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2015.08.25

SEALDsについて少し思った

 SEALDsについてまったく関心がなかった。若い人のデモ団体の1つであるとは認識していた。そういうデモは民主主義国家なので自由に行えばいいと思う。余談めくが、先日、ピンズラーのフランス語レベル5をとりあえず終えることができたのだが、そのなかでも若い人がデモを行う話題が二、三あった。いわく、デモに紛れた米国人の彼氏が警察に捕まっちゃったうぇーんというと、大丈夫よくあることだよ、僕も捕まった経験あるよ、パスポートもって警察にさあ行こう、といった内容である。さらに余談だが、男性同性愛者の結婚の話題とかもあった。なかなかすげーフランス語レッスンであった。つまり、楽しい。デモも同性愛結婚も、日本でも、もっとやれ。
 たまたまたSEALDsについて、ただ若い人がそれぞれ勝手な理由で、とにかく憲法違反だから安保法案に反対するというシングルイッシューの単純なデモ団体だ、と思っていた。のだが、そうじゃないよ、ちゃんとよく考えられた政治活動だ、というような話を某氏のツイートで見かけ、ほぉ、あれに思想的な背景があるのか、と関心を持った。
 というのは、私は、思想的にそれが同意できるなら、支援したいと思うからだ。最近の例では香港の雨傘革命がある。私はその期間、ブログでも支援の声を上げたし、バナーも数日掲げた。逆に思想的な内容を読んで、ああ、これは支援できないな、というのもある。台湾の「ひまわり学生運動」である。台中間のサービス分野の市場開放協定に関する学生の反対運動である。だいぶ心情的に同情はしたが、私はこの協定は進めるべきだと思ったので、同意しなかった。余談でいうと、そういうネットの活動だけでなく、私はこれからの日本の保健医療に関心を持っているので、たとえば昨日の厚労省主催の「医療保険2035」にも市民として出席した。
 さて、SEALDsはどうか。初めて関心をもったのである。どこかにその思想、つまり綱領が明示されているはずだ。そしてそれは目立つところにあるはずだと、とりあえずググったら、www.sealds.comが見つかった。偽サイトの疑念がないわけではないが、これだろう、と思った。
 そこには主張が書いてあったので、読んでみた。一読して、「ああ、これは支離滅裂だ」と思い、そのままその思いをツートしたら反発された。まあ、自分が正しいと思って一生懸命やっている活動に向けて、支離滅裂とか言うのは悪口みたいに受け取られてもしかたない。ただ、私としては、支援できる要素を見つめていたからそう思ったのであり、強調して言いたいのだが、SEALDsの活動や思想が評価として支離滅裂だと主張したいわけではまったくない。冒頭述べたように、市民のデモ活動は自由にやればいいと思うからである。私としては、これは到底支援できるものではないなという私自身の行動理由というだけのことである。
 そうした限定ではあるが、もう少しそのあたりの自分の中の思いも述べてみたい。批判に受け止められるのは本意ではないので、そこは汲んでいただけたらと思う。あくまでそう見る人もいるという程度である。それと最後に提言もある。
 最初に思ったのは、SEALDsがシングルイッシューの活動団体ではなかった、という発見だった。これはかなり驚いた。安保法案の廃案を目指すデモ団体ということではなかった。もっと永続的な理念が掲げられていたのである。
 であれば、これは政党活動と言っていいだろう。では、政党活動として見たとき、その理念はなんだろうか?
 これはそのサイトの冒頭に大書されている「私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます」ということである。そうであれば、党名として簡略化すると「自由民主党」としてよいものである。
 だが、これは彼らの考えとしては既存の自由民主党と対立しているらしい。となると、その含みは、既存の自由民主党は自由と民主主義に基づく政治をしていないから、だから「私たちは、自由と民主主義に基づく政治を求めます」ということになる。
 この大前提からして私は受け入れがたい。既存の自民党も、概ね、自由と民主主義に基づく政治を実施していると私は理解している。おそらく当面の焦点化は、安保法案が自由と民主主義に基づいていない、として限定化されるべきだっただろう。
 もう少しSEALDsの主張をブレークダウンする。「現在、危機に瀕している日本国憲法を守るために、私たちは立憲主義・生活保障・安全保障の3分野で、明確なヴィジョンを表明します」としている。
 これがまたわからない。日本国憲法を守るための立憲主義はわからないでもない(逆な気もするが)。だが日本国憲法を守るための生活保障となるとわからない。生活保障は日本国憲法に規定されていて、それが実現されていないというならわかる。日本国憲法を守るための安全保障もやはりわからない。安全保障は本来なら国家の基本法によって規定されるものだが、日本国憲法は連合軍によって武装解除された時代に作成され、その後、サンフランシスコ条約と一体の日米安全保障条約によって補完されてできているので、その歴史と構造から問わなくてはならないものだ。
 揚げ足とりをしたいのではない。むしろ、「3分野で、明確なヴィジョン」というときのその3分野を統一する思想的な理念は何か?がまず知りたい。その原理が明示され、そこから分野ごとの政策が提示されるはずだ。
 だが、そうなっていない。そのあたりから、「ああ、これは支離滅裂だ」と思ったのである。
 それでも少し、個別に立憲主義を見る。


たとえば、2013年12月の特定秘密保護法の強行採決や、2014年の解釈改憲による集団的自衛権の行使容認があります。さらに2012年に発表された自民党の改憲草案は、個人の自由や権利よりも公の秩序や義務を強く打ち出すものです。

 特定秘密保護法は議会手順でなされた。2014年の解釈改憲による集団的自衛権の行使容認は行政の立場であって、これが議会審議されるという意味で、議会手順を遵守している。自民党の改憲草案は、国家の問題というより、自民党に対立するSEALDs自民党の党派的な文脈にあり、立憲主義でいうならこれが議会手順にどのように乗るかが問題である。
 生活保障はどうか。

私たちは、持続可能で健全な成長と公正な分配によって、人々の生活を保障する政治を求めます。

 それは財務省も厚労省も同じ考えである。どこが違うかによって主張が成立しているはずだが、それはどこだろうか? 当然、前提はカネの問題である。どこからカネを得るかということに行き当たる。

いま求められているのは、国家による、社会保障の充実と安定雇用の回復を通じた人々の生活の保障です。

 ここもやはり支離滅裂に思えた。国家にカネが潤沢であればそれは可能だが、まさに問題はそこにかかっているからだ。
 自由と民主主義に基づく体制では、カネは民間から生み出される。ここでは国家はそれに附随する再配分装置でしかない。国家はそれ自体ではカネを産まないのである。
 つまり、生活保障を維持するための国家財政はどのように実現されるかというビジョンが問われなければならないはずだが、そこが欠落している。
 安全保障政策はどうか。細かい点を上げるまでもなく、安全保障政策はかなり専門的な領域であり、そうした専門知なくオールマイティな解決はできない。このことは現状の南シナ海の問題を見てもわかるし、北大西洋条約機構(NATO)や中東情勢を見てもわかるはずだ。単純な話、日本の平和主義は金銭支援以外、あるいはそれを介した理念以外はまったくないに等しい。安全保障を考える上で、あえてもういち事例をあげるなら、スリランカ内戦過程の検討を勧めたい。日本的な平和理念がどのように対応できたか教訓は多く得られるだろう。
 しかし以上のような細分点よりも、もう一極のそもそもの問題に行き当たる。こうしたSEALDsの理念は、私の理解では、日本共産党とほとんど変わりないということだ。社民党にも近い。民主党にもやや近い。つまり、SEALDsである必要性は感じられない。
 ここで2つ思うことがある。まず、そうであるなら、SEALDsは日本共産党の下部組織として政党政治に参加してはどうだろうか。私はここで皮肉やイヤミを言っているのではない。
 もう1つは、最大野党である既存政党の民主党とSEALDsはどう関わっているのか、である。
 この視点で重要なのは、現在の民主党である。特に、安保法案についてだが、民主党は表向き野党であり反対しているし、その反対の議論はSEALDsと似たように見えるが、民主党内では安全保障についての党の統一した見解が存在しているようには見えない。簡単に言えば、最大野党の民主党は、安全保障問題に党として明確な理念が打ち出せないでいることが、現下の混乱の元であるとも言える。自民党がいくら暴走しようにも一定の力のある野党があれば押さえ込めるはずだが、ゆえにそれが機能していない。つまり、現下の政治状況の問題は、民主党の機能不全にあると言ってもいい。
 実は、その民主党の機能不全が、SEALDsという現象なのだとも理解できる。その点は、SEALDsに了解されているらしい。

 SEALDsは特定の政党を支持するわけではありません。しかし、次回の選挙までに、立憲主義や再分配、理念的な外交政策を掲げる、包括的なリベラル勢力の受け皿が誕生することを強く求めます。

 SEALDsは本来は、しかしそうして見るなら、野党編成の軸を担う政党であるべきだろう。
 そしてそれは通常の野党として日本の立憲政治に登場し、議会政治のプロセスのなかで機能してよいはずである。
 つまり、SEALDsは日本の「オリーブの木」となるべきであろう。その理念から活動のあり方を整理したらよいのではないか。「オリーブの木」が日本的ではない、あるいはすでに失敗しているというなら、「梅の木」とか「合歓木」とか、まあ、なんでもいいけど、そういう日本の政治風土に合った野党再編成の運動であればよいのではないか。その過程を取ることで安全保障だけでなく、金融政策なども練り込んでいけるはずである。

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