕に向けて努力すべきである(参照)。それがかなわなければ、世界に向けてこの問題について中国のあり方を非難すべきだろう。
 国際刑事裁判所としては、2012年以降、この件で国連安全保障理事会が十分な対応をしていないと非難している。「国際刑事裁判所、ダルフール紛争で安保理の対応を非難」(参照)より。

(CNN) スーダン西部ダルフール地方の紛争を巡り、国際刑事裁判所(ICC)のファトウ・ベンソウダ検察官は13日、国連安全保障理事会が虐殺に関与した容疑者の摘発に十分な努力をしていないと批判した。
 ベンソウダ検察官は、「ダルフールにおける反乱を止めるという、(スーダン)政府が公言している目標に沿って、犯罪が進行している」と指摘。「どれだけの一般市民が殺され、傷を負わされ、家を追われれば責務を果たす気になるのか」と安保理を非難した。

 安保理の対応が遅れる理由は、むしろ、今回の中国軍事パレードで明白になったと言ってもよいかもしれない。安保理を担う国連の常任理事国は、中国、フランス、ロシア、英国、米国の5か国であり、このうちの2国が事実上、ICCの存在をこの件で事実上無効にしているに等しい状態があるからである。
 

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2015.09.02

改憲反対デモで治安部隊の2人以上が死亡・130人超が負傷のウクライナ

 ニューヨークタイムズによると(参照)、8月31日、ウクライナで改憲に反対するデモのさなか、治安部隊の2人が死亡し、デモ参加者の130人超が負傷した。ウクライナの治安の悪化というと、東部が連想されやすいが、この激しいデモが生じたのは、ウクライナ首都キエフ(Kiev)である。

 改憲の要点は、親ロシア派が実効支配する東部のドネツク州とルガンスク州に自治権を付与するためのもの。修辞を除けば2州の事実上の独立承認と理解してもよいだろう。
 この憲法改正案審理で第1回の採決を行ったところ、法案の審理継続に必要な226票超える265議員が賛成したが、これに反発した改憲案反対派が国会前で抗議デモを展開し、治安部隊と衝突して惨事となった。この件で、ウクライナ内務省は反対派のなかでも、民族主義・極右政党「自由(Svoboda)」(チャフニボク党首)を非難している。憲法改正には、第2回投票で300票を得る必要がある。
 なぜこうなったのか。報道では、2月成立の停戦合意に基づき、同国東部を実効支配する親露派武装集団の自治拡大を含む憲法改正案をポロシェンコ大統領が提出されたするものが多い。間違いではないが、実際に改憲に乗り出したのは、7月のことである。
 なぜこの時期なのか。実は、イラン核問題合意の際の米ロのバーター案件であったと見られる。この点については、NHKの石川解説委員が推測であるが7月23日に述べていた(参照)。


 先週歴史的とも言われるイランの核開発を制限する合意がイランとアメリカなど6カ国との間で結ばれました。
 ロシアはウクライナ危機で欧米と鋭く対立していますが、アメリカのオバマ大統領はニューヨークタイムスのインタビューで「プーチン大統領とはウクライナ問題では深く意見が対立している。しかしイランの核問題でプーチン大統領とロシアはとても助けてくれた。正直にいえばこんなに貢献してくれるとは予想しなかった」と述べています。
 
なぜロシアは協力したのか、プーチン大統領の思惑に迫ります。スタジオには石川解説委員です。

Q オバマ大統領がプーチン大統領に感謝の言葉を述べるとは、今の両国関係を考えると信じられないのですが、何故ロシアは協力したのですか。

A 3つの点があります。
1.核兵器拡散の阻止という安全保障上の理由です。
2.アメリカとの対話の維持と取引です。
3.地域大国イランとの関係強化と地政学的、経済的な理由です。


 重要なのは、2点目の「取引」である。

Q ウクライナ問題で鋭く対立し、新たな冷戦かとも言われる中で、核の拡散防止が、核保有国として米ロが一致する分野であるのは分かります。ただ取引というのは何でしょうか。

A イランの核交渉がまとまった直後、ウクライナでは親ロシア派が支配する地域に自治権を与えるための憲法改正案が議会に提案され、承認されました。アメリカのウクライナ担当のヌーランド国務次官補がウクライナを訪れ、憲法改正案が承認されるようさまざまな政治勢力に働きかけたと言われています。五月のケリー国務長官のロシア訪問、その後の米ロの外交当局者の交渉では常にウクライナとイランが交渉の主要なテーマとなっていました。取引があったかどうか確証はありませんが、しかし米ロがウクライナとイランを同じテーブルに乗せて、交渉を進めているのは事実です。


 確証はないとしているが、この時点の流れを見れば、それ以外の解釈は難しいだろう。
 つまり、今回の改憲は、ロシアのプーチン大統領の意向を酌んで、米国のオバマ大統領が推進したものであると見てよいだろう。
 オバマ大統領の背景としては、なんとかノーベル平和賞に値するような核拡散に寄与したという政治的な業績を作りたかったということだろう。
 実際のところ、イラン核合意はその程度の基盤しかなく、IAEAの天野氏なども詳しく述べられないとしているが、今後の問題が予想される。
 ウクライナの文脈に戻れば、もともと東部二州の自治権はすでにこのブログでも昨年9月20日「ウクライナ情勢は今どうなっているか」(参照)で述べたように予定されていた落とし所であった。

ロシア側からの落とし所は東部二州に特別な地位を与えることであり、いずれそこに落ち着く以外の道も見えないなか、米国のウクライナの軍事支援はどういう考えなのだろうか。
 しかし米側の支援は、金額も少なく構造的な軍事支援でもないことから考えると、その意味はむしろ逆説的に、ウクライナ政府に対して、ロシア側の落とし所を飲めという意志であるかもしれない。

 この先はさらに推測だが、米国のこの取引にはおそらく日本も関わっていて、ウクライナ対外債務削減で合意もその流れにあるだろう。「ウクライナ 対外債務削減で合意」(参照)。

 ウクライナ政府は、欧米の民間の債権者が持つ日本円で2兆円を超える債権について、元本を20%削減してもらうことなどで合意が得られたと発表し、債務不履行に陥る懸念はひとまず後退しました。
 ウクライナのヤツェニューク首相は27日の閣議で、多額の対外債務のうち、アメリカの投資会社など民間の債権者が持つおよそ193億ドル(日本円で2兆3000億円余り)について、元本の20%を削減することで合意が得られたと明らかにしました。また、ことしから始まることになっていた元本の返済も、2019年からに繰り延べされたということです。
 ウクライナは、IMF=国際通貨基金から、ことし3月、汚職対策を進めることや民間の債権者から債務削減の合意を得ることなどを条件に段階的に支援を受けることになりました。今回、支援継続のための条件が一つ整ったことで、ウクライナが債務不履行に陥る懸念はひとまず後退しました。
 しかし、ウクライナ東部では政府軍と親ロシア派の戦闘が散発的に続いていて、軍事費の負担が増大する本格的な戦闘の再開も懸念されていることから、財政再建に向けた道は険しく、債務問題は当面、くすぶり続けることになりそうです。

 この点について補足すれば、報道中に「ウクライナが債務不履行に陥る懸念はひとまず後退しました」とあるが、逆に言えば、このままウクライナのナショナリズムが突っ走っていたらウクライナが債務不履行に陥ることだった。
 これで八方まとまるかというと、そもそもこのウクライナ危機の発端は、ウクライナ右派の暴動から発していたと見てよいので、また同じ道に進む可能性がないわけではない。また、オバマ大統領がやや無理筋で押したイランの核合意もまだもめそうな気配がある。
 
 

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