一番大切なものが欠落していた戦後70年談話
予定通り、昨日の14日、安倍晋三首相は戦後70年の談話を発表した(参照)。私も定刻にNHKを付けてみたら、おじゃる丸がやっていていた。首相の代わりにおじゃる丸とは、ああ、日本も平和になったものだな、と思った。が、気がついたが、NHKといってもいつも私が見ているそのチャネルだけではなかった。
同時刻ツイッターを覗くと他局でもCMを挟んでやっていたらしい。なかには、センター試験の論述問題よろしくキーワードのチェック項目も掲載していたところがあったようだ。ご冗談でしょう?
戦後70年談話について、安倍首相を攻撃できる部分があるかとワクテカして聞いている人たちもいたようだった。しかし、突発事態でもなければそんなネタが出るはずもないのは、すでに有識者会議「日本の役割を構想するための有識者懇談会」の報告書(参照)が出ていて、首相談話もこれに逸脱することがないことからもわかるはずだ。というか、この報告書があまり読まれてなさげなのが、むしろ私には訝しく思えた。
談話はどうだったか。ということは、突発事態でもあったかということだが、同席者だろうか咳き込みが随分聞こえるなあと思った以上には何も思わなかった。そういうものだろうということで、終わった。
そして予想通り、一番大切なものが欠落していた戦後70年談話だった。
ツイッターなどやネットの話題を見ていても、そこに気がついた人は、私の見える範囲ではいないように思えたので、ブログに書いておこうかと思う。なんだかわかりますか?という以前に、それがわからないで、いったいなにが戦後70年なのか、と私は思った。
その前に、談話全体をどう受け止めるかだが、これについては、全文や有識者会議の報告書を読むより、ウォールストリート・ジャーナルのまとめが秀逸だったので、記しておきたい。「安倍首相の戦後70年談話、5つのメッセージ」(参照)より。
1. 日本は窮地に追い詰められていた
安倍首相は談話の冒頭、1930年代に「世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました」とし、「その中で日本は、孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました」と述べた。2. 日本も多大な苦痛を受けた
安倍首相は日本軍が海外で与えた苦痛の詳細に触れる前に「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました」と述べ、東京空爆や広島と長崎での原爆投下、沖縄における地上戦などによって「たくさんの市井の人々が、無残にも犠牲となりました」と話した。3. 日本の兵士も英雄だった
安倍首相は「戦後、600万人を超える引揚者が、アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となった事実」を「心に留めなければなりません」と訴えた。帰還した兵士のおかげで日本の戦後の発展があると讃えることで、軍人に対するイメージ回復と国内の認識修復を図った。4. 日本軍と「慰安婦」
安倍首相をはじめとする日本の保守派は、「慰安婦」はほとんどの場合が日本軍が強制的に連行・拘束した女性ではなく、商業的に身売りされた単なる売春婦だったとの見解を示している。首相はこの日の談話で「戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます」と述べたが、日本軍の責任には触れなかった。5. 日本は十分謝罪した
安倍首相は「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の8割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と主張した。
1はこの談話の歴史観である。実際には、報告書に詳しい。というかかなり詳しいので少し驚いたくらいである。
2と3は日本国民向けである。日本の市民と戦士についてある。この言及はこうした談話の性格上、当然の項目ではあるだろう。
4は実質、韓国向けであり、5も概ね韓国向けだが、中国も含まれていると言っていい。つまり、この談話の事実上の主眼は、韓国と中国という二国に向けて安倍首相がどう語るかということであり、実際メディアの関心も、2と3の日本国内向けより、4と5に向いていた。これは結局のところ、70年もしてみたら、実際に日本の戦争に同時代で体験した人はほとんどいなくなったということである。現在80歳の人でも、日本の戦争は子供としての経験である。
別の言い方をすれば、なぜ、韓国と中国に「謝罪」をしなければならないのか、という問題でもあるだろう。このこの問題は、謝罪を求める側には自明すぎるだろうし、その逆の側にはナショナリズム的な感情をいらだてる点で同様に自明だろう。つまり、両者にとって、現在の感情的な問題であり、そこをテコにした現在の国際問題だろう。
ただし、そのように問題が切断できるということは、ようするに、もはやそれは、韓国と中国の問題でしかないとも言える(北朝鮮も含めてもよいだろうが)。国連体制の事実上の主軸を支える米国は今回の談話に満足しており(そのように圧力をかけたせいもあるが)、米国に支えられている北大西洋条約機構(NATO)諸国も国家のレベルで日本の戦後を問題視はしていない。
加えて、もはやアジア諸国も、中国の顔色を見る国家はあるにせよ、基本的に日本の戦後を好意的に受け止めている。この話題は、有識者会議の報告書に「日本は戦後70年、中国、韓国をはじめとするアジアの国々とどのような和解の道を歩んできたか」という項目でも触れられている。他、報告書には「米国、豪州、欧州との和解の70年への評価」の項目もあり概ね「堅固にして良好な同盟関係を持つに至った」と見てよい。報告書にはないが、中東諸国、アフリカ諸国、南米諸国などは戦後の日本の平和貢献から概ね日本の戦後について好意的に受け止めているとしてもよいだろう。
「ではなぜ韓国が」ということだが、この点は有識者会議の報告書に示唆がある。
日本の植民地統治下にあった韓国にとり、心理的な独立を達成するためには、植民地支配をしていた戦前の日本を否定し、克服することが不可欠であった。1948年に独立した韓国は、サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加して日本と向き合おうとしたが、講和会議への参加を認められず、国民感情的に割り切れない気持ちを抱えたまま戦後の歩みを始めることとなった。
簡素に要点がまとめられている。まず、「韓国にとり、心理的な独立を達成するためには、植民地支配をしていた戦前の日本を否定し、克服することが不可欠」という点が、謝罪を求めることの根幹にあるとしている。そしてこのことは、「サンフランシスコ講和会議に戦勝国として参加して日本と向き合おう」ということにつながった。
簡単にいえば、韓国は自己規定では、第二次世界大戦における日本の戦勝国であり、そのことを、連合国、実質米国体制に認めさせることが、戦後処理という意味になった。これが解消されないために、「国民感情的に割り切れない気持ちを抱えたまま戦後の歩みを始めることとなった」。
少なからぬ日本人は、日本政府が誠意をもって韓国に謝罪すればよいと考えているが、この文脈の謝罪とは、韓国を第二次世界大戦における日本の戦勝国と日本が認めよということであり、その系のなかで代表的な話題が取り上げられると見てよい。
このことは、つまり韓国の国民感情に内在する、戦勝国として自国を扱ってくれない米国へのアンビバレンツであり、それの前段に日本をそこに組み込もうとしても、日本も同様に米国の世界観の中に置かれていてどうすることもできない。しいていえば、米国が韓国を戦勝国として待遇すれば、日本への謝罪問題はその根幹において終わるだろう。(おそらくそれは米国大統領に広島での謝罪を求める日本人の国民感情に似ている。)
中国については、報告書はかなり重要な問題について踏み込んでいる。論点のポイントは、日本が戦争で戦ったのは中華民国(現在の台湾)であって、中華人民共和国(中国共産党)はない点である。
日本の戦争責任に対する中国側の姿勢は、第二次大戦終結から現在まで「軍民二元論」という考えの下で一貫している。これは日本の戦争責任を一部の軍国主義者に帰して、民間人や一般兵士の責任を問わないというものであり、極東軍事裁判や対日占領政策において厳しい対日姿勢を示した中国政府も、大戦後中国に留まっていた日本の一般兵に対しては、武装を解除し、民間人と共に引き揚げさせた。
戦後間もなく、1949年10月に中華人民共和国が成立し、中華民国が台湾に遷ると、世界には二つの中国政府が併存することとなる。米国からの要請もあり、日本は中華民国との間で1952年4月に講和条約を締結し、国交を樹立する。中華民国は、日本への賠償請求権を放棄し、蒋介石総統は「軍民二元論」の考えに基づき、日本には徳を以て怨みに報いるべきであると説いた。「以徳報怨」という言葉は、その後日本と中華民国の間で歴史問題を防ぐ役割を担うことになる。他方、台湾は、1987年まで憲法を停止して戒厳令を敷いており、蒋介石の対日講和は、国民との合意形成の上で進められたものではなかった。また、1950年代、1960年代において日本と中華民国の間の人的交流は限られており、外交的には日本と中華民国は講和を成し遂げていたものの、日本と中華民国双方の人々の和解には大きな進展はなかった。
含蓄が深いが戦後ということを考える上でもっとも重要な視点が明確になっている点に注意したい。「日本は中華民国との間で1952年4月に講和条約を締結」という点である。
戦後とは、1945年8月15日に天皇が超法規的になんか放送で述べたということではない。戦後とは、戦争が終わったということであり、狭義には休戦協定が締結されて戦闘状態が終結し、さらに広義には講和条約を締結するということなのである。
中国について問題が起きるのは、中華人民共和国(中国共産党)との講和条約をどう考えるかということである。
ここで報告書はさらに踏み込んでいく。率直に言うと、私はこの説明は奇異なものに映った。戒厳令を理由に蒋介石の対日講和の正当性に疑念を投げている点である。
他方、台湾は、1987年まで憲法を停止して戒厳令を敷いており、蒋介石の対日講和は、国民との合意形成の上で進められたものではなかった。また、1950年代、1960年代において日本と中華民国の間の人的交流は限られており、外交的には日本と中華民国は講和を成し遂げていたものの、日本と中華民国双方の人々の和解には大きな進展はなかった。
この先の説明もやや異質な印象は受ける。
日本と二つの中国政府との関係は、1960年代後半から70年代前半にかけて大きく変化する。1969年、珍宝島において中ソ国境紛争が発生すると、ソ連との関係に危機感を抱いた中華人民共和国は米国に急接近する。そして1971年に中華人民共和国が国連での代表権を得ると、国交正常化への動きが本格化する。1972年2月にニクソン米国大統領が訪中し、その7か月後の1972年9月、田中首相は訪中し、中華人民共和国との間で国交正常化することで合意するとともに、中華民国との外交関係は断絶された。
この段落がやや唐突に次の部分に接続する。
イ 国交正常化から現在まで
1972年9月、日本と中華人民共和国は、日中共同声明を発表し、国交を正常化した。日中共同声明において、日本側は、「過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する。」とし、これに対し中国側は、「中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する。」とした。1970年代の中国に目を向けると、1976年に文化大革命が終結し、鄧小平が実権を握り、1978年に改革開放政策が開始される。そして、1978年に鄧小平は中国首脳として初めて訪日し、日中平和友好条約が締結された
率直な話、中華民国(台湾)との講和条約はどうなったのかについての言及はない。実際のところ、日本は追米して中華民国(台湾)を国家として認めなくなったのだが、それが日本の戦後とどう関係しているのかについては、報告書からは読み解けない。
中華人民共和国(中国共産党)としては日本がこの政府を正統政府として認めたことと併せて講和条約が締結されたが、その後は、この動向を支配していたソ連の解体を契機に日中間の関係は悪化していく。それが今回の談話に影響しているわけだが、以上のように全体構図を見ていくなら、米国の国策が主軸にあって日本は主体的な行動が取れなかったわけで、その射程まで含めて過去を再定義するように「謝罪」が提示されても本質的な対応は取れない。皮肉な話だが、もはや国家として認められていない「台湾」に日本は謝罪すらできないことになる(謝罪を受ける主体がない)。そのなかで、今回の談話で安倍首相が台湾を取り上げた点は、報告書を超える部分であったかもしれない。
我が国は、先の大戦における行いについて、繰り返し、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明してきました。その思いを実際の行動で示すため、インドネシア、フィリピンはじめ東南アジアの国々、台湾、韓国、中国など、隣人であるアジアの人々が歩んできた苦難の歴史を胸に刻み、戦後一貫して、その平和と繁栄のために力を尽くしてきました。
さて、長い前振りを書いたが、以上のような論点で考えを追っていけば、戦後70年談話で欠落していた一番大切なものは明白だろう。
ソ連であり、その継承国であるロシアである。
談話には「ソ連」や「ロシア」というキーワード以前に、その話題が抜けているのである。実は報告書からも実質抜けている。日本人は忘れてしまったのだろうか?
戦後とは、講和条約である。日本が戦争をした国と講和条約を結ぶことである。講和条約とは、平和条約である。平和とは、講和の上に成り立つものである。
だが、日本が独立したのはサンフランシスコ条約の単独講和であり、ソ連とはいまだに平和条約が締結されていない(参照)。
形の上では、日本とロシア(ソ連の継承国)とは戦争が終わっていないのである。日ソ共同宣言(1956)で「戦争状態の終了」はあったものの、国境も定まっていない。
戦後70年談話があり、そして日本国が、平和国家を望むなら、まず、日本が戦争した相手と平和条約を結んでいくことが最大の課題だろう。
戦争を反省し、平和を望むなら、まず、ロシアと平和条約を結ぶという課題を明確にすべきであった。
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コメント
そういえば、日露戦争での勝利がアジアの人々に希望を云々という事しか触れてませんでしたね。
最近のロシア高官(首相や副首相)の対日強硬発言や北方領土訪問の動きに影響が出ているのでしょうか。
投稿: もらもら | 2015.09.08 22:58